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知らないことや気になることをいろいろと調べて記録していきます
 




私は廃線・廃駅好きで、何度か関係する記事をこのブログでも書いているが、基本的に廃線というのは地上線であって地下鉄の廃線の例はないと思っていた。地下鉄は都市部で、従来あった路面電車等の代替交通手段として多大な総工費をかけて建設するものなので、簡単に廃線になることはないだろうと。(厳密には都営浅草線には終点・西馬込の先に馬込車両工場引込線跡があるが、これは地上線扱い) 東京など地下鉄が遅れただけで大混乱となるのだから、廃線など考えられない。

しかし、海外に目を向けると、地下鉄の廃線事例がいくつかあるので驚かされる。
地下鉄発祥の地ロンドンでは、トンネルの掘りなおしによる路線・駅の移転や、郊外に延びたインターアーバン路線が廃止された例がある。また廃線ではないが、1869年に開業したイーストロンドン線は、2007年12月から延伸工事により一時閉鎖し、バスでの代替運行がされていたが、2010年5月にロンドンオーバーグラウンド(主に地上を走るロンドン市内・近郊区間の鉄道ネットワーク)の一部として再開業している。ロンドンの地下鉄の廃線は、長い地下鉄の歴史の中での再編と言えるだろう。
一方で、都心部の地下鉄で、全く代替路線への更新のない廃線の例がある。アメリカ・ニューヨーク州ロチェスター市の地下鉄だ。

ロチェスターはニューヨーク州北西部、オンタリオ湖岸に位置する都市で人口は21万人、ニューヨーク、バッファローに次ぐ州第3の都市だ。ロチェスターを中心とする都市圏の人口は100万人を超える。
この街の地下鉄は1928年に開業したが、30年ももたずに1956年に廃止された。

ロチェスター地下鉄
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84

ロチェスター地下鉄は1928年に開業し、1956年に廃止された。それまで市内を走っていた路面電車を地下化したものであり、車両も路面電車タイプのものであった。同地下鉄は路面電車路線のみならず、ニューヨーク州内のインターアーバン路線とも接続していた。日本の地下鉄直通運転の原型ともいえる。
ロチェスターの地下鉄は、1900年のルート変更により使用されなくなったエリー運河の跡地にトンネル躯体を埋め込むことで建設された。トンネルの上はブロード・ストリートという通りになったが、地下構造になったのは都心部の数マイルで、残りの部分は河床部分に立体交差の軌道が敷設されるという構造であった。
インターアーバンとの直通運転は開業3年後の1931年、インターアーバン路線の廃止により断絶してしまった。地下鉄はその後主に通勤客の輸送に用いられ、第二次世界大戦期には4両編成の電車も運行された。しかし、旅客の減少が続いたのと、路線の東側半分をロチェスター都心部を避けて建設されることになった高速道路の接続道路にしたいという思惑もあり、旅客営業は1956年に廃止された。
ロチェスター地下鉄はインターアーバンとの直通運転を念頭において建設されたことから、貨物輸送を考慮した構造になっていた。そのため、残る西側半分に関しては、貨物鉄道の市内乗り入れの引込み線として使用が続けられ、ゼネラル・モーターズやガネット社の貨物輸送用として1996年まで存続した。
ロチェスターには高速鉄道の計画がいくつか存在するが、それらはこの廃止になった地下鉄トンネルを再利用するものである。他にも地下鉄トンネルの地下歩道化などが検討されている。



Rochester Wiki - Abandoned Subway
http://rocwiki.org/Abandoned_Subway

The Rochester Subway was plagued by limited resources and a transportation and land-use system that already was becoming more and more automobile-oriented. Rochester abandoned all surface streetcars by 1940, leaving the subway as a single line of what had been a much more comprehensive system. While ridership peaked during WWII due to gasoline and rubber rationing, it quickly declined after the war. The region's population was growing, but in an auto-oriented way as new, low density developments sprawled across suburban towns far from the route of the subway, which was never extended.

In addition, the subway suffered from the meandering, northwest to southeast route that was pre-determined by the route of the old Erie Canal. While this route had advantages for a long-distance canal built in the 1810s and 1820s, it was not necessarily a good route for intra-city transit in the 20th century. Federal funds sought to extend the eastern terminus to Monroe Avenue in Brighton in the 1930s were denied.

By the late 1940s and early 1950s, plans were developed for the system of high-speed expressways in and around Rochester. The eastern part of the subway route was chosen for a portion of Interstate 490. With declining ridership and governmental policies that supported private automobile over public transportation, there was little resistance to the abandonment of the subway. Passenger service ceased June 30, 1956.


20世紀前半のアメリカにおけるmotorizationの流れに共存できなかった、と言えるだろう。

さて気になるロチェスター地下鉄の路線だが、以下のようにCity Hallを中心として、北西のGeneral Motorsから南東のRowlandsまでを結んでいる。街を南北に流れるジェネシー川を渡るルートだ。この記事のカバー写真はCity Hall駅でのもので、Rowlands行きの電車であることがわかる。



もし、地下鉄が存続していたらロチェスター市の地下鉄・鉄道網は以下のようになっていたかもしてない(青い路線が実際に運行していた地下鉄)。こうなるとグレーター・ロチェスター国際空港やオンタリオ湖のビーチパーク、そして都市部が結ばれてかなり便利だったのだが。



そして、ロチェスター地下鉄のDVDも販売されている。地下鉄が走っている動画もあり貴重な映像だ。



時は流れ、現在の都市交通は車からライトレールへ移っている。ロチェスターの地下鉄が形を変えてでも復活することを願いたい。



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