宗ちゃんの備忘録

ソフトテニス愛好者です。ソフトテニスなどに関する思いつくままの記憶に留める日記です。

西日本シニア選手権大会と山口西部の名所を訪ねて

2023年07月11日 | 日記
 6月24・25日に宇部市で開催された「西日本シニア選手権大会」に参加しました。残念ながら予選リーグ敗退となりました。(写真は男子開会式)
 この機会にと、テニス仲間4人で、山口県の西地区の名所を訪ねました。初日は秋吉台を訪ねました。
 秋吉台の緑と石灰岩の織りなす壮大な台地は見事でした。
 その日の宿泊は萩市、夕方までに市内の名所を散策しました。吉田松蔭幽囚の旧宅、松下村塾を訪ねました。
 吉田松陰幽囚の旧宅

   
   松下村塾

 松蔭は、幕末の1854年に海外渡航に失敗して捕らえられ、やがて実家で謹慎生活を送りました東側の3畳半の間で孟子などを講じ、それを聞きに若者が集まるようになりました。師弟が増えたので、杉家の納屋を塾舎に改修し、教えの場を松下村塾に移したのでした。
 西へ向かい、城下町を巡りました。萩市街は松本川と橋本川にはさまれた三角州に開けています。三角州には白壁となまこ壁が美しい菊屋横町や、黒板塀が続く江戸屋横町など、城下町の風情が感じられます。
 さらに西に歩いて総門を過ぎると、そこは藩政時代の旧萩城三の丸です。



 
 萩は日本海に面し、魚介が豊富です。宿の近くの居酒屋で、美味しい魚をいただきました。美味しさに誘われて、少し飲み過ぎましたかな。
 翌日は「元乃隅神社(もとのすみじんじゃ)」に行きました。元乃隅神社は赤鳥居が海に向かって並ぶ絶景神社です。この神社は、昭和30年に、地域の網元であった岡村斉(おかむらひとし)さんの枕元に現れた白狐のお告げにより建立されタとのことです。昭和62年から10年間かけて奉納された123基の鳥居が100m以上にわたって並ぶ景色はまさに圧巻!。

 次に、名所の一つである「角島大橋(つのしまおおはし)」向かいました。角島大橋は、山口県下関市豊北町神田と同市豊北町角島間の海士ヶ瀬戸に架かる橋で、全長1780メートルあります。
 


 角島で、海鮮丼と瓦そばの昼食を摂りました。セットのランチは高かったが、特に海鮮丼が美味しかったです。
近くの道の駅で、土産の酒とサザエを購入して、600㎞近くある長い帰路につきました。旅につきあっていただいた、三人の方に感謝します。


第62回全国超壮年親善ソフトテニス大会 まだまだ元気!!

2023年05月09日 | 日記
 第62回全国超壮年親善ソフトテニス大会が、恒例の5月3日(水祝)に開催されました。50歳代から80歳代の224名(112ペア)の選手が参加し、快晴のもと、熱戦が繰り広げられました。
 大会では、85歳以上で参加された5名の選手に「寿賞」が授与されました。みなさん、お元気にテニスを続けられていますが、今後も健康に留意されご活躍されることをお祈りします。まに近畿二府四県以外から参加された18名の選手に「遠来賞」が授与されました。東は埼玉、東京、山梨、神奈川の首都圏から、西は山口県、四国・愛媛県、高知県からも参加していただきました。
 大会は、50歳以上から5歳区切りの80歳以上まで、7種目で、予選リーグ、決勝トーナメントなどで競われました。
 参加していただきました選手のみなさんありがとうございました。また、大会運営に携わっていただいたスタッフのみなさんに感謝申し上げます。後援いただいた「東大阪市」、協賛いただいた「株式会社ゴーセン」、「ナガセケンコー株式会社」、「株式会社ルーセント」に御礼申し上げます。
 次回も盛大に開催できますように努力しますので、今後もよろしくお願いします。

各種目の優勝ペア
竹内杯一部(50歳以上) 冨山・益田ペア(橿原クラブ)

竹内杯二部(55歳以上) 錦野・佐々木ペア(吹田クラブ・堺STA)

藤沢杯一部(60歳以上) 片山・安藤ペア(愛知・西尾STA)

藤沢杯二部(65歳以上) 毛利・東ペア(愛媛・鬼北クラブ・芦屋クラブ)

馬嶋杯(70歳以上) 小早川・高原ペア(橿原クラブ・八尾市STA)

和田杯一部(75歳以上) 高橋・東ペア(枚方市STA・堺STA)

和田杯二部(80歳以上) 水津・宮本ペア(二条クラブ・大阪OB軟庭会)
※結果の詳細は東大阪市ソフトテニス協会のホームページをご覧下さい。           http://hosta-munehira.com 

多種多様な江戸絵画の豊潤な世界 細見コレクション

2023年02月26日 | 日記
京都東山の平安神宮の近くにある「細見美術館」(写真)に「細見コレクション 江戸時代の絵画」展を観に行ってきました。

 最近、江戸絵画が人気です。近年、江戸時代は非常に個性的な絵師がひしめいていた時代であったことが明らかになっています。伊藤若冲の大人気から、狩野派の再評価も行われ、鈴木其一、中村芳中らも注目されました。

 細見美術館は、細見亮市(古香庵)、實、良行の三代にわたる収集品を蔵しています。細見古香庵は、明治34年、兵庫県但馬で生まれ、13歳で大阪へ出て毛織物業に従事し、大正13年に24歳で独立して事業を興した人です。初代古香庵が収集したのは仏教絵画や仏具、銅鏡などでありました。二代の細見實が江戸絵画に着目し、数多くの貴重な江戸絵画を収集しています。今回の展示はこの江戸の絵画が中心でした。
 小澤華獄「ちょうちょう踊り図屏風」、鈴木其一「水辺家鴨図屏風」、椿椿山「花卉虫魚図画帖」、伊藤若冲「雪中雄鶏図」、葛飾北斎「五美人図」、酒井抱一「雪中檜小禽図」森狙仙「猿図」、中村芳中「立葵図扇面」、土佐光吉『源氏物語図色紙「初音」』などなど、多くの江戸絵画を堪能しました。
 その後、時間が合ったので、疎水沿いに鴨川に向かいました。途中、夷川発電所があります。煉瓦造りの夷川発電所は大正3年(1914年)に建設されて以来、長期にわたって、京都市内に電力を送電しています。

 鴨川沿いを歩いて北上し、下鴨神社を訪ねました。



 下鴨神社では、節分祭が行われておりました。コロナの影響で、豆撒きが今年も中止になったとのことで、「厄除け豆」「福豆」が置かれており、「ご自由に持参下さい」と書かれています。少しの賽銭を納めて、1個ずつを持ち帰りました。ここでは自分の干支ごとの社があり、亥の社に参拝しました。


奈良町(ならまち)を散策

2022年12月31日 | 日記
 テニス仲間と奈良町を散策しました。まずは興福寺と猿沢池、久し振りに訪れました。遙か昔の中学生の修学旅行で訪れたことを思い出しました。

 
 次いで目指すは、世界遺産の元興寺(がんごうじ)です。国宝・極楽堂ー曼荼羅堂、国宝・禅室-僧坊、国宝・五重小塔や重要文化財が多くあります。

 国宝・極楽堂

極楽堂、禅室の屋根には、日本最古の瓦があります。

 元興寺は、その前身が飛鳥寺であり、元明天皇の和銅3年(710)、奈良に都が移されると、飛鳥寺も養老2年(718)に新京に移されて、寺名を法興寺(飛鳥寺)から元興寺に改められました。
 昼食は、クラフトブルワリー・ビヤバー(なら麦酒ならまち醸造所)で摂ることに。クラフトビールはこの店の定番の「ならまちエール」と「玄(kuro)」の2種類を飲み比べてみました。定番といわれるだけに「ならまちエール」が大変美味でした。
 食後は、御魂神社、法徳寺、十輪院などを訪ねながら町並みを散策し、「ならまち格子の家」に入りました。ならまちの商家で奥に長い建物で、一番奥には蔵がありました。



 「ならまち」は奈良の旧市街地、特に元興寺の旧境内を中心とした一帯を指します。その歴史は元興寺や興福寺の門前町だった奈良時代に始まり、その後も発展を続け、近世以降は奈良を代表する商業地になりました。
 今回の散策は、その面影、雰囲気を堪能することができました。


 散策の後は渇いた喉を潤しながら、談笑して、奈良町を後にしました。




東海道四谷怪談

2022年09月11日 | 日記
 日本三大幽霊は、「四谷怪談」の「お岩さん」、「番町皿屋敷」「播州皿屋敷」の「お菊さん」、「牡丹灯籠」の「お露さん」です。
 先日、前進座の公演「東海道四谷怪談」(鶴屋南北作)を観劇してきました。これまで前進座の公演を何回か観劇しましたが、恋愛ものなど結構楽しい物語でした。今回は「怪談」で、雰囲気が違います。迫力ある場面が多く、緊張しましたし、違う意味で楽しむことができました。
  迫力ある場面の一つは、民谷伊右衛門と復縁し、子を産んだお岩は産後の肥立ちが悪く病気がちになっていきます。そこへ燐家の伊藤家からお見舞いの薬が届きます。しかし、この薬は顔が醜く変わる毒薬だったのです。薬を飲んだ小岩は、伊藤家を恨みながら悶絶死します。このときの「髪梳き」から悶絶死する場面です。
 もう一つは、伊右衛門は民谷家の毒薬ソウセキを盗んだ小仏小平を殺害し、一枚の戸板に裏表にお岩と小平を張りつけて川に流します。伊右衛門が砂町隠亡(オンボ)堀で釣りをしているとその戸板が浮かび上がり、お岩は恨みを述べて伊右衛門を苦しめます(「戸板返し」の場面)。
 最後は、お岩が伊右衛門を恨みたおし、そしてお袖が仇討ちをする場面です。暮れ六つの鐘が鳴り、伊右衛門は門口に出て流れ灌頂に向かって水を掛けると、雪しきりに降りかかり、お岩が腰から下は血に染まった産女の姿で赤子を抱いて現れます。じたじたとする伊右衛門を雪の上から庵室へと追い詰め、伊右衛門に赤子を差し出します。しかし、赤子はたちまち石地蔵に変わります。お岩は伊右衛門の母親お熊の喉を食い切って殺します。伊右衛門はお岩に斬りかかるが、空を切るのみ。お袖の夫である佐藤与茂七が「民谷伊右衛門、ここ、動くな」。女房お袖の姉、お岩の仇討ちの助太刀に駆けつけた与茂七でした。お岩の幽霊は伊右衛門の白刃にまとわりつき、お袖は伊右衛門に切りつけ仇の望みを達成する。
 余談ですが、一緒に観劇していた先輩が、幕間に「お岩の醜くなった顔は右目がつぶれているが、公演案内のチラシ(後掲)では右目は綺麗で左目が髪に隠れて見にくくなっている」と何度も訴えるのであった。
 後日、もう一人の先輩が、前進座に疑問を問うたところ、チラシでは毒薬により醜くなる前の写真を採用したとのことでした。案内チラシが醜いのは避けたとのことです。前進座の方は「そんなに細部にわたり熱心に観ていただきありがとうございます。」とのことでした。少々うるさい先輩です。