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ボブ・ヘイズと飯島秀雄
スポーツ
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2011年12月30日
陸上100m競走は陸上の花形競技であり、男子のトップは「人類最速の男」の称号が与えられる。類稀な才能を与えられたアスリートたちが、肉体を鍛え上げ、限りなく張り詰められた精神状態の中で行われるわずか10秒の勝負だ。従って勝負も記録更新も0.01秒の単位で展開される。
陸上100mの歴代記録を見ていくと、1912年のストックホルムオリンピックの男子100m予選において、ドナルド・リッピンコット(アメリカ)が記録した10秒6(手動計測)が国際陸連が初めて公認した世界記録である。それから100年を経た現在の記録は2009年8月にウサイン・ボルト(ジャマイカ)が記録した9秒58であり、人類は100年で100mを走るタイムを1秒縮めたということができる。
男子100メートル競走世界記録の推移
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B7%E5%AD%90100%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E7%AB%B6%E8%B5%B0%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%A8%98%E9%8C%B2%E3%81%AE%E6%8E%A8%E7%A7%BB
さて、歴代の陸上100m男子金メダリスト・世界記録保持者の中で、陸上以外でも輝かしい業績を残した人物がいる。1964年東京オリンピック陸上100m金メダリストのボブ・ヘイズだ。
ボブ・ヘイズ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%98%E3%82%A4%E3%82%BA
ボブ・ヘイズ(Robert Lee "Bullet Bob" Hayes, 1942年12月20日 - 2002年9月18日)は、アメリカ合衆国の元陸上競技選手および元プロフットボール選手である。ニックネームは弾丸を表すBullet。
ヘイズは、東京オリンピックでスプリンターとしての才能を十分に発揮。100mでは、1レーンという悪状況にもかかわらず、10秒0という世界タイ記録(当時)を樹立し、まず1つ目の金メダルを獲得。そして4×100mリレーでもアメリカチームの一員として、39秒0のこれも世界新記録(当時)を樹立し、2つの金メダルを獲得した。
東京オリンピックを最後にNFLのダラス・カウボーイズに入団した。俊足のワイドレシーバーとして活躍。プロボウルにも3回選出されている。スーパーボウルにも2度出場、1971年シーズンには優勝を経験し、オリンピックの金メダルと、スーパーボウル・リングを獲得した最初の選手となった。1966年の試合で達成した1試合でのレシーブ獲得ヤードは2009年にマイルズ・オースティンが250ヤードを獲得し破るまでカウボーイズのチーム記録であった。
世界最速の彼をディフェンスがマンツーマンでカバーすることは困難でありゾーン・ディフェンスが各チームに浸透した。1回あたりのレシーブ獲得20.0ヤードに匹敵するのはカウボーイズ史上では他にアルビン・ハーパーしかいない。
2002年腎不全で亡くなった。2009年1月、プロフットボール殿堂入りを果たしている。
東京オリンピックでのボブ・ヘイズの強さは圧倒的で、準決勝で9秒9を記録、決勝でも状態の悪い1レーンにもかかわらず2位以下に大きな差をつけている。
また名門カウボーイズでのレシーバーとしての活躍もすばらしく、通算でのレシーブは371回に及ぶ。
一方で、引退後にはアルコールと麻薬におぼれて生活が乱れ逮捕歴もあったという。そのため「プロフットボールの殿堂」は見送られ、死後しばらくしてようやく認められたようだ。
1968年の全米選手権で人類史上初めて10秒の壁を破り、その年のメキシコオリンピックでも金メダルに輝いた9秒9で金メダルに輝いたジム・ハインズもその後プロフットボールに転向したが、通算で11試合にしか出場できなかった。そう考えると、ボブ・ヘイズの陸上そしてフットボール双方での卓越ぶりは特筆すべきものだ。
さて、奇しくもこの東京オリンピックの陸上100mに出場し、その後ボブ・ヘイズ同様に他のプロスポーツに転じた日本人がいる。100m 10秒1の日本記録(当時)保持者で、メキシコオリンピック後のドラフト会議でロッテオリオンズ(ドラフト時は東京オリオンズ)に入団した飯島秀雄だ。
スポーツニッポン 日めくりプロ野球 【4月13日】1969年(昭44) 世界初の代走屋・飯島秀雄 デビュー戦で初盗塁
http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_april/KFullNormal20080407142.html
ロッテの前身大毎・永田雅一オーナーのユニークな発想でのプロ野球入りで、「気がついたら辞退できない状況になっていて、あの時は周りの人に怒られたなぁ。なにせ、いきなり陸上選手がプロ野球選手になったんだからね」と本人は語っていそうだ。
しかし、さすがにボブ・ヘイズのようにプロスポーツの世界では充分な実績は残せず、一軍では代走での起用しかなく、期待された盗塁も通算23、盗塁死17と物足りない。野球の走塁技術は陸上のスピードとは違うようだ。1970年にロッテがリーグ優勝したので、スーパーボウルにあたる日本シリーズに出場する機会があったが、日本一に輝けなかったのは何とも惜しい。
引退後は運動具店を経営し、また陸上競技のスターターも務めていたとのことだ。プロ野球殿堂はありえないが、是非日本陸上界で功績をたたえていただきたいと思う。
さぁ2012年のロンドンオリンピックではどのような金メダリストが誕生するだろうか。その後の人生も含めて楽しみに見守りたい。
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