goo blog サービス終了のお知らせ 

まじ卍

生活の中で気が付いたことを書いています。

リセットできる人生、リセットしない生き方

2025-04-18 | 受け止め方
もう下積みとか「石の上にも3年」なんて言葉はなくなったのだろうか?
新年度に入ると同時に「もう仕事を退職した」というニュースが流れている。
退職代行サービスの速報で4月の月間で3000名ペースと聞いて驚きを隠せない。
あたかもゲームのように行き詰まったらリセットすればしまい
という感じなのかもしれないけれど、人生にはリセットボタンはない。
野球部であれば最初からバッターボックスには立たせたもらえず
初めのうちは球拾いだし、調理師なら皿洗いから始まるように
基本の「き」から順番に教わるもので
初めのうちは辛抱して下積みをするものだと思っている。
たしかに世の中にはブラック企業というものは存在するが
ブラック企業ほど最初から爪を見せないものである。
労働者不足の時代に初日から見抜けるような能力の持ち主は、
専門家でもいないであろう。

人間も自然界の生物なので
生態系の一部としての役割を果たしているとともに
自然にさらされて生きているのだが、文明の進化によって
気付かないうちに文明に守られていることが
当たり前のように勘違いしてしまっている。
子どもの頃に経験したキャンプでは、
食事をするにも前日の雨で薪が濡れてしまい
愉しみにしていたすき焼きをサラダで頂いたことがある。
ガスコンロを捻ると火が着くことが当たり前すぎて
本当は、文明で守られていることに気付かされた。
自然の道理の中で生きているのだから弱肉強食は基本であり
少々辛くても乗り越えていく力を養ってもらいたいと思います。
命を懸けてまでは頑張らなくても、他の生き方にシフトすることは可能ですが
我慢せずにリセットしてもいいんですが、辛抱がなくてはうまくいかず
結局同じことを繰り返してしまい、だんだんと落ち込んでいきます。

コミュニケーション不足が最も大きな要因だとみています。
電車に乗っていてもみんなスマホを開いて自分だけの世界で過ごしている。
本当は社会の一員として電車の車内を共存しているというのに。
電車の中には「いい人」も「悪い人」も共存している中で
「なんと無防備なんだ!」と思いながら見ている。
私なんかは「この車両はどんな設備になっているのか?」や
「どんな人が乗っているのか?」が気になってしまい
キョロキョロするばかりでスマホを開く余裕などない。

人とのコミュニケーションもLINEなどのツールばかりを頼ってしまい
世間話が出来ない人が多く
おしゃべりをして相手の感覚をつかむことが下手になってしまい
相手の良し悪しが分からない。
文字と文字の会話では、やはり本音のところは分かりにくい。
親しい会話が延々と続いていても行間を読み解くのは至難の業で
やはり顔と顔を突き合わせて、世間話をしながら相手を観察し
その表情や仕草、声色や視線を確認していかないと本心は分からない。
そのためゲームやコミュニケーションツールで仲良くなって信用し
ロマンス詐欺に引っ掛かったり、会いに行って殺されるニュースも耳にする。
最近では独り暮らしでしんどくなっても相談できる友達がいない
同僚には弱みは見せられず
ウインウインの関係の話しか出来ないという話も聞く。
顔を合わすから「体調悪いんじゃない」という声かけも出来るんだ。
退職代行サービスを依頼するということは、そもそもツール利用であり
「私はコミュニケーションが苦手です」という現れでもあり
相手側(会社側)を問題視する前に、自身の生き方を見直すところから
始めなければならないように思えてならない。


消極的利己主義②

2025-04-13 | 受け止め方
消極的利己主義について考えていると
次から次へとそういう人たちのことが思い浮かんできた。
日頃から当ブログで書いてきた人たちも
消極的利己主義と言える気がしてきた。

若い頃なら私たちはつねに社会の一員としての行動をしてきた。
たとえば梅田の街を縦横無尽に歩く人たちにぶつかることなく
上手に歩く術が身に付いていたが、
スマホ普及に連れて周囲に注意することなく歩く人が増えてきて
こちら側が人の動きを読みながら歩いてきても
ぶつかってくることが増えた。

電車に乗ればドア付近に陣取ってひたすらゲームに没頭している。
自分が降りない駅でも場所を譲らずゲームに夢中で
イヤホンをしているため「すみません」と声を掛けても無視される。
仕方なく肩を叩くと、あたかも痴漢にでも遭ったような形相で睨みつけ
逃げるように去っていくが、悪いのはあなたの方ですよ。
車内で転倒した時も「我、関せず」というふうにゲームに没頭していたし
エレベーターに乗れば、後方を気にせず閉めるもんだから
ドアに挟まれて痛い思いもした。
「危ないですから後方を見て閉めて下さい。」と声を掛けたお年寄りは
ホームに降りてから独りで文句を言っておられたし
エレベーターに向かって進んでくる人を待ってあげてたら
乗らなかったり、行こうとしたら乗ろうとしたり誰も意思表示をしない。
降りてきた乗客でいっぱいの改札口に入ろうとする子どもを
静止しているお父さんには、「2番目の改札なら入れますよ」と教えてあげたが
礼も言わずに立ち去った。頼まれていない。善意でしたことだから仕方ないか。
駅で困っていそうな乗客に声も掛けない駅員。
通り道の中央に整列させて座らせている小学校の先生たち。

昔ならつねに社会の一員として周囲に気を配っていた。
どうしても電車のドア付近に居りたいときは
駅に着くたび、駅に降りてもう一度乗っていた。
何より「いい人すぎるよ展」を観に行ったら、
自分たちが日常的にやっている当たり前のことが取り上げられており、
「ふつうのことじゃないか」とガッカリした。
もう私たちの世代がやってきたことは「いい人すぎる」と言われるほどに
社会の消極的利己主義化が進んでいる。

こんなことでは平々凡々と育ってきた日本人はますます使い物にならなくなり
外来種(人間で言えば外国人)に生態系を破壊されてしまう。
いやかつて小麦の輸大国にされてしまったように、今度はデジタル小作人に仕上げられ
戦争をせずしてどんどん日本が攻め込まれている。
情けないとしか言いようがない。

消極的利己主義①

2025-04-12 | 受け止め方
消極的利己主義という言葉が気になっている。
「仕事で失敗のリスクを冒してまでチャレンジしないほうが得だと思いますか?」
という質問に対し、「そう思う」「どちらかといえば、そう思う」と回答した人が
計65.5%とほぼ3分の2を占めた。
また「同僚として積極的にチャレンジする人と、周りとの調和を大事にする人の
どちらを好みますか?」という質問には、
「どちらかというと周りとの調和を大事にする人」という回答が68.2%と7割弱に達した。
その理由としてあげられたのは、「もめ事を起こしたくないから」
「面倒を起こしたくないから」が多数を占めた。
『何もしないほうが得な日本――社会に広がる「消極的利己主義」の構造』PHP新書、2022年)


自身もそうだろうかと考えている。
今日、電車に乗ると向いの座席に忘れ物があった。
今降りていった乗客が忘れていったと思われる。
となりの座席の高校生に尋ねても、「気付きませんでしたが
忘れていかれたんだと思う」と話すだけ。
私はすぐさま持って降りて駅員に届けに行ってきたが、
こういう行動がとれるというので、消極的利己主義ではなさそうだ。

電車に乗ると2人掛けの座席の通路側に独り、座っている乗客を見かける。
私なんかは必ず窓側に座り、隣の席に座れるようにしているが、
ほとんどの乗客は次で降りるからなのか、通路側に座っている。
これもまた消極的利己主義の現れなんだ。

そういえば定年退職する前に働いていた時、
どうすればコロナ禍で福祉施設の利用者に愉しんでもらえるか?
三密を守りながら出来ることを模索し、さまざまな提案をしてきたが
二人の同僚にことどとく反対されて、実現しないだけでなく
すべてのプログラムが中止される事態となった。
こんな状態で施設の役割が果たせているのかと疑問視し
ただ指をくわえていて給料をもらっている自分が悔しかったのを
覚えているが、あれもまた消極的利己主義だと分かる。

原因としては減点方式にあると言われており、
失敗をすれば減点されるが、何もしないと減点されない。
結果的に「動かないことが最も安全」と言う考え方になる。

しかも私たち世代のように頑張れば頑張っただけ評価され
「24時間働きますか?」と言われたバブル世代ではなく、
今の社会の中心となる50代といえば就職氷河期の世代で
やっとつかんだ幸せを犠牲にしてまで冒険しないのも理解ができる。

あ、はい!

2025-03-21 | 受け止め方
電車に乗っていたらドア付近に立っている人がいる。
ドア付近に立つこと自体には何ら問題はないのだが、
ドアが開いてもその場所を開けようとせず
なかなか降りられないことある。
そんな時に私は「降ります」と声を掛けるようにしている。
しかしヘッドホンをしていたりして聞こえない時もあり
そういう時には、肩を叩くようにしているが
めちゃめちゃビックリされて
なんだかこちらが驚かせて悪かったような気にもなる。

誰もが自分中心に考える時代となり、
周囲への配慮がみられない時代となってきた。
最近ではそういう世代が増えてきて、
小学生を引率されている先生までもが意識されなくなり
生徒に教えるどころか、それ以前の問題になってきた。

ひと昔前ならドア付近に立っている人たちは、
一旦ドアから降りて、
乗客が降り切るのを待ってから再び乗車して
迷惑にならないように心掛けたものだ。

先日も高校生がドア付近に立ってゲームをしている。
そのうちにしんどくなってきたのかドアにもたれ掛かって
ゲームに勤しんでいる。
しかしもうすぐ終点に到着するし、
もたれ掛かっているドアが先に開くのだがゲームを終える気配もない。
ゲーム中に突然ドアが開いて転倒されてもいけないので
高校生の肩を叩き「こちらのドアが開きますよ」と声を掛けると
「あ、はい!」と返事をすると一番に降りていった。
『あ、はい!』ってなんだ!そこは『ありがとう』だろう?と思ったが
「ありがとう」の一言も言えないこともまた
本当に誰もが周囲に配慮しない時代になったものだと感心する。
リアルに3次元の世界で生活しているにも係わらず
2次元のスマホの世界で生きているため
会話によるコミュニケーションが取れなくなり、そうなるのだろうか?
以前に書いた「いい人すぎるよ美術館」という展示会を見に行った時に
自分たちがふつうにやっていることが
「いい人すぎる」と評価されていてあまり感動しなかったが
正にもうそういう時代になったのだと実感した。

マスクの着用

2025-03-18 | 受け止め方
コロナ禍が明けて久しいが、厚生労働省のHPには、
これまで屋外では、マスク着用は原則不要、屋内では原則着用としていましたが
令和5年3月13日以降、マスクの着用は、個人の主体的な選択を尊重し、
個人の判断が基本となりました。
本人の意思に反してマスクの着脱を強いることがないよう、
ご配慮をお願いします。
と書かれています。

私自身マスクの着用は好きではありませんが
受診時や医療機関、高齢者施設などを訪問する時や
公共交通機関を利用する時と繁華街を歩く時だけは
マスクを着用するようにしています。
さらに今日の花粉症の季節には、くしゃみや咳が止まらない時があり
そういう時にはすぐに着用しています。
私の場合、感染防止というよりはマナーのようなものであり
他人の体臭はもとより香水や化粧の匂いも苦手なので
そういう香りがプ~ンとしてきた時や
前の席の方がマスクをされずくしゃみや咳込まれた時にも
そっと着用しています。

皆さん「マスクをすると息苦しい」とか「お金がかかる」と言われますが
私も不織布マスクをすると息苦しくなるため
布マスクやウレタンマスクを利用し、洗濯をして再利用しています。
(アイロンをかけるとさらに良いらしいがやってません)
感染対策という意味では、布マスクは不織布マスクに比べて低く
ウレタンマスクはさらに低いとされていますが
私の場合、感染対策というよりはマナーとして利用しているため
それで十分なのです。
それなのに私のような布マスクを利用されている方はほとんど見かけません。
不織布マスクは息苦しいと思っているのに我慢して使っているせいか
顎マスク(マスクを下に寄せてアゴだけにかける)や
手首マスクで利用されている人も少なくないが
口や鼻を露出させた状態でありマスクの機能を果たしていないだけでなく、
必要に応じて再び口に装着したら不衛生でしかない。
私は使わない時は、あまり物を入れない胸ポケットに入れていますし
忘れてきた時用に予備のマスクは常にカバンに収納している。

先日も電車に乗っていると向いの乗客が
花粉症のせいか急にくしゃみが止まらなくなった。
この時期は仕方のないことだがノーマスクでは不快感を感じさせる。
たとえ私同様にマスク嫌いであったり苦しく思えても
社会人としてのマナーとして持っておくべきだと思う。

参考:マスクの種類とは? 用途・素材・形状・サイズなど徹底解説