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まじ卍

生活の中で気が付いたことを書いています。

告白する勇気

2024-10-31 | 反省
毎日同じの電車に乗ると、同じ2両目に毎日乗っている男性がいる。
彼の顔を見てピンときた。おそらく同級生のように思う。
彼は幼稚園、小学校の時によく遊んだ食堂を経営されているお店の子で、
20年ほど前に一度、同窓会で会ったきりなので確信はない。
見た目には自分よりかなり若くも見えるし、間違っていたらと思うと
「失礼ですが、〇〇さんですか?」と声を掛ける勇気が出ない。
横並びの席からそっと顔を見て気になっている私は
好きな彼氏を見るような眼差しにも感じ、気持ち悪がられそうだが
恋愛感情などまったくない。単なる懐かしさだけである。

声を掛けて間違っていたら、後々まで気まずくなって
毎日乗車する電車の降車駅の階段に近い2両目には乗れなくなってしまうかもしれない
と思うと、声を掛けてみるだけのことでもリスクが大きい。
それでも気になって変な人に思われない範囲で顔を覗くけれど、どうも声は掛けにくい。
というのも彼は自宅で設計士の仕事を自営しており、自宅もだいたい分っている。
そんな彼が毎日同じ駅から乗ってきて同じ駅で降りるのもおかしな気がする。
彼は小学生の頃から細かい描写が得意で、
私なら到底やりきれないほどの緻密な作業をコツコツとすることが得意だった。
そんなこともあって設計士になったと聞いて納得したのを覚えている。

声を掛けようか迷っているうちに週末になり、
来週にはダメでもいいから、勇気を出して声を掛けてみようと決心したが
翌週からは乗ってこられなくなった。
取引先との話し合いの時期を過ぎたのかもしれないが、
今にして後悔しながら同じ電車に乗っている。
姿を見なくなった今頃になってから
「次に見た時には、絶対に声を掛けよう」と思っている。

外国人観光客

2024-10-08 | 反省
テレビでランプの宿「青荷温泉」を紹介していた。
東京から新幹線を使っても新青森駅からJRで弘前駅に移動し、
弘南鉄道で黒石駅から路線バスと送迎バスを利用して7時間もかかる。
電気も通っておらずテレビも観れないしネットも繋がらない。
そのためSNSによる宣伝も出来ないのに外国人観光客が多く、
その日も日本人7人に外国人21人が宿泊されており、
日本人も外国人もビックリされており、フランス人ツアーコンダクターも驚かれていた。
AIに自然豊かな旅行先を教わって来られていた。

この宿には私たち夫婦も30代くらいの頃に訪れたことがある。
奥入瀬渓流が特に美しく、その感動は今も忘れられないほどである。
温泉好きには昔から知られる秘湯だが
意外にも日本人にはその良さが知られてなくて
外国人の方が日本の素晴らしさをよく知っておられる。
旅好きの私たち夫婦は、若い頃から全国各地を旅をしてきたが
最近は、本当に素晴らしいところほど日本人には人気がなくて
外国人には大人気という特徴がみられる。
外国人を差別するつもりはないけれど
日本文化に場違いな格好で来られていたり
大きな声でおしゃべりをされていたりして雰囲気に合わないこともあるため
なるべく外国人の居なさそうな所を探すのだが、
素晴らしい景色の場所ほど外国人が多く、日本人が少数派ということも多い。

日本人ほど自然豊かな場所を求めず、USJやディズニーランドなどの
いかにも人間の好みに合うように造られた場所を好む。
もう日本の原風景の残る素晴らしい場所にはほとんど外国人旅行者が居る。
それだけ日本人が本当の素晴らしさを分からないということが
悲しくてたまらない。
日本人ももっと外国人を見習うべきだと思う。

今日、病院に行ってきた。

2024-10-03 | 反省
今日、病院に行ってきた。
毎月血液検査を受けているが見たことの無い若い看護師さんに当たった。
すると若い看護師さんは「お名前と生年月日を伺っても宜しいですか?」と聞いてきた。
思わず「言わないという選択肢もあるんですか?」と聞き返した。

「言わないといけないんでしょう。それなら教えて下さいと言えばいい。」と伝えたが
私が不要なことを話して緊張させたのか、血管に刺さらず血液が取れず、
ベテランの看護師さんに替わられた。
ベテランの看護師さんは、スッと血液を取って下さったので
私がつまらぬことを言ったせいで緊張させたのかもしれない。
私の血管は細いのか、これまでも1回で取れないこともあるので
立腹などしていませんので、先の看護師さんに気を落とさないようにお伝え下さいと言い
ベテランの看護師さんに「お疲れ様でした」と伝えると照れくさそうにされていた。
おそらくそんなことを言ってくれる患者さんもいないのであろう。

そうこうしているうちに蚊に刺されたことを妻に言うと
「3本も針をさされたんやね」という妻の会話が面白かった。

「大丈夫です」は、やっぱ馴染めんわ

2024-09-26 | 反省
改札口に向かっているとヘビーカーを押している若いお母さんが
私のすぐ前を歩いている。
「早く行ってくれないかなあ」と思いながらもゆっくり進むベビーカーのすぐあとを
追いかけるようにして付いていくと、改札口のすぐ直前でそっと脇にそれた。
何か起きたのだろうかと心配になって、
横を通り過ぎる時に「出られないんですか?」と声を掛けたら
「大丈夫です」と返ってきた。
そこは「ごめんなさい」か「ありがとうございます」じゃないかと思った。

つまり「大丈夫です」という言葉には、他人を思いやる心はなく、
自己中心的な考え方から発生している言葉なんだとここで悟った。
自分を中心したものの考え方しか出来ないから
自分の行動が他人に迷惑を掛けているかもしれないなどとは
考えられなくなっている。
それは彼女だけの問題ではなく、
自分がエレベーターに乗ればすぐに閉まるボタンを押すことや
電車から降りないにもかかわらずドア付近に立っていたり
満員電車の中でもイヤホンを付けてスマホに没頭して
自分だけの世界に入り込んでいる人々のように
さまざまな人たちのお世話になりながら社会の中で生きている
といった社会の中の個人という位置づけではなく
単に自分だけが生きているような自己中心的な考えの中で
生きていることの現れだと理解するとともに
「大丈夫です」という返事で片付けられてしまう社会は間違っている。
昭和世代の私には、やっぱり馴染めないと分かった。

電車での出来事

2024-09-12 | 反省
今朝電車に乗ると、遠足の小学生の団体と一緒になった。
子どもたちは3箇所ある扉付近に固まって立っていて
一見満員電車のようだが座席はガラガラである。
停車駅で乗り込んでくる乗客を見ると
引率の先生が気を遣われて座席へと通路を開けてくれるが、どうも変な感じ。
なぜ立たせているのかを考えてもみる。
中には座る子どもも見られるが特段注意されている様子もみられない。
なんとも不思議に思っているうちに降りていった。

また別の日には、改札口への降りる階段の前で列車から降りようとすると
子どもたちが駅の階段の手前で集合させられている。
通れないので「すいません。通して下さい。」と声を掛けても子どもたちは知らんぷり。
いや引率の先生方も意識されていない様子で
きっと教えられていないんだと気付かされる。
おそらく家族では車で移動し、団体で電車に乗ることもなくなり、
そういうことも体験しない時代になってしまっている。
そんなこともわざわざ教えなければ分からない時代になったんだ。
想像ができない環境になってきたんだなあと気付き、私の方で除けて通った。

おもしろいものでそれは学校によって千差万別で
歩道を歩く時でも1組から〇組までの生徒がずっと連なって歩く学校もあれば
クラスごとに歩道の右側、左側と交互に固まって立ち止まっているために
私たちはクラス単位のグループを避けるように道を開けていてくれる学校もある。
しかしながら日本の学校ほどその意識は薄く、
インターナショナルスクールのような外国人先生による引率の方が
よく生徒たちの動きに注意を払い、他人に迷惑を掛けないように行動されている。
外国人というだけでクレームが言われやすいのかもしれないが
よく配慮されていた。
日本の学校も見習うべきだと思う。