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まじ卍

生活の中で気が付いたことを書いています。

ああ、知らなかった!

2025-02-19 | 反省
プチトマトがもう販売されていないということ。
ええっ!まだ売っているけれど・・・と思っていると
大きいトマトしかなかった1975年に
一口トマト「プチトマト」がタキイ種苗から販売された。
その後プチトマトのようなミニトマトが主流になると
種苗会社はミニトマトの品種開発を行い
次々とミニトマトの新品種が発売、
プチトマトはその役目を終え
2007(平成19)年に販売終了となったらしい。
つまり「プチトマト」は商品名であり
一般的に私たちがプチトマトと言ってる小さなトマトは
ミニトマトというらしい。
ああ、知らなかった!
近いうちにクイズに出題されそうだね。

参考:プチトマトはもう売られてないってホント!?

トイレットペーパー

2025-01-25 | 反省
いろいろな建物の中にあるトイレに行くと、
使い切らないロールを外してあることがある。
どうして最後まで使い切らないのだろうか?と思う。



自宅であればそういうことはしない。
ロールの最後まで使い切ってから捨てる。
微々たることかもしれないけれど
もったいないとは思わないのだろうか?



何かの番組で若い女性が
「自分の番でトイレットペーパーが最後になると嬉しい」
と語っていた。
自分が新品を使えるからかと思ったが
誰かの為に人知れずお手伝いが出来ていることが嬉しいらしい。
私とは違い、いい人なのだろう。



それにしても「もったいない」と思い、
私はなるべく残っているものから使うようにしているが
3本も4本もあって使い切らないことも多く
触っているうちに下へ落してしまったり、
濡れてしまってそのままゴミ箱へ捨てることもある。
そういえば清掃員が外しているのを見たことがある。
予備のロールが切れないように多めにストックするため
外してくれているのだろう。
別に新品を置いておけばいいのだが、
それなら持ち帰る人も多いらしい。
いずれにしろ大切に使いたいものだ。

老害

2025-01-14 | 反省
正月に電車に乗る機会があった。
2人掛けの座席に座っていると、隣に高齢の男性が座りに来られた。
見れば、マスクをされていない。
若い人の中にはマスクをしない人も少なくはないが今の時代、
高齢者はほぼ100%の確率でマスクをされているがその方はされていなかった。
珍しいなあと思っていたら、通路を挟んだ斜め前の1人席の座席が空き
そちらは移動されるとすぐさま窓を全開にされた。
車内の温度は一気に下がり、冷たい風が車内全体に吹き込んでくる。
「ああ寒い」と思ったところで私の降りる駅に着いたので、電車を降りたが、
ハッキリ言って迷惑この上ない。
単に自分がマスクを忘れただけで他人の迷惑を考えない不届き者であり、
明らかなる老害と言える。
正しいことを主張する老害は良いけれど、利己主義の老害は困ったものである。

最近、我慢したこと

2025-01-13 | 反省
駅のエレベーターが開いていたので慌てて飛び乗ったら、
そのタイミングで扉が閉まり、挟まれた。
古いタイプだったこともあって扉が閉まるスピードも早くとても痛い。
高齢女性だったら骨折するくらいの衝撃だったが、
慌てて電車に乗ったので言うていく所もない。
痛みは夜まで続き、入浴時に確認したが打撲痕もなく、
入浴後には痛みも緩和した。

その日はもうひとつ嫌なことがあった。
帰りにスーパーで買い物をして無人レジで2千円支払おうとしたところ、
誤って2万円入れてしまった。
新札に慣れていないせいで、1000円札と10000円札を間違えたのだ。
外国人にも分かるように漢字表記から算用数字に変更されたからだ。
無人レジは想定以上の金額が投入されたため
1万円以上のおつりが出せず、停止してしまった。
レジ係はフロアマネージャーを呼んだが、
その場に来たのはいかにも学生アルバイトという感じの若い女子で
事情を説明すると「そこ、どいて下さい」と乱暴な言葉遣いで驚いたが
元はと言えば私が紙幣を見間違えたのだから仕方がないと素直に受け入れた。
若い時なら大きな声が出ていたところだが、よく我慢出来たなあと思う。

昭和の遊び

2025-01-05 | 反省
年末に昭和の遊びを特集する番組をやっていた。

手押し相撲(地面に書いた円の中で、片手または両手どおし押して倒す)
山崩し・棒倒し(砂場で山を作り頂上に枝を立て、少しずつ砂を取っていく)
靴とばし(地面に線を引き、そこから履いている靴を飛ばす。ブランコver.もあり)
お天気占い(靴飛ばしをして靴の表裏で占う)
かげおくり(晴れた日の屋外で、自分の影10秒見つめ、空を見ると残像が映る)
おしくらまんじゅう(寒い日に背中どうし組み合って押し合い、温まる)

それらを令和の子どもたちに説明すると、どの子もこの子も
「ニンテンドー Switchの方が楽しい」と必ず言う。
そりゃそうだ。ゲーム機は子どもたちが喜ぶようにプログラミングしてある。
多くの大人たちが、より好まれる物を試行錯誤しながら作っていくのだから
後発の遊びの方が楽しいに決まっている。
だから令和の楽しいゲーム機もこれから30年、50年経つと
つまらない遊びになっていくのだ。
その証拠に初めて家庭用に販売されたテレビゲームのテニスでは
タテ長の四角いラケットを上下させて四角い球を打ち合うだけの
シンプルなものだったが、どれほど楽しんだか分からない。

しかし昭和の遊びの素晴らしいこともある。
ゲーム機などの媒体がなくても遊べることだ。
そこには自分たちだけで作るルールを決めたり、工夫をしたりして
その遊び方をどんどん進化させていける。
言い換えれば、昭和の遊びは「自分たちで遊んだ遊び」であり、
令和の遊びは「遊んでもらう遊び」に変化してきた。
この現象は、山で遊ぶ、川で遊ぶ、海で遊ぶというように
自然の中で遊ぶ遊び方から、ディズニーランドやUSJのような
遊び専門に特化したテーマパークに遊びに行き
遊んでもらう手法が定着していったとも考えられる気がする。

どちらがいいか?というのではなく、自分の好きな方で遊べばいいのだけれど
敗戦後の食糧難の時代に小麦を送られているうちにコメの消費が減ってきて
自分たちの文化が知らぬ間に、外からの力で変えられてきたことの
ように思えてならない。