介護わんこgooの品格は何処へ

訪問介護ヘルパーの奮闘日記

2009年05月25日 | 終末期ケア

昨晩、夢をみて 目が覚めてしまった。

訪問先のどこかのお婆様を看取った夢である。夢のなかで、gooは お婆様の枕元で思いつく限りの花の名前をあげていた。お婆様はうんうんと頷きながらいつの間にか逝ってしまわれた。

目覚めて、はて、さて、どこのお婆様だったのか?花がお好きだったのだから、あの方は「コロボックルさま」だったのだろうか?と不謹慎にも正夢のように思えて、まだまだお元気なはずの「コロボックルさま」の万が一を心配しているうちに、空が明るくなってきてしまった。

起床して、あわただしい朝の準備を始めても、頭の隅に夢がひっかかっていて、「コロボックルさま」は心不全をおこしても不思議はないし、正夢だったら、すぐに事業所から電話連絡があるだろうし、と、考えながら家事を進めていた。

そして、事業所開始時間後すぐに、電話がかかってきた!

電話の内容は「コロボックルさま」ではなく、「ふしぎさん」の訪問キャンセルだった。

在宅ターミナルケアの「ふしぎさん」に何かあったに違いない。まだ、逝かれたわけではないが、とても近いことは容易に想像できた。「ふしぎさん」はお婆様ではない。50歳代の愛しい奥様である。

奥様の最期を家族だけで静かに見守りたいのであろう。gooは その気持ちがとてもよく分かる。gooは母の最期の3日間は家族以外の誰にもその哀れな姿を見せたくなかった。まだ若い人の最期というものは、本人も家族も苦しい時の絶頂期である。当時gooは母の友人の方々のお見舞いをすべてお断りしたのである。

10年もまえのことだけど、今は、お断りしたのが良かったのか悪かったのか判断できなくなっている。すこしだけ、お断りしなければよかったかな、と思うが、昔のことである。 

 


マスク その2

2009年05月22日 | 生活援助技術

gooは先週からマスク姿で訪問しているけれど、訪問先のお年寄りも家族も、ギョッとするどころか 「当然でしょう!」という反応だった。

朝からテレビをつけっぱなしにして、ニュースを聞いているお年寄りは多い。テレビ映像で、もう、十分洗脳されているのだ。関西施設や訪問介護のヘルパーが、マスクを装着してアルコール消毒をしてからお年寄りと接している映像は もう十分に流れていた。

過剰に反応する必要はなくても、簡単ですぐにできることなら、利用者さんの期待にすばやく反応しておくのが得策かと思う。

gooの事業所も、今日には、対応のお手紙が利用者にもヘルパーにも配達され、マスクが配られるようになった。

内心、「来週に持ち越すつもり?鈍感なのか冷静なんだか?」と自分の事業所が心配だったので、ちょっとほっとした。

ところで、マスクぐらい 期待に答えて装着すりゃあいいだろう。と思っていたけれど、これが結構 息苦しい。忍耐が必要であった。 冬場はマスクで顔が温かいと思っていたけれど、今は、暑いし汗がでるし、あせもができそう。

当然、ノーメークでマスクをするんだけど・・・・。

マスクって、自分の顔が半分隠されていると思うだけで、 人前に晒されていないという精神的に変な安心感も実はある。

それにしても、訪問が終わってマスクをはずすときの爽快なことといったら。

自分の息で窒息しそうになっていたから、そとの空気がおいしいよ。 


マスク

2009年05月19日 | 生活援助技術

新型インフルエンザにタミフルやリレンザが効いて治るのというので、少し安心。治療薬がなかったら、地獄のような騒ぎになっていたことでしょう。

さて、先週の訪問から、gooはマスクをつけている。アルコール消毒も頻繁になった。東京に新型インフルエンザが飛び火してくるのは時間の問題かしら?

今週にはいると、銀行や お買い物先のスーパーやデパートのレジの人が 全員 マスク装着だった。

子供の高校や大学のホームページにも「新型インフルエンザについて」の注意事項が載るようになった。証券会社等からも説明会等の取りやめ案内メールが届いた。

gooは今年大学同窓会のお世話役をしているが、関東に新型インフルエンザ患者がでたら、今年は同窓会を取りやめにしようと様子を見ている。

それにしても、肝心のgooの事業所からは、「マスク装着」どころか、どうするべきかの指示が、末端ヘルパーにまで連絡が来ていないのはどういうわけでしょう?介護保険制度の改定に伴う諸手続きに追われて、気がまわらないのでしょうか?

施設職員は多分すでに全員マスクに消毒薬を徹底させているはずだけど。

在宅の訪問ヘルパーは個人の判断に任せるってこと?

gooの事業所さんよ~、まずいかも。しっかりしろ~。

抵抗力のないお年寄りのところに訪問するんだし、きちんと予防していますぐらいのポーズをとる必要があると思うけど。

自主的にマスクをつけて訪問していないヘルパーも結構いるぞ~。個人任せにしておくのはよくないですよ~~~。


芸大美術館『尼門跡寺院の世界』

2009年05月17日 | 美術館めぐり

美術館ファンに ひそかに高く評価されている美術展 『尼門跡寺院の世界』東京芸大美術館に行ってきました。

皇女たちの信仰と御所文化 尼門跡寺院の世界

まさに「見てはいけない世界を垣間見る」感じです。
   尼門跡寺院の世界 皇女たちの信仰と御所文化

 日本の古都、京都・奈良には今でも13ヶ寺の尼門跡が残っています。 尼門跡とは皇族・公家など、高貴な女性の入寺によって営まれてきた独特な品格を 持つ寺院で、わが国が世界に誇れる文化遺産です。 これら尼門跡の開山・中興の尼僧たちの生活と信仰に焦点を当てながら、そこで培われ、 伝えられてきた伝統文化を紹介します。

  古くは7、8世紀の時代の尼寺に始まり、江戸時代には皇室とのゆかりによる「御所文化」が 育まれ、独特な宗教儀礼や信仰生活が形作られました。本展は、京都・奈良の尼門跡寺院である、 大聖寺、宝鏡寺、曇華院、光照院、円照寺、林丘寺、霊鑑寺、中宮寺、法華寺、三時知恩寺、 慈受院、宝慈院、本光院に関連する作品、180余点にてその世界を紹介いたします。

10歳になる前に皇女は尼寺に入門するそうです。

祭祀・儀礼に使われたと思われる道具・仏像がすべて一風変わっているように感じられます。こんなのみたことな~い。という儀礼道具がいくつもありました。

例えば、二段の物干し竿に小さい箱がたくさんぶら下がっていて、その箱の扉を開けると仏像が一体づつきちんとおわします祭壇(?)。なぜにぶら下げるのでしょう?

そのほかの祭壇も「現代アート」に通じるものばかりで、精神性を強く感じます。

お姫様道具とはまた違い、自由奔放さや大胆な感じは受けないけれど、妙に惹かれる意味深で精巧なつくり・デザインのものばかり。

皇女たちが出家して『信仰』の世界で生きていくのは、一般人の表立った「信仰」とは違って、日本国の神秘の世界を継承していくための皇女に任せられた大切なシステムなのではないかと思われました。

詳しいことは、厚さ5センチはありそうな図録を読めば、秘密が少しは明かされていそうです。が、高価なのと重いのとで購入せずに帰宅。帰宅してから「やっぱり図録が欲しかった」と後悔。

展示物の保存の状態が大変よく、尼寺できちんと儀礼が営まれ、きちんと仕舞われて、きちんと受け継がれてきたのが想像できて、なんだか、とてもうれしい思いがします。

期待どおりのものを拝見させていただきました。

表立たないところで、女性こそが儀礼の継承者として大切な役割をはたしてきたのではないか。現在も皇后様もそのおひとりであろうか。とまで思い至った私です。

学術的には何の知識もないままに 拝見させていただいたので 的外れの感想かもしれません。

いつもの友人が「私は尼寺に入門しようかと思ったことがある。」と告白。じつは、自分も独身のころ、同様に思ったことがあります。今、この展覧会を見て、妙に惹かれている自分達。あぶない、あぶない。世俗を捨てて、尼寺へ。

と、その後、芸大「春コレ」をみて、頭がいきなり雑多になり、あぶない気分から引っ張り出されてしまった。これ、芸大のワザとの展示の組み合わせ?私達のように「尼門跡寺院の世界」に魅入られた人を現実世界に引き戻すためのリハビリ展示としか思えない。「春コレ」も名品がたくさんあったんだけどね。

美術館の横にレストラン、その下に学食。学食で肉詰めピーマン定食(550円)を食べた。多すぎたので友人に少し手伝ってもらい完食。

さらに、同敷地内での「資生堂・サントリー商品デザイン展」へ。

     第3回企業のデザイン展「資生堂・サントリーの商品デザイン展」

 資生堂とサントリー両社が創業以来現在まで、1世紀以上に渡り発表してきた数々の商品をデザインの側から光を当て、この機会に一堂に集めて概観します。来場者の方々にはデザインがいかに私たちの生活と密接に結びついているかをぜひ確認して頂きたいと思います。

 商品デザイン展のほうは、若い人が大勢きていました。芸大のコメントどおり「デザインが私達の生活と密接に結びついている」こと、改めて確認できました。

ここで、帰路につけばいいのに、もうひとつ「国際こども図書館」にも足を伸ばしてみる。「野間国際絵本原画コンクール入賞作品展」をみてきました。

これは、グランプリの作品です。「切り絵」です。実際はもっと鮮やかな色で切りえならではの立体感があります。

グランプリ 「ナディとシャオ・ラン」ウェン・シュウ(コスタリカ)

グランプリ 「ナディとシャオ・ラン」ウェン・シュウ(コスタリカ)

この日の感想は、「上野に住みたい。」「もう、住んじゃえ。」「前向きに上野移住」の友人と私でした。

(ここまで、読みきってくださった方、ありがとう。です。)


ふしぎさん

2009年05月15日 | 終末期ケア

『不思議さん』は50代の美人。この絵の「忘れえぬ女」を日本人にして、50歳を過ぎたらちょうど不思議さんのような感じになる。

  

『ふしぎさん』は、脳転移の末期がんで3月いっぱいの命と宣告されていました。

2月下旬、在宅でのターミナルケアが始まったばかりの頃は、多くのケアスタッフの出入りに『ふしぎさん』は気持ちが休まらず、張り詰めた空気のなかで、怒っているかのように見えました。

『ふしぎさん』はベッドの上で自力で寝返りできません。じょくそうができています。頭髪が一度全部抜けた後、1センチほど生えてきたところで、女性としてはかなり痛々しい感じをうけます。時々痙攣発作がおきたり、嘔吐に苦しんでいます。手足はだらんとしていますが、目だけは・・・眼光だけは 「力」があります。

最初、gooも嫌われている感じ、拒否されている感じがして、『ふしぎさん』と目をあわせるのがとにかく怖かったのでした。

在宅ターミナルといっても、平日の日中は肉親・家族が傍にいるわけでなく、ヘルパーとご友人と看護師さんで交代で傍らにつき、ご主人の帰宅を待つという 「日中独居」なのです。『ふしぎさん』とケアスタッフの2人で生活の音を立てずに、静かに静かに過ごすのです。

元気なころの不思議さんはどんな女性だったのでしょう?聞きたくてもきけません。聞いても愛想よく言葉を返してこないでしょう。ご自宅にいらっしゃるのに「ふしぎさん」から生活感が消えてしまっています。そういうわけで「ふしぎさん」は、ベールに包まれたまま、介護をうけていらっしゃいます。

たまたま、お友達が傍らにいらしたときの「ふしぎさん」の様子を観察すると、「ふしぎさん」は元気なときから、不思議さんだったに違いない。と気がつきました。

そうわかると、gooも気持ちが楽になって、「こんにちわ」と「さようなら」だけの挨拶をかわすだけで十分になりました。

「ふしぎさん」が怖がっているのは、突然、自分が死んでしまうこと。自分の身体が自分ではないような気がすること。だから、gooは「ふしぎさん」から決して目を離さない。1秒たりとも休まずに「ふしぎさん」の足をさすり、腰をさすり、手をさすり、肩をさすり続ける。すると「ふしぎさん」は安心してとろとろと眠ることができるのでした。

たった1時間半、傍で身体をさすっているだけの訪問が続いて、会話はゼロですが、いつのまにかgooと「ふしぎさん」の間に通い合うものを感じられるようになりました。

桜がさき、ツツジが咲き、いまは5月のバラが咲いています。「ふしぎさん」は2月から大きく変わることなく、命をつないできています。

「ふしぎさん」は「ふしぎさん」のままでいいのです。「ふしぎさん」は自分の苦しみを言葉にするすべを持ち合わせていないし、一人で向き合わなくてはいけない「死」には「静」という気力でもって向かい合っているのです。

多くのケアスタッフのなかの一人gooが「ふしぎさん」と過ごす時間は、1週間のうちのたった一時間半だけですが、「ふしぎさんの最期を」できる限り見届けたい。と思うようになりました。


あなたは誰に介護してもらいたいですか?

2009年05月10日 | 高齢者の住まいめぐり

5月8日朝日新聞朝刊の記事のなかで、「誰に介護してほしいか」8276人に聞いた結果が載っていた。もっとも多かったのが「施設の人に」2966人だった。次が「妻」で2684人。

実際の介護の担い手はが一番多く、次に息子の、施設、妻、息子と続く。

「どこで介護して欲しい?」という質問に「在宅」2566人。「施設」4070人。「分からないその他」1640人という結果だった。圧倒的に施設を希望している。

実際の介護の場は回答数3053人中「在宅」1776人、「施設」948人、「分からないその他」329人で、実際は在宅介護が多い。

調査母集団が小さいし、朝日新聞「アスパラ会員」ということで偏りがあり、このアンケート結果がどこまで信頼できるかは?だとしても、気になる結果だった。

介護保険が始まった頃は「住み慣れた自宅でなるべく暮らせるように。」が主流だったと思う。が、介護保険制度も10年たって「施設」を希望する人が主流になってきているとしたら、政策に、制度に、既に大きな転換期を迎えているということ。

同じ質問に自分が答えれば、やはり施設入居を希望する。「住み慣れた自宅で最期まで」というのは、介護保険だけでは限界があると分かってきたからだ。

朝日新聞のアンケートで片手落ちなのは、次の質問がないことだ。

「老親や配偶者の介護を在宅でしたいか?施設でしたいか?」

今の中年に将来の自分自身の介護について問われれば、多くは、迷惑をかけたくないという理由で施設を選ぶかもしれないが、

「自分の親や配偶者を施設に入れたいか?」と問われれば、「できるだけ住み慣れた自宅で」と答え、それが不可能ならば、施設を考えるというのが多いのではないかと想像する。

中年の自分達が高齢者になったとき、在宅介護が更に難しくなっていることは想像しやすい。ならば、自分達の入る施設を今から準備していかなくてはならない。

私達中年は、将来の年金受給額も怪しいし、貯蓄金額も今のお年寄りほど持っていないに違いない。そして、すでに元気がない。情熱をもって仕事をこなし、将来の不安を吹き飛ばすほどの勢いのある人がいなくなっている。


口から始めるアンチエイジング

2009年05月05日 | 口腔

『「現代病」ドライマウスを治す』 鶴見大学歯学部教授 斎藤一郎著 2007年 講談社+α 新書 を読んだ。

gooは年明けに軽い気持ちで親知らずを抜歯してから、かみ合わせの治療をしているが、通院がまだ続いている。しかも、抜歯後、まる4ヶ月が経過しているのに、歯茎の穴はまだ空いたまま。なんと治りの遅いことよ。

着実に進んでいた「老化」をパンチを食らったように気づかされた。

この4ヶ月間、口の中が渇き気味で、しゃべりにくいし、唾液を出そうと口周りの筋肉を動かしていると顎と首の唾液腺の周りが痛むぐらいである。就寝前に軽くお酒を飲むとさらに口渇が悪化し、夜中に口の中がばりばりに乾いて目が覚める。舌が乾いてしまうなんてことがあって良いはずはない。

これは介護で知った「ドライマウス」症状に違いない。と思い、歯科で「このごろ、唾液の出が悪いんですけど~。」と訴えてみたが、若い先生は戸惑うばかりであった。

次回の通院まで1ヶ月ほど間があるので、自分で調べてみることにした。図書館で検索すると2冊ほど上がってきたが、鶴見大の斎藤一郎先生の本が良くまとまっていて分かりやすかった。それに、介護の現場で何となく感じていた「歯(口腔環境)の良い人は元気で認知症になりにくい。」という自分なりの説が医者によって裏づけされたよう気がした。

先生の本より

口の機能や唾液は、医療の最前線で大きな注目を集めています。というのも、唾液には若さを保ち老化を防ぐ物質が含まれていることが明らかになり、また、「噛む」という行為そのものが脳細胞を活性化せさることも分かってきたからです。つまり「口の働き」は「老化」と密接なつながりがあることから、予防医学の中心を担うアンチエイジング医学の観点からも盛んに研究が進められているのです。

 現在、すでに、唾液が少なくて困っているgooは、レッドゾーンで「あなたの老年期は厳しい!」と宣告されたように感じた。

すぐに「唾液分泌の促進」のために

1.一口30回以上噛む。とにかく、よく噛む。一に噛んで二に噛んで。

2.病気が原因ではないか調べておく。

3.顔面・口腔周囲筋のトレーニング、マッサージ

4.ライフスタイルの改善・チェック(呼吸、水を良く飲む、食事に注意を払う、運動を生活に取り組む、快適睡眠を心がける、ストレスマネジメント

1と3は即実行。4も心がけていく。2はどうせ更年期障害かストレスといわれそうだが、時間を作って受診しよう。

3に関しては他本で「パタカラ」という器具があることを発見した。購入を迷っている。マウスピースのようなメディカルな器具なんだけど、コレを使って口周りの筋肉を鍛えると老け顔が治るとか小顔になるとかで美容分野の方からヒットしているようだ。

健康関連の本やグッズを買う時は、周りの家族の目が 「お母さん、無駄、ムダ」と言っているように感じる。確かに、過去、ほとんど「ムダ」にしてきているgooです。ごめんなさい。

ところで、介護訪問先のパーキンソンさんも「ドライマウス」が重症。85歳をすぎていらっしゃるし、お薬の副作用のせいもある。そういえば、「人口唾液スプレー」や「あめ」や「ガム」でしのぎ、時々、発声練習「かっ」「たっ」「ぱっ」「ら」、「イー」「ウー」「オー」「ウー」をしていらっしゃった。

まさか、まさか、goo自分自身にもふりかかるとは。

追記:唾液は一日1.5リットルも分泌されているって、知ってた?


50代で亡くなってはいけません!

2009年05月04日 | その他

2日、忌野清志郎さんが58歳で逝かれた。

あまり芸能に詳しくないgooだけど、ラジオから忌野清志郎の歌が流れると「あ~いいな~。この人の傍にいると癒されるだろうな~。」といつも思った。誰かが一緒にいってくれるなら、コンサートに行ってみたいとも思っていた。

同日に 家族全員がお世話になっていた耳鼻科の先生が心不全で急死されたことを知った。ショックだった。やはり50代である。過労と運動不足と美食が原因だろうと勝手に想像している。開院して10年ぐらいでものすごい繁盛していた。

風邪でも花粉症でも目まいでもイビキでも予防接種までも耳鼻科の先生にお世話になっていたgooの家族。困った。困った。これからはどこで鼻の穴や喉や耳の中をチェックしてもらえばいいのだ?

それから、「心不全」について看護知識を確認しなおそう。とも思った。

自分達夫婦も 今が一番 健康のために「生活を見直さなくてはいけない時」に違いないとも思った。

 


忘れえぬロシア展の美人さん

2009年05月03日 | 美術館めぐり

六本木でルーシー・リィーの器を見たというりも、安藤忠雄による宇宙構成をみせられた後、その足で渋谷に向かいBunkamura『国立トレチャコフ美術館展 忘れえぬロシア』を見てきた。

コレを見たいと主張したのは、夫である。

ポスターやチラシにのっているこの女性の絵はイワン・クラムスコイの作「忘れえぬ女」で、この女性に会いたくてこの展覧会に足を運んだ人がほとんどだと思う


多くの男性はこの女性のまなざしが、人を見下している とか 蔑視ぎみと感じるそうである。いわれてみれば、そうだけど、女性の私には気にならない。すっごい美人ってそんなもんでしょう?近寄り難くて神様のようで。だから偉そうに見えてもいいの。

意地悪いえば、この絵の女性も肉や芋を食べるしトイレにも行くだろう。

と、そんな話じゃなくて、絵の話でした。ほんのりした唇やほほのふくらみがなんとも良い。黒を基調のドレスの質感が実によく出ている。幅広のリボンや帽子の羽に触れてみたい。背景が雪曇っていて、私の育った北陸の冬の色と似ている。

展覧会のどの作品も19世紀後半、ロシア絵画が印象主義へむかう頃の作品で、どれも穏やかな良い作品でわかりやすくて安心して鑑賞できた。

私としては、描かれている絵の中の「雪」「苔」「冬景色」短い夏の「緑」と「光」 衣装やクロスや絨毯の「模様柄」がしっとりと心に残った。

さて、ゴールデンウィーク中の渋谷の人の多さには驚いた。既に日没後だったので街の照明も煌煌としていた。若者だけでなく老若男女ベビーカーとあらゆる人たちでごった返していた。

美術館の中のほうが空いていて落ち着いていた。ちょっと髪が薄くなった中高年男性の来館者が多かったような気がした。


U-Tsu-Wa 展 21-21

2009年05月03日 | 美術館めぐり

NHK番組「日曜美術館」で、女性陶芸家のルーシー・リィ(Lucie Rie)を知った。

陶器のボタンの贈り物 三宅一生と陶芸家ルーシー・リー|新日曜美術館

テレビで見た彼女の作品には凛とした美しさと知的な優しさがあった。生前の創作中の彼女の映像も好ましく、自分で扱える大きさの電気釜を使用してお婆さんが制作を続けていた。

ルーシー・リィの作品にも人物にも感銘を受けたので、彼女の作品の本物をぜひ自分の目で味わいたいと思った。

今回の展示会場は六本木ミッドタウン東京の公園の中にある21_21 DESIGN SIGHTというアートスペースである。ここは、安藤忠雄氏の建築物で コンセプトやらディレクターが個性的過ぎまして、私には 今ひとつ なじめない会場。自分が見たいようには鑑賞できないであろうことを最初から覚悟して出かけた。

チラシ                ルーシー・リィーの器の展示部分
 ルーシー・リー

展示全体像

上の写真のように 水を張った巨大な池の上に 2人の作家:ルーシー・リィーとジェニファー・リーの器を浮かべて展示してある。 安藤忠雄氏による会場構成。うつわから感じとった「宇宙」の空間表現だそうだ。

この展示方法はこれはこれでとても面白い。よしとして、私としてはルーシー・リィの作品をもっと間近に鑑賞したいので、やっぱり不満。本当は実物を手にとって質感を確かめたいところであるが、普通はそれは無理なので 「目」を「触覚」代わりにして嘗め回すようにして、ルーシー・リィのうつわを見たかったのである。

「うつわ」は大きな宇宙の一つの星として展示されたので、一つひとつの星をよくみることができなかった。

でも、ルーシー・リィーの陶器のボタンは楽しめた。

大量の美しいボタンは、三宅一生が彼女から譲り受けたもので、このボタンにあう(ボタンが主役の)服を三宅一生がデザインして作成。とても好ましいよい作品になっていた。

下の画像はNHKのもので、実際のボタンの色はもっと明るく深くため息のでるような色合いです。 

 

一つでいいから、ルーシー・リィの器が欲しいよ~。その器にお料理を盛ってみたい!もう、亡くなっているから新しく作品は増えないと思うとほんと残念だわ~。

来年、国立新美術館で彼女の作品展が企画されているって本当?

作品も人となりも もっと知りたいルーシー・リィー。図書館で作品の写真などが載っている本を借りようと思って、検索したら まだ蔵書されていなかった。リクエストして買ってもらおう。

ちょっと話はそれるけど、ルーシー・リィーの生前の映像が自分好みのお婆さんであったから、というのが興味をもった理由として大きいと気づいた。そんな私って変かも。