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私の知人所有のしょぼいプロレスマスクコレクション等です。 どうぞ、お暇なら見て笑ってやって下さい。とほほ…

マスカラスのマスクが欲しくテレビ局へ応募
タイガーマスクの四次元殺法に狂喜
休刊した週刊ファイトの元愛読者の彼

【売却済】 イマイ製 キング・リー 本人使用 直筆サイン入

2018年11月04日 00時56分07秒 | マスクコレクション

今井正彦製。

キング・リー 本人使用済みです。 
平成19年1月5日刊行「別冊ゴング 2007 VOL.004」取材等で本人使用。

着用写真あり、直筆サイン入り。

 

金本浩二

新日本プロレス時代

小学6年から柔道を経験し、大阪芸術大学芸術学部環境計画学科(2004年度より環境デザイン学科)を卒業。学生時代(大阪芸術大学 柔道部所属)よりプロレスラーに憧れて栗栖正伸トレーニングジムで半年間トレーニングを積んで1990年6月に新日本プロレスへ入門する。11月7日に和歌山岩出町立町民総合体育館での小原道由戦でデビューした。当初から「生涯一ジュニア(ヘビー級)」を宣言する。

1991年メキシコに武者修行へ行き1992年に帰国後「3代目タイガーマスク」に抜擢されるが[1]、自身のスタイルとアクロバットを主体とするタイガーマスクとのギャップに悩み、1年もしないうちに覆面を脱いだ。その後はアメリカ遠征を経て心機一転。タイガーマスク時代に磨きを掛けた蹴りと空中殺法にラフ殺法を織り交ぜ、開花。1995年にはIWGPジュニア、UWAジュニアの2冠王者となった

1997年頃になると髪を茶髪に染め上げ、よりハードヒットな打撃やラフ殺法といったケンカファイトに磨きを掛け始める。特にベスト・オブ・ザ・スーパージュニア などでインディーなどの他団体の選手と当たった際にはより怖さを見せ、打撃と危険な投げ技で相手を真っ向から叩き潰すようなスタイルで多くの選手が金本との試合後、病院送りにあっている。対立関係にあった獣神サンダー・ライガーが「新日Jrの象徴」であるなら、金本は「新日Jrの強さや怖さの象徴」的存在であり、新日に上がった他団体のジュニア選手から試合で当たるのを恐れられた。

1998年のベスト・オブ・ザ・スーパージュニア初戦でいきなり金本と当てられたWAR安良岡裕二が試合開始からツバを吐きかけて奇襲を仕掛けるなどの金本の傍若無人なケンカファイトに圧倒され、金本の放ったフライング・ニールキックで右アゴを骨折。その後も泣き叫びながら立ち向かってくるボロボロの安良岡に対し金本は、雪崩式タイガースープレックスといった受け身の取れない荒技を繰り出すなど情け容赦なくいたぶり続けた。試合は安良岡に一瞬の隙をつかれスクールボーイで大金星を奪われるも、安良岡は金本からの一勝と引き換えに右アゴの骨折や肩の負傷などで長期欠場に追い込まれる(あまりにも凄惨な試合内容に激怒した安良岡のファンが試合後、後楽園ホール駐車場に向かい金本の愛車を傷つけるなどの行為を起こしている)。安良岡は一時復帰するも、怪我の影響で翌年引退した。

(後に自身のYouTubeにて試合を振り返り、怪我をさせるつもりは無かった。雪崩式タイガースープレックスも肩からでなく、回転してうつ伏せで受け身をとってくれればと思っていた。もし自分との試合が引退に繋がったとしたら、安良岡君に謝りたいと語っている。)

同じく金本と当たった南条隼人は2011年に自身のブログで当時の金本との試合を振り返っており「この試合の映像は家にあるけどいまだに見れないよね…」、「絶対にいけないことなんだけど、情けない試合をした事よりも、とりあえず(金本さんとの試合が)終わった事への安堵感の方が大きかった…」と当時の試合後の気持ちを語っている。この金本の一貫した激しいファイトスタイルや試合内容が新日ファンの支持を集めていき、1999年頃になるとジュニアという枠を飛び越え、新日レスラーの中でも屈指の会場人気を誇るようになる。この頃には金本が入場時に女性ファンから多くの花束を貰うのが定番になっていた。

2000年5月5日の新日本プロレス福岡ドーム大会ではライガーの計らいにより闘龍門JAPANが新日初参戦。"ライガー、田中稔CIMAスモー・ダンディ・フジ2000 vs 金本、大谷晋二郎高岩竜一ケンドー・カシン" という豪華な8人タッグマッチが組まれた。ライガーとは対照的に金本は当時「空飛ぶホストクラブ」等と称されていた闘龍門勢の新日Jr参戦に納得せず試合前から「病院送り」宣言するなど怒りを露わにした。試合ではCIMAらが真っ向から闘おうとせず金本がリングインすると下がって挑発するなどの行為を繰り返した。試合後の会見で金本は、「実際試合やってみて、想像以下!実力もクソも無いやつらが試合中ぺちゃくちゃ喋ってるだけ!ボケみたいな選手に、ボケみたいなファンがよ!」などと闘龍門勢を酷評した。

ヒール転向 - ジュニアの重鎮

2001年10月8日の東京ドーム大会にて長期欠場から半年ぶりに姿を表しTEAM2000入りを表明しヒールターン。以降T-2000ジュニア部隊のリーダーとしてAKIRA邪道外道らを率いて活動していく。しかし、復帰以降は爆弾を抱えていた膝が深刻化し、欠場前まで見せていたような重い蹴りは放てなくなった。また、膝への負担が大きいタイガースープレックスホールド やムーンサルトプレスの使用頻度も減らし、関節技のアンクルホールドを新たにフィニッシュ・ホールドとして取り入れるなど、ベテランらしいテクニックを取り入れたスタイルで膝の古傷を補うようになった。

2003年NOAHに流出したIWGPジュニアタッグベルト奪回のため、金本自身も「ある意味、俺達が組むのは反則。」と言うライガーとの禁断のタッグを解禁。1月26日のNOAH神戸ワールド記念ホール大会に乗り込み金丸義信菊地毅組から王座奪回。

2004年G1 CLIMAXに初出場。

2005年12月、当時の新日本に対しての極度の不満や問題を感じつつ、試合を続けていたことを告白。井上亘を巻き込む形で、2か月近く会社と揉め続けたが結局は残留した。

2006年5月3日、福岡国際センター では第49代目IWGPジュニアヘビー級王座であるタイガーマスクをファルコンアローで破り、3年ぶり5度目のIWGPジュニアヘビー級王座に君臨。しかし、5月から6月にかけて行われたベスト・オブ・ザ・スーパージュニア XIIIではタイガー、井上亘に敗れ4大会ぶりに決勝トーナメントに進めなかった。8月にはG1 CLIMAXに出場しジュニアヘビーの選手で初めて決勝トーナメントに進出。準決勝で全日本プロレス小島聡に敗れ決勝進出はならず。

10月8日にベスト・オブ・ザ・スーパージュニア初優勝を遂げたとIWGPジュニアヘビー級王座を賭け対戦し、アンクルホールドで見事タップを奪い防衛に成功。G1 TAG LEAGUEでは棚橋弘至とタッグを組んで準優勝という戦績を収めた。

2007年2月18日、両国国技館においてジュニア選手として史上初となるIWGPヘビー級王座に挑戦。王者・棚橋と互角の戦いを繰り広げるも、最後は棚橋のドラゴン・スープレックス・ホールドでピンフォール負けを喫した。

2009年2月12日にDRAGON GATEに乗り込みB×Bハルクに勝利を収めると3月22日に土井成樹が所持するオープン・ザ・ドリームゲート王座に挑戦するも、土井のマスキュラーボムで沈んだ。

5月6日、プロレスリング・ノアへライガーと共に乗り込み金丸、平柳玄藩組と対戦。自らを仲本工事とわざと名前を間違える平柳をアンクルホールドでギブアップを奪い勝利。6月に行われたベスト・オブ・ザ・スーパージュニアではライガー、田口隆祐タイチ飯伏幸太らから勝利を収めBブロックを1位通過し、決勝戦ではプリンス・デヴィットに変型アンクルホールドで勝利し、V3を達成。7月20日にIWGPジュニアヘビー級王者であるタイガーとベルトを賭け対決するもデストロイ・スープレックス・ホールドで敗れた。

12月にSUPER J-CUP1回戦でフジタ"Jr"ハヤトと対戦。ハヤトと激しい打撃戦を制し2回戦進出を果たすも、田口に敗れベスト8に終わった。

2010年5月8日、SUPER J TAGエル・サムライと共にエントリー。決勝で田口、プリンス・デヴィット組との激闘を繰り広げ、優勝。同時に第25代IWGPジュニアタッグ王座に君臨。7月19日に同タッグチームと初防衛戦を行ったが、サムライがピンフォールを奪われ、同王座から陥落した。

11月23日にはタイガーと保持しているNOAHのGHCジュニアタッグベルトをKENTA青木篤志組相手に防衛戦を行った。試合前にはパートナーのタイガーが「NOAHの事を見たことない。知らない。新日ジュニアが一番だと証明する。」などと散々挑発するも、対戦相手のKENTAからは「お前が言うなと。金本浩二が言うならわかる。それだけの歴史を作って来ただろうし。お前(タイガー)が言っても説得力が無い。」と逆に挑発される。しかし実際試合になると序盤から後楽園ホールにどよめきが起きるほど過度に張り合う金本vsKENTAを見て腰が引けたのかタイガーがKENTA相手にバチバチやりあう場面は皆無で金本任せのような試合になった。防衛したものの試合後に金本は、「口だけ瞬間湯沸かし器」などとタイガーを痛烈に批判した。

全日本プロレスに参戦 - 新日本プロレスを退団

2011年の契約を会社側が年間試合数を半減することで更改。本人の希望ではなく会社側の発表として「連チャンで試合数をこなすより、要所要所の方のほうが気持ちを入れやすい」と今後は兵庫県神戸市をメインに限定出場の形をとることになった。

実際は会社側の一方的な理由だったため、金本自身も限定出場は会見で初耳だった。そのため年齢・肉体面の問題は無いと主張し、他団体への積極参戦も見据えている。

2011年9月19日の星野勘太郎セレモニーマッチで星野が結成した魔界倶楽部のメンバーの魔界28号と対戦、アンクルホールドでタップを奪う。試合後、マイクを片手に亡き星野の意思を引き継ぐことを宣言し、魔界1号からもらったマスクを被りながら魔界1号と魔界28号と共にリングを後にした。

2012年は前年と同内容の契約を更新するも、新日本の興行の出場は一度もなく全日本にスポット参戦を果たしたのみである(下半期からは全日のみに定期参戦し、STACK OF ARMSと合流) 田中稔とのタッグ 『ジュニアスターズ』などでタッグ戦線で活躍。 アジアタッグ王座も獲得している。

全日本プロレスとの台湾合同大会では、控え室は新日本プロレス側となる。

2013年2月、全日本プロレスの記者会見にて1月に新日本プロレスとの契約更改をせず退団したことを発表。以降、全日本プロレスにフリーとして参戦。

6月を最後に全日本プロレスから武藤敬司ら大半の選手が退団し分裂したことで金本の去就も注目されたが、金本はブログ上で「SOAのメンバーだけは裏切ることは出来ない」とコメントしていることから、武藤派による新団体「WRESTLE-1」に参戦すると見られる(SOAメンバーは全員W-1に参加)。

2013年9月8日、WRESTLE-1の旗揚げ戦にフリーとして参戦。

2014年9月突如WRESTLE-1の定期参戦を終える。

関西を拠点

2015年からは、ZERO1大日本プロレスなどフリーランスで活動。

2016年9月22日、アゼリア大正でのVKF選手権試合で王者・勝村周一朗と対戦し王座獲得。2017年1月21日、政宗を相手に初防衛。3月26日、アゼリア大正大会でツバサを下し2度目の防衛に成功

2018年現在は、ZERO1、大日本プロレス、VKFへの参戦もなくなっており、単発のプロモーション興行への出場が主となっている。

また2016年頃より舞台俳優としての活動も始めている

2019年3月1日、妻に暴行した容疑で逮捕されたが、4月5日に不起訴処分となった。

YouTube での過去の試合や上記エピソード等の配信も行っている 。

50歳を超えた現在もボクシングジムも含むジムで5~6時間トレーニングをし、ランニングもダッシュなどを含め2~3時間行っているという。

 

Wikipediaより

 

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【売却済】 ヒロ&マニア館製 4代目タイガーマスク レプリカ

2018年11月04日 00時56分06秒 | マスクコレクション

ヒロ&マニア館製。

タイガーラメ。

平成11年(1999年)バトラーツ長崎大会で着用したモデルです。
 
 
 
 
 
 
 
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【売却済】 ヒロ&マニア館製 四代目タイガーマスク 直筆サイン入 レプリカ

2018年11月04日 00時56分06秒 | マスクコレクション

本人納品物

サイン入。

1999年8月29日 前橋 グラン浜田主催興行使用の逆バージョン。

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【売却済】 YN製 四代目タイガーマスク 本人使用 直筆サイン入

2018年11月04日 00時56分05秒 | マスクコレクション

本人使用

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【売却済】 JUNFAN工房製 四代目タイガーマスク 本人着用 直筆サイン入

2018年11月04日 00時56分04秒 | マスクコレクション

本人着用

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【売却済】 YN製 四代目タイガーマスク レプリカ

2018年11月04日 00時56分03秒 | マスクコレクション

レプリカ

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【売却済】 YN製 四代目タイガーマスク 本人着用 直筆サイン入

2018年11月04日 00時56分02秒 | マスクコレクション

YN製 四代目タイガーマスク MZタイプ白糸 本人着用済みです。 

平成17年(2005年)5月10日、本人着用。

JUNFAN工房スタンプ&YNタグ、着用写真、直筆サイン入り。

 

タイガーマスク (プロレスラー)

 

 

4代目

 

 

初代タイガーマスクの佐山聡の指導を受けた、唯一のタイガーマスク。2代目と3代目が最初は素顔でデビューしたのに対し、最初からマスクをかぶってデビューし、一貫して「タイガーマスク」を名乗っている。

 

1995年7月15日、後楽園ホールで開催された「'95格闘技の祭典」で、ザ・グレート・サスケを相手にデビュー。当初はフリーだったが、後にみちのくプロレスに入団。

 

2002年2月から新日本プロレスのシリーズに1年間帯同し、同年12月16日、新日本に円満移籍。

Wikipediaより

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【売却済】 YN製 四代目タイガーマスク 本人使用 直筆サイン入

2018年11月04日 00時56分01秒 | マスクコレクション

本人使用

平成24年(2012年)年6月1日 新日プロ 和歌山・岩出市立市民総合体育館 NJPW 40th anniversary Tour BEST OF THE SUPER Jr. XIX ~The door to the glory~  四代目タイガーマスク対佐々木大輔(DDTプロレスリング)戦で本人使用。
タグ、直筆サイン入り、ひも付き。

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【売却済】 YN製 四代目タイガーマスク 本人使用 直筆サイン入

2018年11月04日 00時55分59秒 | マスクコレクション

YN製 四代目タイガーマスク ザ・レボリューション2018モデル 本人使用済みです。

・2018年5月31日 青森・八戸市東体育館 BEST OF THE SUPER Jr.25 四代目タイガーマスク対ウィル・オスプレイ戦で本人使用。

・2018年6月4日 東京・後楽園ホール BEST OF THE SUPER Jr.25 四代目タイガーマスク、海野翔太組対フリップ・ゴードン、クリス・セイビン組戦で本人使用。

着用写真あり、直筆サイン入り。

タイガーマスク (4代目)

タイガーマスク1970年10月20日 - )は、日本覆面レスラータイガーマスクの4代目であり2020年4月現在、現行のタイガーマスクである。通称黄金の虎4代目。血液型A型。新日本プロレス所属。

人物

2代目(三沢光晴)、3代目(金本浩二)と違い、純粋な初代(佐山聡)の弟子であり、歴代の中では、唯一デビュー時から2021年現在までタイガーマスクを名乗っており、タイガーとしての活動期間は歴代で最も長い。また、歴代のタイガーでは2番目に小柄である。立ち位置としてはベビーフェイスだが、反則攻撃を繰り返してくるヒールには、非常に過激な技で制裁を加えることから黄色い悪魔と称されることもある[1]

 

経歴

みちのくプロレス

佐山聡が創設したスーパータイガージムでトレーニングを積み、佐山の勧めで虎のマスクを被ることを決意する。1995年7月15日、後楽園ホール大会のザ・グレート・サスケ戦にてデビューを飾り、数々の虎殺法を披露した。敗北を喫したものの、試合後にサスケに対してみちのくプロレス(以後みちプロ)入団を志願し、サスケとこの日観戦に来ていた佐山がこれを了承した。8月12日にみちプロの巡業に帯同し、9月14日に同団体でデビュー戦を飾った。

1996年9月23日にUWA世界ミドル級王座決定リーグ戦に参戦。これに優勝し、第30代王者となった。自身初のタイトル獲得となったが、1997年2月25日、左膝を痛め長期欠場に伴う防衛戦期限切れにより王座返上。結局1度も防衛戦を組まれることはなかった。その後、光が当たることが無くなったが、1999年4月11日に短期英国遠征へ出発。王座復活後第14代(通算第50代)英連邦ジュニアヘビー級王者となった。5月24日にはWWFに参戦。TAKA、FUNAKIと組み、アポロ・ダンテス&パピ・チューロ&スペル・ロコ組と対戦し勝利した。7月5日にはメキシコのメジャー団体、CMLLに参戦。フェリーノと対戦したが敗戦した。7月11日には闘龍門JAPAN(のちのDRAGON GATE)に参戦。サスケ、マグナムTOKYO新井健一郎と組み、CRAZY-MAXシーマ・ノブナガ&ドン・フジイ&TARU)&サスケ・ザ・グレート組と対戦し勝利した。

新日本プロレス

2002年 - 2007年

2002年1月4日、新日本プロレス主催のWRESTLING WORLD 2002に初参戦。獣神サンダー・ライガー、サスケと組み邪道&外道&ディック東郷組と対戦し勝利する。この年はみちプロに所属していながら、ほぼ1年を通して新日本の巡業に帯同し、9月22日には金本浩二が保持するIWGPジュニアヘビー級王座に初挑戦を果たしている。12月にみちプロと契約満了に伴い、12月16日付で新日本へ正式に移籍した。

2003年4月23日、金本の保持するIWGPジュニア王座に挑戦。勝利を収め、第44代王者となった。2004年6月13日、BEST OF THE SUPER Jr.(BOSJ)に出場し決勝に進出。決勝戦で金本と対戦し、ピンフォール勝ちを収め優勝した。2005年6月19日、BOSJに出場し決勝に進出。決勝戦で外道と対戦し勝利。大会二連覇という史上初の偉業を成し遂げた。

2006年2月19日、IWGPジュニア王座とNWA世界ジュニアヘビー級王座を保持するブラック・タイガーとのダブルタイトルマッチを制し、第49代IWGPジュニア王者並びに第81代NWAジュニア王者となり二冠王に輝く。2007年5月にはNWAに参戦し、同月5日にロウ・キーを相手にNWAジュニア王座の防衛に成功したが、11日にマイク・クワッケンブッシュに敗戦し、同王座から陥落した。

2008年 - 2010年

2008年7月、井上亘のヘビー級転向に伴い、空位扱いとなったIWGPジュニア王座決定トーナメントに出場。決勝戦にてプリンス・デヴィットと対戦し、勝利を収めて第54代王者となった。9月5日、ライガーと組み、邪道&外道組と対戦するも、外道に急所攻撃を見舞われ反則勝ちとなり、直後にロウ・キーが乱入し、覆面を剥ぎ取られてしまった。この暴挙に怒りの収まらないタイガーは、バックステージにて新日本社長の菅林直樹に対してロウ・キーを次期IWGPジュニア王座の次期挑戦者にするよう直談判を行った。同月21日、ロウ・キーを相手にIWGPジュニア王座の初防衛戦に臨んだが、敗戦した

2009年1月4日、レッスルキングダムIIIにて、ロウ・キーが保持するIWGPジュニア王座に挑戦し、新技、変型タイガースープレックスホールドで勝利し、第56代王者に返り咲いた。2月15日、ライガーを相手に勝利を収め初防衛に成功したが、試合後に突如としてブラック・タイガーがリングに乱入し、暗闇脳天落としを喰らってしまった。4月5日、Resolution '09にて、ベルト・コントラ・マスカラと銘打たれたタイトルマッチでブラックと対戦。勝利を収め、2度目の防衛に成功した。試合後、ブラックは自らマスクを剥がすとその正体がロッキー・ロメロであることを明かし、タイガーと握手を交わし和解した。だがその直後、ロメロとは別人のブラック・タイガー(2月15日に乱入したブラックと同一人物)が姿を現し、デスバレーボムを喰らうと、マスクを剥がされるという被害に遭った。6月20日、DOMINION 6.20にて、ブラックとマスカラ・コントラ・マスカラルール形式のシングルマッチで対戦。羽根折り腋固めでギブアップ勝ちを収め、試合後に抵抗するブラックのマスクを自ら剥がしにかかり、その正体が高岩竜一であることを明らかにすると、一連の抗争にピリオドを打たせた

8月15日、ミスティコを相手にIWGPジュニア王座を賭けて対戦するも、敗戦し王座から陥落。11月8日、DESTRUCTION'09にて、リマッチ権を行使してミスティコと再戦し、変型アームロックで勝利を収め、第58代王者に返り咲いた

2010年1月4日、レッスルキングダムIVにて、プロレスリング・ノア(略称 : NOAH)対抗戦に出陣し、丸藤正道を相手にIWGPジュニア王座を賭けたタイトルマッチに臨んだが、タイガーフロウジョンでピンフォール負けを喫し王座から陥落した。5月3日、レスリングどんたく2010にて、田口隆祐を相手にIWGPジュニア王座の防衛に成功した丸藤から試合後に「いつまで高みの見物してんだ?」とマイクで挑発され、この行為に激怒したタイガーはバックステージにて丸藤とのリマッチを要求した。同月8日、JCBホールにて開催されたSUPER J TAG TOURNAMENTのセミファイナルに登場し、丸藤の保持するIWGPジュニア王座に挑戦したが、丸藤に腕を攻められ終始圧倒されると最後は腕折り固めを極められてしまい、レフェリーストップ負けを喫した

8月22日、NOAH主催のNEW NAVIGATION'10 in Tokyoにて、金本浩二とのタッグで参戦し、GHCジュニアヘビー級タッグ王座を保持する石森太二&リッキー・マルビン組と対戦。この試合に勝利を収め、第12代王者組となった。新日本では10月11日、DESTRUCTION'10にて、CHAOS石井智宏にマスクを剥がされたことから抗争を展開するようになる。12月9日、リアルジャパンプロレスに参戦し、師である初代タイガーマスクと対戦。膝十字固めを極めると、レフェリーストップ判定が下され、師匠越えを果たした。12月24日、NOAH主催のNOAH ful Gift in Differ,2010にて、丸藤&青木篤志組を相手にGHCジュニアタッグ王座の3度目の防衛戦に挑んだが、敗戦し王座から陥落した

2011年 - 2013年[編集]

2011年1月23日、CMLL FANTASITICA MANIA 2011にて、昨年より抗争を繰り広げている石井とマスカラ・コントラ・カベジェラで対戦し、タイガースープレックスホールドで勝利。試合後にバリカンを手に取り石井の髪の毛を自らの手で刈り取っていた最中、石井の抵抗を受けてマスクを剥がされ、因縁がさらに深まる結果となった。その後、次期シリーズで石井はブラック・タイガーのマスクを被って試合に出場するようになり、2月20日、The New Beginningにて、今度はマスカラ・コントラ・マスカラで石井と対戦。この試合に勝利を収め、自らの手で石井のマスクを剥ぎ取り抗争に終止符を打たせた

2012年よりライガーとタッグを組む機会が増え始め、ジュニアタッグ戦線に参入し始める。6月10日、BOSJ最終戦で組まれた6人タッグマッチに出場し、真壁刀義、ライガーとのタッグで鈴木軍鈴木みのる&TAKAみちのく&タイチ)と対戦。この試合でタイチがライガーのマスクを引き裂き素顔を半分まで晒すという暴走っぷりを発揮し、最後はライガーが鈴木からピンフォール負けを喫した。6月16日、DOMINION 6.16にて、ライガーとのタッグで出場し、空位となっていたIWGPジュニアタッグ王座を賭けた試合でTAKA&タイチ組と対戦。TAKAからピンフォール勝ちを収め、第32代王者組となった。7月22日、KIZUNA ROAD最終戦にて、フォーエバー・フーリガンズロッキー・ロメロ&アレックス・コズロフ)を相手に初防衛戦に挑んだが、敗戦し王座から陥落した

2013年7月、NOAH主催の日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦にライガーとのタッグで出場。公式戦を無敗で切り抜け、決勝戦で石森&小峠篤司組と対戦し、ライガーが小峠からピンフォール勝ちを収め、同大会を優勝、同時に第18代GHCジュニアタッグ王者組に輝いた。12月7日、NOAH主催のGREAT VOYAGE 2013 in Tokyo vol.2にて、GHCジュニアタッグ王座を賭けた5度目の防衛戦として、小川良成&ザック・セイバー・ジュニア組と対戦。ライガーが小川からピンフォール負けを喫し王座から陥落した

2014年 - 現在

2014年11月1日、ライガーとのタッグで出場した試合後、NOAHのヒールユニットである超危暴軍拳王大原はじめが姿を現し、GHCジュニアヘビー級タッグ王座の次期挑戦者として対戦を要求され、ライガーがこれを承諾した。12月6日、NOAH主催のGREAT VOYAGE 2014 in Tokyo Vol.3~方舟進章・有明 冬の陣~にライガーとのタッグで出場し、拳王&大原組の保持するGHCジュニアタッグ王座に挑戦したが、最後は拳王からピンフォール負けを喫し王座奪取とはならなかった

2015年9月23日、DESTRUCTION in OKAYAMAにて、NWA世界ジュニアヘビー級王座を保持するスティーブ・アンソニーに挑戦し、アンソニーのセコンドに就いたNWA代表であるブルース・サープの妨害を受けながらも、最後はリバースダブルアームバーを極めて勝利。2度目のベルトを獲得し、次期挑戦者にライガーを指名した。12月18日、公約通りNWAジュニア王座の初防衛戦の相手としてライガーと対戦。最後はリバースダブルアームバーを極めてギブアップを奪い、初防衛に成功した

2016年3月19日、NWAジュニア王座2度目の防衛戦の相手として前王者のアンソニーと対戦するも、最後はピンフォール負けを喫して王座から陥落した。

2020年12月21日、Road to TOKYO DOME 後楽園ホール大会にて4月末の大腸憩室炎穿孔の手術による長期欠場から復帰

Wikipediaより

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【売却済】 YN製 四代目タイガーマスク 本人使用 直筆サイン入

2018年11月04日 00時55分58秒 | マスクコレクション

YN製 四代目タイガーマスク ザ・レボリューション2017モデル 本人使用済みです。

2017年11月5日 大阪・大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪)wateRouge by home+ Presents POWER STRUGGLE 四代目タイガーマスク、獣神サンダー・ライガー、KUSHIDA、川人拓来、ジュース・ロビンソン組対TAKAみちのく、エル・デスペラード、タイチ、金丸義信、ザック・セイバーJr.組戦で本人使用。

着用写真あり、直筆サイン入り。

 

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【売却済】 ローリン製 ウルティモ・ドラゴン 本人使用 直筆サイン入 コスチューム付

2018年11月04日 00時55分57秒 | マスクコレクション

本人使用

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【売却済】 ローリン製 ウルティモ・ドラゴン 本人使用 直筆サイン入

2018年11月04日 00時55分56秒 | マスクコレクション

本人使用

2004年の週刊ゴングNo.1046の初代タイガーマスクとの対談で本人使用。
着用写真、直筆サイン入り、ひも付き。

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【売却済】 YN製 二代目ザ・タイガー 本人使用 直筆サイン入

2018年11月04日 00時55分55秒 | マスクコレクション

本人使用

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【売却済】 YN製 タイガー・ドラゴン 本人使用 直筆サイン入

2018年11月04日 00時55分54秒 | マスクコレクション

本人使用

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【売却済】 YN製 タイガー・クィーン 直筆サイン入 レプリカ

2018年11月04日 00時55分53秒 | マスクコレクション

YN製。

ボディ素材:金エラスラメ (裏地:ソフトパワーメッシュ)

模様素材等:黒・白エナメル合皮、赤エナメル、水色・紫・赤・銀・ピンク箔、銀ホログラム本革

2021年7月29日 ストロングスタイル プロレス 東京 後楽園ホール大会にてデビューしたマスクです。

タグ付き、タイガー・クィーン直筆サイン入り。

 

 

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