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JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。
扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記



最近の風景を見ていると自分に殺意を覚えます............

なんと言っても広角レンズが必要な場面というのが多くなってきました。
しかし広角レンズが使い物にならないので憤りを感じています。
先日の憤りについて調べた原稿をここに載せようと思います。

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主題:「憤りに遅く」あるべきなのはなぜですか?   2006.12.08
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喜怒哀楽という言葉があります。
人間の豊かな感情を意味していますが、「怒る」事も含まれています。
人間は誰しも苛立ち、憤ることが良くあることは生活を送っているとわかるでしょう。

では人はなぜ怒るのでしょうか?

「そうして神は人をご自分の像に想像してゆき、神の像にこれを創造された。」
    ー創世記 1 : 27
神は人間をご自分の像に想像されましたから、人間には生来、正義感が備わっています。
したがって不公平や不公正に直面すると自然と怒りが込み上げてきます。
また、「気象の違い」、自分に自信が持てないことから来る神経過敏、思春期に伴う変化も多くの怒りを引き起こします。

聖書には「義人はいない、一人もいない」と書かれており、
更に別のところでは「みな罪のもとにある」とあります。
これは人間が怒る動機はほとんど間違っている事を示しています。

「人の洞察力は確かにその怒りを遅くする。
 違反をゆるすのはその人の美しさである。」
   ー箴言 19 : 11

洞察力を持って見ると、怒りをぶちまけることが建設的であることはまずありません。
箴言には「すぐに激怒する者は多くの違反をおかす」ということも指摘されていますし、実際に憤慨している人が、理性的に行動することはまずありません。
さらにエール大学のゲーリー・シュワルツ教授の見解のよると、憤り(怒り)は「ほかのどんな感情よりも激しく永続的な影響を心臓に与え、恐怖さえこれには及ばない」と健康にも悪いことが解っています。
ですから軽率に憤ることは避けるべきだということが解るでしょう。
ここで聖書の言葉に従うことは重要です。

「わたしの愛する兄弟たち、このことを知っておきなさい。
 すべての人は、聞くことに速く、語ることに遅く、憤ることに遅くあるべきです。」
    ーヤコブ 1 : 19
人間関係や精神的、肉体的健康のために憤ることに遅くありましょう。

では憤りを宿した際にはどうするべきでしょうか?
見習うべきなのは「神の憤り」です。
神の憤りは、常に制御されており、愛、知恵、公正といった属性と調和しています。
神はどんなことにせよ関係しているすべての問題をご覧になり、どんな状況にせよその全貌を完全に知っておられます。

先ほど開いた聖句に「人は神の様に造られている」ことが解りました。
私たちは不完全故にすべてのことを知ることができないかもしれません。
しかし解る範囲で結果を考えるだけでも怒りを遅くすることができるでしょう。
さらにもしかしたら洞察力を働かせると怒る理由がほとんど無いことも解るかもしれません。

神に見倣うことにより「怒り」や「憤り」も制御できるのです。

最善を尽くして憤ることに遅くなっていきましょう。
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自分で調べ自分で語っておきながら己の非によって己を憎み憤るおいらがいます。
これは自分がまともに仕事が出来ない状態と仕事の量が母上のさじ加減で増えたり減ったりすることに原因があることは解っています。
現在でもおいらは調子が悪い日があり、鬱の傾向というのは確かにあります。
またこれに加えて睡眠障害も酷くなってきました。
寝たくても寝れない事が続き酷い状態です。
これが親のさじ加減が変わる原因となっています。
人間というのは基本的に親でも兄弟でも調子というのは解らないことが多い事は明らかです。
血のつながりがあっても見た目で判断することもありますし、自分の主観で見ることの方が多いのです。
おいらが調子が悪いときでも平気で仕事をばんばん入れることもあれば、調子が良いときにでも全く仕事が入れてくれないこともあります。
これには参ってしまいます。
よってmailで調子を報告して仕事が出来るときは「出来る」と送ってくれと言われました。
しかし調子が良いときでも、送りたいのに送れない事は多いのでこれには疑問を感じます。
心理的に圧力を感じるのです。

さらに普通のメールというのは送れているのか送れていないのかの確認がしにくいことがあります。
auの場合はCメールというのがあってこれは送れたか送れなかったのかを報告してくれますけどね。
またメールにしろCメールにしろ、ちゃんと見ているのか見ていないのかという問題もありますよね。
「確実性」や「信頼性」がいまいちなような気がするのです。
だからおいらは確実に連絡できる「電話で話す」という手段が好きなのです。
問題なのはおいらの家族はauでCメールが無料だからおいらの家族はCメールを最重要連絡手段としていることです。

はっきり書くとおいらはメールにそれほどウェイトを置いておらず、電話で連絡をくれる方が助かるのです。

でもおいらは基本的に電話というのが嫌いなのでどちらでも出たくないときは出ないこともあります。
この問題は携帯電話の買い換え条件を読んで頂くと解るかと思います。
PTSDとまではいかないかもしれませんが、トラウマにはなっていると思います。
確かに機種変更したので少しは積極的に使うようにはなりました。
しかしやはり機能が沢山付いていても以前と同じで楽しいとは感じません。
「おっ!?掛かってきたな」という期待感とはかけ離れた感情が先に来てしまいます。
携帯電話のメモリーには家族の電話番号とメールアドレスとgoo BLOGの記事投稿用メールアドレスしか入れていません。
今のところ他の人の電話番号を入れる気にもなりませんし、必要性を感じないんですな。
電話が掛かってくると言うことは仕事でしか掛かってこないですからね。

またおいらには友達というのは存在しません。
よってこのブログではほとんどの場合に、おいらが知っている他の人をさす言葉は「知人」としてきました。
おいらは友達にしてもらえるほど上等な人間ではありませんし、そう見なされると恐縮してしまいます。
もしそのようなそぶりを見せる人がいると、なるべくおいらはそれに値しない人間のように振る舞うようにしています。
このことについては記事にしようと考えていたのですが、気持ちの整理が出来ないのでまだ出来ない状態です。

最初に書いた風景を見て自分に殺意を覚える原因を無くすために軍資金を貯めようと考えています。
その手段としてフォトコンテストやイラストのコンテストに参加しようと本気で考えるようになりました。
これから真面目に取り組んで挑戦していこうと思います。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (chomemaro)
2006-12-16 21:19:40
この間からの流れで、引き続き勉強しておられる
のですね^^
私も、憤りと許しについての一連の流れを
研究しています。
むしろ、憤りのほうが、ぴーんとこないので
まだまだ、調べる必要がありそうです。
また、自分の日記でも、思いついたことがあったら
そのことについて触れたいです。
自分の病気にも関係があるような気がするからです^^
 
 
 
Unknown (mumu.com)
2006-12-22 23:27:15
#chomemaroさんへ
勉強し続けることは大事ですよね~。
先週、先々週と、とても耳が痛い内容の記事ばかりでした。
おいらは気が短いので辛いぐらいでしたが.....

「憤り」って抱く方や人によっていろいろと違ってきますよね。
神の憤りやみ子の憤りというのは平衡のあるものですが、人間になると非常に偏ったものになってしまいます。
よって気をつけなければならないのですが、単純な人間なので怒ることに遅くなければならないと感じます。

鬱と憤りって確かに関係がありますよね~。
公平さや公正さが保たれない事がクリスチャンの中でもあります。
世では願うべくもなく正しい見方をしてもらえることはほとんどありません。
公平な仕事、公平な助言があれば喜ぶべきなのでしょうけど、おいらは仕事に対してもクリスチャン活動に関しても平衡の欠けたもののみを与えられ続ける時期がありました。
その反動で人付き合いがおっくうになり関わりたくないと考えるようになりました。
二度とあのような信用の仕方をしない事を心に決めています。
というよりもう出来ないでしょうな....
 
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