介護わんこgooの品格は何処へ

訪問介護ヘルパーの奮闘日記

過渡期だろうけど、胸が痛む現状

2008年05月24日 | 制度

このごろ訪問先でよく耳にするのは「介護保険料をちゃんと払っているのに希望のサービスが使えない」という、不満の言葉とため息です。

この言葉を一番つらく受け止めるのは、多分ケアマネージャーさんでしょう。

2年前に厳しい規制条件を市町村から指示されて以来、お年寄り家族の現場の窮状を知りながらも、希望に添うプログラムを提供できなくなり、「今まではできましたが、これからはできません。」と申し訳無さそうに説明しているケアマネさんの姿も気の毒です。

gooの仕事の訪問地域は裕福な家庭が多く、老人施設数も医院数も全国でトップクラスの恵まれている地域です。市町村の平均余命が男女共に全国ベスト10入りしています。

それでも、このごろgooのまわりで聞こえてくるため息のおもな原因は、

「同居家族がいらっしゃるので、生活援助サービスはご提供できなくなります。」という申し渡し。

2000年の介護保険制度が始まった当初は、家族がいてもお年寄り本人のことであれば、家事援助ができました。例えば、お年寄りの汚した衣類・シーツの洗濯、お年寄りが召し上がれる様に柔らかく作った一人前の食事の用意、お年寄りが過ごしているお部屋の掃除などは、介護保険内のサービスとしてヘルパーに業務指示されていました。

しかし、ここ2年間で、独居の場合に限り 掃除や洗濯や調理などをヘルパーがお手伝いできますが、日中に健康な同居家族(お嫁さんとか息子さんとか)がいる場合は、家事はご家族にお願いしてください。ということになってきました。

gooも内心、「もっと家族の協力をお願いしたい」と思う事も多いので、この方向性は、しょうがないと思います。

ただ、今後、老年人口指数が上昇する事を思うと「家族をまもる別の方法の準備」なしで、今まで提供していたサービスを急にばっさりと一律に切るところに問題があると思うけれどもね。

それに、もっと誠意ある態度で市町村がみんなに、説明してくれれば、愚痴の出かたも違っただろうに。頻繁に変更されていく制度の細則は、お年寄りや家族には まるで「寝耳に水」に感じるようです。

 と、いうわけで、gooも「次回訪問からは、掃除なしね。調理なしね。」とサ責から連絡を受けて、時間を短縮されて、身体介護のみの訪問にうかがうと・・・・

部屋の中やトイレが汚れていたり、お昼ごはんは、おはぎや菓子パンだったり、洗濯せずに着替えずにいたり、出しそびれたごみが匂ったりしていたり・・・。家族の手を煩わせて家族に不機嫌になられるよりは、少しぐらいの事は我慢したほうが気が楽というお年寄りもいれば、こんなことをぐらいをいちいち人に頼まなくてはいけない自分が嫌になったから早く逝きたい、というお年よりもいる。

こういう現場に出くわすと、ど~んとgooの元気がなくなり、無力感に襲われるのです。

 

今の家族という集団の扱いは難しい。現代人の意識のなかに「上手く同居するコツは精神的に距離を置く事、互いに干渉しないこと、頼らないこと」が当たり前になっているので、意識と制度の目指すところにギャップがあります。

親子・家族・近所に「距離」を置く、「不干渉」であるのが良いという現代の意識を大きく変えていかない限り、 もはや制度の限界を補う事はできないのです。

NHK「ご近所の底力」という番組は意識変革の啓蒙番組の一つになっていると思います。政府の説明・啓蒙活動のなかに「人のお世話をする事される事がお互いの人生を豊かにし、近いもの同士が協力しあえばどんなに大きな力となるか」ということを盛り込んでいかないといけないようです・・・・。

どうか、虐待やネグレクトが増加しませんように・・・。

 

gooの元気がこれ以上そがれると、訪問介護士のお仕事から離れたくなるかもしれない。

介護士不足・仕事離れは給料の低さだけが原因じゃないからね~。


すっかり打ちのめされています、私

2008年05月24日 | 制度

年金から始まって、後期高齢者医療、かかり付け医、外国人介護士と、お年寄りに直接関わる制度で日本中はブーイングの嵐です。

制度が施行(実行)される数年もまえに決められていたのに、施行されてからのこのブーイングは何でしょう?施行される前にしっかり調査して検討してよく練って、その上で国民が納得できるような説明を・・・されてなかったんですね。

のっぴきならない高齢者人口をかかえる日本政府が何かしらの対策を急いでいるのは、わかるのです。しかもそれは簡単ではなく、それこそ今のみんなが痛み分けしなくてはいけない制度になるであろうと、gooは覚悟していた。

皆と一緒に制度の愚痴を言うだけなら簡単。

ひどい制度だから協力しない、廃止しろ~。というのも極端。

そうじゃなくって、あらゆる難しい条件も歩み寄りをはかり、意見を戦わせて、みんなで納得できる着地点を見つけていこうと努力することが重要であると信じ、強い精神力であろうと、自分を励ましてきた。

末端の介護ヘルパーが1人でがんばっていても影響力などゼロに近いけれど、長年「どうにかしたい」と思ってきた。これは、国際関係、家族社会学、精神衛生学、女性学を勉強していた学生の頃からの、使命感に似たようなものであるが、今は「思い上がりだった」とか「無力だ」という思いが自分に付きまとってしまって、gooはまったく元気が出ない。

社会に影響力のある地位にいる方がた!ご自分の頭でよく考えて、意見を発信していただきたい。そしてその意見には、問題点とその解決案、条件、希望を入れて欲しい。

Faith that makes the darkness bright


高齢社会が招く「日本開国」

2008年05月18日 | 制度

老年人口指数とは、15~64歳人口に対する65歳以上人口の比率のことです。

2005年は30%、2010年は35%、つまり統計上で、成年(15~64歳)3人で老人1人をみていることになる。(1970年は10人で1人であった)

2025年の老年人口指数は48%と予測される。 gooが老人の仲間入りした時は2人で1人の老人を見ることになる。

参照 http://www.stat.go.jp/data/topics/info1751.htm  「高齢者人口の現状と将来」統計局

 

人口比率から考えると、外国人看護師・外国人介護士の日本での就業に文句を言っている暇は無い。好条件の下で、今から日本に慣れてもらい、この先、日本に根付いていただかないと、10年後20年後にはお年寄りの世話をする人手だけでなく、全産業での就業人口が不足するのが分かりきっているのである。

 

goo は、外国人の看護師・介護士の積極的受け入れ推進の立場をとりたい。そして、それには日本人に相当の意識革命と努力が必要と覚悟している。

 

テレビで見たフィリピン、インドネシアの介護士は大卒で知識も熱意もあるカワイイ女性だった。

厳選された人材が日本に来て、「研修」という名の下で介護現場で働き、4年以内に日本の国家試験に合格しないと帰国させられるそうだ。

厳しい条件は外国人にだけ課せられるわけではない。施設などの受け入れ側にもまるで「受け入れるな」と勘違いしそうな条件を日本政府は出しているのだ。

条件の一つに外国人介護福祉士候補者は、介護保険法等に基づく配置基準には算定されず、介護報酬の請求においても人員要件には含まない。というのがある。(しかし日本人と同等以上の給与を支払わなくてはいけない。)どうして、今の施設に3年間も介護報酬以外からの給与を払い続ける財源と力があるのだろうか?施設は同時に研修計画・研修環境・日本語・文化の理解チャンスを与えて研修生を育てていく責任もかせられている。確かに負担が重過ぎ!


 

頼んででもお願いして日本で仕事を続けてもらわなくてはいけないぐらいなのに。

 

しかしだからといって、この日本政府の態度が一時しのぎのポーズで結んだ経済連携協定であるとは、gooは思いたくない。むしろ、長期展望にたってうえで熟考して苦しんで苦しんで出した条件なのではないかと思いたい。

大事なのは、この双方(外国人と日本介護業界)がお互いの厳しい条件をクリアできるように、今の40~50代の日本人は身を削ってでも支援していかなくてはいけないということだ。それが、自分達の老後の時代を左右し、日本の将来にかかわることになるのだから。

この大切なことを政府はもっと国民に説明しなくてはいけない。快・不快の感情や10年以内の目先の効果だけで国民に判断させてはいけない。

 

外国人就労者が日本人と結婚して日本に定住し、日本人になっていくことを想定して欲しい。これは、手っ取り早く若い人口を増やせる有効な手段でもある。そして優秀で熱意ある外国人の人材と日本人が、また、その子孫が100年200年先の日本の将来を担っていくことになる。国民が優秀であって欲しいのは当然である。だからこそ、政府は厳しい条件を課していると考えたらどうでしょう?

アジアからの外国人就業者が増え、国際結婚も増えるとすると、お互いの文化を理解して違いを乗り越えて行く教育が今の子供には必要になる。今まで、欧米の方ばかりに目をむけていた私達日本人だけど、自分達の足元をしっかりと見て、もっとアジア人同士、尊重していかなくてはいけないでしょう。安い労働力確保としか考えていないならば、それは大間違いで、いつまでもそんな考えでいたら必ず近い将来、痛いしっぺ返しがくることでしょう。

外国人就業者が日本に増えることで治安の悪化を心配するのも分かる。でも、低賃金で厳しい労働条件のもとで働くとなると、犯罪を犯す割合が高くなるのは日本人にだって言える。だからこそ、正当な労働報酬と労働環境の整備は必至であり、国籍で差をつけるべきではない。

頭の良い人たち、今こそよく考えて長期展望の治安の知恵と政策を創り出してもらいたい。

純血主義や外国人べっ視は、高齢に自分がなったとき、弱者の側に身を置く事になった時を考えて、柔軟な考え方と態度に変えていくべきだとgooは思う。

そして重責を担って外国人を受け入れる介護業界も声を上げてお互いの障害を乗り越えるための協力や支援を国民に政府によびかけましょう。 

 

尊王攘夷か「開国」か、まるで幕末のようである。

すでに高齢社会が招いた「開国」がはじまるのですから

これからの日本はある意味「激動の時代」に入ったと覚悟するべきでしょう。

 


入浴介助指示

2008年05月15日 | 身体介護技術

久しぶりに「入浴介助」で1時間の訪問の仕事を引き受けることになりました。

入浴介助が始まると、お年寄りの自宅での安全安楽な決まったやり方、流れができあがるまで、かなりの神経を使い試行錯誤の期間があるものです。シャワーチェアーや手すり、マットなどの準備が最初から整っている事は少なく、実際にお風呂に入ってみないとわからない点が実に多いものです。「見守る」と指示が出されても、見守るポイントや介助のポイントが曖昧すぎて、指示を出す方も受ける方もよくわからないままにスタートするとなると、危険と不安で強いストレスを感じるヘルパーはgooだけじゃないと思います。

 

さて、既に週1回の入浴介助サービスをうけていらっしゃるおばあ様(94歳、要介護2)ですが、週2回の入浴に増やすことになり、gooが伺う事になったのです。つまり、既に入浴の流れが出来上がっているところに伺うので、先発介護士さんにとことんやり方を習います。

二人の介護士がまったく同じやり方・流れでないと、せっかくのお楽しみの入浴なのに、お年寄りが戸惑ったり、不快に思ったり、危険な思いをしたりではいけませんし、体調の変化を読み取るためにも「いつもと同じ」流れにこだわりたいgooなのです。

 

実はいままで、gooだけが入浴介助訪問しているお宅であったり、gooが先発の介護士であったりで、人から習う機会がありませんでした。「誰がやっても同じ介助にしましょう」という強い認識がサ責や他の介護士に薄かったのか、極めて個人的な介助技術のままであることに不満がありました。

 

「入浴介助」は教科書やビデオで介護技術の最低限はきっちり学び押さえていますが、実際はお年寄りのADLや習慣や浴室の形状が一人一人違います。このオーダーメイドの入浴介助の部分を今回初めて習う側になり、本当に勉強になりました。

聞いたり聞かれたりというやり取りの中で入浴介助のサービスで押さえていくべき具体的なポイントが明確になりました。

 

ポイント1 シャワーチェアーの位置:前後左右の具体的にセンチメートルや目印と向きを決める。 5センチ位置が違ったために手すりのつかみ損ないや、お尻の滑り落ちが起きるかもしれません。目印が分かりにくい時は、テープをはったりしてしるしをつけましょう。(脱衣所での椅子の位置も同様です)

      例) 入口からタイル6枚目に椅子の前足が来る。肘置きはバスタブに密着。鏡に向かって座る。

ポイント2 手すりやバスタブのふち、壁など 手を置いたり つかまったりする場所と順番を毎回同じにする

      例) 両手を使って、手すりを握る。バスタブふちにお尻を移動したら、右足から湯船に入る。バスタブ内の奥の手すりを左手でつかむ。体の向きを変えるとき腰に手を添え介助する。湯船からの立ち上がりに腰に手を添える介助が必要。

ポイント3 体のどの部分から洗うか。本人は何処を洗い、ヘルパーは何処を手伝うか。毎回、同じ順番、分担にしておく。洗髪の方法、苦手度もチェック

      例) ヘルパーが背中→肩→脇→腰と洗い、上半身前は本人が洗う。タオルに石鹸をつけて泡立てるのはヘルパーが行う。皮膚が弱いので強くこすらない。

ポイント4 タオルの枚数。大きさ・色・厚みまでも毎回同じであると良い。

ポイント5 湯温度、湯量、洗い場の温度、湯船に浸かっている時間、すべて数値で決めておく。(その日の体調によって何をどう変えたかが分かり易くなる。)

ポイント6 脱衣場所から浴室への移動の方法も決めておく。椅子をおく場合は椅子の位置も決めるl。

ポイント7 衣服の着脱順序、手伝う箇所。「整容」の好み。

 

それぞれのやり方にはADLから判断した理由がちゃんとあるので、その理由も必ず付記すること。

    例) 左足の膝折れが多いため。立ち上がりにふらつきがあるため。右手に痺れがあるため。熱いお湯の出口に近いため避ける。など。

そのほかは入浴介助開始準備や介助後の片付け方法。着替え・汚れ物・洗濯物の扱いも必ず明記しておきたい。

バイタルチェック、水分補給、事前のトイレなどは当然のこと、教科書どおりである。

 

要は、ADLに合わせたシャワーチェアーの位置、手すりの使い方が決まれば、かなり安全にスムーズにお年寄り本人が自然に動けるようになることに注目したい。 そして次に、「順序」「分担」に特にこだわりたい。同時に「量」「温度」「時間」「力の入れ具合」「好み」の把握、「使用するタオルの枚数と種類」。これらのことは、必ず介助指示のなかに盛り込まれるように すると、かなり介助しやすくなります。

 

こうやって文章にしてしまえば、当たり前のことでしょうけれど、実際は大変なことで、具体的に伝えていくことは結構むずかしいものです。

今回、入浴介助の指示を的確に伝えてくれる技術をもった介護士に、(今頃やっと)はじめて出会った訳ですから、gooの感激とスッキリ度はかなりのものでした。

特にサ責にはポイントを学んだり指導したりしてほしいところです。

本当にありがとうございま~す。

 

他にも入浴介助で押さえるべきポイントがありましたら、皆様、教えてください。


「あなたの家にかえろう」

2008年05月09日 | 終末期ケア

兵庫県尼崎市にある さくらいクリニック(桜井隆院長)で「おかえりなさい」プロジェクトによりつくられた小冊子が「あなたの家にかえろう」である。

あなたもわたしも

仕事が終われば家へ帰る。

それと同じように

人生と言う仕事が終わる時は

家にかえろう  (以上引用)

という文章から始まる「在宅ホスピスケア」を紹介する道しるべの冊子です。

これは、以前に「在宅医療テキスト」を無料配布してくれた(財)在宅医療助成 勇美記念財団が今回も無料で配布紹介してくれたものです。

在宅医療テキストは医者の執筆によるもので専門的でしたが、この「あなたの家にかえろう」は患者本人や家族が手にとって読むことを前提とした優しい思慮あふれるつくりになっていました。

目次

1 家に帰りたい。かえしたい。

2 家にかえりたいと思ったら

   あなたの「思い」が大切 / 今、病院にいる方へ / 今、家にいる方へ

3 利用できるサービスと探し方

   地域のおもな相談窓口 / 参考資料 / インターネット

4 とっても大事な医療制度とお金のはなし

   各種保健や民間の保健を利用しましょう / 介護保険制度 / 知らないと損する「高額療養費制度」 / 在宅療養支援診療所 / 実際、在宅ケアの費用はどのくらいかかるの?

5 ただいま。おかえりなさい。

6 あなたへ

7 あなたの大事な人たち

  周りの人も悩んだり落ち込んだり・・・ / あなたの大事な人たち・・・ということ

8 どうしよう!

  家での治療の継続について / 痛みのコントロール / モルヒネって危険な麻薬? / 食事と点滴 / 救急車を呼ぶ前に、在宅医に連絡を! / 「せん妄」について

9 ちょっとしたアイディア

10 それぞれの場面

  やっぱり、ちょっとかえってみようかな・・・/ いろんな幸せ / 当たり前の日常 / 死を隠さない / 「季節」を肌で感じる / 家で介護していたほんとうによかった・・・ 

11 旅立ち(旅立ちまでの体の変化)

12 悲しみ

13 家でもだいじょうぶ       (以上引用)

 

訪問介護を生業とするgooはこの小冊子を読んで、とても感心しました。訪問介護も「住み慣れたところで」という耳障りの良い言葉で啓蒙していきますが、実際には家族の力をはじめ多くの人々のチームケアが不可欠です。

家に帰ろうッたってどうすればよいか、本当に帰れるものなのか、患者本人・家族にはわからない事が多く、不安が先立ってしまうのが本当のところでしょう。

そこをこのわずか28ページの美しい挿絵の入った小冊子を読むと、勇気がわいてきます。甘い言葉だけの説明ではなく、押さえどころ心構えがちゃんと伝わってきます。

自分の最期の過ごし方と場所が決まれば、最期までしっかりと生きていこうという勇気と力がわいてくるものですね。それは、介護で他人の手を借りていても最期まで自分が主役の人生であると思います。

 

訪問介護ヘルパーにも、患者本人・家族と同様の心構えと覚悟をもって訪問する「精神力」が必要です。そういうわけで、この小冊子は私達介護士のテキストとしても役立つと思います。

4月30日現在で残り部数27000部だそうです。ご希望の方は①郵便番号②住所③名まえ④「あなたの家にかえろう」⑤希望部数を明記してE-Mail yuumizaidan@nifty.com  または、FAX 03-5226-6269 (財)在宅医療助成 勇美記念財団へお申し込みください。先着順だそうです。

 

こういう冊子を作成し地道に活動している人たちがいることをうれしく思います。

 

gooの介護士の仲間でも、テーマを絞ってプロジェクトチームを作って、このような小冊子を作って啓蒙・教育活動をしたいなあ~。

 


何年ぶりかの連休をいただいて

2008年05月06日 | 家族

サービス業に関わる人たちには、休めないゴールデンウィークです。その連休も今日が最終日。

訪問介護ヘルパーの要請は365日で、祭日・盆・暮れ関係なし。そこをなんとかお休みを頂きたく、曜日や時間をこのときだけは変更させていただいたり、代理を頼んだり頼まれたりでしのぎます。この調整のストレスはサ責に大きくのしかかっているでしょうが、当の担当ヘルパーも自責の念にかられながらお休みをもらうのです。

 

今年、その貴重なお休みを頂いたgooです。ほんとうに久しぶりの連休です。普段気になっていた窓ガラス拭きや草むしり、寝具の入れ替え、絨毯・毛布の洗濯、非常用リュックの中身の点検などなど、山のようにする事がありました。日常の掃除だけではできないことは多く、いつの間にか汚れや不要なものが溜まってきてしまうのです。今回、わずかでもこれが解決できて、ちょっぴり幸せを感じました。

 

多くの人が休んでいるのに働かなくてはいけない時、逆に自分だけお休みしているとき、立場が代わると、見えなかったこと知らなかったことにたくさん気付かされます。

どちらにしても自分ひとりだけで生活が成り立っているわけではないということをしみじみ感じます。24時間365日、誰かが自分の為に働いてくれていて、自分も誰かの為に働いていて、毎日の生活が順調に回っていく。

お仕事に楽なものはなく、つらい、休みたい、辞めたいと思う事があっても、自分のお休み時に一生懸命働いている人の姿をみるととても励まされ、不満も少し解消されます。

そして、ゴールデンウィークを満喫してお休みできる人は意外と少なく、多くの日本人は働く側にいたのではないかと思うのです。

TV/新聞の報道を見ていると日本人全員が連休だったような勘違いをしそうですが。

 

gooの近所のスーパーの店員さんもバスや電車駅の職員さんもレストランも病院や施設の職員さんも予備校の教師も・・・皆ないつもどおりに働いていました。

そして、レストラン以外は何処のお店も空いていました。

 

子供が小さくて学校がお休みのときは、ゴールデンウィークには親もお仕事を休んでおりましたが、大きくなってしまって親と行動しなくなるともう仕事優先です。

あの頃が、懐かしいものです。

 

育児休暇同様に、介護休暇の取得や、介護のためのフレックスな労働形態が浸透すれば、介護ヘルパー不足を嘆く必要もなく、家族の力も弾力性を持ってくるのではないかと、冷静に思えるのは、やはり、久しぶりの連休で心身に余裕ができたからでしょうか・・・。

 

誰でも、親から生まれてきて、年月とともに親は年老いていくのだから、育児休暇よりも介護休暇保障を手厚くしても文句は出ないと思うんだけど。

後期高齢者が家族にいる場合は強制的に休暇取得させるというのはいかがかしら?

介護ヘルパーまかせ(少数です)が減るし、人生の勉強として最高ですよ。


「薄味」と「素材」

2008年05月01日 | 生活援助技術

5年前は、訪問先で調理がサービスに入っていると、ほとんどヘルパーが中心になって調理してしまっていた。メニューも味付けもお年寄りと一緒に行うというのは、ほとんど建前の話か だだの儀式だった。味付けはもちろん「薄め」。でも、本当に薄く作ると「美味しくない。」と思われて、お年寄りがお醤油をたくさんかけて召し上がっている姿を見てしまうと、ヘルパーはまったくもって自信がなくなるというか、疑問を抱きながらの調理だった。

ところが、最近はお年寄りの意識に明らかな変化が見られる。

gooの訪問先の70代の女性達は皆さん自分から、とことん「薄味」「油分控えめ」「糖分は敵」を厳守していらっしゃる。社会教育がそうさせているのか、健康意識が高まっているのか。

一般のお料理本のレシピ通りに調味料を合わせると、味が著しく濃すぎてしょっぱいのである。

いままでだって、gooは一般のレシピより薄く作る事を心がけていたけれど、いつのまにか、それ以上の薄さを要求されるお年寄りが増えてきたと感じるのだ。

 

最近訪問が始まった「鬱」が主な病状の70代の女性(70代はおばあさまとは呼べない)の調理補助は、全メニューが決められていて、下ごしらえの半分はご自分でされている。ほとんど味付けがない分、素材そのものにはこだわりがあって、国産、無農薬、新鮮なものだけを取り寄せて使用される。人参・牛蒡・大根などは心行くまでよ~く洗い、皮を剥かずに刻み、塩・たんぱく質加水分解質・化学調味料いっさい入っていない粉末かつおだしを使う。素材そのものの味が良くわかり、ほんとうに美味しいのである。しかも、生ゴミがほとんど出ない。

(余談ですが、ありがたい事に、包丁やまな板の手入れがすばらしい。キャベツの千切りが上手にできるので、どれだけでも刻んでいたくなるほど調理が楽しい。包丁が良く切れると調理が上手になるのは本当!疲れないし、きれいにできる。

まな板は「桐」に限る!gooとおんなじ!でも、このお宅では、「かんな」で何度も表面を整えてあるので、きれいで薄くて更に軽い。イマドキまな板に「かんな」をかけてくれる大工さんはいるだろうか・・・。)

gooはここのお宅での調理サービスを始めて2ヶ月。学ぶ事が多かった。

自分の家の素材もメニューも味も変化した。そして、あらためて「薄味」について考えるようになった。

 

さて、別のもう一軒の女性は配食サービスをうけることにされて、どこに頼もうかとお弁当屋さんをいろいろお試し中である。長期に病院食を召し上がっていたので、すっかり薄味に慣れているので、ほとんどのお弁当がしょっぱいと感じてしまうか、まずいと思ってしまうそうだ。

一般の食堂での味やお弁当は、「おいしい!」と思わせるために、はっきりとした味付けにしないと、繁盛しないといわれている。思い切って薄味にできないようだ。大汗をかいて動き回る人の食事でなければ、今後は薄味にしたほうが喜ぶ客が増えるのではないだろうか?過去の通説がこれからも当てはまるとは限らないのである。ましてや毎日食べる配食おべんとうとなると、なおさらである。

 

それにしても、 「薄味」というのは「調味料のおいしさ」を追求するものではなく、「素材そのものの味」をいかに引き出すかによる「素材の美味しさ」を追求することになる。

「おいしさ」の種類がすこし違うのだ。素材がよくないと「薄味」にすることによって「美味しくない素材」であることがバレてしまい、その結果まずいと感じるのだ。

輸入食材が多い中、「薄味」健康志向だけでなく、「素材」健康志向も高まり、日本の高齢社会の問題は「薄味」から始まって食材の自給・輸入問題にまでつながって行くようだ。