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「電卓」は「電子(式)卓上計算機」の略であり、卓上で使用できることができる計算機としてこの名称が標準化されたものだ。
1960年代後半から1970年代前半にかけての電卓戦争と呼ばれる激しい価格破壊と技術革新競争により。僅か10年ほどで劇的な小型化と低価格化が進んだ。世界の産業史上最も激しい値下げと量産化だと言われている。
この戦争には50社以上のメーカーが入り乱れたが、最終的に生き残ったのは小型化に定評のあったカシオや、世界初の液晶電卓を開発したシャープを筆頭とする日本の数社だけであった。そのため電卓は日本の特産品と思われがちだが、その手本となったもの、そして「電卓」初号機は1961年に発表されたイギリスのBell Punch Company製でSumlock Comptometer販売の『Anita Mark 8』である。

Vintage Calculators Web Album / Desk Electronic Calculators / Anita Mk 8
http://www.vintagecalculators.com/html/anita_mk_8.html

The ANITA Mk 8, manufactured by the Bell Punch Co. of Uxbridge, England, was launched in October 1961. Together with the concurrently introduced ANITA Mk VII, for the continental European market, it was the world's first electronic desktop calculator. It was sold mainly in the rest of the world outside of continental Europe, and was announced at the Business Efficiency Exhibition, in London, in October 1961, but orders for it were not taken by the British distributor, Sumlock Comptometer Ltd., until January 1st 1962.
This model and the Mk VII were the only electronic desktop calculators in the world for over two years, and many thousands were sold. Like the Mk VII it has a full keyboard and uses cold-cathode tube technology.
The name ANITA, stands variously for "A New Inspiration To Arithmetic" and "A New Inspiration To Accounting". This became the family name for all the Bell

Display - 12-digits Numerical indicator tubes
Size - 376 x 450 x 255 mm (14.75" x 17.75" x 10"), 13.9 Kg
Cost in 1964 was £355 Sterling




それまでの計算機では演算経路に継電器 (リレー) が使用され、接点の電磁的な開閉で演算が行われていたが、Anita Mark 8では真空管を使って電子的にスイッチングをすることによって、計算速度が向上し騒音も改善された。また入力は全ての位で0~9のキーが用意されたフルキー方式なので、とにかくキーが多い印象がある。

実際のAnita Mark 8での計算を見てみよう。



このAnita Mark 8を日本のメーカーが輸入し、分解して研究を行った。
そして日本で初めて発売された電卓が、1964年に発売されたシャープ (当時は早川電機工業) の『CS-10A』である。それまでは機械式か真空管式だった計算機の回路を初めて個別半導体に置き換えた製品で、トランジスタ(増幅又はスイッチ動作をさせる半導体素子)が初めて演算装置に採用された。
フルキーが採用されたのはAnita Mark 8と同様で、重量は25kg、消費電力も100W超と膨大で、価格も自動車とほぼ同じだった。しかし本製品は業界にインパクトを与え、この1964年からキャノン、ソニー、カシオ、ビジコン、東芝など各社が技術革新にしのぎを削った。



ということでCS-10Aが日本で最初の電卓として広く認識され、情報処理技術遺産にも認定されているのだが、実際にはCA-10Aよりも早く1963年に試作された電卓 (販売はCA-10Aより後) がある。大井電気の『アレフゼロ 101』である。

電卓博物館 国内のメーカー(1)
http://www.dentaku-museum.com/calc/calc/31-kokunai/kokunai1/kokunai1.html

大井電気は通信、制御機器の専門メーカー。1949年東洋通信機工業から、当時電力搬送の第一人者であった石田寛をはじめとする技術系の人たちがスピンアウトし発足したベンチャー企業あり、常に技術的に新しいものへ挑戦していく雰囲気があった。同社は1962年の終りから社長以下全力で電卓の開発に取り組んだ。この結果、1963年8月に日本で初めて電卓の試作に成功した(アレフゼロ101 (1号機))。これは直ちにアレフゼロ101(2号機)として商品化され、大学の研究室などに販売された。その意味でアレフ・ゼロはわが国で最初に市場化された電卓であるといえる。

アレフゼロ 101 (1号機)
1963年に試作されたわが国最初の電卓。演算素子にはトランジスタではなくパラメトロンを約1700個用いていた。パラメトロンは東大の後藤英一教授が発明した素子で、多くの電力を必要としたものの、トランジスターより正確で製品寿命が長いといった特徴があった。またこの電卓はテンキー操作を採用し、四則演算、一定数乗除算、累積、自乗、開平、組合演算などが簡単な操作でできた。特に、従来手間のかかった開平演算は、ワンタッチで計算できる特徴を持っていた。
神奈川県発明協会展覧会に出品され、横浜市長賞を受賞した。現存は確認されていない。

アレフゼロ 101 (2号機)
1964年4月に販売された2号機。難点は他社製品と比べると高価格で、消費電力が大きかった。また地磁気の影響も受けやすかった。このため、トランジスタの安定性が増していく中で、優位性はは薄れていった。
大井電気は1000台のアレフゼロを製造・販売したが、その後1970年電卓販売から撤退した。アレフゼロ101は現在大井電気本社に展示してある。

アレフゼロ101の仕様
計算容量 加減算 10桁  乗算 20桁  除算 10桁(剰余10桁)  開平 9桁
消費電力 300W 大きさ 550×520×380mm 当時の価格  80万円




シャープは翌1965年に『CA-20A』を発売しており、CA-10Aのゲルマニウムトランジスタに替え、大型コンピュータに使われていたシリコントランジスタを採用し、信頼性が大きく向上した。また、フルキー方式もやめてこの機種以降10キー方式を採用した。価格も38万円程度に下がった。
このように各社による電卓戦争は激しさを増していく。

このように電卓は、海外に起源のある商品をいち早く取り込み、改良を重ねることで、はるかに優れたものをつくりだすという日本の技術発展の象徴的な製品ではないだろうか。Anita Mark 8とアレフゼロ101を含めて正しく流れを理解しておきたい。



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