マグタイム

日常のひとコマを繊細なタッチでつづる……エッセイ、詩、スイーツ感想 etc. マグカップ片手に、リラックスしたひと時を

義父が行方不明(5)

2009-10-27 11:40:15 | 心のアルバム
とりあえず、人の目の届く範囲で、倒れてはいない。
でも、それが本当に倒れていないという結論にはつながらない。
「外を探してくる」
栗栖氏が立ち上がった。上着を着た。
「歩いて行くの?」
「自転車で」
メインストリートにはもういないのは分かってる。裏道を探してみる、と言った。
「気をつけてね」
「うん」
「いなくても、1時間したら戻ってきて」
「分かった」
携帯電話を胸ポケットにさして、栗栖氏は出かけた。

一人になった家で、私はぽつんとしていた。
静かだった。二人とも死んでしまったらどうしよう、と思った。
事故は突然にやってくる。(ほとんどの)病気のようには時間はかけない。
ちゃんと感謝していただろうか、と考えた。
夕飯の準備をする気分にはなれなかった。

10分ほどたったろうか。
ドアノブをガチャガチャ、といじる音がした。
「ただいま」
ドアが開いた。

義父だった。


「あー遅くなった」
いつものニコニコ顔で、義父は上がってきた。
手には大きなビニール袋が2つ。

「どこ行ってたんですか」
言葉にトゲがないと言ったら嘘になる。でも義父は気付かないみたいだった。楽しそうに、
「これ、やる」
ビニール袋を私に差し出した。
「買ってきたんですか?」
受け取りながら、私はたずねた。たまに彼はスーパーで山ほど買い物をして、おすそわけをくれる。
義父はますます笑みを広げた。
「いいや。パチンコ」
「パチンコ!?」
私は固まった。
「久しぶりだ。3年ぶりだったかなあ。こっちへ来てからは初めてだよ」
「……」
そんな行き先は予想していなかった。長年一緒にいる息子でさえ思いつかなかったのだ。
「あ、これだけもらっていいか?」
「……どうぞ」
義父は景品がつまった袋から、輪ゴムの箱3つを取った。そして夕飯はまだのようだと感じたらしく、自分の部屋に引き上げていった。

2つのビニール袋には、レトルト牛丼9箱、レトルトカレー3箱、白砂糖2袋、カルメ焼き5個、男性用靴下3足、(それと持っていかれた輪ゴム3箱)があった。

私は栗栖氏の携帯に電話して、義父が戻ってきたよと伝えた。
栗栖氏は息をきらしていた。橋の上まで全力でこいで、上りきったところだったそうだ。


その日の夕飯は、温めたレトルト牛丼だった。
義父は「玉が止まらないんだよ」と自慢し、「心配するから、遅くなるなら電話してくれ」と頼む栗栖氏に、困ったように笑った。
「手が離せなくてさ」

私が切り分けたデザートのロールケーキは、義父の分だけ薄かった。
理由は分かると思う。

義父が行方不明(4)

2009-10-25 12:30:50 | 心のアルバム
警察署へ電話するのは、生まれて初めてだった。緊張した。
受付に事情を話すと、生活安全課へ回された。
そこで出た年配の男性に、あちこちに説明したのと同じことをしゃべった。ここがもう最後だった。

「うちの担当じゃないんじゃないの?」
男性がぼやいていた。受話器から口を離しても、よく響く声だった。たらい回しされるかな、と一瞬ヒヤリとした。でも受付はそちらへ転送したのだ。私のせいじゃない。

ぼやきはしたが、男性は調べてくれた。
「誰か、今日身元不明の人を保護したって報告、聞いてます? 救急車に乗せられたとか、そういうの」
男性は受話器を手でおおうとか、保留にするとかをしなかったので、大声で部屋の人に聞いているのが、はっきりこちらの携帯に聞こえた。
だれかが答えているらしく、しばらく無言になった。

義父の思い出が、いくつか頭をかすめていった。お菓子をダブッて買ったこと、暑くてシャツとパンツだけになっている姿、初めて会ったときのこと……
「あー、もしもし」
どうなのだろう、どうなのだろう。
「……はい」
「そういう人は、いないみたいですねえ」
「そうですか……」
たまらずに涙がこぼれた。保護されてないと分かって喜んでいいのか、いまだ行方不明だと悲しんでいいのか、分からなかった。
「もう少し探してみるといいかもしれない。――あと、そちらの地区の交番にも言ったほうがいいですね」
「あ、はい」
「交番からの報告は、ぜんぶうちがまとめてますけどもね。とりあえず今日は、市で身元不明の人の保護はありませんでした」
「分かりました……」
交番だよ、と男性は念を押して、私との電話を終わらせた。

義父が行方不明(3)

2009-10-23 08:24:22 | 心のアルバム
私は携帯を取った。
「電話してみる」
「どこへ」
「デパート。倒れた人がいないか、聞いてみる」
栗栖氏は反対しなかった。

最初は、本屋のあるデパートにかけた。
「受付でございます」
受付嬢の美声が耳に明るかった。
「家族がそちらに買い物に行ったのですが、まだ帰ってこないのです。そちらで今日、倒れた人がいたりしなかったでしょうか。あるいは気分が悪くなったような人が」
「少々お待ちください。確認してみます」
声がやや同情をおびた。
保留になり、軽やかな音楽が流れた。私は息をはいた。

カチッと音がして、受付嬢がお待たせしました、と言った。
「本日、ご気分が悪くなったお客様はいらっしゃいませんでした。救急車の要請もございませんでした」
「そうですか……」
栗栖氏はうつむいて畳を見つめていた。
「よろしかったら、館内放送でお呼び出ししてみましょうか」
と受付嬢は提案した。
どの店の店員に声をかけてもこちらに伝わるようにしますので、と彼女は請け合ってくれた。
「それでもいらっしゃらない場合は、また考えてみましょう。服装などの特徴を教えていただいて、警備の方で探してもらうこともできます」
「お願いできますか」
「かしこまりました。放送をかけてみます。いらしても、いらっしゃらなくても、後ほどそちらにご連絡いたしますので、お待ちください」
「はい、よろしくお願いします」
ありがとうございます、と私は電話を切った。
「さすが大手デパートだな。フォロー体制が万全だ」
栗栖氏は感心した。

近所のショッピングモールにも電話してみた。
こちらは事務所のオジサンみたいな人が出て、館内放送で「自宅に電話するように」とアナウンスしますよ、とだけ言った。
「それで結構です」

私がオジサンと応対している間に、家の電話が鳴った。
栗栖氏が走って受話器を取った。
「はい、はい、はい……そうですか。ありがとうございました」
言葉の調子で、呼び出しに応えた者はいなかったと伝えられているのが分かった。

家の電話は、それきり鳴らなかった。
ショッピングモールの館内放送は、効果がなかった。

どちらにも、義父はいなかった。

義父が行方不明(2)

2009-10-21 09:07:42 | 心のアルバム
これでは電話が使えない。
いつから?
「おととい、私、電話に出たわ。その時は使えてた。でも留守電のランプは消えていた」
「夕べかな」
昨夜、栗栖氏は床に置いてあった箱に足をひっかけて、転びそうになっていた。なんとかふみとどまって倒れなかったが。
箱は電話のすぐ下にある。線がぬけたのは、たぶんその時だ。

栗栖氏ははずれていた線を電話にはめ、留守電のボタンをセットした。
「ただいま、電話に出ることができません……」
機械の自動音声が流れた。
録音メッセージは、無かった。

「もし家に電話しようとしてたとしたら……」
しかし不幸な偶然で、線はぬけていた。
「私たちの携帯の番号は知ってるよね?」
「覚えてるのは家の番号だけだ」
私たちは顔を見合わせた。

義父はきっとどこかで倒れたのだ。
周りの人が発見して、うちに電話しようとして、でもつながらなくて今ごろ怒っているだろう。
義父は病院だろうか。
それとも、まだ発見されなくて倒れたままか。
もし意識がなかったら、自宅の電話番号を誰かに伝えることはできない。
もしかしたらすでに冷たくなっているかもしれない。
オヤジ狩りに遭った可能性もある。
嫌な想像ばかりが出てくる。

「いや、オヤジ狩りはないだろう」
栗栖氏が、一瞬だけ笑みらしき表情になった。
「裏道を知らないから、歩かないよ」
そう聞いても、気持ちは晴れなかった。

6時。いよいよ暗くなってきた。
私たちは雨戸を閉めた。いつもは義父がしてくれていた。アルミサッシはガタガタいい、嫌な音をたてた。