どうして馬車は牛車に比べ、あまり日本では発達しなかったのか。
① 日本に伝ってきた馬文化は、朝鮮半島経由で伝わった騎馬民族郷土の文化で、ヨーロッパの戦車中心の文化とは違い、騎馬を中心に勢力圏を拡大した文化であったこと。
② 日本には野生馬を含めて馬の数が少なく、非常に貴重な動物であった。それゆえに「神馬」というように権力者の象徴となり、これに荷を牽かすという発想は生まれなかった。
③ 日本は多湿の海洋性気候のため、年間を通じて雨が多く河川も多い。また火山列島のため山地が多く、江戸時代に街道が整備されたとは言え、馬車を自由に走らせるスペースは少なかった、という気候と地形の問題。
④ 時代が変わっても高価な動物であることに変わりはなく、平民の乗馬は明治まで許されず、牛-公家、馬-武士のものとされていた。また江戸時代には戦略上の理由から、馬や車の使用について厳しい規制があり、馬車の登場する余地はなかった。
このような理由から、比較的早い時代に万が一馬車文化が入ってきたとしても、普及する余地がなかった、と記載されている。