思うままに....
感じるままに....
JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。
扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記



大辞林:複数の原因が重なって、個々に得られる結果以上になること。
大辞泉:二つ以上の要因が同時に働いて、個々の要因がもたらす以上の結果を生じること。
と定義されています...........

相乗効果の効果的な発生方法は

二つの要因がよりいっそう「お互い」を良くしていこうという意識

だと考えられています。
しかしおいらはそれ以上のものが関係しているように感じます。
これはいろいろな要因があるのですが、例を挙げてみます。

今日は日本有線大賞の歌番組が行われており、先日はFNSが放送され、今月末はレコード大賞、紅白歌合戦が行われる予定です。
この歌という分野は個性が必ずあります。
全く同じ声紋をしている人はほとんどいないとも言われているぐらいに、声というのは人それぞれ違い、全く同じ声の人が同じ歌番組に出ることは実質的に不可能です。
また歌い方というのもそれぞれに違います。
よって歌手は自分の歌に自信を持って歌番組に参加します。
そしてこのようなショウビジネスというのは「賞が欲しいだけ」と考えたり、自分のプライドで「出たい」と考える人が歌う際には感動というのは少なく感じます。
歌う動機としては「お客さんに良い歌を聴いて貰いたい」とか「魂を込めてみんなに歌を届けたい」と願う気持ちが聴衆にも伝わり、独特の空気感というのを創り出します。
気持ちの高揚というのを空気だけで創り出すことは聴衆がいないと出来ないことでしょう。
よって良い歌を歌う要因としては聴衆の「共感」や「感動」が不可欠でそれらを歌に乗せることが出来る歌手というのがプロの歌手だとおいらは考えています。
これは聴衆の多さは関係ありません。
少なくても感情移入してくれる人がいると全力を持って応えようとするのが人でしょう。
そして聴衆もよりいっそう感情移入していく.....

すがすがしい気持ちにさせてくれる相乗効果というのは心地良いモノですよね。

歌手が胸を詰まらせながら歌うことを美しいことだと感じない人がいるかもしれません。
プロなのだから感情のセーブをするべきだという意見ももっともだと感じます。
しかしアーティストというのは他の人の感情の変化というのに敏感です。
よって聴衆が感動し、共感し、涙を流すことは

意志を共有する

ことが出来ることを実感できる事であり、聴衆の感情というのは自分のものなのです。

セーブしている歌手の方がプロ魂を感じることも確かであり、それは美しいことなのかもしれません。
でもこのごろおいらは人間的な部分を見せてくれる人に魅力を感じます。

そしてこのような意識を持って歌っている歌手が先に歌うと自然と乗り気でない歌手がいても聴衆が創り出す空気により「良い歌」を歌える要因が生まれます。
最善を尽くし良い歌を歌えることの喜びを味わえることに歌手は喜びを見いだし、聴衆も歌に陶酔していき感動の渦に巻き込まれるのかもしれません。

「お笑い」にもこれは通じるでしょう。
お笑いというのは聴衆の笑いが無ければ成り立ちません。
歌というのはレコーディングでスタッフ内だけで作る事が出来ますが、笑いというのは聴衆の大半の笑いのツボを押さえる必要があり、それを知るには実際に聴衆の前でネタを披露しないと解らないのです。
作る際には自分の主観に聴衆が「ついてくる」というより「ついてこれる」ようにしなければなりません。
これを「ネタふり」といって聴衆と話し手の共通の土台となるのです。
そしてそこからが本番です。
ネタを披露することになるのですが、「受けるか OR 受けないか」を左右するのは本人が楽しいだけでは駄目で、万人受けする笑いを追求しなければならないのです。
しかし「笑い」を知っている人というのは先に行きすぎている感があり、それを聴衆に理解させることに苦労する人がいます。
今の「お笑いブーム」の土台を作った人たちは、これに苦労し先んじる気持ちを笑いを得る事によって昇華してきました。
よってブームに乗っている人はかなり楽をしていると感じます。
緻密に考え込まれた本当のお笑いを知らない人が芸人になっている事は危惧すべき傾向です。
もっと先人が築いたお笑いの土台を大切にし、よりいっそう笑わせることをリサーチし、身近な事に笑いを見いだせることを違う角度から研究し教えることをするべきだと感じます。
そのような芸人が続々出てくる番組というのはまさに「爆笑に次ぐ大爆笑」となりすべての芸人の満足感を満たすことでしょう。
また良い笑いというのは卑猥な表現というのは入り込む余地はありません。
卑猥な表現というのはその場しのぎのものでしかなく聴衆の空気を悪きしかねません。
「スタンダードな笑い」といのは胸を張って話せる事であり、聴衆もその笑いについて来れますし、男性だけに受けるものや、女性だけに受けるものとはならないはずなのです。
男女のどちらかに受けることは必ずどちらかが嫌な気持ちになります。
そしてどちらかの空気が悪くなるとその空気というのは伝染し、全体的に悪くなるのです。

芸人は聴衆の空気で「勝った」とか「負けた」ということをはっきり思い知らされるとよく言います。
これはテレビを見ていても同じで「これは駄目だな」と感じると客席にいる聴衆の反応も全く同じです。
よって芸人がテレビを見ている人に受けている事を知るのに目の前の聴衆の反応というのは明確なバロメーターになるでしょう。

M-1ではベテラン芸人が芸人を審査する方法ですが、歌と同じように客席の空気というのも大きな要因です。
聴衆の審査点制度を導入するべきだと感じます。
笑いというのは聴衆があって始めて成り立つものです。
その聴衆の意見が入らないことは不自然ですよね~。
本当に面白かったならNHKの「爆笑オンエアバトル」で採用されているような制度を取り入れることが当然なのです。
ベテラン芸人というのは確かに多くの笑いを目にしてきて目が肥えていると言えるでしょう。
しかし個々の好みというのは絶対にあり、その好みにより採点するはずです。
それに比べるとサクラが入っていないのであれば聴衆の投票というのは、多ければ多いほど万人に受けているのが誰なのかが解るはずです。
トリビアの泉では2000人の平均をとると統計学的に大衆の意見言えるらしいので2000人以上のランダムに選ばれた人が投票する制度を作るのが望ましいと考えています。

相乗効果と趣旨がかなり変わってきたような気がするな~........
まあ、いっか~.....

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