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まじ卍

生活の中で気が付いたことを書いています。

認知症?

2024-12-25 | 反省
今日はお義母さんが入所されている施設に面会に行くことになった。
必要なものをカバンに入れ、出発前にトイレに行った。
そうそう一本電話を入れておこうと電話をしてから自転車で出発した。
30分ほど自転車を漕いで施設に着き、お義母さんと面会する。
妻は度々面会に出かけているが私が面会させて頂くのは久しぶりで
いつも妻からお義母さんの様子を聞いている。
認知用のお義母さんは、パンを1個口に入れると「美味しいな」と言って食べ
しばらくすると「このパン食べてもいい?」と言うので「食べ」と答えると
初めて食べたかのように「美味しいな」と言って食べてしまう。
「もうお腹いっぱい」と言った矢先に「このパンもろてもいい?」と言い
それもペロリと食べてしまう。
妻がお義母さんに「パン、もうええか?」って訊くと「もらうわ」と言って
手に取って初めて食べたかのように喜んでいるらしい。
認知症と聞くと悪いイメージを持っていたが
ほんの今美味しいと食べたことも忘れてしまい、毎回初めての喜びがあることは
ある意味羨ましいことなのかもしれない。

認知症の義母は、息子や孫のことは完全に忘れているのに
娘と私のことは覚えてくれており、私の顔を見るなり
「名前は忘れたけれど、〇〇(娘の名前)の好きな人やろ。優しい人は覚えている。」と、
他人であるはずの私と妻(娘)のことだけは覚えてくれている。
ベッドに腰掛けて順番にお義母さんと記念写真を撮り、喜んで下さった。
お義母さんはコーヒーを飲み、私の分も気にして下さり
私は持参した水筒のお茶を飲もうとカバンを探すが見つからない。

施設内や乗ってきた自転車の前カゴにも見当たらず、そのまま自宅まで探しに戻る。
しかし出発前にトイレに行くときは肩に掛けていた記憶もあり、
肩から下ろした記憶だけがどうしても思い出せない。
いよいよ自分も認知症状が始まったのだろうか?
そんなことを思いながら必死に自転車を漕ぐ。
そういえば自転車に乗っている時にも持っていなかったような気にもなってきた。
30分ほど掛けて自宅に戻るとリビングの机の上にポーンと置いてあった。
そうだ、電話をする時に下ろしたことをその時初めて思い出した。

忘れたことを思い出せば、認知症ではなく物忘れで、
忘れたことも思い出せなければ認知症というから、
認知症ではないと自分に必死に言い聞かせ、
カバンが見つかりましたと妻に電話を入れたが、
自分の物忘れと不甲斐なさにしばらく落ち込んでいた。

帰宅した妻は、「カバンあって良かったね」
「私なんかそんなこと、しょっちゅうやから落ち込めへんでぇ」
「アンタは今までそんなことがなかったから落ち込むねん」
と平気な顔をして言ってくれたので、少し気が楽になった。

とうとうこの日がやってきたか!

2024-12-24 | 反省
私は生まれつき足に障がいがあり、奇形で誕生した。
それをギプスや矯正靴で足の形状を健常者のように形を整えて、
今日まで健常者と同じように育てられてきた。
しかし矯正された反応は収まることもなく、
成長期に入った中学生の頃から毎晩のように足がつる。
特に青年期に入り、みんなでハイキングをしたその勢いで飲んだ後には、
痛みで一晩中寝られなかった。
それからは歩くか飲むかを選ぶようになり、
定年退職後は基本的には特別な日以外は飲酒もしなくなった。
足のつりがひどくなってくるとマッサージを受けたりしながら
どうにかこうにか誤魔化してきた。
そうやって健常者の世界の中でハンディを見せないよう心掛けて
自分の努力は、人に知られないようにしてきたのだろう。

いつかいよいよ歩けなくなる日が来るかもしれない。
そんな思いで退職後も休むことなく歩き続けてきたが、
いよいよ両足が同時に痛みが出るようになってきた。
また私は若い頃から気管支ぜんそくがあり、
一時は発作もひどく常にゼイゼイしていることもあった。

手相の生命線が長くなく、30歳くらいの時に、
職場の手相の見れる人に相談したことがある。その時には
「心配しなくてもいい。60歳くらいまでは生きられる」
と診断されたが、すでに60歳を越えてアディショナルタイムに入っている。

そんなことから今回の足の痛みを経て
「とうとうこの日がやってきた」と思わずにいられなくなってきた。
最近は、同年代の健康的だった友人たちも次々と亡くなっているので、
若い頃に比べると死に対する不安は少なくなった気もするが、
お迎えがあるまでは先を急ぎたくはない。

気持ちが穏やかな時には次々とブログに書くことが思い浮かんでくるが
こういうふうに気持ちが落ち着かないと書くテーマが閃(ひらめ)かない。
そう思うと、これまでのように毎日更新する自信も急になくなってきたし、
書き貯めていた余裕もなくなってきた。
以前よりも弱気になっているのが分かる。
これからは毎日更新出来なくなるかもしれないけれど
無理をしないことにします。

なぜか頭の回転が速くなった

2024-12-21 | 反省
最近、妻がなぜか怒りっぽくなった気がする。
ニトリで買ってくれた室内着の時もそうだったが
「自分のせいにされている」感が強く反応するようになっている。
それはテレビを観ていても勝手に怒ってツッコんでいる時もあり
言い換えれば、自分に言われたことや責任が及ぶことへの反応が強くなった感じで
若い頃の妻に比べて、頭の回転が速くなったように思えるのだ。

若かった頃の彼女は、顔見知りでボーッとしている印象だったが、
長年私の妻として仕事を続けてきたせいか最近では、頭の回転が速くなったせいで
すぐに反応してしまい、カチンときて怒りやすくなってきていると感じられる。
そのことを妻に伝えると、自分でも腑に落ちたようで
そこで初めて自分でも気付いたらしい。
最近では自分の頭の回転が早くなったことで怒りっぽくなったのが嫌みたいで
若い頃のように鈍感な性格に戻りたいらしいが、
もう戻れないと自覚している。

学校教育では賢くなることが幸せになることのように習って育ってきたが
ずば抜けて賢いのはいいけれど、中途半端に賢いのは幸せになれない気がする。
私なんかは、人に言われたことを半日くらいかかってから
「あの話は、馬鹿にされていたんだ」と気付くくらい鈍感な性格だから
妻と比べてもあんまり腹が立つことも少ないし、
当ブログに書くことによってストレス発散に一役買っているとも言える。
妻の頭の回転の良さを衰えさせる技はまだ分からないが
進む過ぎることで頭脳の防御反応が働くと認知症を
引き起こすんじゃないかと不安視している。

妻の不思議な力

2024-12-20 | 反省
妻は週に2日だけ仕事に通っている。
年内に仕上げてしまわなければならない仕事が立ち込んでいて、
果たして年内に終われるかどうか分からず、
昨日も出勤前の勤行を終えると、朝から涙を流していた。

そんな妻が仕事から帰るなり、笑顔になっていた。というのも仕事に行くと、
自分がしなければならない仕事がほとんど出来上がっていたというのだ。
そんな馬鹿げた話が本当にあるのだろうか?

朝令暮改という言葉もあるが、朝とは真逆のことを言っており、
聴いているこちらが理解不能になってしまう。
しかも誰かが代わりにやってくれた訳でもなく、
自分がやっていたことをまるまる忘れていたというのだ。
まあ仏様の御加護、功徳とも考えられるが、
妻は昔から自己顕示欲ゼロ、自己評価ゼロという独特の価値観をもっており、
私の見立てでは、けっこう要領も能力も高いのだが、
謙遜することなく自分は何も出来ないと思っている節がある。
そんな妻には自己顕示欲とまではいかなくとも、
せめて自信くらいはもってもらおうと、必要以上に褒めてきたつもりだが、
「三つ子の魂百まで」と言われるように、私と出会う22年間に受けた価値観は、
2年間のおつきあい期間と36年間の結婚生活を以っても改善されていかないのだ。

まあ「やってあったツモリ」が「やれてなかった」というのとは異なり、
やれていたのだから良かったのかなあ。

想像力の欠如

2024-11-28 | 反省
先日、すでに終了したTBSの『東大王』の再放送を観ていて思ったことだが
氷の出来方や鮭の切り身の脂身の位置を問う問題があり、
東大出身者にも一般芸能人回答者にも答えられない人があり驚いた。
私たち世代の人たちには常識と思える問題だからだ。

氷で言えば、昔は冷蔵庫には必ず製氷皿というものが冷凍室に入っていた。
一定した形の氷を同時に大量に作るための容器である。
アルミ製であるため早く製氷できるが、取り出す際に手がしびれるほどに冷たくて
水道水を当てて取り出す際には氷が少し溶けて損をした気分にもなったものだ。
製氷皿に水を入れる際に満タンにすると凍った時にあふれてしまうから
8分目くらいにしておかなければならないことで、凍ると膨張することを学び
氷を作ってすぐ取り出せばそうでもないが、日にちが経つと
一つ一つの氷の中心辺りが盛り上がってくるのを経験的に記憶しており
水が氷ることで中心部分から体積が増えていくことを自然に学んできた。
しかし今は製氷機が冷蔵庫に標準装備されているものも多く
引き出しを開ければ一定した形の氷を同時に大量に取り出せる。
子どもが遊ぶスコップのようなもので取り出すだけだから
自然に学ぶ機会を逸している。

鮭の切り身にしても元の3枚におろした鮭から切り出すこともなく
初めから切り分けて販売されているから、切り身の太い部分と細い部分が
魚のどの位置に当たるのかも分からない人が居たりする。
最近は食べなくなったが、若い頃は鮭の脂身が好きで皮の部分や
ハラスを好んで買っていたが、歳とともにしんどくなってきた。
昔は北海道土産といえば鮭を丸ごと一匹というのが流行した時代もあり
学生時代に友だちからもらったこともあった。

時代は変わり世の中が進化していくことで便利になり
氷は作らなくてよくなったし、鮭は切り身で買えばよくなった。
そのせいで氷を作るとか鮭を切り身にするというプロセスが無くなり
これまでなら自然に入っていた知識でさえも
わざわざ取り入れなければ入って来なくなった。
スマホで検索すればすぐに判ることとはいえ
どこの世界に一般の人でわざわざ調べる人がいるだろうか?
相当に関心でもなければ検索しようなんて思わない。

以前『トリニクって何の肉?』という番組があり、
「トリニクって何の肉?」と尋ねられて「鳥の肉」だと答えると
「どの鳥?」と重ねて尋ねられて「鶏(にわとり)」と答えられず
社会問題になったことがある。
しかも番組内で説明したうえで再度同じ質問をしても答えられず、
スマホ脳になることで、
いつでも調べられるからという理由で記憶に残らないことが
昭和世代の平成生まれ世代に対する批判番組のようになってきて
番組が終わってしまったと記憶している。
今にして思えば、スマホの普及とともにその頃から
想像力の欠如の傾向が始まっていたようにも思えてくる。

私がよく腹を立てて当ブログで書いている
道端で突然立ち止まってスマホ検索しているオジサンオバサンをはじめ
乗り降りしないのに電車のドア付近を占領しているだけでなく
スマホにイヤホンスタイルで自分だけの世界に入っている若者にしても
小学生の団体が通行の邪魔になっていても問題視しない教師など
自分中心の社会となり、社会に一員であることで他人に迷惑を掛けない
というような世の中を俯瞰で見ることが出来ない人たちが増えて
アナログ時代に生まれ育った私たち世代だけが一方的に怒り
カスハラの温床になっている。

私が生まれて初めてキャンプに行き、雨で薪が濡れてしまい
火が着かず、楽しみにしていたすき焼きをサラダで食べたことから
ガスを捻れば火が着き、ご飯が炊けることが当たり前ではないことを学んだように
もう一度原始的な原点に立ち戻ってゼロベースに戻して考えなければ
物事の豊かさや便利さのおかげで人間がバカになり、
想像力を働かせる原材料となる経験値を高めなければならない。
赤ん坊の頃からスマホを観て育ち、賢く大人しい子どもたちが増え、
親の言うことを聞かず危険な池で遊ぶ子もずいぶん減った。
私たちの世代なら親の言ういうことを聞かず、池にはまる子が居て
その子だけに限らず一緒に居た子どもたちが一斉に学習するということがあったが
そういう機会も失われた分、ますます想像力の欠如した社会になっていくのを
ただただ指をくわえながら、文句をブログに書いている。