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可否茶館とカフェ・パウリスタ
社会
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2013年08月28日
私は主食がコーヒーというほどコーヒ好きである。 全日本コーヒー協会の統計資料(2012年)によると日本人は平均して1週間あたり10.73杯のコーヒーを飲んでいる。 男女ともに40~59 歳が最多(男性14.37杯、女性13.95杯)で、18~24歳が意外に少ない(男性7.73杯、女性5.24杯)ことがわかる。
またスターバックスに代表されるシアトル系カフェが躍進している動きがある一方で、喫茶店の事業所数はピークの1981年には15万個所以上あったものが、2009年には7.7万個所とほぼ半減している。外食産業の多様化が主な原因となるが、この業界もなかなか厳しい。
全日本コーヒー協会 統計資料 日本のコーヒーの飲用状況
http://ajca.or.jp/wp-content/uploads/2011/08/data04_2013-06.pdf
全日本コーヒー協会 統計資料 喫茶店の事業所数及び従業員数
http://ajca.or.jp/wp-content/uploads/2011/08/data06_2013-01.pdf
その喫茶店の歴史をたどってみよう。もともとコーヒーはイスラム世界に発するもので、オスマン帝国(トルコ)の首都イスタンブールには早くからカフヴェハーネ(直訳すれば「コーヒーの家」)と呼ばれるコーヒー店があり、喫茶店兼社交場の機能を果たしていたそうだ。ヨーロッパで最初のコーヒー・ハウスは、イスラム世界との交通の要所であったヴェネツィアに1645年に誕生したと言われている。イギリスでは1650年に最初のコーヒー・ハウスがオクッスフォードにでき、また1654年にオクッスフォードにできたクイーンズ・レイン・コーヒー・ハウス (Queen's Lane Coffee House) は現在も営業を続けている。
Queen's Lane Coffee House
http://www.qlcoffeehouse.com/
ちょうどその頃に日本にもコーヒーが伝来し、その後長崎の出島においてオランダ人に振舞われたようだ。1804年に長崎奉行所に勤めていた文人・大田南畝(おおたなんぽ)が記した「瓊浦又綴(けいほゆうてつ)」という随筆は日本でもっとも初期の頃のコーヒー飲用記と言われるが、「焦げ臭くして味ふるに堪えず」とあり、日本人の味覚には合わず受け入れられなかったことが記されている。この時代は海外との大きな差を感じる。
しかし黒船来航と共に西洋文化が流入し長崎、函館、横浜などの開港地を中心として西洋料理店が開店するようになり、そのメニューの一部としてコーヒーが一般庶民の目に触れるようになった。幕末の1866年(慶応2年)に正式にコーヒーが輸入されるよになり、そして神戸元町の「放香堂(ほうこうどう)」、東京日本橋の「洗愁亭」などでコーヒーが振舞われたが、日本最初の本格的な喫茶店は1888年(明治21年)に開店した「可否茶館(かひさかん)」である。
ラジ館プレス 台東区上野1丁目 日本最初の喫茶店「可否茶館」跡地
http://www.radiokaikan.jp/press/?p=32582
1888年(明治21年)4月13日、東京府下谷区上野西黒門町にオープンした日本で最初の本格的な喫茶店「可否茶館」、200坪を有した敷地に建てられた木造の洋館は二階建てでした。現在でも見られる一般的なコーヒーや紅茶を飲めるような喫茶施設の他に、遊戯スペースや図書館のような働きを持つ総合的な店舗であったことが分かります。
喫茶店を開いた鄭永慶(ていえいけい、1859年-1895年)は、長崎県平戸に生まれ、学生時代はアメリカへの留学を経験するなど時代背景からしても珍しい国際的で語学堪能な人物でした。そのような海外の文化に触れた人物だからこそ喫茶スペースを中心とした総合的な店舗を日本人に提供したいという気持ちからカフェを日本人に適した喫茶店として輸入したのだと思います。また鄭永慶は喫茶店を開店しようとすると同時に自らの語学能力を活かして学校建設も考えていたようでした。
しかし一般的なそばの倍近い価格のコーヒーを提供していたことが影響してか経営的に厳しくなり、1891年可否茶館は閉店してしまいました。その後鄭永慶は相場で失敗、借金が重なり、密出国でアメリカへと渡りましたが、病気のため1895年に37歳で亡くなりました。
可否茶館記念会
http://web01.cims.jp/moon/kahisakan/index.html
可否茶館は少し時代を先取りしすぎたようで、1891年の閉店後しばらく本格的な喫茶店はなかったが、1910年(明治43年)に日本橋小網町に「メイゾン鴻の巣」が誕生した。この店は日本で最初にカフェを名乗ったとされている。メイゾン鴻の巣に集まったのは、与謝野鉄幹、木下杢太郎、北原白秋、小山内薫、永井荷風、久保田万太郎、吉井勇、岡本一平、谷崎潤一郎らいずれも明治・大正時代を代表する文化人たちだった。
文士とカフェ文化:白秋、杢太郎、鉄幹らが談論風発の「メイゾン鴻の巣」
http://hayabusa-news.com/modules/d3blog2/details.php?bid=161
また翌1911年(明治44年)には銀座にカフェ・プランタンがオープンする。この店は当初は会費50銭で維持会員を募り、2階の部屋を会員専用にしていた。会員には洋画家の黒田清輝、岡田三郎助、和田英作、岸田劉生、作家の森鴎外、永井荷風、谷崎潤一郎、岡本綺堂、北原白秋、島村抱月、歌舞伎役者の市川左團次ら当時の文化人が多数名を連ねたそうだ。プランタンは大衆離れした高級な店で、コーヒーも出すが、洋食や洋酒に力をいれていたという。チキンカツサンドやクラブハウス・サンドイッチもカフェ・プランタンの名物だったという。
このようにメイゾン鴻の巣もカフェ・プランタンも、文学者や芸術家の溜まり場であったが、普通の人には入りにくい店であったという。
本当にコーヒーを普及させたという点では、1910年(明治43)には銀座でオープンしたカフェ・パウリスタの功績が大きい。日本人のブラジル移民を初めて手がけた人物である水野龍 (みずの りょう、1859-1951年) がブラジルへの日本人移送の見返りとしてブラジル政府より3年間1,000俵のコーヒー豆を無償提供受け、これをもとにカフェ・パウリスタを開業した。文化人だけでなく一般の学生や社会人などが出入りする庶民的な店舗として人気を博した。
そしてカフェーパウリスタは現在も銀座で営業を続けている。関東大震災の影響で店舗が崩壊して規模を縮小したり、「日東珈琲株式会社」と社名を変えたこともあったが、1970年(昭和45年)から創業の地の銀座に店を構えている。そしてそのホームページには同店の歴史についてとても詳しい案内がある。
銀座カフェーパウリスタの歴史
http://www.paulista.co.jp/introduce/history.html
明治43年12月12日、東京銀座に出現した白亜の館は、一杯五銭の、当時としては破格の値段で本格的なコーヒーを出し、後の喫茶店の原型をつくりました。
店の常連に、水上滝太郎、吉井勇、菊池寛、佐藤春夫などの大正の文豪たちが名を連ね、また、ジョン・レノンとオノ・ヨーコがおしのびで通った店として、いまも多くの人に愛され、日本のコーヒー文化の歴史にその名を刻んできました。
大正二年、カフェーパウリスタは、旧店を改築、三階建ての白亜で瀟洒な建物に生まれ変わった。正面にはブラジルの国旗が翻り、夜ともなれば煌々と輝くイルミネーションに、人々は胸ときめいた。
中に入ると北欧風のマントルピースのある広間には大理石のテーブルにロココ調の椅子が並び、海軍の下士官風の白い制服を着た美少年の給仕が、銀の盆に載せたコーヒーをうやうやしく運んでくるのである。
しかも、角砂糖にコーヒーの粉を詰め込んだものを「コーヒー」と呼んでいたような庶民が、洒落た空間で本格的なコーヒーを味わう代金として、一杯五銭という価格は破格に安値だった。
こうしてカフェーパウリスタは、誰もが気軽に入れる喫茶店として親しまれていったのである。銀座の本店に続いて、京橋、堀留、神田、名古屋、神戸、横須賀と全国各地に支店を増やし、第一次世界大戦が終わる頃には、22店を数えるまでに至った。
このように我が国において新しい飲み物であったコーヒーを広めたのはカフェーパウリスタといえるだろう。
「パウリスタ五銭のコーヒー今日も飲む」(新居格、1888~1951) という俳句も詠まれたようで(全く季語がないが)、 当時の文化人にとって、カフェーパウリスタの存在の身近さをうかがい知ることができる。歴史の長さではかなわないが、日本のクイーンズ・レイン・コーヒー・ハウスとも呼ぶべき存在だ。
可否茶館にしてもカフェ・パウリスタにしても、創業者の目指したものやその影響はとても大きいものであり、また当時の文化人たちがイスラムやヨーロッパ同様に喫茶店を社交場として発展させたことにより、その後の日本のコーヒー文化が築かれたと言えるだろう。
この週末は日本の喫茶店の祖である銀座・カフェーパウリスタに足を運んで、じっくりとコーヒーを味わいながら、将来の日本人のコーヒー嗜好や喫茶店事業の動向を考えてみようと思う。
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