goo blog サービス終了のお知らせ 

私の知人所有のしょぼいプロレスマスクコレクション等です。 どうぞ、お暇なら見て笑ってやって下さい。とほほ…

マスカラスのマスクが欲しくテレビ局へ応募
タイガーマスクの四次元殺法に狂喜
休刊した週刊ファイトの元愛読者の彼

【売却済】 レジー・パークス製 NWA認定世界ヘビー級チャンピオンベルト Ten Pounds of Gold 直筆サイン入 

2018年11月04日 00時56分38秒 | プロレスグッズ

メーカー名 レジー・パークス(刻印有)

仕様

• ベルト部分:本革(編み込み)、第51代NWA世界ヘビー級チャンピオン テリーファンク直筆サイン入、

• プレート部分: ネームプレート有

• サイズ: 約 121 cm 
• 重量:約2.2 kg

テリー・ファンク

テリー・ファンクTerry Funk、本名:Terrence Funk1944年6月30日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーインディアナ州ハモンド出身、テキサス州アマリロ育ち。

第51代NWA世界ヘビー級王者。実兄のドリー・ファンク・ジュニアとのタッグチームザ・ファンクス」でも活躍し、日本でも人気を博した。日本では「テキサス・ブロンコ」、「テキサスの荒馬」などの異名を持つ。

俳優として活動していたこともある。

来歴

プロレスラーのドリー・ファンク・シニアの次男として生まれ、兄のドリー・ファンク・ジュニアと共にレスリングの英才教育を受けながら育つ。ウエスト・テキサス州立大学アメリカンフットボール選手として活動後、1965年にプロレスラーとしてデビュー。父がプロモートしていたテキサス州アマリロ地区(NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ)にてキャリアを積んだ。

1970年6月、日本プロレスに初来日。1971年12月7日、ドリーとのザ・ファンクスジャイアント馬場&アントニオ猪木BI砲を破りインターナショナル・タッグ王座を獲得。1972年10月には全日本プロレスの旗揚げシリーズに参加、以降、全日本プロレスの看板外国人選手となって活躍した。

アメリカでは、1973年2月10日にジョニー・バレンタインからNWAミズーリ・ヘビー級王座を奪取[1]1975年12月10日にはジャック・ブリスコを破ってNWA世界ヘビー級王座を獲得、兄ドリーと並んで史上初の兄弟世界王者となった。以降、各地で防衛戦を続けたが1977年2月6日、兄と同じくハーリー・レイスに敗れ王座陥落[2]

1977年12月に全日本プロレスで開催された世界オープンタッグ選手権にはドリーとのザ・ファンクスで出場し、アブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シークの史上最凶悪コンビを退けて優勝。以降、1979年1982年世界最強タッグ決定リーグ戦でも優勝を果たした。

日本において絶大なベビーフェイス人気を博していた同時期、本国アメリカではレッドネックのワイルドさを強調したラフファイト主体のヒールとして活躍。ロサンゼルスではチャボ・ゲレロフロリダではダスティ・ローデステネシーではジェリー・ローラーサンアントニオではワフー・マクダニエルなど、各地のヒーローと流血の抗争を繰り広げ、業界誌の不人気部門(すなわち悪党人気部門)では常に上位にランキングされていた

日本での活躍

テリー・ファンクは1970年代後半から1980年代前半にかけて、日本のプロレス界で最も成功した外国人レスラーの一人である。1977年の「世界オープンタッグ選手権」決勝戦において、凶器攻撃を繰り返すアブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シークの最凶悪コンビに「テキサス魂」で真っ向勝負を挑む姿に、男女を問わず熱狂的なファンが付き親衛隊も生まれた。

大成功を収めた「世界オープンタッグ選手権」は、年末の興行は不振とされていた日本のプロレス界の定説を覆し、以降「世界最強タッグ決定リーグ戦」へと発展して全日本プロレスの看板シリーズとなった。日本では絶対的なベビーフェイスとして認識されているが、上記の通りアメリカでは地元のアマリロ地区以外では主にヒールとして活動していた。

ブッカーとしても敏腕で、1981年にはスタン・ハンセン新日本プロレスから全日本プロレスへの引き抜きにも成功した。同様にハルク・ホーガンとも契約書を交わすまで至ったが、ホーガンがこれを新日本に提示しギャラの上乗せを要求したため、ホテルでホーガンを殴ったとジャイアント馬場は語っている。しかし、テリー本人は自著などで暴行に関しては否定している。

なお、一度目の引退を発表したのは1980年で、突如「私の膝は皆が思っている以上に状態が良くない。動ける内に身を退きたいので、3年後の誕生日に引退する」と発言し、ファン、そしてプロレスマスコミを驚かせた。1983年の引退試合の前に来日したグランド・チャンピオン・カーニバルIIIには「テリー・ファンクさよならシリーズ」と副題がついていた。

NWA世界ヘビー級王座

NWA世界ヘビー級王座(NWAせかいヘビーきゅうおうざ)はプロレスのチャンピオンシップである。NWA(National Wrestling Alliance)本部の直轄するベルトで、1980年代末にNWAが衰退するまでは、世界最高峰といわれたタイトルである。

概要

1948年に設立された、新NWA(アライアンス)の初代王座にはオーヴィル・ブラウンがついた。1949年にブラウンと旧NWA(アソシエーション)の世界王者のルー・テーズによるタイトルマッチが行われるはずであったが、ブラウンが交通事故に遭い引退したため、テーズが第2代王者の認定を受けることとなった。

その後、新NWAはこの世界王座を正当化するためにフランク・ゴッチを初代王者とし、2代目以降は適当に過去の団体の王者をつぎはぎしてルー・テーズに至る系譜をつくりあげた。そしてルー・テーズは第38代王者として認定を受けた。以後はここからNWA世界王者の代数をカウントしていくこととなる

NWA世界ヘビー級王座は、ルー・テーズやジン・キニスキードリー・ファンク・ジュニアハーリー・レイスなどの実力あるレスラーたちの功績により、1980年代前半まで世界最高峰のベルトとして広く認知されるに至った。このタイトルを手にした者は全米各地(時には日本を初めとする海外)のNWA会員のプロモーターのテリトリーを転戦し、その地区のローカルチャンピオンと防衛戦を行わなければならず、かなりの体力と精神力が要求された。ただし、NWA王座は反則リングアウトによる勝ち/負けでは移動せず、またオーバー・ザ・トップロープは反則というルールが存在したため、それを利用してベルトの防衛を行うこともできた。

NWA王者は各地のスターレスラーと防衛戦を行う仕組みになっているため、実力差を見せつけるような試合はせず、苦戦しながらの辛勝や引き分け・反則負けなどで防衛を重ねていく。そこで、インサイドワークに長けたテクニシャンタイプが多く、反則防衛を多用するヒール(悪役)タイプのレスラーも少なくない。

NWA世界ヘビー級王座ベルトを獲得した日本人レスラーはこれまでに何人もいるが、NWA黄金期にこのタイトルを獲得したレスラーは、ジャイアント馬場(3度獲得)ただ一人である。ただし、いずれも戴冠期間は1週間以内で、NWA王者(ジャック・ブリスコ、ハーリー・レイス)の来日期間中にいわば一時的に王座を貸与されていたものであり、いずれも前王者との再戦・再々戦でベルトを奪還されている。

1980年代末、WWFの全米進出によってテリトリー制が崩壊し、NWA末期における最大の団体であったジム・クロケット・プロモーションズテッド・ターナーに買収されてWCWが台頭した後は、NWA王座は実質的にWCWが管理するようになり、その際はWCWの管理する一王座という扱いであった。そのため、その権威は大きく下がり、さらにWCWのNWA離脱と共にスター選手もNWAから離れたため、権威は更に大きく下落した。1990年代後半から2000年代初頭にかけてはインディー団体の一王座にまで権威は低下した。

2002年に入り、NWAとの業務提携によりTNAが王座を管理する権利を獲得(管理する期間は2014年まで)。以降実質的にTNAの王座となっていたが、2007年5月業務提携終了によりベルトの管理権を剥奪された

以降はROHなどアメリカのインディー団体や、メキシコのCMLLでタイトル戦が行われている。2008年10月25日にはブルー・デモン・ジュニアがメキシコ人レスラー、覆面レスラーとして初のNWA世界ヘビー級王者となっている。2013年よりNWAから新日本プロレスへ挑戦表明がなされ、新日本プロレスのビッグマッチでもタイトル戦が行われるようになった。2014年1月4日東京ドーム大会で小島聡が、日本人としては橋本真也以来の王座に輝いた。

また、WWE世界ヘビー級王座は元々WCW世界ヘビー級王座を復活させたものであるが、WCWの番組内でWCWとNWAの両王座が統合された経緯を根拠に同一のものと主張、あるいは意図的に混同し、NWA、WCW、WWEに至る世界王座のDVDを販売している

ベルトの改変

NWAが公式に初代ベルトとするものはルー・テーズが第2代王者に認定された際に持っていた物で、このベルト自体は1921年から使用されていた。1960年、長年の功績をたたえテーズに贈呈された後、UWFインターナショナルのプロレスリング世界ヘビー級王座に使用され、テーズも最高顧問に就任。

初代が贈呈された後、黒革の2代目ベルトが作成された。

3代目はハーリー・レイスが初めて王座奪取した1973年に角ばったデザインの物を作成。馬場が三度奪取した際のベルトはこのデザインのものである。このベルトは一時小橋建太に貸与されていた。

4代目は1986年にリック・フレアーが5度目の戴冠を果たした際に黄金に輝くベルトを作成。「ビッグ・ゴールド」(en:Big Gold Belt)、また「フレアー・モデル」と呼ばれる。このベルトはWCWでもそのまま使用され、NWA離脱後もWCW世界ヘビー級王座(のちにWWE世界ヘビー級王座)のベルトとなった。

そしてNWAがインディー系組織として再始動すると、レイス時代のものを復刻し現在に至る。

Wikipediaより

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【売却済】 ディヴ・ミリガン製 WWF世界タッグチャンピオンベルト レプリカ

2018年11月04日 00時56分37秒 | プロレスグッズ

ディヴ・ミリガン製。

全長約1,260mm。

重量約2.6kg。

ストラップ本革。

収納袋有。

刻印有。

WWE・世界タッグチーム王座

WWE世界タッグチーム王座(World Tag-Team Championship)は、アメリカ合衆国プロレス団体WWEにおけるタッグ王座である。
 

王座創設は1971年6月3日。ルイジアナ州ニューオーリンズで行われたとされる架空のトーナメント決勝戦において[1]ディック・ザ・ブルーザー&ザ・シークを破り優勝したとして、ターザン・タイラー&ルーク・グラハムが初代王者チームに認定される[2]。創設当時の名称は「WWWF世界タッグ王座」で、その後「WWFタッグ王座」、「WWF世界タッグ王座」、「WWE世界タッグ王座」と変遷し、WCWとの統合によるWCW世界タッグ王座との統一を経て2002年RAWスマックダウンのブランド分割以降は「世界タッグ王座」としてRAWにて管理されていた。

2009年4月5日のレッスルマニアXXVにて、WWEタッグ王座(スマックダウン管理)の王者チームだったカリート&プリモ・コロンジョン・モリソン&ザ・ミズを破り、RAWとスマックダウンの両タッグ王座を統一。以後、WWE統一タッグ王座として、本王座が封印される2010年8月16日まで認定されていた。

Wikipediaより

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【売却済】 ジュウロクホウイ製 NWA認定ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級チャンピオンベルト 公式レプリカ

2018年03月25日 08時16分38秒 | プロレスグッズ

メーカー名 ジュウロクホウイ

仕様

■素材

ベルト部分:牛床革

ー金属部分:ダイキャスト(亜鉛合金)

ー飾り石部分:イミテーションストーン
■サイズ:約1/1サイズ
■重量約2.5kg前後

ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座

ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座(ユナイテッド・ナショナル・ヘビーきゅうおうざ)は、かつて 日本プロレスが管理し、後に全日本プロレスに管理権が移ったプロレスの王座である。UNヘビー級王座の略称で表記・呼称される。

現在は三冠ヘビー級王座を構成するチャンピオンシップの一つである。

この王座は1970年8月にNWA本部がメキシコカナダアメリカの3国で通用する国際タイトルとして新設した。新設時からアントニオ猪木に奪取されたジョン・トロスまでの変遷については、プロレス雑誌でも諸説がある。

1971年3月26日にアメリカ・ロサンゼルスオリンピック・オーディトリアムでアントニオ猪木がジョン・トロスを破って王座を獲得して日本に持ち込みほぼ定着する。猪木はUNヘビーを獲得したことで、当時インターナショナル・ヘビー級王者であったジャイアント馬場に対抗するはずであったが、猪木が日本プロレス除名されるとともにベルトはNWA本部へ返還された。その後坂口征二が王者となり延べ1年にわたり保持、その坂口が日本プロレス離脱後には高千穂明久が王者となったが、間もなく日本プロレスが崩壊、王座は休眠状態になった。

1976年全日本プロレスの要請で王座が復活し、以降同団体に定着する。ジャンボ鶴田が王者になったが、タイトルの格はPWFヘビー級王座より下とされていた。その鶴田も5度目の王獲得後、インター王座獲得に専念する為に王座を返上してしまい、全日本におけるタイトルの格は3番目ということになってしまった。その後、天龍源一郎が長きにわたってベルトを保持し、天龍の代名詞といわれるまでになった。

1989年4月18日にジャンボ鶴田が本王座・PWF王座・インター王座の三冠を統一してからは、三冠ヘビー級王座のベルトの一本として定着する。

ZERO1にて現在のNWAが認定するNWAユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座というタイトルが存在しているが、上記の王座とは無関係である。

Wikipediaより

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【売却済】 ジュウロクホウイ製 NWF認定世界ヘビー級チャンピオンベルト 公式レプリカ

2018年03月25日 08時16分37秒 | プロレスグッズ

新品、未開封。

 

メーカー名 ジュウロクホウイ

仕様

• ベルト部分: PUレザー
• カバー: ベルベット調ポリエステル
• ホック: 鉄
• 取付けネジ: 真鍮
• 半球体のメッキ部品: メッキ+鉄素材
• 模造ダイヤ装飾: アクリル樹脂
• 金属部分の装飾: 亜鉛合金・鋳鉄
• サイズ: 約1,350mm x 240mm
• 重量:約4.5㎏

 

NWFNational Wrestling Federation、全米レスリング連盟)は、1970年代前半にアメリカ合衆国に存在したプロレス団体

 

プロモーターのペドロ・マルティネスと、選手兼プロモーターのジョニー・パワーズを中心に設立、運営され、ニューヨーク州バッファローオハイオ州クリーブランドを拠点に、アメリカ北東部五大湖地区およびカナダを主要エリアとして活動した。「North American Wrestling Federation」を正式名称とする説もある。

概要

1970年ニューヨーク州バッファローを中心とするアメリカ北東部の大物プロモーター、ペドロ・マルティネスと、同地のトップスターであり、オハイオ州クリーブランドのプロモート権を得ていたジョニー・パワーズを中心に、メジャー団体のNWAAWAWWWF(現:WWE)と一線を画す独立団体として設立された。パワーズは同年ロサンゼルスにおいてフレッド・ブラッシーに勝利したとして初代世界王者に認定され[1] 、その後、王者は目まぐるしく交代する。

最盛期にはミシガン州メリーランド州、カナダのトロントモントリオールへとテリトリーを拡大、弱小団体とは呼び難い勢力を持つに至った。ボボ・ブラジルジョニー・バレンタインアブドーラ・ザ・ブッチャーザ・シークアーニー・ラッドら一流選手が多数集結、パワーズとバレンタイン、ラッドとブッチャーとの抗争などの名物カードも生み、アメリカのプロレス誌上では、NWA、AWA、WWWFに次ぐ第4の団体と認知されていた時期もあった。

しかし1973年に入ると勢力は衰退、縮小していく。同年12月10日に新日本プロレスで行われた世界戦において、第14代王者となっていたパワーズがアントニオ猪木に敗れ王座が日本に渡る。その後もパワーズは1974年3月には猪木を招聘してクリーブランドで世界戦を行うなど、1975年初めまでは同地で興行を行っていた。しかし前年に一時プロレス界から離れていたマルティネスが関わった新団体IWAに吸収されるかたちで、同年半ばまでには事実上活動を停止し消滅状態となった。このIWAも同年中にはスポンサーが離れたこともあり規模を縮小、パワーズが引き継ぎノースカロライナ州でインディー団体として活動を続けた。

以上のように米国プロレス史全般からみれば短命のローカル団体にすぎず、設立経緯や活動内容、歴代王者等に不明な点も多々ある。しかし、アントニオ猪木が世界ヘビー級王座を1973年の獲得から新日本プロレスの看板タイトルとして1981年まで長く保持したこと、また日本でも高名な大物選手が多く参加していたこと等により、日本には愛着や関心を持つプロレスファンが多い[2]

 

新日本プロレスとの関係

 

一般にNWFと新日本プロレスとの結びつきは、1966年東京プロレスに初来日して以来の、ジョニー・パワーズアントニオ猪木の関係によるものとされている。しかし実際には、NWF設立以前の1969年に当地をサーキットし、パワーズとも旧知の坂口征二によるブッキングと考えるのが妥当である。

 

日本では「パワーズが図らずも猪木に王座を奪われたため、隆盛を誇っていたNWFが一転凋落に向かった」という伝説が、長年史実として語られてきた。現在はパワーズが新日本プロレスに王座を、興行権として売却したとの見方が通説になっている。この王座売却の時点で既にパワーズは団体自体を店じまいするつもりだったとの極端な見方もされるが、その後も1975年初めまではクリーブランド等で「パワーズの保持するNWF北米ヘビー級ベルト」を看板に興行を行っており、これも断じ難い。

 

1975年初めで事実上NWFが消滅した後も、新日本プロレスは1977年前半頃まはNWFが存続しているようなアングルを組んでおり、パワーズによるクーデターが伝えられたこともあった。上述のように、パワーズはIWAの名で1977年半ば頃まではノースカロライナ州で興行をしており、パワーズ一派という意味ではNWFの存続もまったくの絵空事ではなかった。しかし、それ以降はNWFの消滅は日本でも周知の事実となり、同王座は事実上、新日本プロレスが管理・運営する王座となった。

 

1975年2月12日、NWFはNWAと業務提携を結んだ。1976年8月7日 NWA年次総会で新日本プロレス(名義人は坂口と新間寿)のNWA加盟が認められるとタイトル名から「世界」が外され、NWF世界ヘビー級王座から NWFヘビー級王座 と改称された[2]

 

1981年4月、IWGP構想に伴い、スタン・ハンセンとの王座決定戦に勝った猪木により、同王座は封印された。

Wikipediaより

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【売却済】 闘魂ショップ製 初代IWGPヘビー級チャンピオンベルト(最初期販売モデル)公式レプリカ

2018年03月25日 08時16分35秒 | プロレスグッズ

闘魂ショップで抽選予約限定100本で発売された初期、シリアル無しバージョン。

全長約1,320mm~。

重量約3~kg。

ストラップ合皮。

収納袋有。

木箱有。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【売却済】 ジュウロクホウイ製 4代目IWGPヘビー級チャンピオンベルト 公式レプリカ

2018年03月25日 08時16分32秒 | プロレスグッズ

メーカー名 ジュウロクホウイ

仕様

●素材:ベルト部分ダイキャストパーツ:亜鉛合金、ホック:鉄、小さい丸パーツの黒い樹脂:エポキシ樹脂、ラインストーン:アクリル、ベルト:牛床革(PU加工)、刺繍入りカバー:ポリエステル

●ベルトサイズ:約132cm前

●重量:約3kg

●ライオンマークロゴ入り特製布ケース入り• ベルト部分: PUレザー

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【売却済】 FIGURE TOY製 NWA認定世界ヘビー級チャンピオンベルト Ten Pounds of Gold 公式レプリカ

2018年03月25日 08時16分30秒 | プロレスグッズ

メーカー名 FIGURE TOY製

仕様

• ベルト部分: 合皮仕様
• カバー: クロスケース付き
• サイズ: 約 142.5 cm 中央プレートサイズ:約 27.9 x 19 cm プレートの厚さ:4 mm
• 重量:約2.4 kg

NWA世界ヘビー級王座

NWA世界ヘビー級王座(NWAせかいヘビーきゅうおうざ)はプロレスのチャンピオンシップである。NWA(National Wrestling Alliance)本部の直轄するベルトで、1980年代末にNWAが衰退するまでは、世界最高峰といわれたタイトルである。

概要

1948年に設立された、新NWA(アライアンス)の初代王座にはオーヴィル・ブラウンがついた。1949年にブラウンと旧NWA(アソシエーション)の世界王者のルー・テーズによるタイトルマッチが行われるはずであったが、ブラウンが交通事故に遭い引退したため、テーズが第2代王者の認定を受けることとなった。

その後、新NWAはこの世界王座を正当化するためにフランク・ゴッチを初代王者とし、2代目以降は適当に過去の団体の王者をつぎはぎしてルー・テーズに至る系譜をつくりあげた。そしてルー・テーズは第38代王者として認定を受けた。以後はここからNWA世界王者の代数をカウントしていくこととなる

NWA世界ヘビー級王座は、ルー・テーズやジン・キニスキードリー・ファンク・ジュニアハーリー・レイスなどの実力あるレスラーたちの功績により、1980年代前半まで世界最高峰のベルトとして広く認知されるに至った。このタイトルを手にした者は全米各地(時には日本を初めとする海外)のNWA会員のプロモーターのテリトリーを転戦し、その地区のローカルチャンピオンと防衛戦を行わなければならず、かなりの体力と精神力が要求された。ただし、NWA王座は反則リングアウトによる勝ち/負けでは移動せず、またオーバー・ザ・トップロープは反則というルールが存在したため、それを利用してベルトの防衛を行うこともできた。

NWA王者は各地のスターレスラーと防衛戦を行う仕組みになっているため、実力差を見せつけるような試合はせず、苦戦しながらの辛勝や引き分け・反則負けなどで防衛を重ねていく。そこで、インサイドワークに長けたテクニシャンタイプが多く、反則防衛を多用するヒール(悪役)タイプのレスラーも少なくない。

NWA世界ヘビー級王座ベルトを獲得した日本人レスラーはこれまでに何人もいるが、NWA黄金期にこのタイトルを獲得したレスラーは、ジャイアント馬場(3度獲得)ただ一人である。ただし、いずれも戴冠期間は1週間以内で、NWA王者(ジャック・ブリスコ、ハーリー・レイス)の来日期間中にいわば一時的に王座を貸与されていたものであり、いずれも前王者との再戦・再々戦でベルトを奪還されている。

1980年代末、WWFの全米進出によってテリトリー制が崩壊し、NWA末期における最大の団体であったジム・クロケット・プロモーションズテッド・ターナーに買収されてWCWが台頭した後は、NWA王座は実質的にWCWが管理するようになり、その際はWCWの管理する一王座という扱いであった。そのため、その権威は大きく下がり、さらにWCWのNWA離脱と共にスター選手もNWAから離れたため、権威は更に大きく下落した。1990年代後半から2000年代初頭にかけてはインディー団体の一王座にまで権威は低下した。

2002年に入り、NWAとの業務提携によりTNAが王座を管理する権利を獲得(管理する期間は2014年まで)。以降実質的にTNAの王座となっていたが、2007年5月業務提携終了によりベルトの管理権を剥奪された

以降はROHなどアメリカのインディー団体や、メキシコのCMLLでタイトル戦が行われている。2008年10月25日にはブルー・デモン・ジュニアがメキシコ人レスラー、覆面レスラーとして初のNWA世界ヘビー級王者となっている。2013年よりNWAから新日本プロレスへ挑戦表明がなされ、新日本プロレスのビッグマッチでもタイトル戦が行われるようになった。2014年1月4日東京ドーム大会で小島聡が、日本人としては橋本真也以来の王座に輝いた。

また、WWE世界ヘビー級王座は元々WCW世界ヘビー級王座を復活させたものであるが、WCWの番組内でWCWとNWAの両王座が統合された経緯を根拠に同一のものと主張、あるいは意図的に混同し、NWA、WCW、WWEに至る世界王座のDVDを販売している

ベルトの改変

NWAが公式に初代ベルトとするものはルー・テーズが第2代王者に認定された際に持っていた物で、このベルト自体は1921年から使用されていた。1960年、長年の功績をたたえテーズに贈呈された後、UWFインターナショナルのプロレスリング世界ヘビー級王座に使用され、テーズも最高顧問に就任。

初代が贈呈された後、黒革の2代目ベルトが作成された。

3代目はハーリー・レイスが初めて王座奪取した1973年に角ばったデザインの物を作成。馬場が三度奪取した際のベルトはこのデザインのものである。このベルトは一時小橋建太に貸与されていた。

4代目は1986年にリック・フレアーが5度目の戴冠を果たした際に黄金に輝くベルトを作成。「ビッグ・ゴールド」(en:Big Gold Belt)、また「フレアー・モデル」と呼ばれる。このベルトはWCWでもそのまま使用され、NWA離脱後もWCW世界ヘビー級王座(のちにWWE世界ヘビー級王座)のベルトとなった。

そしてNWAがインディー系組織として再始動すると、レイス時代のものを復刻し現在に至る。

Wikipediaより

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【売却済】 FIGURE TOY製 NWA認定世界ヘビー級チャンピオンベルト Ten Pounds of Gold 公式レプリカ

2018年03月25日 08時16分29秒 | プロレスグッズ

メーカー名 FIGURE TOY製

仕様

• ベルト部分: 合皮仕様
• カバー: なし
• サイズ: 約130cm
• 重量:約1.5 kg

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【売却済】 FIGURE TOY製 NWA認定・WCW認定・WWE認定世界ヘビー級チャンピオンベルト Big Gold 公式レプリカ

2018年03月25日 08時16分28秒 | プロレスグッズ

メーカー名 FIGURE TOY製 ウルトラデラックス 1000本限定 証明書付き

仕様

• ベルト部分:本皮仕様
• カバー: クロスケース付き
• サイズ: 約 135cm  プレートの厚さ:4 mm
• 重量:約4.2
kg

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【売却済】 FIGURE TOY製  WCW世界ヘビー級チャンピオンベルト 公式レプリカ

2018年03月25日 08時16分26秒 | プロレスグッズ

公式レプリカ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【売却済】 FIGURE TOY製 AWA世界ヘビー級チャンピオンベルト 公式レプリカ

2018年03月25日 08時16分25秒 | プロレスグッズ

公式レプリカ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【売却済】 FIGURE TOY製 WWF世界ヘビー級チャンピオンベルト(スティーブン・オースチン直筆サイン入)公式レプリカ

2018年03月25日 08時16分24秒 | プロレスグッズ

公式レプリカ

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【売却済】 FIGURE TOY製 WWE世界ヘビー級チャンピオンベルト 公式レプリカ 

2018年03月25日 08時16分23秒 | プロレスグッズ

公式レプリカ

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【売却済】 FIGURE TOY製 UFC世界ヘビー級チャンピオンベルト 公式レプリカ

2018年03月25日 08時16分21秒 | プロレスグッズ

公式レプリカ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【売却済】 ベルトパフォーマンス社製 K-1 WORLD MAX2004世界王座 チャンピオンベルト レプリカ

2018年03月25日 08時16分20秒 | プロレスグッズ

ドイツのベルトパフォーマンス社製。

全長約1,240mm。

重量約4kg。

ストラップ本革。

収納袋無。

刻印無

K-1(ケイ-ワン)は、1993年より開催されているヘビー級を中心とした世界的に知名度の高いキックボクシングプラットフォーム格闘技ブランド2012年1月より、香港に登記されるK-1 Global Holdings Limitedが商標権等諸権利を取得し、世界各地でイベント運営が行なわれている。

名称の由来

K」は「空手」、「キックボクシング」、「カンフー」、「拳法」などの立ち技格闘技あるいは「格闘技」そのもの、そして「KING」の頭文字を意味し、1はナンバーワンを意味しており、空手やキックボクシングなどの打撃系立ち技格闘技の世界一の最強の格闘者を決める大会を行うというのが設立のコンセプトである。命名者は全日本新空手道連盟創師の神村榮一。

「K-1」の商標権は元々は創設者である石井和義が所有していたが、2011年7月に不動産デベロッパーのバルビゾンに移管。2012年1月にEMCOMホールディングスがバルビゾンの持つ商標権を買収することを発表し、最終的には当時EMCOMの子会社だったK-1 Global Holdings Limitedが諸権利を取得するに至っている。

K-1 WORLD MAXシリーズ

ミドル級(70kg契約)およびライト級(-63kg契約)のトーナメントおよびワンマッチの大会。

2002年の第1回からTBS系列で放送されており、日本代表決定トーナメントを皮切りに、年4回開催された。地上波放送から数週間後以降にTBSチャンネルBS-TBS(旧BS-i)でも放送、試合をピックアップしてJ SPORTSでも放送されていたが、2010年5月のライト級トーナメントからはスカチャンのPPVにてMAXでは初となる生中継を行った。

Wikipediaより

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする