思うままに....
感じるままに....
JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。
扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記



久しぶりにLog inしてみました....................................

本当に久しぶりで何からかいたら良いのか分からないぐらいです。
しかし書くことは山のようにありますね。
人間生活を送っていると書くネタに困りません。

「それでも生きていく」というドラマがありました。
いろいろと思うところがあり、犯罪者の被害者家族、加害者家族が如何に壊滅的な状況になるのかが描かれていました。
放送されている当事はわたしももの凄く根暗な状態にあり、自分の全てを否定している状態でした。

ところが鬱病から回復傾向にあります。
というより思考のパラダイムシフトが沢山の所で起こり、

自分自身の考え方全てが間違っている

という考え方が根本的に間違っているのを理解するようになりました。

そもそも私の方が正しいことの方が多かったんですよね。
それを周りの人間が私の特質的に否定しやすかったというのが分かります。
多くの人間が寄って集って否定されているような心理状態でした。

よくよく考えてみると周りの人間が如何に物事の”今”しか見えていないかを理解できるようにもなりました。
多くの考えというのは瞬間的なモノであり、突発的なモノです。
論理的ではなく、一瞬の感情的なモノでしかないのです。

私の考えというのは一貫して論理的に考えてでなければ結論を出しません。
これが長く時間のかかる方法で私自身に負担が掛かろうが関係有りません。
自分が正しいと思うことを信じることが大切なのだと思えるようにもなりましたしね。
他の人がどうこう言うのは確かに大切なのかも知れません。
そして命に関わること、不完全さ故の弱さから出る罪的傾向に関わることなどは確かに助言や警告、教えに従わねばならない部分は大きいでしょう。
ただそれ以外の自由なところと言うのは自分のSenseを信じて

「自分自身のやりたいようにやる」

というのが一番良いようです。

「自分自身を押し殺して、自分自身を犠牲にして生きる」

のが美しいのではなく

「自分自身が遣りたいから、

”自分自身を押し殺して、自分自身を犠牲にして生きるのと同じことを”

自分自身のやりたいように生きる」

のが美しい在り方なのだと言うことを知ることが出来るようになりました。
それと遣り過ぎは美しくありません。
何事もほどほどか殆どせず、少しだけする方が

「自分の価値を高める」

というのも理解できるようになりました。
これは大きかったですね。

私が目指すのは「孤高の紳士」にしようと今、頑張っているところですね。
今日からはちょくちょくBlogの更新もやっていこうと思います。

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