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国宝は文字どおり国の宝であるが、具体的には近代以降の日本において文化史的・学術的価値が極めて高いものとして法令に基づき指定された有形文化財のことである。
日本の文化財保護法によって国が指定した有形文化財のうち、世界文化の見地から価値の高いもので類いない国民の宝たるものであるとして、国 (=文部科学大臣) が指定する。
カテゴリーは大きくは「建造物」と「美術品」、そして美術品には絵画、彫刻、工芸品、書跡・典籍、古文書、考古資料、歴史資料がある。

現時点で国宝に指定されているのは以下のように1,131件 (2022年10月1日現在)だ。



さて現在の文化保護法は1950年に施行されたもので、それ以前と以後では「国宝」の扱いは大きく異なっている。

国宝 「旧国宝」と「新国宝」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%9D#%E3%80%8C%E6%97%A7%E5%9B%BD%E5%AE%9D%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E6%96%B0%E5%9B%BD%E5%AE%9D%E3%80%8D

文化財保護法施行以前の旧法では「国宝」と「重要文化財」の区別はなく、国指定の有形文化財 (美術工芸品および建造物) はすべて「国宝」と称されていた。

従来の「国宝」は1950年時点で宝物類 (美術工芸品) 5,824件、建造物1,059件に及んだ。これらの指定物件 (いわゆる「旧国宝」) は文化財保護法施行の日である1950年8月29日付けをもってすべて「重要文化財」に指定されたものと見なされ、その「重要文化財」の中から「世界文化の見地から価値の高いもの」で「たぐいない国民の宝」たるものがあらためて「国宝」に指定されることとなった。混同を避けるため旧法上の国宝を「旧国宝」、文化財保護法上の国宝を「新国宝」と通称することがある。
文化財保護法による、いわゆる「新国宝」の初の指定は1951年6月9日付けで実施された。


すなわち現行制度下の最初の国宝は1951年6月9日付で登録されたものということになる。
「建造物」では以下の38件が該当する。さすがに有名な建造物が並ぶ。



「美術品」では143件が該当する。リストは割愛する。

さて、国宝には各カテゴリーで 「指定番号(登録番号)」 というものが存在する。 
これは国土行政区画による都道府県順に並べられたもので、国宝の時代順でもなく、ましてや国宝の価値順ではない。
一方で建造物のリストでわかるように欠番もあるし、日光東照宮などは遅めの番号になっているし、かなり飛んだ番号も存在したりする。
原則は北に位置するというだけであまり規則性はなさそうだが、せっかくなので各カテゴリーで指定番号00001の国宝をリストしてみよう。



建造物は「中尊寺金色堂」 (ちゅうそんじこんじきどう、岩手県平泉町) で、平安時代後期建立の仏堂である。
1124年に奥州藤原氏初代の藤原清衡が建立したもので、平安時代の代表的な浄土教建築である。



絵画は「絹本著色普賢菩薩像」 (けんぽんちゃくしょくふげんぼさつぞう、東京国立博物館) で、平安時代の絵画だ。
密教を唐に定着させた不空金剛の訳による「千手観音大悲心陀羅尼経」を元に描かれるが、胎蔵界曼荼羅の影響も受けているとのことだ。



彫刻は「木造弥勒菩薩半跏像」 (もくぞうみろくぼさつはんかぞう、京都・広隆寺) で飛鳥時代の彫刻だ。
作風等から朝鮮半島からの渡来像であるとする説、日本で制作されたとする説、朝鮮半島から渡来した霊木を日本で彫刻したとする説があり、決着を見ていない。朝鮮半島からの渡来仏だとする説からは、「日本書紀」に記される、西暦603年に聖徳太子が譲り受けた仏像、または623年に新羅から請来された仏像のどちらかがこの像に当たるのではないかと言われている。



工芸品は「太刀 〈銘長光(大般若長光)〉」 (たち <めいながみつ (だいはんにゃながみつ)>、東京国立博物館) で、鎌倉時代の工芸品だ。
足利義輝より三好長慶を経て、織田信長が所持し、姉川合戦に功績のあった徳川家康に贈られ、その後、長篠の戦功により奥平信昌に与えられた。
「大般若」と号し、室町時代以来の大名物として名高い備前長船 (岡山県) の刀工・長光の傑作である。



書跡・典籍は「圜悟克勤墨蹟〈印可状〉」 (えんごこくごんぼくせき、東京国立博物館) で、1124年の中国の作品だ。
中国・北宋時代の禅僧である圜悟克勤が弟子に与えた印可状の前半部分で、現存する墨蹟 (禅僧の筆跡) として最古のものである。この墨蹟が桐の筒に入って薩摩の坊ノ津海岸に漂着したという言い伝えから、「流れ圜悟 (ながれえんご)」と呼ばれている。



考古資料では「袈裟襷文銅鐸〈伝讃岐国出土〉」 (けさだすきもんどうたく、東京国立博物館) で、1124年の作品だ。弥生時代の資料だ。
江戸時代に讃岐国で発見されたと伝える銅鐸で、僧侶の袈裟襷の模様に似ていることから、この名前がついた。
絵画は、トンボ、イモリ、シカを射る人、工字型の道具を持つ人などが描かれている。弥生時代の農耕社会や生活環境を知るうえで貴重な資料であるが、その解釈についてはさまざまな説がある。



ということでこれらが「現行制度下で最初に登録された指定番号00001の国宝」となる。繰り返しだが国宝第1号という意味ではない。

ちなみに、古文書カテゴリーの指定番号00001は「海部氏系図」 (あまべしけいず、京都府個人所蔵) で1976年6月5日に指定されたもの、また歴史資料カテゴリーは「慶長遣欧使節関係資料」(けいちょうけんおうしせつかんけいしりょう、仙台市博物館) で2001年6月22日に指定されたものだ。

重要文化財も含めて有形文化財はいずれも他に代えられない価値を持っており順位などないが、指定番号をきっかけに多くの文化財に親しむ人がいてもいいのではないか、と思う。


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