介護わんこgooの品格は何処へ

訪問介護ヘルパーの奮闘日記

自分の親のことはままならず

2010年02月07日 | 家族
gooの実家の父がスピード違反でつかまった。83歳なのに車の免許をなかなか返上できないでいる。田舎では車がないと医者に行くのも大変である。が、誰がどう考えても、もう父に運転はして欲しくない。
「で、何キロオーバーしたの?」と聞いても口ごもる。
それが、40キロオーバーだったらしい!
10万の罰金に講習だそうだ。これを機会に運転はやめるつもりは、無い無い無い ・・らしい。電話で大喧嘩である。
恐ろしいのは、100キロで国道を走っている自分に気づかずにいて、「取り締まりの計測の機械が壊れているに違いない。」と父が言ったことだ。今まで違反などなかったし、75歳以上が受ける更新前講習でも他の人よりも成績が良いから、自分が危険運転をしているはずがない。と思い込んでいるのです。
田舎の父と同居している家族はどういうつもりなんでしょう。
父から車を取り上げると、代わりに車を出してあげなくてはいけないことが当然増えるでしょう。頑固な父を押さえつけて、家族の手間が増えてしまうのは確かです。父のプライドもあって、お婿さんに頼めないのでしょう。でも、でも、今すぐに免許を取り上げて欲しい。

家族の人間関係やらプライドやらが入ってくると、問題は複雑になり面倒なので、やはり、「車の免許更新は75歳で終わりです」と法令で決めてくれた方が、ありがたい。それ以降は軽微な違反でも免停にして再取得は無しにして欲しい。これに関しての署名運動があれば、
gooは喜んで署名いたします。
車を自分で運転しているうちは、車が無い生活など想像がつかないかもしれないが、いざ本当に車がなくなれば、どうにかなるものに違いないはず。。。
それにしても、自覚の無さ過ぎる自分の父の様子にがっかりです。

うちの草食男子

2009年12月04日 | 家族

「草食男子」という言葉を初めて耳にしたとき、「うまいこと言うな~。私の息子もそうだわ~」と納得してしまいました。

gooの20代の息子は、穏やかで平和を好んでいるように見える。正面から競争には加わらない。無駄な見栄を張らない。お金を使わない。なよなよ~んとしたポーズをとり、中心からはずれた脇で、ひっそり しぶとく生存している。gooと同年代の男性らしさとは大違いである。

gooが子供を諭そうと、威圧的に叱り付けようものなら、彼は神妙な顔で口応えせず嵐が過ぎるのを待ち、タイミングを見計らって、「そうだな。母さんの言うとおりだよ。」「まったくだ。気をつけるよ。」と さらりと言って、すっと その場からいなくなる。

親の保護の下、のんびりもぐもぐ草を食んでいるが、実は、従順なわけでも内面が弱いわけではない。若者らしく腹の中では社会に対する反発や意見や闘志があるに違いないのだが、決して表には出してこない。

こんな男性を見て、覇気がない!イライラするというアラフィーの母たち。

でも、草食男子が社会現象ならば、こういう男子を育てた母たちの育て方に社会的な癖(時代特有の価値観)があったに違いなのです。

息子の周りの男子の写真をみたり様子を聞いたりしてみると、草食どうし群れをなしている。「あいつは俺よりもすごくて、「植物」してる。」のもいるらしい。

gooはこういう若者の未来も実は結構楽しみにしている。悲観などしておりません。草食男子は現代日本の産物であるならば、草食化するのは生き残りの知恵の一つだろうと思うからです。

50代の威圧的な男性諸君もこんな草食男子を相手に「脅し」たり「激怒」したりする気は起こらないでしょう。「脅し」たって草食男子は乗ってきません。刃向かうどころか、しゅんとして、おどおどして、これ以上威圧すると病気になって消えてしまいそうになるので、怒った自分が悪者に思えてくるに違いありません。権力を笠にきて弱いものいじめしているオヤジであることに気づかされるかもしれません。

でも、草食男子が本当に弱虫かといえば、そんなことは全く無いわけです。gooの目には進化した「したたか」な男子に見えるのです。

介護の仕事をしていると、上手く表現できないけれど、「弱い」ということに一つのれっきとした「存在意義」があることに気づきます。「弱い」のは悪いことではなさそうです。「強さ」ばかりを求めても、居心地の良い社会にはならないようです。

 

草食男子:俗に恋愛や見栄を張るための消費に積極的ではない価値観をもつ男子のこと。従来的な男らしさを「肉食」ととらえその対比として言う語

 


自動車免許更新

2009年06月07日 | 家族

80をとうに過ぎている老親に車の運転をやめて欲しいと説得してみた。が、良い返事は得られなかった。

やんわりとした口調ではこちらの気持ちが伝わらないようなので、厳しい口調で、正当な理由をならべたててみたが、通じなかった。

父が自分で運転しなければならない理由は、私には屁理屈にしか聞こえない。父のプライドとお婿さんへの遠慮が決断や実行を鈍らせている。

車の免許ひとつでこうだ。
今後、もっと大切で大変な決断をしていかなくてはならなくなったときのことを想像すると頭が痛くなる。

嫁に出た娘の私からは、父の同居家族を気遣うあまりにでしゃばったことは言えない。でも、同居家族にしてみれば、生活が一緒で近すぎるために返って言いにくくなっていることが多いのも確かだ。

父が傷つき腹を立てるようなことを言えるのは実の娘しかいないと、思いなおして言葉を選んでは、説得してみるがだめである。

父のワンマンぶりを修正するには既に遅し、手遅れであったか。

介護訪問先で出合った爺たちも 地位も財産もあるが、家庭では空気を読むことに不器用でちょっと気の毒である。

いつのまにか自分達もそうなる。

今から決めておこうと思う。リビングウイルを書面に残す年齢。免許を返上する年齢。老人ホームに申し込む年齢。施設に申し込むべき症状。などなど。

こう思っていても、多分、いざ実行する時に 先のばしにしたくなるのだろうな。





 


「老老」さらに「認認」介護

2008年07月06日 | 家族

朝日新聞日曜朝刊のトップ記事がこれ!「認知症2035年に倍増」

小見出しに 「老老」さらに「認認」介護に変化 とある。

「老老介護」は既に周知の言葉でしょうが、「認認介護」という言葉は、インパクト強すぎ。

「夫婦ともに白髪まで」と仲睦まじく揃って後期高齢となった老夫婦

実は共に認知症な~んて、笑えない。

時々ボケが混じって、歳ね~ なんて、笑いあっている自分達夫婦も、老いて一緒に認知症を患う可能性があるなんて!想定外!!であったが、言われてみれば十分ありうる。ショックである。

でも、「認知症には認知症」という話し相手をマッチングさせて、うまくいっているように(傍目から)見えることもあるから、どちらか一方だけ認知症よりも返ってよいこともあるかもしれない・・・。いやいや、甘い思いつきでした。自分がそういうお宅に訪問介護に入るとなると、ぞっとします。

老人人口や患者数などの予想の統計数値を見ると、ついつい悲観的になってしまう。そして更に、みんなが恐れる「認知症」患者数が倍増だなんて。

ま、でも、新聞が騒ぎ立てて、それに煽られて、憂鬱になってもしょうがない!

もっとプラス思考で前向きにこの社会の変化を捉えられないだろうか。

人生の終盤をむかえる人間をおおらか~に包み込める懐の深い思想や芸術や信仰でもって、日本人の底力を発揮できないだろうか。

 

gooが今考えているのは、「単純な反復で根気のいる手作業による創作活動」を60歳前後から始めるグループを積極的につくることだ。認知症が始まっても、身体が覚えていれば、作業は続けられるしね。

例えば、「糸つむぎの会」というのが羊毛を扱っている山地にある。この会は、年齢制限があって、50歳以下は入会できない。

「60の手習い推進」で、効率を求めない分野での思索・芸術活動・創作で、ゆっくりと日本を良い国にできるといいなあ、と個人的に思うのである。


何年ぶりかの連休をいただいて

2008年05月06日 | 家族

サービス業に関わる人たちには、休めないゴールデンウィークです。その連休も今日が最終日。

訪問介護ヘルパーの要請は365日で、祭日・盆・暮れ関係なし。そこをなんとかお休みを頂きたく、曜日や時間をこのときだけは変更させていただいたり、代理を頼んだり頼まれたりでしのぎます。この調整のストレスはサ責に大きくのしかかっているでしょうが、当の担当ヘルパーも自責の念にかられながらお休みをもらうのです。

 

今年、その貴重なお休みを頂いたgooです。ほんとうに久しぶりの連休です。普段気になっていた窓ガラス拭きや草むしり、寝具の入れ替え、絨毯・毛布の洗濯、非常用リュックの中身の点検などなど、山のようにする事がありました。日常の掃除だけではできないことは多く、いつの間にか汚れや不要なものが溜まってきてしまうのです。今回、わずかでもこれが解決できて、ちょっぴり幸せを感じました。

 

多くの人が休んでいるのに働かなくてはいけない時、逆に自分だけお休みしているとき、立場が代わると、見えなかったこと知らなかったことにたくさん気付かされます。

どちらにしても自分ひとりだけで生活が成り立っているわけではないということをしみじみ感じます。24時間365日、誰かが自分の為に働いてくれていて、自分も誰かの為に働いていて、毎日の生活が順調に回っていく。

お仕事に楽なものはなく、つらい、休みたい、辞めたいと思う事があっても、自分のお休み時に一生懸命働いている人の姿をみるととても励まされ、不満も少し解消されます。

そして、ゴールデンウィークを満喫してお休みできる人は意外と少なく、多くの日本人は働く側にいたのではないかと思うのです。

TV/新聞の報道を見ていると日本人全員が連休だったような勘違いをしそうですが。

 

gooの近所のスーパーの店員さんもバスや電車駅の職員さんもレストランも病院や施設の職員さんも予備校の教師も・・・皆ないつもどおりに働いていました。

そして、レストラン以外は何処のお店も空いていました。

 

子供が小さくて学校がお休みのときは、ゴールデンウィークには親もお仕事を休んでおりましたが、大きくなってしまって親と行動しなくなるともう仕事優先です。

あの頃が、懐かしいものです。

 

育児休暇同様に、介護休暇の取得や、介護のためのフレックスな労働形態が浸透すれば、介護ヘルパー不足を嘆く必要もなく、家族の力も弾力性を持ってくるのではないかと、冷静に思えるのは、やはり、久しぶりの連休で心身に余裕ができたからでしょうか・・・。

 

誰でも、親から生まれてきて、年月とともに親は年老いていくのだから、育児休暇よりも介護休暇保障を手厚くしても文句は出ないと思うんだけど。

後期高齢者が家族にいる場合は強制的に休暇取得させるというのはいかがかしら?

介護ヘルパーまかせ(少数です)が減るし、人生の勉強として最高ですよ。