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知らないことや気になることをいろいろと調べて記録していきます
 




クラシック音楽の作曲家というと、音楽一家の生まれであったり、そうでなかったりというという違いはあれど、通常は幼少の頃から音楽や楽器に親しみ、早くから演奏で頭角を現し、〇歳ではじめて作曲をした というような経歴がほとんどである。
音楽史に残る作曲家たちであるので、音楽一筋であるのは当然のことだが、たまには変わったキャリアの作曲家はいないものだろうか。
と思って何気なく調べてみると、音楽が副業の作曲家がいた。有名な「韃靼人の踊り」の作曲家アレクサンドル・ボロディンである。



アレクサンドル・ボロディン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%AD%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3

アレクサンドル・ポルフィーリエヴィチ・ボロディン(Alexander Porfir'evich Borodin, 1833 - 1887)はロシアの作曲家、化学者、医師。
サンクトペテルブルクにて、グルジア皇室の皇太子ルカ・ゲデヴァニシヴィリの非嫡出子として生まれる。ピアノの稽古を含めてすぐれた教育を受け、化学を専攻し、ペテルブルグの医学大学の薬学部に入る。 卒業後、陸軍病院に勤務、24歳の時に医学の会議の出席のためにヨーロッパに長期出張、この頃、ムソルグスキーと知り合い、シューマンの曲を紹介され、興味を持つ。26歳の時、ハイデルベルク大学(化学)入学。元素理論を確立したメンデレーエフと知り合う。卒業後はペテルブルグの医学大学の助教授、教授と進み、生涯有機化学の研究家として多大な業績を残した。 作曲は1863年にミリイ・バラキレフと出会うまで正式に学んだことがなかった。
1869 年にバラキレフの指揮によって《交響曲第1番》が上演され、同年ボロディンは《交響曲第2番》に着手する。この新作交響曲は、初演時には失敗したが、1880年にフランツ・リストがヴァイマルでドイツ初演の手筈を整え、ボロディンの名をロシアの外に広めた。
やはり1869 年には、歌劇《イーゴリ公》に着手、これはボロディンの最も重要な作品と看做されており、しばしば単独で演奏される。おそらく最も有名なボロディン作品となっている「だったん人の踊り(韃靼人の踊り)」と「だったん人の行進(韃靼人の行進)」は、《イーゴリ公》が出典である。
1887 年に急死。謝肉祭の週間に、数人の友人を呼んで上機嫌に歌って踊って楽しんでいたが、突然ひどく青ざめて卒倒したのである(動脈瘤の破裂だった)。


ボロディンは、作曲家としてその道に秀でていたにもかかわらず、いつも化学者として収入を得ており、化学の世界においては、とりわけアルデヒドに関する研究によって、非常に尊敬されていた。結果的に「日曜作曲家」を自称することになり、同時代人ほど多作家ではなかったものの、2つの交響曲や音画《中央アジアにて》(通称;交響詩《中央アジアの草原にて》)、抒情美をたたえて人気の高い「夜想曲」で有名な《弦楽四重奏曲 第2番》はますます盛んに演奏されている。
化学者としては、ボロディン反応(ハロゲン化アルキルの合成法、ハンスディーカー反応の別名)に名を残している。また、求核付加反応の一つであるアルドール反応を発見したとされる。


歌劇『イーゴリ公』の世界 ボロディン
http://www.prince-igor.jp/borodin.html

音楽史ミステリー探偵事務所 ボロディンはなぜ作曲が遅かった?
http://www.tcat.ne.jp/~eden/MM/borodin2.htm

このようにボロディンは生涯を通じて化学者であり、教授として多忙な日々を送り、 また女性の地位向上(特に女医の育成)にも尽力したという。
幼少の頃にピアノの教育を受けたとはいえ、作曲を学んだのは30歳になってからであり、人生の後半でしか作曲活動をしていない。
これだけの作曲家が多くの楽曲を残せなかったことは何とももったいない、という見方もできるが、ボロディンは化学者としても後世に名を残しており、極めて多才であったということができる。
化学者ボロディンの発見についても調べてみよう。

ハンスディーカー反応 (ボロディン反応)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E5%8F%8D%E5%BF%9C

ハンスディーカー反応とは、有機化学における化学反応の一種で、カルボン酸の銀塩 (RCO2Ag) に臭素 (Br2) を作用させ、有機臭素化物 (RBr) を得る反応である。ロシアのアレクサンドル・ボロディンにちなみ、ボロディン反応 (Borodin reaction) とも呼ばれる。


アルドール反応
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%8F%8D%E5%BF%9C

アルドール反応はα位に水素を持つカルボニル化合物が、アルデヒドまたはケトンと反応してβ-ヒドロキシカルボニル化合物が生成する反応で、求核付加反応のひとつ。 アルデヒド同士がこの反応を起こすとアルドールを生成することから、この名で呼ばれる。 『韃靼人の踊り』で有名な歌劇『イーゴリ公』を作曲したアレクサンドル・ボロディンが最初に発見したと考えられている。



ちなみに「求核付加反応」というのは、「化合物に求核剤が付加することによってπ 結合が解裂し、新たに2つの共有結合が生成する反応」だそうだが、「求核剤」も「π 結合」もわからないので調べれば調べるほど深みに嵌る。
よくわかったのはボロディンが化学者としてもすごかったということである。人類史上にはこのようなすごいマルチタレントがいることを改めて思い知らされた。



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