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思うままに....
感じるままに....
JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。
扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記



おいらの性格からして「日々の努力」というのは当たり前のことです...........

精神論では「強い意志」さえあれば何とかなる、という方向に持って行かれがちですよね。
また奇跡なども

「強い意志」によって達成される

という勘違いが起こっています。
スポーツなどを見てみると特にフィーチャーされるのは

・見栄えの良さ
・礼儀作法

等に焦点があたっていて彼らの”それまでの”日々の努力は疎かにされがちです。
特にハンカチ王子やはにかみ王子のお二人のマスコミの過熱ぶりを見ていると「新星のように」現れたような錯覚に視聴者は陥るでしょうけど、それまでに彼らはずっと努力をしてきたはずです。

「どうせなら最初から取材してやれよ」

なんて考えてしまうのですが、小さい頃からマスコミで密着取材されている人というのは結局はダメになっていくように感じます。
これはマスコミの取材姿勢にも問題があるはずですけど、割り切れていない本人にも問題があるはずです。
でも子供ですからね~。
親がちゃんとセーブしてやらんといかんでしょう。

......少しずれましたな。
なんに関してもですが、目的を達成するには日々の努力が無くては話になりません。
目的を達成するためにはほとんどの全ての場面で足下には努力という煉瓦が積み上がっていて一つ一つの行動には全てに意味を持たせることが出来るように達するまでには想像を絶するような鍛錬を行ってきたはずです。

人々が「当然の結果」だと考えている事は本人たちにとってどれほどのモノなのか考えたことがあるのでしょうか?

とマスコミや一時的なファンにお聞きしたいぐらいですな。
動きが綺麗な人、ブレのないフォーム、見事な型などスポーツでは動きを洗練していけば行くほど「教科書通り」とされる動きになっていきます。
そしてそのような人はその域まで達して始めて本当の意味での本に書かれている「意味」というものを理解するのです。

他には物作りなどもそう思うんですよ。
建築学、加工学、人間工学などを考えれば考えるほど無駄のない設計になり、服などもより美しいDesignというのは結局人間の身体がもっとも美しいフォルムであったり曲線の連続であったりするはずです。
またProduct DesignやIndustrial Designなどでも究極的にモノの本質や材料の本質を理解できなければ良いモノというのは出来ないでしょう。
そしてモノを使うときの行動や行為を見極め、最適化された構造やそれをサポートしより良い動きに出来るものというのが物作りの究極的な目的でしょう。
机上で考えても意味がないことが多く、実際に使っている現場やUserの言葉というのは非常に貴重な意見になってくるでしょう。
そのDataが多ければ多いほど見えてくるモノがあるはずでより大きなデータベースを保有している人の言葉の「真の意味」というのが解ってくるはずなんです。
Dataを集めるのには情報源(ソース)はInternet上のものはあまり当てにしてはならないでしょう。
現場のUserと直で話をする必要が絶対的に必要です。
もちろん現場のUserの中には「自分自身」も含まれており創意工夫するための努力をしているのであれば本人が一番厳しい意見を述べるはずです。

努力というのはほとんどの場合は「本人しかわからないもの」だとも感じますしね。
人間の中では特に本人しか解らないでしょう。
見せびらかしているような時点では意味がありません。
それが表面化するようになるには時間が掛かりますし、自己顕示欲を満たすために人に見せるのは努力ではありません。
自分の欲求を満たすことは努力のうちには入りません。

人に見えない部分で切磋琢磨し、自己分析し、自分の立場を客観的に見続けることをし続けている人

しかし、それを人が偶然的に見つけて感心する程度までになった時点で「本人の努力は報われる」という考え方はまだ自己顕示欲を満たしたいと願っている事の表れだとも感じるんですよね.......
これはおいらの主観なのですが、誰からも見られなくても良いと思うわけですよ。
努力したならその努力を人に見せるのではなくより見せないように努めたいとも思うわけです。

ほんとに努力している人というのは動きを見たら解りますし、極端な話をすると「目」や「手」、「身体」などから伝わってくる「”努力によって培われた”意志」で解りますからね~。
そんな人を見分ける目を持ちたいモノです。

「日の目を見る」分野もあれば多くの情報により埋もれてしまっている非常に大きな功績もあるはずです。
でもその事は本人が解っていれば良い訳で他の人が全く知らなくても満足感を味わうことが出来たり、満足感とまでは行かなくてもある程度の「経過途中の小さな目的の一つの達成感」を味わうことが出来ているはずです。
TVでFeatureされている人は運が良かった人であったり、たまたま偶然その分野が人の注目を集めやすい分野だっただけに過ぎないとも感じます。

そしてたまたま努力によって培われた強い意志を発揮し、奇跡のようなシーンが見られるに過ぎないとも考えるんです。

スポーツに限らず、その人のSenseというのがモノを言うことがあります。
そして奇跡を演出する事が出来ることがあるでしょう。
シミュレーションした中の一つを実行できる事を少しでも多くしておくためには努力が絶対に伴っていますよね。
Imaginationを豊かにし、多くの情報を取り入れて自分のモノにしておくことも求められますし、それを発展させてより良いPerformanceを行えるためには下地作りは欠かせません。

努力をしていない人が直ぐに諦めるのを見ていると、それを”当たり前”のように「出来るようになった人がどれほど努力しているのか」をしって貰いたいものです。


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