思うままに....
感じるままに....
JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。
扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記



インターネットというのは時間の感覚を失わせますよね...........

これはどんな媒体のものでも同じです。
例えば
・コンピュータを使ってアクセスすること
・携帯電話でアクセスすること
・テレビにアクセスすること
・ゲームでアクセスすること
といったものです。

昔は自分のホームページなどを作ることによってはまる人がいました。
ホームページというのはいろいろと面倒なことが多く作るにはある程度の知識が必要です。

その垣根を無くしつつあるのがこのBLOGという形態です。
このブログはある程度他の人が見ることが前提で作ります。
よって作るにあたってはコメント欄やトラックバックなどが出来るように設定されています。
はまっている多くの人にとってコメントをもらえることがステータスになっています。
確かにコメント欄に多くのコメントが寄せられると「自己顕示欲」が大変満たされるでしょう。

しかし

全く知らない人からコメントをもらえることは本当にうれしいことなんでしょうか?
また本当に重要なことなのでしょうか?
依存するぐらい気になって仕方がなく大切なことでしょうか?

このことを理解していない人が大変多く感じます。

確かにほとんどの事は楽しくて夢中になることは望ましいことです。
「夢中」の定義は「物事に熱中して我を忘れること。また、そのさま。」となっています。
では「依存」どうでしょうか?
「依存」の定義は他に頼って存在、または生活すること。」となっています。

夢中になれることというのは自分一人でもできますよね。
簡単に書くならばほとんどの場合に自己完結させることが可能です。

しかし依存すると言うことは外因的な要因が必要でそれが満たされないと非常に不安になります。
そして満たされない事が続くと異常な行動を起こすこともあり得ます。
特にこのような自分の考えを書くことの出来る媒体というのは世の中には余り存在しませんし、自分の意見に同調してもらえる人を引き寄せやすい形態というのはほとんどありません。
このことが非常に依存しやすい状態にしてしまうのでしょう。

芸能人の例を挙げてみます。
眞鍋かをりさんのブログというのは面白く自分のアイデンティティーを保ち平衡の取れているものだとおいらは思っています。
しかし「しょこたんぶろぐ」を管理しておられる中川翔子さんは依存しすぎていて見ている方が疲れると感じています。
一日に多い日では70回も更新しているらしい.......
どれだけ自己顕示欲を満たしたいんだという話ですよ......

沢山の人に「自分の生き様を見て貰いたい」とか「自分の生きている証を残したい」という気持ちはわからなくはありません。

でも世の中というのは時間によって変化していきすべてが過去のものになっていきます。
また昔のログなどを見返すようになることがあるかもしれません。
見返す際に自分に解らないことを書いていると恥ずかしくないでしょうか?
おいらは2年余り書いていますが、1ヶ月ぐらい前のものを見ても恥ずかしいと感じるのです。
見て貰いたいばかりに沢山更新するというのは1つ1つのクオリティーが確実に落ちるわけです。
すると沢山の記事を書くよりも1つの記事に集中して見る人の益になるもの......おいらは出来ていないのですが....最低でも知識を増やすことに貢献したいと願うわけです。
確かに見る人というよりファンはうれしいかもしれませんがね。
毎日、沢山更新すると自分の考えというのは曖昧になり、読む人にうける記事を書こうと考えがちです。
よってしっかりした自分の考えというのが無くなっていきます。
いつかは最終的に「自分は何をしているのだろうか?」と考えるようになります。

ネタがあり、モチベーションがあるときは良いでしょう。
でもネタというのはどこにでも転がっているものではなく自然と沸いてくるものではありません。
また受けを狙っていると話題になっているものを扱うようになったりしますよね。
でも自分が興味のないものでも扱わなければならないという気持ちになってしまうと大きな負担になるのではないでしょうか?

おいらはこれが嫌なので自分のコメントにリンクというのをなるべく付けないようにしているんです。
記事を書いていて良く感じるのです。

やはり自分の価値観というのを大切にしなくてはいけないな~

とか

他の人に自分の価値観を押しつけるのは駄目だな~

なんてね。
特に自分の価値観を押しつけることの危険性というのは人間が考えるよりも大きいものです。
だから
「影響されやすい人には気をつけよう」
とか
「流行を追い求めている人には気をつけよう」
と自然と考えるようになりました。
まあ出来ていないことはこのブログを見て頂くとよくわかると思います。
でもそうありたいと願うことは願わないことよりは良いですよね。

このインターネットというのは常時接続になってからはすごい進歩を遂げました。
しかし人間が行う普通の生活をぶっ壊してしまいました。
朝起きて夜に寝るという普通の生活がインターネットによって無くなってしまったという人をよく見かけます。
また寝ずに仕事をしているという人もよく見るようになりました。
近年の事故の傾向を見ていると良くわかりますよね。
学生の登校時間に車が学生の列に突っ込んだニュースというのは年に2、3回あれば多い年だな~と感じていましたが、近年では毎月のように聞きますよね。
これは携帯電話の使用によって飛躍的に増えたといっても過言ではないでしょう。
仕事の電話で使用するのであれば納得できるかもしれませんが、私用の携帯電話の使用でしかもメールを見ていて事故ったというのであれば許せないと感じませんか?
どれだけ携帯にウェイトを置いてるの?ってことですよ。
おいらはそんなに携帯に魅力を感じないのでよくこのように思うんです。
まあ仕事が少ないときは携帯が鳴っていないか良く確認するのは確かですけどね。
運転中に見るほど面白いものでもないでしょう。

携帯電話は電話なのであって他の機能はおまけだと感じますしね。
まあ無料メールは重宝してますが、仕事がないときに連絡をすぐに取れる手段の1つでしかないんです。
一般の人はインターネットを家で使える場合に携帯の存在意義(ウェイト)が大きすぎるように感じるんです。

まあインターネットに関してもそうですけどね。
おいらがこの記事で書きたいのは

「なんにしても平衡を持って扱う必要がある」

ということです。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする



« 憤り、怒りに... adobe DNGの野望 »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。