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ノーベル賞は、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの遺言に従って1901年から始まった世界的な賞である。この遺言は1895年に記されたもので、化学、物理学、文学、平和、生理学・医学の5つの分野で「人類に最大の利益」を与える偉大な成果に対して賞を贈るよう記されている。(ノーベル財団は経済学賞をノーベル賞とは認めておらず、正式名称である「アルフレッド・ノーベル記念スウェーデン国立銀行経済学賞」または「ノーベル」を冠しない「経済学賞」と呼んでいる。)

当然のことだが、5つの分野以外でもさまざまな企業・団体によって世界的な賞が授与されている。数学のフィールズ賞、建築学のプリツカー賞、気象学の国際気象機関賞などを挙げることができ、これらは「〇〇界のノーベル賞」と呼ばれたりもするが、ノーベル賞・ノーベル財団とは関係がない。
この「〇〇界のノーベル賞」の中にはノーベル賞よりも長い歴史を持つ賞がある。人類学のトーマス・ハックスリー記念賞である。

トーマス・ハックスリー記念賞
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%BC%E8%A8%98%E5%BF%B5%E8%B3%9E

トーマス・ハックスリー記念賞は、イギリスの王立人類学研究所(Royal Anthropological Institute of Great Britain and Ireland)による、人類学の分野で顕著な功績をあげた人物におけるに贈られる賞である。
生物学者であったトマス・ヘンリー・ハクスリーの業績をたたえる目的で1900年に設けられ、王立人類学研究所の理事会によって受賞者が決定される。受賞は人類学者における最高の栄誉とされる。


歴代の受賞者は以下リンクをご参照。

Royal Anthropological Institute - Huxley Memorial Medal and Lecture Prior Recipien
https://www.therai.org.uk/awards/honours-prior-recipients/huxley-memorial-medal-and-lecture-prior-recipients/

ノーベル賞よりも僅か1年早く始まった形だが、その記念すべき第1回 (1900年) の受賞者はジョン・ラボックという人物だ。

ジョン・ラボック
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%9C%E3%83%83%E3%82%AF

ジョン・ラボック (John Lubbock 1834~1913) はイートン校で1845年から教育を受けた。卒業後父の銀行に勤め22歳で共同経営者となった。1865年に父が死去すると準男爵位を相続した。1870年と1874年にメイドストーン選挙区から自由党の下院議員に当選した。1886年に自由党がアイルランド統治法のために紛糾すると、分裂した自由統一党に参加した。
ラボックは1879年の銀行家協会の初代理事長となった。1881年にはイギリス学術協会の会長、1881年から1886年までロンドン・リンネ学会の会長を務めた。1883年に銀行員孤児院(the Bank Clerks Orphanage)を設立した。1884年に、のちに選挙改革協会となる比例代表制協会を設立した。
1865年にラボックは考古学のテキスト『前史時代:古代遺跡と、現代の未開人のマナーと習慣による描写』を執筆した。また石器時代を大きく二つにわけ、旧石器時代(Palaeolithic)と新石器時代(Neolithic)という用語を提案した。ラボックはいくつかの分野でアマチュアの生物学者であり、膜翅目に関する本『アリ、ミツバチとスズメバチ:社会的膜翅目の習性の観察記録』を書いている。また昆虫の感覚器とその発達について、動物の知性について、他の自然史のいくつかの話題についても本を書いた。彼はトマス・ヘンリー・ハクスリーのXクラブの9人の会員の一人でもあった。
ラボックはチャールズ・ダーウィンと幅広く交流した。ラボックは幼い頃からダーウィンと親しく、科学的思考や自然の探求の方法を学んだ。




このように経歴を参照すると、専門は金融、政治、生物学であり、人類学の権威とは思えず、「トマス・ヘンリー・ハクスリーのXクラブの9人の会員の一人でもあった」ことが受賞に関係したのかもしれない。いずれにしても影響力の大きい人物であったことは間違いない。

ではこの賞で記念されているトマス・ヘンリー・ハクスリーとはどういう人物だろうか。

トマス・ヘンリー・ハクスリー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%BC

トマス・ヘンリー・ハクスリー (Thomas Henry Huxley 1825~1895) は、イギリスの生物学者。「ダーウィンの番犬(ブルドッグ)」の異名で知られ、チャールズ・ダーウィンの進化論を弁護した。リチャード・オーウェンとの論争においては、人間とゴリラの脳の解剖学的構造の類似を示して進化論を擁護した。
科学啓蒙家としての才能があった。「不可知論」の語を作って自らの信仰を表現した。
ハクスリーは「生物発生説 (生物の細胞は他の生物の細胞からのみ発生する説)」と「自然発生説 (無生物から生物が発生するという説) 」の概念を作ったと信じられている。

生物学者として様々な功績を残し、英国の学校教育にも多大な影響を与えたトマス・ヘンリー・ハクスリーは自身も、1852年にロイヤル・メダル (自然界についての知識の発展、応用科学の分野で顕著な貢献に対する賞)、1876年にウォラストン・メダル (優れた業績をあげた地質学者に授与している賞)、1888年にコプリ・メダル (数学または物理科学の研究者と生命科学の研究者から一年ごとに交互に選出) を受賞している。




この中で出てくるコプリ・メダル(Copley Medal)は 科学業績に対して贈られる最も歴史の古い賞であり、1731年にイギリス王立協会によって創立され、毎年贈られている。 コプリとは第2代準男爵ゴッドフリー・コプリ(Sir Godfrey Copley 1653頃~1709) はイギリスの裕福な地主だったそうだ。

そして1731年の最初の受賞者は、電気伝導の発見者として知られるスティーヴン・グレイ (Stephen Gray 1666~1736) だ。"For his new Electrical Experiments: – as an encouragement to him for the readiness he has always shown in obliging the Society with his discoveries and improvements in this part of Natural Knowledge" とのことだ。
しかも翌1732年にも "For the Experiments he made for the year 1732" として2年連続で受賞している。こちらはおまけのように感じる。。

エピソード科学史Ⅱ――物理編 11. 初期の電気実験 1 スティーブン・グレイの実験
http://ktymtskz.my.coocan.jp/S/physic/phi11.htm#1



こうして見ていくと、英国を中心に賞の長い歴史を痛感するし、その受賞者を称える賞が新たに設けられることで新たな表彰が行われていることがわかる。信賞は人類の鉄則であり、長きにわたって賞によって人類が高められてきたことは間違いないだろう。


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