思うままに....
感じるままに....
JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。
扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記



写真を撮るというのは敷居が高いとよく考えられています..........

デジタル化が進んだ昨今にあってこの考え方を変えていく必要があると思います。
デジタルカメラというのは確かに高く初期投資というのは大変大きいモノです。
余り撮らない人にとってはこんなに高いのであれば「今まで通りフィルムで十分」だと考えがちです。
「写りの良さではフィルムの方が良い」というのは確かに間違いではありません。
しかしデジタルカメラも日々進歩し、確実にはき出す写真のクオリティというのは良くなっているのです。
悪いから使わないというのであれば、「写ルンです」を用いて記念写真を撮る事になぜ違和感を感じないのでしょうか?
確かに「写ルンです」は一昔前はどこでも売っていて、その場しのぎに良くなりました。
これはフィルムの話ですな。
んで携帯電話のカメラ機能というのも日々進歩してきました。
今は「写ルンです」は余り見かけなくなったのはこの携帯のカメラ機能が充実して需要が無くなった事が大きいのでしょう。
しかし携帯のカメラというのは妥協点が非常に多く本当に撮りたい写真は撮れないことが多いのです。
写真を知っている人にとっては本当に写真を撮っているという感覚を味わえない事も問題になっているようですし。実際に普通の人でも「携帯電話のカメラ機能であれば何を撮っても良い」という感覚の人が多くなってきているように感じます。
「写真を撮っている」というよりは「携帯電話を使っている」という気持ちの方が強いのでたちが悪いと言えます。
非常にマナーが低下しているんですな。

おいらは今年の半ばぐらいにおばあちゃんを亡くしました。
そして先日テレビで「亡くなった人の写真を撮るのはどうか?」という討論がされていました。
一眼タイプなどの「本当に撮りたい」とか「残しておきたい」という気持ちで撮られる人は別に良いと思うという意見がありましたが、携帯電話のカメラ機能で「とりあえず撮っておこう」という感じの撮り方をする人がすごく増えているということが言われていました。
おいらは別に死んだら人だった物質は「その人ではなくなる」という考えがありますのでカメラを持って行きましたが撮ろうとは思いませんでした。
また世間でも亡くなった人を撮ることはその人に失礼なことだとされています。
親族なら良いようですけどね。
まあ昔の事を書くと、デスマスクをとったり、人ではなくなった身体を着飾らせて綺麗にして写真を撮るという習慣が欧米やヨーロッパにあったようですがね。
人として正しいことなのかを考えるとすぐに解りますよね。
人を無感動の内に写真に納めることというのは失礼極まりないことです。
ただ記念だからとか、こんな事はそうそう無いから等の低劣な基準で写真を撮るなんておいらの基準では許せません。
熱くなってしまいましたな.......
これはおいらの基準ですので気にしないでください。(ここまで書いておいて何を言うか!!・爆)

話を変えます。

携帯電話の画素数が多くなったから「綺麗に写る」と考える人が多くいます。

確かにこの考え方は間違いではありません。
しかし

こんなに携帯電話のデジタルカメラが高性能になっているのになぜ一眼タイプが未だにあるのか?

とか

携帯電話のカメラの方が画素数が多かったりするのでデジタルカメラの存在意義に疑問を感じる

と思いませんか?
これにはちゃーんと理由があります。
前にも同じ事を書いた覚えがあるな~.......
最近同じ事を言っている事も多いのでおいらも年だということですな。(笑)

携帯電話というのは受光素子が非常に小さいことは解りますよね。
受光素子というのは光の情報をデータに変換する装置でCCDとかCMOSと呼ばれています。
そしてこの受光素子が大きければ大きいほどデータ量が多く得られるんです。
コップに例えると携帯電話は「おちょこ」であるのに対し、一眼タイプは「ビールジョッキ」と言えるかもしれません。
よって簡単に書くと一眼タイプの受光素子の方が
・余裕があり
・データ量が豊か
・階調も豊か
等の特典が付いてきます。
またRAW撮影ができるということも大きいですな。
これは使わないと魅力は解らないと思います。
まあおいらの一昔前の知識ですので間違っているかもしれませんがね。


写真の撮り方と撮られ方についても書こうと思います。

まず声を大にしていいたいのは

「写真というのは身構えて撮るのでも身構えて撮られるのでもない」

ということです。
確かに記念写真などで絶対に目を開けておかなければならないときは別ですが、そんな写真でも目をつぶっている人というのは目立ちますよね。
これは見方を変えるとある意味おいしいですよ。
薦めるつもりはさらさらありませんが、同じ写真を何枚か撮られるのであればわざと目をつぶって撮るのも面白いな~と思うんです。(笑)
みんなが目をつぶっている写真って余りないですからね~。
結婚式の写真であれば新郎新婦だけ目を開けて撮るのも面白い試みだと思うのです。

おいらが今回薦めたいのは記念写真でもありのままで写ることです。

またスナップなどを撮るときというのは気構えられると困ることが良くあります。
意識されると撮ろうという気がなくなるんですな。
まあこのごろは○老が引っ越すことになりましたので自然な成員を撮りたいと考えているのですが、若い人は気構えてしまってなかなか撮ることができません。

硬い表情というのは写真を見ていると若いときが多いですよね。
「気合いが入っている」という言い方の方が解りやすいでしょうか。
んでそのような写真というのはカメラを意識し過ぎていますから同じ表情が量産されるかもしれません。

だから写り方がワンパターンになり、写真の撮り方の幅が極減するんですな。
これは撮り手であるおいらから見たコメントです。

人によっては最も美しい撮られ方と研究し、「この角度ならこの表情」と決めておられる人も多く感じます。
でもそのような撮られ方というのはリアリティに欠けますよね。
写真というのは「生活感」が出ている方がよりいっそう愛着がわくモノです。
これは写真のみならず映像でもイラストでも音声でもそう感じます。

周りの雑音が聞こえてきそうなアートってすごいことではないでしょうか?

実際の生活が見えてきそうなアートって身近に感じませんか?

人として生活しているのですからもっと生活感のあるモノを残していきたいな~と良く感じるのです。

この点で

黒澤明さんの映画

ロバートキャパの写真

井上雄彦さんの漫画

などがおいらは大好きなんです。

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コメント
 
 
 
Unknown (はねもね)
2006-12-13 00:34:45
コンパクトデジカメでも、小さなCCDで無理矢理600万画素なんて謳っているものは、実際に撮影してみると周囲にひずみが出ていたり、色調に難があったりしますよね。私は古いIXYを使っているのですが、その時も300万画素か200万画素かで悩み、両方撮影して比べると200万画素の方が安定していたので、そちらを買いました。

キャパの写真集を一冊持っています。ヘブライ語で書いてあるんで、全く中身は読めないんですけどねぇ(×_×;)
 
 
 
Unknown (mumu.com)
2006-12-13 01:02:39
#はねもねさんへ
コンパクトデジカメに関してはおっしゃる通りです。
ひずみについては種類によってはレンズの性能によるものがあるのですが、色調に加えてシャープネスも不自然だったりしますよね。
はっきりしすぎていて逆に不自然な気がするんです。
多くの場合に技術的に高機能のものは少し無理をしている場合があるので、その一つ下ぐらいの方が良い場合が多いですよね。
プロ用の機材を見るとスペックが劣っているのにそちらを使うという理由にはねもねさんのおっしゃっている「安定感」があるからという理由が大きいようです。

ロバートキャパの写真に出会っておいらの写真のスタイルが変わりました。
10年ほど前に写真展で見たのですが、彼の写真について書くと存在感やリアリティなど例を挙げればキリがないのですが、今でも彼の魅力ある写真は心に刻まれています。
記憶に残る写真というのは脳裏に残り、心に感動を与え続けるものですよね~。

日本人というのは「ミーハー」な部分があって有名な写真が載っているモノしか売れないことがあります。
それに対して外国の本というのは「人の生涯」を見て編集されていることが多いので良いですよね。

ヘブライ語か~.......
おいらは聖書の原本を読みたいな~とか考えてるんですけど、英語も満足に覚えられないので夢のまた夢ですな.....
もし読める日が来たら見せてください!!(笑)
 
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