スマイリー渡辺 ぶろぐ(すまいる a )

私の音楽活動と趣味生活を皆さんと分け合って楽しみたい!(出来事も!!!)

再会(空の上の両親へ)この曲を作った訳

2007年01月31日 23時43分39秒 | Weblog
再会(空の上の両親へ)と言う曲を作ったキッカケをお話したいと思います。
 この曲は2005年11月に作りました。父の四十九日までに作りました。私の両親も皆さんと同じように、この世に存在し、子育てをし、人並みに生活し、そしてあの世へと召されて逝きました。私の記憶の中の両親は、苦労の絶えることのない人生だったように思えます。それでも二人はいつも笑って過ごしていた様にも感じました。いつも大声で笑っていました。
 そんな二人に襲いかかったのが、父の病気でした。近くの病院で原因が分からず、大学病院に行って分かったのが「筋緊張性ジストロフィー」と言う病名でした。俗に言う「筋ジストロフィー」です。体中の筋肉が硬直して行く病気でした。そんな父を付きっ切りで看病したのが母です。やはり母は笑って父を看病して行きました。そんな母にも異変が起きたのです。身体の震えが止まらなくなり、倒れこみました。「脳梗塞」でした。二人を襲った病、今でも怨んでいます。どうして苦労のしっぱなしの二人に、これからの余暇を楽しむチャンスも与えてくれなかったのか?凄く怨みました。そして、7年の闘病生活にピリオドを打ったのが父でなく、母でした。婆の看病に7年、伯母の看病に5年、そして父の看病に2年、そして自分が看病される立場に。
「昭和9年9月9日生まれだから一生苦労しなきゃいけないな。」と、口癖のように言っていた母は、その通りの人生になってしましました。
 母の葬儀に父は病院から一時帰宅を許してもらい、自由のきかない身体で参列しました。と言っても、母の顔を見て線香をあげ、そして用意したベッドで休む事くらいしか出来ませんが。
 そうやって頑張った父でしたが、やはり母の死はもの凄くショックだったようで、日々弱って行くのが分かりました。だって、自分を看病してくれた母が自分より先にあの世へと旅立ったわけですから。そのショックは計り知れないと思います。
 そして、一年後父も旅立ちました。亡くなる一週間前に私に残した言葉があります。私の手のひらに、
「シ・ニ・タ・ク・ナ・イ!」・・・・と、書きました。
何も言ってやれませんでした。言葉が出てきませんでした。
 そんな二人がこの世に残していった事は、”優しさ”でした。
 あの世では皆、病気も無くなり元気になれると聞きます。両親がヤット自由になれたのかな、病気ともサヨナラ出来たのかな。そんな思いからこの曲は出来ました。
 この思いを皆さんにも聞いて頂きたいと思います。そして、もし宜しければ、コメントもお願いいたします。今後の活動の目標にして行きたいと考えております。

再会(空の上の両親へ)
無料ダウンロードアドレスです。
http://www.muzie.co.jp/download/183277/songs343/saikai.mp3