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世界の都市の人口を調べる場合に、市域の人口を見る場合と、主要都市地域近くの郊外都市も含んだ都市圏の人口を見る場合では大きく異なる。市域人口では重慶 約30百万人、上海 約24百万人、北京 約22百万人、デリー 約17百万人が上位だが、都市圏人口では東京が約38百万人で首位となる。東京の人口は約9.5百万人だが、都市圏人口には横浜、さいたま、千葉も含まれる。しかし都市圏の定義はさまざまであり、その方法によって数値は変わってくる。

このように人口統計のある現代でも、都市の人口というのはなかなか特定が難しい。ましてや統計記録のない時代の人口の推計は難しいのだが、都市の人口は歴史を学ぶ上で最も興味のある要素のひとつである。そこで考古学者たちによる紀元前の人口の推定をみてみよう。
Wikipediaには各考古学者の人口推定が記載されているが、表がわりかにくいので、各年代のランキングの形で纏めてみた。

歴史上の推定都市人口
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E3%81%AE%E6%8E%A8%E5%AE%9A%E9%83%BD%E5%B8%82%E4%BA%BA%E5%8F%A3

Ian Morris (2010年) [IM]
イアン・モリス (Ian Morris) 著『Why the west rules—for now』 人口は行政上の市域人口ではなく、都市的地域に対応する。東洋・西洋でそれぞれ最大の人口を有すると推測される都市の人口のみが算出されている。
George Modelski (2003年) [GM]
ジョージ・モデルスキー (George Modelski) 著『World Cities: –3000 to 2000』 人口は行政上の市域人口ではなく、都市的地域に対応する。全般的にChandlerの推定値よりも信頼性が高いが、紀元1000年以降の都市に関してはあまり推定人口を算出していない。
Tertius Chandler (1987年) [TC]
ターシャス・チャンドラー (Tertius Chandler) 著『Four Thousand Years of Urban Growth: An Historical Census』。人口は行政上の市域人口ではなく、建物が連続的に存在する都市的地域に対応する。歴史上の全世界の都市約2,500箇所について推定人口を算出している。


今から約10000年前のBC8000以前から西暦元年まで順を追ってみていきたい。



世界最古の都市はパレスチナ東部のイェリコ (Jericho) とシリア北部のムレイベット (Mureybet) と言われている。その後BC6500年頃にトルコ南部のチャタル・ヒュユク (Çatalhöyük) は最大で人口10,000人に達したと言われている。

BC3000~2000年頃には、古代メソポタミアの都市国家であるウル (Ur)、ウルク (Uruk)、ギルス (Girsu)、ラガシュ (Lagaš) が大都市として多くの人口を擁した。
BC2000~1000年頃には、エジプト第19王朝のラムセス2世によるペル=ラムセス (Pi-Ramesses) をはじめとしたエジプトの各都市が栄え、一方で殷墟 (Yinxu) など中国の都市も上位にランクされた。



BC300年頃になるとカルタゴ (Carthage) が50万人の大都市となり、またインド東部のマウリヤ朝の都市パータリプトラ (Pataliputra) の人口が40万人となった。
そしてBC100年頃にアレクサンドリア (Alexandria) の人口が100万人に達した。(諸説あり)

アレクサンドリア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2

エジプトのアレクサンドリアはギリシアのマケドニア王であったアレクサンドロス大王によって、紀元前332年に建設された。アレクサンドロスの死後は、その部下だったプトレマイオス1世がエジプトを支配し、古代エジプト最後の王朝であるプトレマイオス朝の首都として発展した。一時は人口100万人を超えたともいわれ、そのため「世界の結び目」と呼ばれた。

以前取り上げたが、アレクサンドリアには世界の七不思議の一つに数えられる巨大な大灯台があったと言われている。もともとこの「不思議」は「必見のもの」の意味で、紀元前最大の100万人都市に相応しい建築物だったと言えよう。



そして西暦元年頃には、ローマ帝国の首都ローマ (Rome) が100万人が居住する世界最大の都市となった。それに伴いフォロ・ロマーノが整備され、ローマは権力の中心としての都市開発が進展した。

尚、BC7000~600年の世界総人口は500~1000万人、西暦元年は2~4億人と推計されている。

世界人口の推移と推計:紀元前~2050年
http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Data/Popular2005/01-08.htm

アレクサンドリアとローマはこの時代で稀有な大都市で、その後しばらく100万人都市は誕生していない。同じ資料に基づくと、紀元前から大都市だった長安 (Chang'an) がAD700年頃に100万人 (出典[IM][GM])、唐末期から長安に代わって栄えた開封 (Kaifeng) がAD1000年頃に100万人 (出典[IM])、762年に新都に定められた計画都市であるバグダード (Baghdad) は西暦1000年頃に人口120万人 (出典[GM]) と、AD1000年頃までは100万人都市は3都市のみである。
それが2018年では、世界の人口は約75億人、1000万人以上の都市圏人口を抱える都市が37都市、100万人以上だと526都市と、約1000年で人口が爆発的に増加し、また都市への集中が進んでいる。

Demographia World Urban Areas 14thAnnual Edition: 201804
http://www.demographia.com/db-worldua.pdf

都市人口の推移は1万年にわたって人類がどれだけ繁栄し、また生活を変えていったかをよく示している。これからの1000年、2000年も代々繁栄となるのだろうか。



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