介護わんこgooの品格は何処へ

訪問介護ヘルパーの奮闘日記

自分のボケが怖い

2008年08月27日 | OFFの日

仕事で疲れたせいだ・・・と思いたい。

夏休みで息子たちがカレンダー通りに規則正しく動いていないせいだ・・・と思いたい。

認知症の勉強をしすぎたせいだ・・・と思いたい。

昨日は、ボケが多かった。

派手にカレーを焦がした。

冷蔵庫の扉が開けっ放しになっていた。

どこの車がいつまででもエンジンかけっぱなしなんだ!と思ったら、自宅の扇風機があらぬ方向を向いて回っている音だった。

気がついたら食べたみかんの皮が10個を超えていた。いつの間に?一気食いにも程がある。

友人との約束日を間違えて、とんちんかんなメールを送っていた。すぐに謝る。が、以前に同じ友人との待ち合わせで1時間も時計を読み間違えた実績(?)があるので、もう、ほんとうにがっくりきた。

じんましんがひどく出てきた。

こんな一日は、早く終わらせてしまおう。そうそうに床に就く。

で、夢をみた。

訪問先のおばあ様を溺死させたリアルな夢だった。入れ歯のない口元を見て、人工呼吸をするべきかどうか迷っていた。都合よく、息を吹き返してくれた。が、嫌悪感がはっきりと残っていた。自分の責任だ、逃れられない過失だという後味の悪い夢だった。

朝、目覚めてから、悪い知らせが入らないようにと、ず~と、祈っている。

そ、そんなときに限って間違い電話。普段なら、知らない電話番号の電話は受けないんだけど、つい。

「お○田さまのお宅ですか?」

「違います。お○田さんという方は10年も前に電話番号が変わっています。」

「お○田さま」は、いったい何者か?10年たっても、「お○田さまですか」とあらゆる業種から間違い電話がかかってくる。ボケたついでに「はい、お○田でございます。」と用件をきいてやろうか?という思いがよぎった時、相手が、するどく突いてくる。

「以前お○田さまに長野のおそばのご注文を頂いていた会社でございますが、奥様はおそばがおすきじゃありませんか?おいしいとごひいきに預かっておりました。いかがでしょう?」などと営業にきた。

「せっかくですが、結構でございますよ。」長野の電話番号じゃなかったぞ、川崎局番の長野か?

まだ、大丈夫だ。まだ、冷静だ。今日中にボケを治してしまおう!

 

ボケを「自分との関係障害」ととらえる見方がある。実際の老いた自分、病気の自分をうまく受け入れる事ができないところから来る障害とみる仮説である。人間の脳は不思議な思い込みやミスをさせ、辻褄あわせまでかってに一生懸命にやってくれる。

自分の現実・老いを受け入れられない人がボケやすいのか?ならば、「カツラ」を装着する髪の毛の不自由な男性はボケ易いという笑い話もある。

gooは、数日前から50肩にもなった。トイレもわずらわしい。腹回りも要注意だ。パンダのようにだら~っと椅子に腰掛けている自分も知っている。ファッションや容姿のお手入れには最初から興味のレベルが低い。方向音痴だって、自慢じゃあないが、幼児のころから重症である。若い頃からこうなんだから、他の人よりも老いの忍び寄りが速いに違いない。

多くの訪問で多くの生活、多くの人生を見てきた。そろそろ自分の生活・自分の人生に注意をはらう時間を増やしたほうがよさそうなのだ。が、実は、これがgooには苦手なことであり、恐怖なことであるのだ。

gooが受け入れたくないことは、「人の役に立てなくなるという日がいずれ来る」ということだ。これは、「老い」の現実を受け入れられない自分とのれっきとした関係障害である。

あ~、だめだ、だめだ、このマイナス思考。

ほどほどの仕事をできる限り続けられるように、体調管理に気をつけていくしかない。


過ぎ行く夏、体調管理は大丈夫?

2008年08月24日 | OFFの日

訪問介護は、曜日と時間で訪問先がきっちり決まっているので、一週間があっというまに過ぎていく。

おかげさまで、訪問先の皆さんは大した「お変わりなく」、持病の悪化もなく、入院もなく、したがって訪問がキャンセルされる事も無く、無事に夏が過ぎていきそうである。

gooは今年の夏も暑くてつらかった。

お年寄り、特に独居の方は、クーラーを使用されない。夏は暑いけれど、「クーラーは寒い」そうである。

30度を超える日々がちょうど良い!らしい。

とにかく脱水に要注意と思って、顔さえみれば、「飲め飲め、お茶を飲め。」と口をすっぱくして、言い続けたので、誰も脱水症状は起こさなかった。

脱水しそうなのは、介護職のほうである。

gooはものすごい汗をかいた。

お年寄りが言うには、真夏の足浴も、とても気持ちがいいそうだ。

足浴中のお年寄りは誰一人として汗をかいていなかった。でも、足浴中、たらいのお湯の中にgooの汗がぽちゃっと落ちた。一滴、2滴・・・。自分で、すごく恥ずかしくてイヤだった。でも、吹き出る汗は止まらない。

もちろん、入浴介助もキツかった。説明する必要はないぐらい、きつかったよ~。

掃除機がけ中も雑巾がけ中も 汗が 不覚にも ぽたっと 床に落ちた。これにもぞっとした。

去年の夏は、汗でぬれてきた自分の服が臭い!と気付いた。洗濯しても漂白しても湿ってくると匂ってくる服は全部すててやろう!と思った。

ところが、「みょうばん水」に一晩つけ置きしてから、翌朝、洗濯機で普通に洗えば、ニオわなくなることがわかり、今年はみょうばん水のお世話になった。

おかげで、汗臭くなった服は一枚もない。去年の臭くなる服も匂わなくなった。

服を捨ててなくて良かった。ものすごく得した気分になった、ケチなgooである。

毎回、500ccペットボトルにお茶を持ち歩く。一軒の訪問で1本飲み干す。

毎日、仕事が終わった夕方、8分の1のスイカを一人でガツガツ食べていた。1週間で丸々1個のスイカを胃袋に入れていたことになる。

 

昨日、今日と関東も涼しい。

無事、gooも、夏を乗り切ることができた。

すっかり緩んだ気持ちで、さて、シャワーを浴びようと腕を上げる

が、服が脱げない。

「ナナ何?40肩?いや50肩?」

無事ではなかったのか。


勝った負けた、アルツハイマーは手ごわい

2008年08月22日 | 認知症

アルツサダコは介護拒否がある。なかなか家事をヘルパーに手伝わせてくれない。自分でするからというが、もちろんできない。

あの手この手で気分を変えて、アルツサダコとのおしゃべりの合間に掃除と調理を行う・・・・・ことになっているが、日の浅いgooにはまだ、気を許していないので、お互い顔でにっこりしながら、かなりの頭脳バトルをしている。サダコは頭の回転がとても速い。90歳近とは思えない。もっともらしい理由をつけては、gooの協力を断って来る。

買ってきた生ものを冷蔵庫に仕舞わないで、出窓におきっ放しにしてある。

私「サダコサン。お魚がくさったら大変。冷蔵庫にしまいましょうか?」

サダコ「人にしてもらうと、わからなくなるから、自分でします。」・・・もちろんしない。

私「サダコさん。今日のお夕飯は何にするの?教えて~」

サダコ「お肉を焼くだけだから、5分あればできる。まだ、5時過ぎだから、しなくていい。」

私「それでは、付け合せにお野菜を切っておきましょうか。」

サダコ「付け合わせね~。」私「インゲン炒めましょうよ。」サダコ「ジャガイモをゆでるからいい。もう、皮をむいて置いてあるの。私はせっかちだからね。」もちろん、皮はむいてありません。幻覚でしょう。

私「もう、洗濯物を取り込まれましたね。一緒にたたみましょう。」

サダコ「たたみ方が決まってるの。自分でやらないと気持ちがわるいから、やらなくていい。それよりも、お茶しましょ。ここに座って」

というわけで、負けっぱなしのgooである。

お茶の間で一緒にテレビを見ながらお茶をする。オリンピックのシンクロスイミングをやっている。サダコが洩らす

「私は、足が速くてスポーツは何でもできたけど、泳ぐのだけはだめ。ぜんぜん浮かないのよ。」

やった、サダコの弱点ゲット。サダコはカナヅチ!1メートルも泳げない。
オリンピック画面がビーチバレーに移っている。サダコが身を乗り出している。「私はバレーボールの選手だった」という!
女学生の時、ちょーちんブルマーでバレーボールをしていたそうだ。
「誰も信じてくれないけど、写真にとってある」そうなので、「必ず、アルバムを探して見せてくださいね。」と、お願いした。

ついでに、結婚式の写真はあるか?と聞いていみる。
結婚式は戦中なので、地味にすませなければならないので、結婚式の写真はない
のだそうだ。残念。

当時は贅沢は敵だったのだ。そこでサダコ、いきなり
「♪へいたいさんの おかげですう~♪」の歌を歌いはじめる


歌い終わると、柱時計が「カン」て一つ鳴った。

サダコが言った。
「この時計は、勤勉だね。カンだって。」
おかしくて、二人で涙が出るほど大笑いした。

今日の訪問も濃いお茶を3杯も頂き、自分が調理したみょうがとインゲンと人参の天ぷらで接待されて一緒に少し口にし、肉は焼かずに、サービス終了。

今日の勝負は柱時計の勤勉さ(?)に助けられて、うきうきした気分でサービスを終了したので、「今日はサダコに勝った」と思えた。


30分だけの訪問介護

2008年08月20日 | 制度

お役人さんたち、ケアマネさんたちは、訪問介護へルパーの扱いをどう考えているのだろう?

「30分だけ訪問してください。」って、人を何だと考えているのだろう。

もう、gooはあたまから、ボランティア活動だと割り切っているけど。30分のために前後30分の移動時間を見て、交通費自腹の自家用車できっちり移動して、30分ぶんのお給料だけをもらって、何がうれしい?こういう仕事が増えるなら日勤ヘルパーや巡回ヘルパーのシステムに組み込むべきである。

 

ひきうけたじぶんがバカだった。

もともと バカだから はじめたかいごしょくだから、しょうがないけどね。

かしこいひとは、こんな そんするおしごとを えらびませんね。

かしこいとコムスンしちゃうもんね。

あ~gooは バカだ。バカは しななきゃ なおらないよ~。

だって、おじいさんが かわいそうだと かってに おもっちゃったんだもん。

gooが、あんぴかくにん に ほうもん しないと ウンチが でていても ほったらかしにされて 「あ~なんのために わしゃ まだ いきているんじゃ~」と しぬこともできないで ないているかと おもったら、 30ぷんぐらい たちよって あげても いいかな~ って、かってに おもっちゃったんだもん。

こんな おばかな gooを うまいように つかって けいひさくげん している おやくにん。 あなたがたは ほんとうに あたまが いいのかい?


己を知る

2008年08月18日 | OFFの日

結婚して、夫婦共働きして、出産して、専業主婦して、子育てして、病気もして、資格を取って、訪問介護を始めて、訪問介護にあけくれて・・・めまぐるしく私の人生は進んでいく。

普段から口で、「もう、オバサンよ」と自嘲しているくせに、本当に「ああ、本当にオバサンだわ」と愕然として己を知るはめになることが、ちょくちょくある。

ピンポ~ンと営業に回ってくる「化学雑巾ダ○キ○です」お試ししてみませんか?の青年。自分の息子のようにかわいい。その気もないのにお試しを引き受けてしまっている。

私は、化学雑巾は嫌いである。結局、中途半端に使用してはいけないと思い、1回も使用せずに2週間後にお返しすることになる。「お掃除が嫌いなわけじゃあないのよ。床が無いの。(ウソだろ、何いってんだ?)」  息子のようだから、つい、ひっかかったのだと、このときは思っていた。

先日は、「光の通信云々」と言って「ご説明したいのでよろしければ、出てきていただきたい」と言う営業マンの顔がインターフォンカメラの前に映った。TOKIOの○○くんにそっくりだった。びっくりカメラではないかと思って外に出てあげた。

光通信の事など、いくら聞いても外国語の私である。一生懸命に説明してくれるな~と感心して顔ばかり見ていた。自分の息子とどちらがかっこいいかと比べたりもしていた。

このときは、「わざとイケメンを使って営業するのね~。オバサンならドアをあけるわ~」と自分のことを棚にあげて主人に報告していた。翌日その営業マンを訪問先の近所でピンポンを押しているところを見かけた。なぜかとてもがっかりした。

訪問先でリハの先生と一言二言だが、仕事上の言葉を交わした。そして、気付いた。辞めたいといいながらも苦手な訪問先を長く続けていられるのは、このリハの先生に会えるからだと。おばあ様たちに絶大な人気のあるリハの先生である。90歳になってもイケメンリハの先生の訪問を楽しみにするんだな~なんて他人ごとのように感心していた。自分も同類だとは考えていなかった。

絶対に母親の近くを歩かない大学生の息子が、一緒に国立西洋美術館「コロー展」に付き合ってくれた。妙におしゃべりな自分。聞き流すすべを身につけている息子。結構イケメンで真っ黒に日焼けしている息子。あまりにもうれしくて、科学博物館と国立博物館にも足を延ばし、息子をつれて歩く。すっかりデート気分である。金欠でしょうがなく着いてきただけだろうが、そんなことどうでもいい。吉野家の豚丼もおごってやる。(母も金欠)

以上、いやらしいオバサンそのものである。笑ってください! 


介護にイケメン

2008年08月18日 | チームケア

介護ヘルパーには女性が多いので、女性の多い職場に起こりがちな「嫉妬」「競争」「難癖つけ」も当然ある。介護現場で疲れきっているところに、同僚女性同士の意志疎通が上手くいかなかったりすると、更なるストレスにみまわれる。

おばさんは強い、おばさんは周りを見ない、おばさんは捨て身に出る、おばさんは自分の非を認めない、・・・おばさんのご機嫌を損ねると手に負えない・・・・、若いスタッフはおばさんを上手に操作できなくては、多くの居宅訪問介護ヘルパーを敵に回すことになる。

そういう訳で、サ責にイケメンで氷川きよし・キムタクばりのスタッフを必ず用意してもらいたい!

居宅訪問介護は一人で訪問するので、ベテランで経験豊富といっても実は独りよがりの経験だったりするところが恐ろしい。しかも、若いスタッフからは、おばさんに見えても、訪問先の90歳からみれば、「若い」のである。これでは、おばさんの自己満足を増長してしまい、若い人の意見に耳を傾けることができないゴーマンなベテランができあがってしまう。

こういうとき、キムタクからご注意を受けると素直に改善努力をいたします。

氷川きよしから「困ったな」と言われれば、張り切っていいところをみせようとします。ストレス解消に若い女性スタッフをイビルなんて醜いことはいたしません。

もし、あなたの介護事業所の雰囲気が悪くなってきていると感じたら、男性スタッフの顔の質が悪いのかもしれません。キムタクに交替してもらいましょう。氷川きよしにきてもらいましょう。

笑い事ではありませんよ。つくづく、外見の良し悪しが結果を左右している場面に出くわすこの頃ですから。

gooが事業所長だったら、男性スタッフは一に顔で選びます!

2にまじめさ、3に学歴。1・2・3と揃った男性を手に入れるには?

ん~。わからん。福祉という業界の位置を神職のような崇高な位置にもっていかない限り、難しいでしょうね。


「フェルメール」のまなざし

2008年08月16日 | 美術館めぐり

東京都美術館で「フェルメール展」を開催している。

オランダの画家フェルメール(17世紀)の作品は30数点しか残っていない。世界中に散らばってしまっているフェルメールの作品を全部見ようという世界旅行ツアーがあるぐらい、魅力あふれる作品なのだが、なんとそのうちの7作品を今回一度に見ることができるというので、開催を楽しみにしていたのだ。開催早々に、東京都美術館(上野)まで出かけてきた。

新国立美術館にフェルメール「牛乳を注ぐ女」がただ1枚展示された時も、初日に見てきた

だから、日本でフェルメールを観たのはこれで8枚。

フェルメールの全作品を載せた図画集を眺め、映画「真珠の耳飾の少女」というフェルメールの一枚の絵をめぐるドラマを観、有吉玉青著「恋するフェルメール36作品への旅」という17年かけて全踏破して観賞した人の本も読んでいた。

それでも、作品「牛乳を注ぐ女」の本物の前に立ったとき、鳥肌が立つぐらい、その静謐さ緻密さ神々しさに圧倒された。写真でイメージしていたサイズよりもずっと小さい絵であることも驚きだった。だから、本物を見なくてはいけないのである。

フェルメールからの印象を言葉で表わそうとすると、「緻密」「集中」、「静か」「冷静」、「まなざし」「光」、「一瞬と永遠」、「神秘的」というような言葉が浮かんでくる。

フェルメールは「カメラオブスキュラ」を使って対象を観察したことが知られている。何故、そんなものを通してみたのだろう。カメラを使って何を捕らえ、何に近づきたかったのだろう。(注:カメラは19世紀のもの、17世紀カメラオブスキュラはレンズつきのぞき装置)

人間の目で見える「フィジカル」な対象をもっと「精神的」なところまで映し出して見たかったのではないか。人間の目以上のもの=「神がかりな目」をもちたかったのではないか。と私は思う。

そして、どの作品にも「神秘的」な一瞬の時が閉じ込められている。「物語の一場面」であるかのような一瞬である。

今回来日した作品のうち2枚は宗教画であり、初期の作品であるらしい。宗教画は面白く無いけれど、その後の作品に漂う「神秘さ」「神々しさ」「物語性」のためには必要なステップの作品だったと私は考える。

フェルメールの作品を一度観たら、目が離せなくなり、その場に立ち尽くしてしまう。

私たちは、フェルメールの作品の何に捕らわれてしまうのでしょう。

描かれている人物の表情や光が放つ 神がかり的なオーラでしょうか。

東京藝術大学の学生がこの展覧会と作品7点からイメージした曲を作った。芸術脳を刺激するオーラも出しているようだ。

展覧会の構成としてはフェルメールと同時代に活躍したオランダのデルフトの巨匠たちの作品を前半に置いている。「デルフトスタイル」が集結している。

後半はフェルメールの7作品が続く。展覧会開催直前に出品が決まった「手紙を書く婦人と召使」と 近年、真筆と認定された「ヴァージナルの前に座る若い女」「リュートを調弦する女」「ワイングラスを持つ娘」の4作品の登場女性のまなざしや心の表現、音楽性は、他のデルフト画家達とは明らかに違う。2枚しかない風景画のうちの1枚「小路」の緻密なレンガ描写にも精神的なものを感じる。

 

ところで、これだけの作品を日本に貸し出してくれるよう交渉できたこと、そのこと自体に大きな興味をいだいているのは、私だけだろうか?この展覧会開催までの貸し出し交渉の様子の記録をすべて公開してくれないものだろうか? 


認知症介護、認知症理解のための覚書

2008年08月15日 | 認知症

いままで、取り上げた認知症関連の本からの覚書。(以下、総て引用)

 認知症介護の7箇条(本間ドクター、六角ナース)

第1条 人としてのお年寄りを分かりましょう

第2条 あたり前の生活の大切さをわかりましょう

第3条 高齢者の身体の変化を自分自身の身体を眺めながらわかりましょう

第4条 (お年寄りのくぐり抜けてきた)時代を知る

第5条 共感すること

第6条 私もいずれが高齢者になるという自覚を持つこと

第7条 チームで働く

 

「認知症」ケアの大原則  三好春樹

① 環境を変えない

② 生活習慣を変えない

③ 人間関係を変えない

④ 介護をより基本的に(食事、排泄、入浴をしっかりとやる)

⑤ 個性的な空間づくり(思い出の品・使い慣れた生活用品などの私物で満たす)

⑥ 一人一人の役割づくり(かってやっていたこと、現在の身体・精神的能力でできること、周りの人から認められること・自己評価を上げること)

⑦ 一人一人の関係づくり(相性、母性、共感できる仲間、規範を示してくれる仲間、いざという時に頼れる仲間)

認知症を「自分との関係障害」と仮定して「葛藤型」「回帰型」「遊離型」タイプ、「3タイプ移行型」にわけて対応してみる。

問題行動の原因は生活のなかにある。①便秘 ②脱水 ③発熱 ④慢性疾患悪化 ⑤季節の変わり目 ⑥薬

認知症になっても、「普通の生活」を続けられるように。

 

認知症の症状がよくわかる「八大法則と1原則」 Dr.杉山先生より

第一法則 記憶障害に関する法則(記名力低下、全体記憶の障害、記憶の逆行性喪失)

第2法則 症状の出現強度に関する法則(より身近なものに対して認知症の症状がより強く出る)

第3法則 自己有利の法則(自分にとって不利なことは認めようとしない)

第4法則 まだら症状の法則(必ず正常な部分と認知症の部分がまじりあって存在している)

第5法則 感情残像の法則(理性の世界から感情が支配する世界の住人なので、褒めたり、感謝したり、同情・共感、謝罪することによって、良い感情を残してあげること)

第6法則 こだわりの法則 (ある事に集中するとそこから抜け出せない。ので、そういうときは、①そのまま放置、②場面転換 ③第三者登場 ④地域の協力・理解を得る ⑤一手だけ先手を打つ ⑥お年寄りの過去を知る ⑦長期間はつづかないものと割り切る)

第7法則 認知症症状了解可能性に関する法則(老年期の知的機能低下という特製から総ての認定証の症状が理解でき、説明できる)

第8法則 衰弱の進行に関する法則(認知症のお年寄りの老化は非常に速い)

介護に関する1原則  お年寄りが形成している世界を理解し、大切にする。その世界と現実とのギャップを感じさせないようにする。「お年寄りの感情や言動をまず受け入れて、それに合うシナリオを考え、演じられる名優になってください。それがお年寄りにとっても、あなたにとっても、一番良い方法です。そして、名優は、ときに悪役を演じなければなりませんよ。」

 

あ~、今週は、良くお勉強いたしました。これからも、まだまだ、勉強は続けるよ。

なんといっても、私たち介護福祉士は、「ケアする心を大切に!」、そしてチームでかかわって、いきましょう。


Dr.本間とナース六角の認知症症状分類

2008年08月14日 | 認知症

3冊目の参考本は「認知症介護 介護困難症状別ベストケア50」本間昭先生(日本認知症ケア学会理事長他)と六角僚子看護師(日本認知症ケア研究所代表)の共著 小学館 です。

肩書きでご想像できるように、多くの認知症事例をご存知の管理職が執筆した本なのです。認知症の人を抱える家族には、該当症例のところだけ読んで、ああ~物足りない。だから、どうしたらいいの?ともどかしく思うかもしれません。あるいは、そうなのね、これは認知症という病気からくる行動なのね。「病気なのね。」と思える手引きになるかもしれません。

認知症にはどのような症状があるのかをこれから勉強する人には、よいかもしれません。

gooには、新規訪問の認知症のお年寄りを最初に観察するときに「何ができて、何ができなくなっているのか」を見極めていく際のチェックリストとして利用したい本です。50の症状をあげてそれを十数個の項目(記憶障害、見当識障害、言葉の障害、失認、失行、実行機能障害、不眠、無気力、介護拒否、妄想、情緒不安定、仮性作業、性的問題行為、徘徊、失禁)に分類してあるので、どのあたりが、できなくなってきているか、今後できなくなりそうかが、予想できそうなので、ケアカンファを丁寧にすすめるためのツールにもなりそうです。

このチェックリストと三好春樹があちこちで唱えている「痴呆の3タイプ」(老いた自分との関係障害ととらえ、「葛藤型」「回帰型」「遊離型」に分類する)のどれにあてはまるかを見極めて、介護のアプローチを考えると、経験の浅い介護職でも、上手くいきそうである。

 

それにしても、gooが思うには、「できなくなっていること」を見極める初期の段階はとても判断が難しい!

もともと苦手な分野から程度がひどくなって病気の症状に近づいていくのではないか?と感じているので、

一緒に暮らしている身近な人ほど、お年寄りがいつからどこから病気扱いになったのか分かりにくいのではないかと思う。

 

gooには、一軒、とても心配な訪問先がある。4年ぐらい訪問し続けているお宅で、介護者であるおじいさまのほうに、認知症症状がでてきたような気がするからである。介護されているおばあさまにだって脳梗塞後の高次機能障害、身体障害があるのに。

介護者であるおじいさまは男性だから家事が不得手でもしょうがない。もともと、片づけが下手な人だったらしいから、しょうがない。と、今まで思ってきた。でも、最近は散かしの程度がひどくなってきて掃除に時間がかかるようになってきた。突然、不機嫌になって不満をぶつけてくる事が多くなった。(世の中全般に対する不満が多いのだが。)

久しぶりに訪問したヘルパーが驚いて、「おじいさま、大丈夫かしら?」という連絡をうけた。

それで、gooも、おじいさまの様子を認知症の観点から疑ってみてみると、確かに怪しいのである。それと疑われるエピソードがむくむくと思い出されるのである。

スーパーのビニール袋の収集が半端でなくなってきている。10枚づつ束ねて、箱に詰めていく作業に専念している。廊下に添わせてその箱が一列に並んでいる。

改築して広くした洗面所も散らかり放題で掃除機がけに困っていると、おじいさまがあわててやってきて、「ここは、後で私がやるから、やらなくていい。」と1ヶ月以上そのままだし、3日間分の使用した食器を流しだけでなく、床の上にまで置いてためてある。(手荒れがひどくなったからだと思っていた。)洗濯がいつまでたっても終わらない。(腰がいたくてつらいのだと思っていた。)

だいたいからして、もともとちょっと変わったおじいさまだと割り切っていた。

おじいさまは、介護疲れが溜まってきて、こうなったのか? それとも老人性鬱症状のはじまりなのか? 正真正銘、認知症のはじまりなのか?

ア~、困った。困った。老夫婦ふたりの暮らしで、誰が病気を判断できるのか?

けあまねさん、おばあ様のところに来ている看護師さん・理学療法士さん、goo以外のヘルパーさん。サ責さん。いかがでしょう?

怒りを買うのを承知で息子・娘に連絡だよね。晴天の霹靂、驚くだろうな。

でも、まあ、今の所、なんとか生活はできているしね。ヘルパーがちょっと大変になってきているだけで。

認認介護・・・・、これからどうなっていくのだろう。

もう、お年寄りを疑い始めると、こちらが参ってしまいそう。

 


認知症家族におすすめ Dr.杉山のちょっとキツイ本

2008年08月12日 | 認知症

gooは、介護職として認知症のお年寄りのお相手をする。だから、訪問した時だけ、演じればよく、そのときだけ波長をあわせて、「小手先の工夫」でその場をしのぎながら、着替えさせたり、顔を洗わせたり、トイレにつれて行ったり、調理したり、掃除したり、片付けたりをこなしていく。

問題行動にも、まあちょっと、よくある便利な小手先工夫をいくつかを使ってあたふたしているうちに訪問は終わり「また来るね~さようなら~」と退散するわけである。

しかし、家族はそういうわけにいかない。三好春樹さんの本だけでは、家族はまだまだ物足りないはずである。

そこで、もう一冊、家族のために

川崎幸クリニック院長 杉山孝博さん著 「家族が認知症になったら読む本」正しい知識と理解が介護の苦労を半減させる鍵 認知症をよく理解するための8大法則・1原則

Dr.杉山は「認知症の人と家族の会」の全国本部副代表理事であり神奈川県支部代表である。家族会のみんなから集めた介護の工夫は、結構、胸を打つ。問題行動の介護法は、半端じゃない。家族の腹をくくった介護の様子は、数時間しか訪問しないgooには、とうてい頭があがりません。恐れ入りました。です。

そして、巻末にある「(社)認知症の人と家族の会」支部一覧は、是非利用していただきたいと思います。

この著書のなかにある 第8法則=衰弱の進行に関する法則は、gooもうすうす気付いていたんだけど、ついに明記されてしまって悲しい。認知症のお年寄りの老化は非常に速いということです。

(以下引用)お年寄りを4つのグループに分け、5年間にわたって年ごとの各グループの累積死亡率を追跡したものです。1年後の死亡率は、正常なお年寄りが7.3%なのに対し、認知症のお年寄りは41.0%、5年後には、正常のお年寄りの33.0%に対して、認知症のお年寄りは86.3%もの死亡率で、両者の間には圧倒的な違いが見られます。・・・・(中略)・・・・一般のお年寄りの約3倍のスピードで老化が進行したとして計算・・・・・認知症の色々な症状で悩まされている家族や介護者の方は、このようなつらい状況がずっとつづくのだろうかと思って絶望感をいだいたりします。そんなとき、お年寄りの衰弱や死をのぞむというのとは違いますが、このような状況は長くつづくものではないのだと伝えてあげることも、心の負担を軽くするためには大切・・・・。(以上引用)

第4章 こんな症状にはこんな介護法を を 読むと、「上手に割り切って、気楽に介護する」ことがポイントですとあるが、この「割り切り方」が半端じゃないので、認知症介護まっ最中で緊急を要するご家族には良書です。

gooは、もっとケアするやわらかい心を強調していきたいところです。うまく対処できなくて、涙がでたり、困って途方にくれてしまうのもアリ。介護のプロだからといって、上手いわけでも、偉いわけでもなんでもない。

 

ところで、突然ですが、gooのハートをつかんで離さない アルツ サダコさんに話しが移ります。アルツサダコさんはお買い物が大好きです。毎日、一日に何度か、○○ストアーまでバスに乗って一人で出かけます。今の所、迷わず帰ってきます。毎回、同じお野菜、同じお肉、同じお魚を買ってきては、忘却のかなたへ。でも、ちゃんとお金は払ってきているようです。

今後、近いうちに道に迷うでしょう。住所連絡先の名札の用意は当然ですが、家のドアに「アルツサダコの家」と目につき易いように貼り紙をはる勇気ありますか?

もしかしたら、お金を払わずに持ち帰ってきてしまうかもしれません。○○ストアにアルツサダコさんの写真をみせて、病気を説明し、もし持ち帰ってしまったら家族がお金を払いますからと、お店の人の理解と協力をお願いしておくことができますか?

もしかしたら、近所にお金を借りにいってしまうことも考えられます。立ち寄りそうなお宅にアルツサダコさんの病気を説明し理解と協力をお願いし、もし、お金を借りに来たら、この封筒のお金を渡してくれますかとお願いできますか?

さて、買ってきたナマモノやお野菜は、冷蔵庫に入れられることなく、食材のまま腐敗するか、調理後に腐敗するかです。不思議なところから、生ごみとなって発見されます。もう、冷蔵庫が認知できなくなっているのです。そこで、家中のものに、「たんす」、「洗濯機」、「電子レンジ」、「冷蔵庫」、「ゴミ箱」・、「ドア」、「居間」、「寝室」・・と名札を全部はる勇気ありますか?

さらに、ガスレンジに「危険」、水道蛇口に「節水」、玄関ドアに「でるな」「外出禁止」と貼り付けていかなくては、ならないでしょう。

ね、想像すると悲しいでしょう。これらの「割り切った対処」と同じぐらい、いえ、それ以上に暖かくて柔らかい「心を寄り添わすケア」が同時に必要であると思うでしょう!

認知症のお年寄りのお宅の訪問介護には、知恵とハートの両方が大切で、やはり介護職としては難しい訪問です。

老認介護、認認介護がじわりじわりと増えてきているのを感じます。

○○ストアにお買い物にきている客の30%が認知症のおばあ様だったりする時代が来ますよ~。