マグタイム

日常のひとコマを繊細なタッチでつづる……エッセイ、詩、スイーツ感想 etc. マグカップ片手に、リラックスしたひと時を

しるしではないけれど

2010-07-31 09:16:53 | 心のアルバム
猫のひたいほどの裏庭におりたら、ブロック塀に、またトカゲが現れました。
日影から日向へ。日向へ出るとトカゲは止まり、そのまま日光浴でもするように動かなくなりました。
先日表にいたトカゲかしら? 裏に移動したのかな? それともここにはトカゲが何匹もいる?(ブルッ!)

足元にふと目をやると、ローズマリーに、キアゲハが逆さになっていました。
手をのばせば届くところです。美しい羽でした。顔を近づけても飛び立ちません。日がだいぶのぼってきてはいますが、まだ夢うつつなのでしょうか。枝に止まったままでした。

わたしはトカゲとキアゲハを交互に見ました。どちらもじっとしていました。

トカゲも蝶も、もう“しるし”ではないでしょう。
ただ庭に昆虫がいただけのこと。だって、ここにはバッタもアリもいる。

でも。
「……おばあちゃん?」
わたしは見えない空間に声をかけました。第六感も霊感もないけれど、それでも、そこに何もいないのは分かっていました。
「ありがとう。わたしは大丈夫だから。元気でね」

ただ、思いたかったのです。こじつけでもかまわないから。

――おばあちゃんが最後のあいさつに来た、と。


その日、用事があって実家に行きました。
勝手口にまわろうとすると、地面を、そこでもトカゲが走っていました。
家の外壁の、高いところには、セミのぬけがらがついていました。

よくあること。
実家でもトカゲは5年に1度は見かけるし、セミのぬけがらなんて、毎年見ている。

もちろん、勝手に想像をふくらませているのは分かっています。
それでもいい。私は信じたかった。

――おばあちゃんは、羽化したのだ――と。

体をぬぎすて、知人へのあいさつも終わり、次の世界へ行く準備ができましたよと。
もうそろそろ、本当にさよならですよと。
そう伝えに来たと。

空は梅雨も明け、ひたすらに青く、夏本番の暑さがやってきていました。

来週は、祖母の四十九日の法要です。

スコーンでアイス

2010-07-29 12:09:22 | 冷たいお菓子
「うーん、暑いわ」

気温が高くなると、クッキーやチョコレートに食指が動かなくなる私です。
「こういう時は、冷たいものに限るねぇ」
そして、冷蔵庫にはゼリーやアイスがぎっしりストックされるようになります。

「でも、たまにはスコーンが食べたいな」
スコーンミックスの手軽さを知った栗栖氏は、母の日以来、たびたびリクエストしてくるようになりました。
「あれって作るの簡単だろ? きみの焼きたてのスコーンはおいしいんだよね」
キラキラとした瞳、全開の笑顔。

夫をうまく操縦するには笑顔とほめるに限る、と私は本で読みましたが、逆もまた真なりということを、栗栖氏もどこかで(あるいは本能で)会得しているようです。うーん、くやしい (笑)。

「暑いよ」
ちょっと抵抗してみます。
「食べたいな」
にこにこ。
「面倒くさいよ」
「手伝うから」
「……」

作りました。


今回は夏バージョン。
栗栖氏のアイデアで、中にはさむものをジャムではなく、アイスにしてみました。

スコーンを冷蔵庫で冷ましてから、二つに割り、アイスをはさみます。
在庫であったレディーボーデンのメープル味でやってみましたが、とてもおいしかったです。
スコーンの乾いたバターの香りと、アイスの冷たいなめらかさが、絶妙にマッチしていました。

「メープルアイスは、きっとスコーンに合うと思ったんだ」
アイデアマンはご満悦。横より縦のほうが長くなったスコーンアイスを、顎をはずしそうにしながら食べていました。
「夏にはこういうスコーンもいいわねぇ」
「な? いけるだろ?」
「うん」
私は冷えた歯を熱いコーヒーであたためながら、うなづきました。
お義父さんは、入れ歯でこれにかぶりつくのは難しいと判断したらしく、分解して味わっていました。
「ん、うまい」

入れるものや量を自由にアレンジできるのは、手作りのいいところですね。コストも安くすみますし、なにより想像したその通りにおいしいと、うれしいものです。

スコーンはまだ残っています。アイスも。
おうちスイーツ、しばらくみんなで楽しめそうです。

しるし

2010-07-18 08:50:56 | 心のアルバム
祖母のお葬式がすんだ3日目の、晴れた昼下がり。

トカゲを見ました。
アパートの窓の下、コンクリートのところに現れて、器用に縦に歩いていました。
「あら久しぶり」
うちではたまにトカゲを見ます。

よく見ようと近づくと、サッと流れて逃げていきました。
温かい日差しにさそわれたのでしょうか。

たまたま一緒だった母に、何気なく、
「トカゲを見たよ」
と言ったら、一瞬無言で、それからこう話しました……


祖母が亡くなった翌朝。
父が、ヘビを見たそうです。裏口のところで、小さな、30センチくらいのヘビを。

「ご母堂が来た」
そう、父は思ったそうです。


母は信じているのか信じていないのか、はっきりしない口調でした。
でもわたしの話を聞いて、ヘビの話をしてきたということは、何か感じるものがあったのでしょう。

そしてわたしも同意見でした。
「そのヘビ……。おばあちゃん、だね」
うなづきました。
「お世話になりました、って挨拶に来たのよ」
きっとそうだ。

ん?
「じゃあ、うちにいたトカゲも、もしかするとおばあちゃん!?」
えーっ。


なぜヘビじゃなくてトカゲ。

ヘビは普段はかわいくないですが、こういう時には亡くなった人の代わりとか、神様の使いをするイメージがします。
でもトカゲは……格段に神々しさが落ちる気がするんですけども。
うちの近所に手ごろなヘビがいなかったのかしら?
うーん。


その疑問を、夜、仕事から帰ってきた栗栖氏に話してみました。

「なんでトカゲだったんだと思う?」
わたしが聞くと、
「そうだなあ」
栗栖氏はふうんと考えてから、すました顔でこう答えました。

「うちは、きみの実家からはちょっと遠いから、 “足”がないと来れなかったのさ」

なるほど☆


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後日談:叔母もヘビを見たそうです。裏庭で、しっぽだけ。怖くなって叔母はすぐ離れたそうですが。

さよなら、おばあちゃん

2010-07-15 18:37:40 | 心のアルバム
母方の祖母が亡くなりました。

連絡を受けて病院へかけつけましたが、間に合いませんでした。廊下の椅子に、わたしの両親と、世話をしていた叔母夫婦がひっそりと座っていました。
「お疲れ様でした」
叔母夫婦に、頭を下げました。

覚悟はしていたけど、まさか今日なんて――。悪い夢の中にいるような、どこかフワフワしたかんじでした。
でも両親たちのこの悲しみに沈んだ空気は、現実のものでした。


祖母は大正生まれでした。
夫を戦争で失い、小さい娘2人を抱えた祖母は、お針子や畑をやりながら生活をやりくりしました。早朝、浜に出て地引網を手伝い、魚をもらったりもしたそうです。
パワフルな人でした。声も体も大きく(幼かったわたしにとって)、気持ちが大らかな人でした。


――昔のことを思い出します。

子供の頃、よく遊びに行ったっけ。実家に近かった祖母の家は、わたしと年の近い従兄妹がいるせいもあり、かっこうの遊び場でした。
裏の畑で、つば広の麦藁帽子をかぶって、腰をかがめてクワをふるっている祖母の姿をおぼえています。首には手ぬぐいを巻き、顔からは大粒の汗がふき出ていました。

よくみんなで野菜を採るのを手伝い、井戸で洗ったものです。祖母の野菜はどれも、あおあおとした大地の匂いがしました。


祖母はまた、お惣菜をたくさん作って、我が家におすそわけをしてくれたりもしました。
電話がくると、母は「夕飯の準備をしちゃったわ」と困りながらも、いそいそと途中の道まで受け取りに行きました。
私もよく行かされました。自転車をよっこらしょよっこらしょとこいでいる彼女の姿は、遠くからでもすぐ分かりました。

風呂敷に包まれたそれらは野菜の煮しめだったり、ちらし寿司だったり。
今では誰も作れなくなっている“おばあちゃんの味”です。


祖母はいつも元気で、病気らしい病気はしたことはありませんでした。畑仕事からくる腰痛で、たまに近所の針に通っていたくらいでした。

ある日突然、祖母は倒れました。
そのまま意識は戻りませんでした。それから約10年間、祖母はずっと寝たきりになったのです――。


――わたしは病室に入りました。両親や叔母夫婦も続きました。

約10年の歳月は、真っ黒に日焼けしていた丸い祖母を、白く、細くさせていました。
そっと額に触れるとまだ温かく、眠っているかのようでした。

おばあちゃん、おばあちゃん……。
こみあがる思いは言葉にならず、ただ涙となってわたしの目からあふれ出ました。

病室は静かでした。
カーテン越しに、隣のベッドの人の寝息が聞こえていました。

祖母はどこかでわたしたちを見ているのだろうか、と思いました。
祖父はちゃんと祖母を迎えに来ただろうか、とも。
そうだといいな。本当にそうだといい。

わたしはゆっくりと合掌をしました。

長い間、お疲れ様でした。
ありがとうございました。
またいつか、お会いましょう。