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日本のエネルギー自給率は9.6% (2017年) と他のOECD諸国と比べて低く、特に石油の自給率は0.3%であり、ほとんどを輸入に依存している。
しかし完全に0%ではなく、すなわち小規模ではあるが国内での石油生産は行われている。

『日本書紀』には西暦668年に越後国より天智天皇に「燃ゆる水 (燃水) 」が献上されたという記述があり、古代から石油の存在を確認することができるが、国内での油田の本格的な開発は1869年2月に鉱山開採出願許可 (行政官布告) および開坑規則公布が発効されてからである。
正式に油田の開発が認められた後で、最初に商業生産が行なわれた油田は長野県の浅川油田である。

浅川油田
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E5%B7%9D%E6%B2%B9%E7%94%B0

浅川油田の石油採掘は少なくとも江戸時代中期まで遡り、1753年に国学者の瀬下敬忠が著した『千曲之真砂』が文献への初出である。1847年の善光寺地震では天然ガスが噴出し、一帯は「新地獄」と呼ばれた。
1871年、水内郡桑名川村 (現 飯山市) の石坂周造は、日本初の石油会社とされる長野石炭油会社(後、長野石油会社に改称)を設立し、この地で石油の商業生産を開始した。日本初となる石油精製所は妻科村石堂町(現 長野市北石堂町)の刈萱山西光寺境内に置かれ、伺去真光寺村(現 長野市真光寺)の油井から荷車や馬で原油を運んだ。
設立翌年に新設備を導入するも生産量は思うように増えず、5年後には精油所が焼失するなどし、1881年に長野石油会社は倒産する。その後は工場の燃料などに細々と利用されてきたが、1973年に採掘を終え、200余年の歴史に幕を下ろした。

現在では石油井戸跡として深井戸ポンプが残っている。現在の長野駅の近くに製油所があったことは興味深い。

山側 長野市の「浅川油田」を採掘して日本最初の石油会社と製油所が設立された!?
https://yama-gawa.com/?p=5481



石坂周造は幕末の志士で幕末から明治にかけて5年間投獄されていたが、明治になって赦免されて民間事業に取り組み石油産業の祖となった。明治維新による世の中の変化を痛感する。
この長野石油会社は事業を拡大して、静岡県の相良油田でも開発に取り組んでいた。

相良油田
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E8%89%AF%E6%B2%B9%E7%94%B0

相良油田は、1872年2月に海老江の谷間で油くさい水が出ることと聞いた、元徳川藩士の村上正局によって発見されたことに始まる。同年3月には、静岡学問所の外国人教師エドワード・ウォーレン・クラークによって、それが石油と判定された。
1873年5月には、手掘りにより採油が始まった。1874年には長野石炭油会社によって、日本で最初の機械掘りが行われた。最盛期の1884年頃は約600人が働き、年間721キロリットルが産出されていた。採油を停止したのちの1980年11月28日には静岡県指定文化財(天然記念物)となり、今では「油田の里公園」として周辺が整備されている。




同じ時期に新潟県で開発されたのが新津油田である。

新潟市秋葉区 新津油田
https://www.city.niigata.lg.jp/akiha/about/kankou/oil/yuden.html

この地域には、古くからの石油が地表ににじみ出ているところがあり、くそうず(草水)と呼ばれ、越後七不思議の一つにも数えられていました。
明治になるとこの稼人のなかからも近代的な石油事業に着手するものが現れました。金津村の草水稼人、庄屋中野家の貫一はその中の一人でした。中野貫一は1874年に借区開坑願を政府に提出し、金津地区で開坑しこの地方の開発の端緒となりました。そして1875年に石油精製の許可を申請しこの地方の原油を精製販売を始めました。
採油方法として手掘りが長く行われてましたが、その後工業化により採油は飛躍的に増大しました。1903年頃の新津油田では会社・組合・個人を含めた操業者が100以上を数えるほどになりました。1917年には年産12万キロリットルで、産油量日本一となりました。
その後は減少し、平成8年で採掘が終了しました。




中野貫一は「石油王」と呼ばれた人物で、1906年に金津村村長、1911年からは帝国議会衆議院議員を務め、1918年には中野財団を設立し教育や社会福祉事業を始めた。
新津油田の一帯は「石油の里公園」として整備され、邸宅及び庭園が中野邸美術館として開放されている。



しかし浅川油田、相良油田、新津油田をはじめ明治時代に開発された油田は既に生産を終了している。現役で最も産出量が多いのは秋田県の八橋油田 (やばせゆでん) だ。



プラントエンジニアのおどりば 国内最大の油田「八橋油田」~住宅街の現役油田~
https://yuruyuru-plantengineer.com/japan-oil-field-yabase/

八橋油田は昭和30年代には年産30万キロリットルを生産していたが、昭和40年代以降に産油量が急激に衰退し現在の産油量は当時の1割にすら満たない。それでも国内最大である。
このような状況で、今後の日本の産油を担う期待が向けられるのは新潟の南桑山油田だ。

TECH+ 2015年6月22日 新潟県の南桑山油田に新規油層 - 生産量が現在の3倍に増加する可能性
https://news.mynavi.jp/article/20150622-a522/

国際石油開発帝石は6月22日、新潟県の南桑山油田で厚さ約24mの新規油層を発見したと発表した。
同油田は、新潟県新潟市秋葉区大関から同県五泉市北部に位置し、2004年以来約16万キロリットルの原油が生産されている。今回、探掘井を掘削した結果、深度3900m付近で新規油層を発見した。
今後、同坑井で得られたデータなどの解析を進め評価作業を行うとともに、生産に向けて2016年度に同油層に対して追加的に掘削作業を実施する予定。この追加的掘削作業が成功すれば、同油田の生産量が現在の日量300~380バレルから約3倍に増加することが期待されるという。




その後の経過についてのニュースがないので実現したかどうかはわからないが、3倍増なら国内最大の生産量も見えてくる。
いずれも小規模で、ほとんどを輸入に依存する構図は変わらないが、国内の石油生産を絶やさないでほしい。


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