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まじ卍

生活の中で気が付いたことを書いています。

だんだんと思えるようになってきた

2024-09-04 | 反省
これまでも昭和生まれの私たちの常識とは異る
Z世代と言われる若者についていろいろと考えて書いてきた。
しかしながら今社会問題にもなっているカスハラの中心が
50代以上だけで全体の3/4になっており、
とりわけ60代が約30%とその中心になっている。



自身の思いを整理してみると、私たち昭和世代の常識を持っており
今の若い人たちにはその常識から乖離している点を感じるため
きちんと教えておかなければならないという強い思いもあって
正当性を主張しているつもりが、若者からすればカスハラになっていたり
車の運転マナーでいえば、ちゃんと教えてやってるつもりが
煽り運転になっていたりするような気がしている。

とりわけ私たちが若い頃にはなかったコンピューターが氾濫し
コンピューターがない時代に育った私たちと
生まれた時にはすでにコンピューターが氾濫していた世代との間に
乖離が生まれることは明らかであり、
今の時代じゃスマホが誰でも持っている時代とでは
明らかに時代が違う。
子どもの頃に見た漫画『バビル二世』では、敵のヨミが作る工場で
ビスコほどのサイズの一人用テレビの製造場面があったが
当時は一人用テレビなんて夢のまた夢の話であったが
今では、もっと小型で性能も良いスマホを各自1台持っている。
それだけを考えてみても時代が変わっているのに
まだその時代の常識を現代社会に当てはめようとしている。
つまりは世の中を見て憂うのではなく、
時代に合わした生活スタイルに変えていかなければならない
ということがだんだんと分かってきた。

若者たちは、早く大人になろうとしてどんな文化も受け入れていく。
今までになかった文化も取り入れて常態化することで
おとなの仲間入りが出来たような勘違いもするが、
そうやってどんどん今の社会に溶け込んでいく。
ファシズムというものは元来そういうもので、
それが正しいとか間違っているかは関係ない。
そういうものとして受け入れられる。

一方経験値を積んできた私たち昭和生まれは、
成り立ちも分からずには受け入れられず、つい否定ばかりしてしまう。
それでいて自分たちはいつまでも若く、物分りがいいと勘違いしていて
若者たちにとってはむしろ老害となっている。
老害と言われるのは「改善してください」という信号ではなく、
はっきりと諦められているのだ。
つまり、私たち昭和世代も今の社会を憂うのではなく、
順応していくことが大切であり、
これまでの価値観を淘汰していかなければならないということ。

つい先日も歩きスマホをしているお婆さんに遭遇して
今までなら「歩きスマホはやめて下さい」と言っていた高齢者も
「木乃伊(ミイラ)取りが木乃伊(ミイラ)になった」と笑っていたが
そのお婆さんの方が時代に価値観を合わせているともいえるだろう。

「最近の若者は」は5000年前からある言葉で
エジプトの古代遺跡からみつかったという話もあるそうだが
現代社会は高齢者のためのものではなく老若男女問わずみんなのものなんだから
私たち昭和生まれの価値観を押し付けるのも間違っているし
若い世代に媚びるのも間違っているのだろう。
そういうふうにだんだんと思えるようになってきた。

舞鶴港とれとれセンター③

2024-09-02 | 反省
朝早く起きて鈍行で5時間あまりもかけて来たというのに
なんと定休日だったという悲しい結果に
悔しいけれどどうしようもない。むしろ自分の不甲斐なさで呆れてしまう。
先ずは帰りのバスの時間を確認すると、1時間以上もある。
この悪夢のような場所から一刻も早く逃れたい気持ちになるが
暑い日差しの下で、1時間以上も待つには精神的にも肉体的にも無理がある。
先ずはとれとれセンターの隣にある業務スーパーに入る。
とりあえず冷房がよく効いていてありがたい。
「地獄で仏とはこのこと」という言葉が頭をよぎった。
自然に生鮮の魚介類の売り場を探している自分に気付く。
「本当ならとれとれセンターで海鮮丼のはずだった」と脳が指示してる気がする。
さすがの業務スーパーもとれとれセンターの隣ということもあって
魚介類売り場がない。
「やっぱりなあ」という気持ちになって今度は加工食品売り場に行き
舞鶴港の蒲鉾の一番高いものを買った。
ふだんスーパーに行っても見向きもしないのに、この日だけは
脳が魚を欲している。その気持ちは妻も同じであった。
そう広くはない店内では1時間も時間は潰せず
向いのワークマンでスニーカーを見て過ごした。
(気に入ったものがあったので翌日近所の店で3足買いました)



気を取り直してこれからどうするか考えた。
西舞鶴駅からバスで引揚記念館にも行けるが、ここも今日は定休日。
そうなると西舞鶴駅からJRで東舞鶴駅へ行き、バスで赤レンガ倉庫へ向かうことにした。
駅前から市役所前バス停で降りて地下道を通って渡り、
市役所と赤レンガ倉庫の間を通って行く。

   
 
ここには海上自衛隊基地があり、博物館のほか遊覧船で巡ることも出来るが、
先ずはランチに向かう。
本来なら海鮮料理を堪能しているはずだったが、ありつけず空腹に堪えている。
わたしは海軍ハヤシライス、妻は肉じゃが丼を頂いた。

 

舞鶴港とれとれセンター②

2024-09-01 | 反省
昨日は天気が悪かったので、今日8月21日に舞鶴港とれとれセンターに行くことにした。
昨日に比べると少し暑くなるようだが天気には問題ない。
明日以降も考えたが、今週はずっと天気が悪い予報になっている。
大阪駅7時13分発の篠山口行きの普通電車に乗る。
伊丹駅で空いてきてやっと座れたが、宝塚駅に着くと
阪急電車と乗り換えられるためかまた満員になった。
宝塚駅を出るとトンネルが増えていく。
生瀬駅から旧福知山線廃線敷コースを歩いたことや六甲でキャンプしたことを思い出す。
三田駅に着くと、先の快速の乗客が乗ってきて満員になる。
次の新三田駅でも大勢降りて行かれ、藍野駅で学生さんが降りていくと
急にのんびりした列車と化す。
篠山口駅では1分の待ち合わせで福知山行きに乗るが、
福知山駅では東舞鶴行きの列車まで50分の待ち合わせとなる。
一旦改札口を出てコンビニや観光案内所に立ち寄る。
観光案内所でお土産を見ていると、田辺城址までの所要時間を尋ねる夫婦がいたが、
徒歩で15分と言われ、タクシーも考えられたが
見学に30分かかると言われてやめられた。
どうやら私たちと同じ東舞鶴行きまでの待ち合わせ時間
50分間の解消を考えていたようだ。
聞き流していたが「お気持ちは分かる」と思っていた。

   

やがて出発時刻となり、西舞鶴駅で降りる。
ここでは京都交通バスに乗るのだが10分しかない。
お世辞にもきれいとは言い難い待合室で少し待ち、
大江駅行きのバスに乗る。約5分でとれとれセンターバス停に着いたが
お昼前のいい時間に着いたというのに広い駐車場はけっこう空いている。
朝早く起きて鈍行で5時間あまりもかけて来たというのになんと定休日だった。

   

いやHPも見て休みも確認してきたはずで、
営業時間
平日:9:00~17:00
土・日・祝日:9:00~18:00 と書いていた記憶があったのだが
慌てて調べ直してみると最後の方に水曜日休みと書いていた。
さらに帰宅後に落ち着いてゆっくり確認すると
8月の定休日は21日と27日28日の3日間だけで
7月25日から実に28日にぶりの定休日の8月21日に訪れたのだった。

自分のブログに助けられる

2024-08-23 | 反省
先日ある人から言われたお話が重くのしかかっている。
聞き流せばいいことかもしれないけれど、
自分のことを思って言ってくれた言葉であり
おそらくこの注意をしてくれるのにも勇気のいることだと思うから
この話をまともに受け止めてしまい逃げられない。
その話が的を射られているだけに文句の言いようがないが、
自身の価値観や考え方を否定されたようで
アイデンティティが傷ついているのを感じる。
毎日書いている当ブログも書き続ける力も無くしてしまった。

そんな時、ふと自分のブログを読み返してみた。
そういう極端な事情でない場合は、やはり得心していなくても
他人からの助言を聞き入れて、ゼロからやり直す他ない
と書いている。
自身が冷静な時に書いたものだから反論も出来ない。
諦めて、すぐには期待には沿えないかも知れないけれど、
言いにくい話をして頂いたことに感謝して
ぼちぼちと自身のペースで進める決心に至った。

このようにまさか自分のブログに助けられるなんて
思ってもみなかったことだけど
そう受け止めれば、少なからず誰かの心に響き
なにか人のお役に立てていることがあるのではないだろうか?
それで喜んでもらえている人があるかもしれないと思うと
毎日毎日飽きもせず、延々と書き続けていることも無駄ではないと感じ
また書き続ける勇気になっている。

そういう時代

2024-08-08 | 反省
先日、妻と梅田で待ち合わせた時のこと。
その日は朝から雨が強く電車のダイヤが乱れており、
運休してたりして乗車前から混雑していた。
電車が到着すると一気に乗客が流れ込み、車内もすでに満員だったが
高齢者が席を探している姿を見て席を譲った若者がいた。
譲ってもらった高齢者は、もう一人の高齢者に声を掛けて
「この人たちが席を譲ってくれたから一緒に座りましょう」と声を掛けている。
しかし席を交代している間は、乗車する客の列は滞っていたため妻は、
席を譲るタイミングも、譲ってもらった方も状況を考えて、
乗車する客の邪魔にならないようにすればいいのにと、不満を漏らした。

それを聞いてほぼ毎日電車に乗っている私には理解が出来る。
たしかに妻の言う通りだが、「今はそういう時代だ」と答えた。
そういう時代では済まされない妻の怒りは収まらないが、
誰もが他人のことなど気遣わない時代になっており、
そのためにみんなイヤホンをしてスマホを眺めて自分だけの世界に浸っている。
だから電車の中で亡くなられていても誰にも気付かれることなく
10時間も電車に揺られ続けるという事件もあった。
私たちの考え方が決して間違ってはいないけれど、
そういう時代になったことも理解しなくてはならず、
私たちの世代が時代のギャップについて行けず、
知らないうちにカスハラの犯人になっていると言われていると説明した。
私自身、毎日電車に揺られ、さまざまな不満を当ブログで発信(発散?)
しながら分かってきたことだ。
たまにしか電車に乗らない妻には大問題だっだっのであろう。