昨日の自分の書き込みをみて我が目を疑ってしまいました...........
自分が書いた記事だとは思えないほど自分に自信があったようで、かなり驚いています。(笑)
これは積極的な見方だと見ればいいのか、傲慢な考え方と見た方が良いのか、よ~く考えました。
結論は昨日はどうかしていました。
傲慢すぎるぞ........おいらよ......
自分の立場をよく考えなければ行けないな~と自分を戒めています。
しかし今日は少し町の方に出ていろいろと見てきました。
やはりおいらは親元にいるということで甘えがある事がわかりましたし、親の意見に左右されすぎているようにも感じます。
確かに親の意見を良く聞くことは子供としては正しいことです。
でも30にもなって親に意見を聞くというのも大人げないですよね。
自分で決定して自分でお金を稼がなければならないと感じました。
加えて親に干渉されることによっておいらのクリエイティブな面が、かなり抑圧されていることも良く感じます。
親としては良かれと思ってやっているのでしょうが、おいらのできないことばかりに目を向けるのではなくてできることを見て貰いたいと感じます。
人間誰しも良いところがあり悪いところもあります。
そして人間の目に付きやすいのは悪いところです。
どんな人間でも悪いところと言うのは100パーセントあります。
これは聖人君子と謳われる人たちも例に漏れずあったはずなのです。
人間としては一人しか完璧な人間は存在しませんでした。
このことはしょっちゅう書いているので端折ります。
目に付いた悪いところと言うのはすぐに正したいのが人間です。
また可能性をつぶしてしまう事も悪ですよね。
おいらはとにかく納得できるモノや仕事を得たいのです。
現状では納得できる仕事量がありませんし、知識も中途半端で最善を尽くしているのかと言われると「尽くしていない」と言い切れてしまいます。
こんな仕方で仕事をするのは不本意です。
仕事を納得できる方法でするには知識が必要です。
そして知識の絶対量により仕事の顧客満足度を「上げる or 下げる」かを左右することを感じます。
おいらは受験勉強の勉強の仕方で今の仕事の現状を乗り切っている感があります。
受験勉強の仕方というのは「ここが出るよ。」と先生が言ったところだけを覚えてすべてを網羅していないのが特徴です。
そして、ポイントを覚えておけば受験というのはほとんどの人は確かに受かります。
でもおいらはそんな仕事の仕方はしたくないのです。
知識のベースというのを増やして、もっと様々な仕事の仕方を学びたいのです。
他の人から見れば「仕事をする権利を持っていてなぜ無駄なことをするのか?」と感じるかもしれません。
でも知識のベースの拡大というのは消して無駄ではありません。
知識というのはパズルに例えることができるかもしれません。
この例えは父上が聖書の知識のことをパズルに例えたことから使わせて頂きました。
人間的な考えでも多少は通ずるモノがあると感じます。
そしてすべてを網羅したときに個々の意味が繋がっており、消して無駄にはならないことを理解することになると思うのです。
ひとつひとつを学んでいる時は「なぜこのことを学ばなければならないのか?」と感じるのかもしれません。
実際においらは今でも学んでいることの意味を考えることを良く黙想するようにしています。
またある基準に達すると今まで学んできたことを再度見たり聞いたりすることがあるかもしれません。
そのときにベースとなる知識であることが解るはずです。
上の人の考えを下の人は理解できませんが、下の人の考えは上の人は解るはずです。
「経験した人にしか解らない」という言葉を様々な分野で良く聞きます。
というより鬱という病気に関しては全く持って経験しなければ理解不可能な病気です。
まあおいらは鬱経験者であり、今でも継続的に煩っていますので特にこの分野の事を良く見聞きします、
自然と気になるんですな。
経験者は語ります。
ある基準を満たすといくつかの「壁」乗り越え自分のスキルやレベルがアップしていることが解るでしょう。
偉そうなことを書いていますが、これはおいらの経験ではなくリサーチした結果です。
おいらも自分がレベルアップしていることを自覚できるぐらいにハイレベルなモノを手にしたいな~.......
おいらは人間です。
間違ったことをしますし......というより間違ったことしかしないので昨日の書き込みはそのままにしておきます。
こっちは訂正と言うことにしておきます。
でも昨日の記事はおいらの今最も目指している夢なので機材などへの考えは書いてある通りです。
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