仕事で疲れたせいだ・・・と思いたい。
夏休みで息子たちがカレンダー通りに規則正しく動いていないせいだ・・・と思いたい。
認知症の勉強をしすぎたせいだ・・・と思いたい。
昨日は、ボケが多かった。
派手にカレーを焦がした。
冷蔵庫の扉が開けっ放しになっていた。
どこの車がいつまででもエンジンかけっぱなしなんだ!と思ったら、自宅の扇風機があらぬ方向を向いて回っている音だった。
気がついたら食べたみかんの皮が10個を超えていた。いつの間に?一気食いにも程がある。
友人との約束日を間違えて、とんちんかんなメールを送っていた。すぐに謝る。が、以前に同じ友人との待ち合わせで1時間も時計を読み間違えた実績(?)があるので、もう、ほんとうにがっくりきた。
じんましんがひどく出てきた。
こんな一日は、早く終わらせてしまおう。そうそうに床に就く。
で、夢をみた。
訪問先のおばあ様を溺死させたリアルな夢だった。入れ歯のない口元を見て、人工呼吸をするべきかどうか迷っていた。都合よく、息を吹き返してくれた。が、嫌悪感がはっきりと残っていた。自分の責任だ、逃れられない過失だという後味の悪い夢だった。
朝、目覚めてから、悪い知らせが入らないようにと、ず~と、祈っている。
そ、そんなときに限って間違い電話。普段なら、知らない電話番号の電話は受けないんだけど、つい。
「お○田さまのお宅ですか?」
「違います。お○田さんという方は10年も前に電話番号が変わっています。」
「お○田さま」は、いったい何者か?10年たっても、「お○田さまですか」とあらゆる業種から間違い電話がかかってくる。ボケたついでに「はい、お○田でございます。」と用件をきいてやろうか?という思いがよぎった時、相手が、するどく突いてくる。
「以前お○田さまに長野のおそばのご注文を頂いていた会社でございますが、奥様はおそばがおすきじゃありませんか?おいしいとごひいきに預かっておりました。いかがでしょう?」などと営業にきた。
「せっかくですが、結構でございますよ。」長野の電話番号じゃなかったぞ、川崎局番の長野か?
まだ、大丈夫だ。まだ、冷静だ。今日中にボケを治してしまおう!
ボケを「自分との関係障害」ととらえる見方がある。実際の老いた自分、病気の自分をうまく受け入れる事ができないところから来る障害とみる仮説である。人間の脳は不思議な思い込みやミスをさせ、辻褄あわせまでかってに一生懸命にやってくれる。
自分の現実・老いを受け入れられない人がボケやすいのか?ならば、「カツラ」を装着する髪の毛の不自由な男性はボケ易いという笑い話もある。
gooは、数日前から50肩にもなった。トイレもわずらわしい。腹回りも要注意だ。パンダのようにだら~っと椅子に腰掛けている自分も知っている。ファッションや容姿のお手入れには最初から興味のレベルが低い。方向音痴だって、自慢じゃあないが、幼児のころから重症である。若い頃からこうなんだから、他の人よりも老いの忍び寄りが速いに違いない。
多くの訪問で多くの生活、多くの人生を見てきた。そろそろ自分の生活・自分の人生に注意をはらう時間を増やしたほうがよさそうなのだ。が、実は、これがgooには苦手なことであり、恐怖なことであるのだ。
gooが受け入れたくないことは、「人の役に立てなくなるという日がいずれ来る」ということだ。これは、「老い」の現実を受け入れられない自分とのれっきとした関係障害である。
あ~、だめだ、だめだ、このマイナス思考。
ほどほどの仕事をできる限り続けられるように、体調管理に気をつけていくしかない。