平成4年(1992年)11月18日 京都・グランドーム『’92世界最強タッグリーグ戦』公式戦、パトリオット、ジ・イーグル組対ジャイアント馬場、小橋建太組戦等にて長期本人使用。
パトリオット(Patriot、1961年12月21日 - )は、アメリカ合衆国の覆面レスラー。本名はデル・ウィルクス(Del Wilkes)。サウスカロライナ州コロンビア出身。
なお現在までに、同名のリングネームを名乗ったレスラーが3名確認されている。通常「パトリオット」といえば、その多くの場合は1990年代に全日本プロレスを主戦場に活動していたデル・ウィルクスを指すため、本項ではウィルクス扮するパトリオットについて記述する。
来歴
1988年、末期のAWAにおいて素顔の警備員ギミックのベビーフェイス、ザ・トルーパー(The Trooper)のリングネームでデビュー。ラリー・ズビスコやマイク・ジョージらベテラン勢と対戦してキャリアを積み、1990年8月11日にはD・J・ピーターソンと組んでデストラクション・クルー(ウェイン・ブルーム&マイク・イーノス)を破りAWA世界タッグ王座を獲得。翌1991年にAWAが活動を停止したため、結果的に彼らが最後のAWA世界タッグ王者チームとなった[3]。1990年にはトルーパーとして全日本プロレスに初来日している。
その後、覆面レスラーのパトリオットに変身し、1992年5月に全日本プロレスに参戦。星条旗を基調としたマスクとコスチューム、長身かつビルドアップされた筋骨隆々の肉体、そしてそれから繰り出されるパワフルかつスピーディーで跳躍力あふれる迫力ファイトなどで、常連外国人選手となる。小橋健太とも「日米新世代ミサイルタッグ」を結成し、アジアタッグ王座挑戦や世界最強タッグ決定リーグ戦参戦が視野に入るほどの人気を得た。しかし、同年末の最強タッグには全日本側の都合により、このタッグチームでの参加は実現しなかった。そこで新パートナーとして、自身と同じ星条旗基調のコスチュームを身に付けた覆面レスラーのジ・イーグルと覆面愛国者コンビを結成し、リーグ戦に参加した。
リーグ戦では優勝を逃したが、イーグルとのコンビネーションが好評だったため、翌1993年6月2日に小橋健太&菊地毅の保持するアジアタッグ選手権に挑戦、勝利を収め第60代の王者チームとなる。9月9日にカンナム・エクスプレス(ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット)に敗れ王座から陥落するが、翌年のリーグ戦にもイーグルとのタッグで出場した。
1994年にWCWへ移籍。マーカス・バグウェルと「スターズ・アンド・ストライプス(Stars and Stripes)」を結成し、プリティ・ワンダフル(ポール・オーンドーフ&ポール・ローマ)からWCW世界タッグ王座を2度に渡って奪取した。
1995年、再び全日本プロレスを主戦場とする。7月に行われた三冠ヘビー級王座挑戦者決定リーグ戦に、田上明、小橋健太、ジョニー・エースと共に参加。挑戦権を獲得することはできなかったが、小橋からスカイハイ・パワーボムでピンフォール勝ちし、シングル・プレーヤーとしての成長を見せた。8月30日には、ジョニー・エースとのコンビで田上明&川田利明の保持する世界タッグ王座に初挑戦するも敗退。同コンビで同年末の世界最強タッグ決定リーグ戦にも出場し、第4位となる。
1996年には、超世代軍を脱退した小橋健太と数年ぶりにタッグを再結成する。10月12日にスティーブ・ウィリアムス&ジョニー・エースの「殺人狼」が保持する世界タッグ選手権に挑戦したが敗退。同年末の世界最強タッグ決定リーグ戦にも同タッグで出場、1点差で優勝を逃し、第3位となる。
1997年5月には、このコンビに2人と同世代であるジョニー・エースを加えたトリオで新チーム「グローバル・エネルギッシュ・タフ(GET)」を結成した。結成最初のシリーズでは小橋とエースのコンビが世界タッグ王座を獲得したが、翌シリーズにパトリオットは負傷により欠場。欠場中にアメリカのWWF(現・WWE)への移籍を発表した。
WWFでは当時ヒールに転向していたブレット・ハートとの「アメリカ対カナダ」の抗争アングルが組まれるが、負傷欠場を繰り返し解雇され、体調の回復が困難なことからレスラー活動を停止している。
その後、トム・ブランディにパトリオットのキャラクターを譲り渡し、彼がアメリカのインディー団体でパトリオットとして活動していた時期がある。
SOLLUNA HAYASHI林雅弘製。
1997年製、タグ付。
レイ・ミステリオ・ジュニア
レイ・ミステリオ・ジュニア(Rey Mysterio Jr.、1974年12月11日 - )は、アメリカ合衆国の男性プロレスラー。
本名、オスカー・グティエレス(Óscar Gutiérrez)。カリフォルニア州チュラビスタ出身のメキシコ系アメリカ人。現在はWWEに所属。叔父はレイ・ミステリオ・シニア、従兄弟にエル・イホ・デ・レイ・ミステリオ。息子はドミニク・ミステリオ。 WWEでのリンクネームは、会長ビンス・マクマホンの意向で『レイ・ミステリオ』となっている。
人物
レイ・ミステリオは日本語に直訳すると「神秘の王」となる。メキシコ系であることを誇りにしており、腹部にタトゥーでMEXICANと彫られている。また、親友だったエディ・ゲレロの死去以降しばらくは腕のバンドに、エディ・ゲレロのイニシャル「EG」の二文字を記していた。160cm前後の身長で、軽量級のレスラーである。
14歳の若さでプロレスデビュー[3]。WWAでデビューした当時はコリブリと名乗っていたが、後に叔父のレイ・ミステリオ・シニア(シニアの実子はエル・イホ・デ・レイ・ミステリオ)からマスクとリングネームを受け継ぎレイ・ミステリオ・ジュニアを名乗る。WWAが崩壊した後はAAA、WCW(後にWWE)と移籍。WWEではビンス・マクマホンの方針でリングネームからジュニアを外し、レイ・ミステリオとしている。WWEを退団しAAAに復帰した際にレイ・ミステリオ・ジュニアにリングネームを戻している。
Wikipediaより
ジョージ・ハインズ(George Hines、1963年6月1日 - )は、アメリカ合衆国出身のプロレスラー。出身地は複数説があり定かではない。身長186cm、体重110kg。
兄はザ・ファンタスティックスのボビー・フルトン。
来歴
アマチュアレスリングやフットボールを経験したが、兄の影響もあってプロレスラーを目指す。デビューは1987年のフィデル・カストロ戦。
1992年にジャッキー・フルトンのリングネームで全日本プロレスに初来日。 同年に覆面レスラーであるザ・パトリオットのパートナーに抜擢され、同じく覆面レスラーのジ・イーグルに変身する。
1993年6月2日、ザ・パトリオットのパートナーとして小橋健太、菊地毅組を破ってアジアタッグ王座を戴冠する。秋山準・菊地毅組に一度の防衛後、9月9日にカンナム・エクスプレス(ダグ・ファーナス、ダニー・クロファット組)にベルトを奪われる。
1999年、素顔のジョージ・ハインズとして全日本プロレスに来日する。2002年に武藤敬司が全日本に入団すると、共にスキンヘッドであった事から武藤と同じコスチュームを着用し、入れ替わり戦術など多彩なコンビネーションを見せ高い会場人気を獲得した。しかし全日本が武藤新体制となってからは現在まで参戦が殆ど途絶えている。
Wikipediaより