スマイリー渡辺 ぶろぐ(すまいる a )

私の音楽活動と趣味生活を皆さんと分け合って楽しみたい!(出来事も!!!)

再会(空の上の両親へ)第9話

2006年07月24日 21時19分58秒 | Weblog
 私達はとにかく救われたと、感謝しました。施設の方々、神様、仏様。みんなに感謝でした。
 父も母も今の所は安定してましたし、それは時々病院や施設に呼ばれて経過報告やら、現状、病状、などの報告は受けましたけど。私と兄はとりあえず普通の生活に戻れました。
 兄は、仕事の関係上、栃木に単身赴任することとなりまして、その準備に追われていました。私も微力ながら引っ越しの手伝いをしました。東北の田舎町からは5時間はタップリかかりましたね。
 私は、今まで兄夫婦と3人での面会ツアーを毎週やってきましたが、これからは兄にあまり負担をかけたくなかったので、一人で行く決心をしていました。しかし兄は予定が無い限り毎週のように帰って来て一緒に面会ツアーをしてくれました。高速料金だって馬鹿にならないと思うのに、とてもありがたかったです。感謝、感謝です。
 そうこうしているうちに、5年ぐらい経っていたと思います。安心しきっていた私達にまた思わぬ事が起きてしまいました。
兄が会社の定期検診で肺にくもりがあるから、精密検査を進められたと言うのでした。
「え!! また兄が!」
それから2週間後に検査結果がでました。
「悪性の腫瘍です。」
「ただし、早期なので今のうちなら70%完治します。」とのことでした。肺がんでした。
「私達家族は、何か悪い事しましたか? どうして私達家族だけにこのような試練を与えるのですか。」
そう言いざるをえなかたです。
「とにかく、治る確率が高いうちに手術したほうがいいよ。退院するまでは私が父と母の面倒は看るから。早く治してちょ。」そう言う事しか言えませんでした。兄はかなり落ち込んでいましたから。
 兄は何も言いませんでした。

再会(空の上の両親へ)第8話

2006年07月23日 22時23分56秒 | Weblog
 母は、その老人ホームにお願いする事になりました。施設の職員さん達もとても親切で、一生懸命介護をしてくれていました。
私たちもとても安心して任せられると、確信が持てるようになっていました。いつの間にか、週一の面会も私たちの生活の一部になっていました。洗濯物を届けて、そして洗濯物を持ち帰ってくる。そういった行動が、普通の生活になっていました。
 この施設は、家族の絆が疎遠にならないように、必ず洗濯物は家族の人が持ち帰り洗濯するか、施設の中で洗濯をしてもらうようにしていました。とても良いアイデアだと思いました。実際、市立の施設などはすべて施設の方でやってくれるために、家族が面会に来る回数が極端に少なくなっているとの話は聞いていましたから。
 そうこうしているうちに、3ヶ月が過ぎようとしていました。なんにも対策がとられてない状況で。私と兄は焦っていました。
焦ってはみても対策が見つかる訳も無く、役所は当てにならない事も分かっていましたから、途方にくれていました。
 私と兄は、開き直って「もう、この施設に延長してもらえないか頼んでみよう。」と、言う事にしました。それで、施設の方と話せる機会があったので、その事を駄目もとで話してみました。すると向こうからの返事は、
「状況は分かります。実際お母さんを見てますと、このような状況で家族の人がこれから、先の見えない介護をして行くのは到底無理なのでは、と言う結論が私たちスタッフの中でも聞かれました。そこで、家族の方が宜しければこのまま3ヶ月延長させてもらっても宜しいですか。」との答えが返って来たのです。私達は、願っても無いことでした。その続きがありまして、
「3ヶ月と申しましたが、正直お母さんはこれから回復することは、ほとんど無いかもしれません。ですので状況を見まして、自動更新と言う形をとられたらどうでしょうか?」との言葉も頂きました。私達にとっては願ってもないことでした。
 このブログを見ている人で、このような会話は許せないと思う人もいるかもしれません。しかし、実際このような状況に置かれた家族はとにかく自分たちの生活を守る事が、一番なのです。
 私達はとにかく職を無くさなくてすみました。