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まじ卍

生活の中で気が付いたことを書いています。

時代錯誤⑤

2024-08-05 | 反省
私は昭和に生まれ、平成、令和と生きてきて、
ずっと同じ土壌の上で生活をしてきたつもりだったが、
いつの間にか時代が変わってきていて
今のZ世代と言われる若者たちとは価値観がかけ離れていることに
今頃になって気付いたのだけれど、
それは若者たちとの間での乖離があるものと思っていたが、
実はそうではないことに気が付いた。

同じ昭和の時代を生きてきた人たちもすでに変わってきているのである。
まあたしかに今やスマホは年齢を問わず持つ時代になってきており、
高齢者と言えどもスマホ無しには生きられなくなってきた。
新聞や本などアナログの読み物を読んでいる人はあまり見かけなくなったし、
満員電車の車内でもスマホに夢中であったり
他人を気遣わない昭和生まれの人たちも増えた。
まあ水は低い方に流れるというからやむを得ない自然の流れである。
しかしながら私はなぜ時代錯誤に陥ってしまったのであろうか?
昭和の常識のままに、ふつうに生きてきただけなのに、
いつの間にか「いい人過ぎる人」になっていたりして、
変わらない私の周囲ではどんどん変わってきていたことに
気付かないまま令和の時代を生きている。

昨日はカブスカウト(ボーイスカウトの小学生版)が集まっていたが
改札口を出た所で群がっており、他のお客さんの出入りを
妨げていてもリーダーたちは平気な顔だった。
ボーイスカウトのリーダーでさえもそういうことに気を配らない時代になったんだから
小学校の先生方が気を配られないのも当たり前のことであり、
そんなことに腹を立てている我々世代の方が
いつのまにやら時代錯誤というか
そこで目くじらでも立てようものなら老害扱いにされてしまう。

気が付けばもう60歳をまわっており、
名実ともに初老になってきている。

現代版ミサイル

2024-08-03 | 反省
戦後、GHQの政策により学校給食にパンを導入されたことで
日本人は、パンなしでは生きられなくなった。
いやパンだけじゃない。
小麦無しにはデザートのケーキもドーナツも食べられなくなる。
そんな生活など考えられなくなり、アメリカに胃袋を掴まれていると言われる。

同様にスマホを流行させることで、スマホを手放せない社会になった。
私たちは直接的にはスマホの契約額に応じて支払っているだけに見えるが
あのクリックの裏では、あの記事を挙げている人の財布に
チャリン、チャリンと入る仕組みになっている。
しかも世界各地のサイトから自由に閲覧しているつもりでも
ある種の考え方に傾いている思想に沿って選別された記事だけが
上がってくるようになっていて、完全に操られている。

それは直接的には戦争はしていないけれど、
合法的なミサイルを撃ち込まれているようなものである。
今後、アメリカが日本を攻め込むためにはミサイルも不要で、
ネット社会を切ってしまいスマホが使えなくするだけで、
スマホ依存になった日本人は放っておいても狂い出し、
精神的にもおかしくなって自爆してしまう。
現にネットが繋がらないというだけで
精神疾患を悪化させてしまう患者も多く、
疾患がなくても金銭の支払いさえも出来なくなり
買物さえもできなくなってしまう。

日本国内にアメリカ軍基地があるのは、有事の際に日本を守るため
と言われているが、他国から攻められないように守ることで
いよいよという時には、アメリカが攻めやすくしているともとれる。
つまりは当面は金づるとしてスマホや小麦などのエサを蒔き
いよいよ使えなくなった時には責めやすくなるように
基地を配備して、常にkeepしているのかもしれない。

床の間

2024-08-02 | 反省
それは、高度経済成長を背景とした都市部への人口集中を受け、
住宅確保と公共施設整備による居住水準の向上を目的として
郊外に建てられてきたニュータウン政策から始まっていたように思う。
小さなスペースに大勢が生活出来ることに重点を置き、床の間を無くした。
たしかに床の間が無くなって生活に困ることは特にはない。
ただ余裕の空間を置くことも無駄なことと考えるのは
現代社会に於いてみれば当たり前のこととなり、
そういえば私自身も結婚してから床の間のある家には住んでいない。

日本人は、以降も切り落とせるところは出来る限り切り落として
心の豊かさよりも実の方を優先してきた。
百貨店ブランドのものよりは、安価な100円均一店で済ませるが
その一方で、外国ブランドにはめっぽう弱い。
昨今のZ世代にまでなるとコスパだけでなくタイパも意識し
映画でさえも早送りで観るというから筋金入りだ。
中にはミニマム生活といって
必要最低限のものしか室内に置かないという若者もいる。
これまでは仕事柄、貧しすぎて部屋に何も無いという方の
家庭訪問は経験したことはあるがそれとは違う。
タイパ、コスパとともに削られていくものに人間関係がある。
すでに毎年届く年賀状には「今年で終わりにします」というものが多い。
人と人を結ぶだけならLINEやメールで十分かもしれないが
それは健康に生きていることが前提であり、
訃報の連絡は入ってこない。いつまでも私の携帯電話の中で生き続けている。
逆に旧友が亡くなって連絡さえも出来なくなる。

私は古い考えかもしれないが、
人を大切にする人は、人に大切にしてもらえる。
物を大切にする人は、物に大切にしてもらえると考えており、
コスパやタイパも同じことのように思っている。
おかげでいろいろな形でお世話になっている。

時代錯誤④

2024-08-01 | 反省
各世代の特徴についてさまざまなHP等で発表されているが
1965年〜1974年に生まれた「X世代」は、
高度経済成長期やバブル期といった”右肩上がり”の日本経済の中で暮らし
「頑張れば報われる」という考えが比較的根強い傾向がある。

次いで1975〜1990年代前半頃に生まれたY世代(ミレニアル世代)は、
就職氷河期・離職率が高い・不安定な雇用などの時代背景もあり
「右肩上がり」という神話に疑問を持っている世代です。
団塊の世代を親にもち、ベビーブームであったため常に競争にさらされてきており、
ベテラン世代からの叱咤激励のもとで育てられてきた世代です。

そして1990年代後半〜2015年に生まれた「Z世代」は
インターネットやデジタルデバイスが一般的に普及している世代であるため
子どもの頃からデジタル機器を使いこなしています。
テレビや雑誌よりもインターネットでの情報収集がメインで、
SNSを利用したコミュニケーションを行います。
生活の中にSNSが溶け込んでおり、学びを得たい場合は「YouTube」、
トレンドや時事を知りたい場合は「X(Twitter)」、
空き時間を埋めたい場合は「TikTok」と
それぞれのSNSが持つ特徴をうまく使いこなしている世代です。
そのため、社会問題への関心が高く、多様な価値観に触れる機会も多い。
「失われた30年」と言われる低成長時代が続いているため現実主義的で、
タイパやコスパを重視する傾向が強い。
また少子化世代であるため、他の世代のような厳しい競争を経験しておらず
冒険やリスクを避ける傾向があり、チャレンジへの苦手意識が強い。
と簡単にまとめてみたが、こういうふうに型にはめられることを嫌う傾向にある。

こうしてZ世代のことを理解していくと見えてくることがある。
電車に乗ると時間を惜しむようにスマホを使いこなし、ずっと見ている。
スマホを見続けることによってタイパ・コスパを大切にするだけでなく
イヤホンまでして完全に自分だけの世界に入り込んでいる。
以前、電車の車内で転倒したことがあるがまったく動じることもなく、
黙々とスマホゲームに没頭していた。
この他にもスーツケースを固定せずにスマホをしていて
スーツケースが転がって行って他人にぶつかりそうになっても謝らず
またスマホをし続ける女性。
乗車する電車を間違えて困っておられたので修正方法を説明すると
一度スマホで確認してから「ありがとう」と言って乗り換えて行った親子。
大勢の子どもが乗降する付近に固まり、
通行を邪魔していることに気にしていない小学校の引率の先生、
エレベーターが閉まりそうになった時、向かってくるのが見えたので
開ボタンを押して待っててあげたが礼も言わずスマホに夢中のお兄さん、
降りもしないのに電車の扉付近でスマホに夢中で
乗降客の迷惑になっていることを意識しないだけでなく、
「すみません。降ります」と声を掛けてもガン無視されるため
肩を叩いたら、驚いたような表情で慌ててイヤホンを外す若者などは
Z世代の中でも一部の極端な人たちだとしても
これまでさまざまな人に出会い、ストレスを溜めながらも文句も言わず
当ブログでぶちまけてきたが、このZ世代の特徴を理解していくと
「だからそんな行動だったのか」と思い返せることが沢山ある。

私の場合、直接文句も言わず、自分のブログでぼやくことで収めてきたが
これで文句を言おうものなら、理解の出来ないZ世代にすれば老害となり、
お店で言えば、カスハラになっていく。
自分たちは決して間違ったことはしていないという気持ちは同じであり、
年長者として知らない若者にも教えてあげる善意の気持ちが
そのままハラスメントになっていくことがやっと分ってきた。
本当のことを言えば、その溝は互いに埋め合わなければならないが
せめて私自身が出来ることとして、
もっともっとZ世代そしてα世代の若者に接して理解を深めようと思う。

参考:Z世代の特徴や性格とは?仕事や働き方に対する価値観やその向き合い方を紹介

時代錯誤③

2024-07-31 | 反省
現代の若者のことをZ世代と呼ばれる。
諸説はあるようだけど
1965年〜1974年生まれを「X世代」と名付けたことからスタートして、
1975〜1990年代前半生まれが「Y世代」、
そして1990年代後半〜2015年生まれを「Z世代」と呼び
それ以降は「α世代」と呼ぶそうです。
それぞれに育ってきた時期によって価値観が異なると言われています。

単純に考えてもX世代以前の私で言えば、生まれ育った頃には
身近にはコンピューターはほとんどなく、テレビの中だけの世界だったが
次第にパソコンを買える時代となり、
私の初パソコンは就職1年目のボーナスで、FM-77だった。
当時は最新型で3.5インチフロッピーディスクドライブが2つ標準装備だった。
Windowsはまだ無く、BASICのみだったなんて「Z世代」に通じる訳がない。
テレビゲームもアーケードゲームが主流で、
単純なテニスやブロック崩しが出来るテレビゲームが自宅で出来たのに感動したが
「Z世代」にしてみれば石器時代の話をされているようなものである。

このように考えてみると、私たちは同じ社会をずっと生きてきたから
「Y世代」も「Z世代」も同じ価値観でいるものと勘違いしたまま
暮らしてきたが、思い返せばそれぞれの年代で価値観は異るものだ。
例えば私たちは高度経済成長期の戦後の復興が進み
誰もが幸せを感じるような時代に生まれ育ったが
私たちの上の世代は団塊の世代と言われたベビーブームに生まれ
つねに競争社会の中を生き抜いて来られた。
それだけに根性論を私たち世代に押し付けられてきたし、
その上の戦前、戦中生まれの方々からは
戦争体験を話されて、私たち世代がいかに恵まれているかを聞かされてきた。
そのことから考えてみても、昭和、平成、令和へと激動の時代の中で
最も変化してきたことは、アナログ社会からデジタル社会に変化し
目まぐるしくどんどん進化してきた。

生まれて初めて自宅のパソコンからインターネット接続した時には
ゲームを楽しみながらチャットでボロクソに罵られ腹を立てたのを覚えている。
顔が見えないということは、この口の悪い相手は必ずしも年長者とは限らず
近所のガキんちょかと思うとアホらしくなってきて
こんなストレスを溜めてまでする必要はないと辞めてしまったことがある。

前述したようにコンピューターが身近になかった時代から知っている
私たち世代と、生まれる前からネット社会が構築されていた世代では
当然価値観が異ることなど少し考えれば分かることだったと反省している。