スマイリー渡辺 ぶろぐ(すまいる a )

私の音楽活動と趣味生活を皆さんと分け合って楽しみたい!(出来事も!!!)

再会 第5話

2006年04月08日 00時21分01秒 | Weblog
 その頃、私は母の介護生活をスタートさせていました。母は病状も安定してきたために、病院を退院して自宅での療養になっていました。とは言うものの、母は寝たきりをよぎなくされていました。
 朝は5時に起床。母のおむつ交換から始まり、食事の世話、歯磨き、体拭き、と、忙しく体を動かし、7時30分に出勤。午前中仕事をして、昼時間は家に帰り、食事の世話、おむつ交換。1時間の休憩時間は往復の時間を考えると35分くらいが勝負でした。その頃勤めていた会社には大変迷惑をかけていました。しかし、会社のみんなの協力の中、私は精一杯頑張ってこれました。大変感謝しています。そして夕方は5時で退社させてもらい家に帰ります。おむつ交換、食事の準備と、食事の世話、それが終わったら、母を風呂に入れて体を洗って、服を着替えさせます。介護をやった事のある人は、この大変さは、お分かりかと思いますが、今考えると信じられないほど体は動いていました。
 ここまでは、介護をやった事のない人でも想像は出来ると思いますが、実はこれからが病人と介護人との格闘が始まるのです。今まで自由に体を動かして来た人が、急に自分の体が思うように動かないのです。動かせないのです。そのいら立ちは介護人である私たちに向けられるのです。10分置き、いや、5分置きに呼ばれて行ってみると、お尻が痛いとか、手が痛いとか、オシッコしたからオムツ交換してくれとか、本当に些細な事で呼ばれるのです。それも一晩中です。私の寝る時間など関係ないかのように、呼びつけます。トータルで考えても、2~3時間の睡眠だったと思います。そんな事やっていて外が明るくなっているのは、ほとんど毎日でした。その日も仕事があるので、そのまま出社してました。
 あまりにもわがまますぎる母を、スリッパで殴ってしまって事すらありました。こんな事を約1年間やっていました。その間に兄も退院できて、そんな体で私を助けてくれました。週3回は家に来てくれて、私の代わりに母を見てくれました。とても嬉しかったのを、今でもはっきり憶えています。その3日間はジックリ寝かせてもらいました。