「文身點面(ぶんしんげいめん)して、猶(なお)太伯の苗(びょう)と称す。」
『隋書』では「黥臂點面文身」、『魏志』では「黥面文身」とあります。點面とは顔の入墨です。
『史記』趙世家では「黒歯雕題」、つまり「黒い歯をして額に入墨」をするのが呉人の風俗です。
太伯の苗裔とは呉人で、周の王族、太伯が弟に国を委ねて呉に逃れたと伝えられています。(史記呉太伯世家)。
「魏略曰く、女王の南、また狗奴国あり。男子を以て王と為す。その官はクコウチヒコという。女王に属さず。帯方より女(王)国に至る。万二千余里。
その俗、男子は、皆、點にして文。その旧語を聞くと自ら太伯の後という。
昔、夏后少康の子は会稽に封じられ、断髪文身して、蛟龍の害を避けた。
今、倭人はまた文身し、もって水害をはらう(厭)。」
倭人は自ら「太伯の後」と記録され呉人が渡来していた。
『翰苑の解読と分析 塚田敬章氏』より抜粋
http://www.eonet.ne.jp/~temb/8/kan_en.htm
『隋書』では「黥臂點面文身」、『魏志』では「黥面文身」とあります。點面とは顔の入墨です。
『史記』趙世家では「黒歯雕題」、つまり「黒い歯をして額に入墨」をするのが呉人の風俗です。
太伯の苗裔とは呉人で、周の王族、太伯が弟に国を委ねて呉に逃れたと伝えられています。(史記呉太伯世家)。
「魏略曰く、女王の南、また狗奴国あり。男子を以て王と為す。その官はクコウチヒコという。女王に属さず。帯方より女(王)国に至る。万二千余里。
その俗、男子は、皆、點にして文。その旧語を聞くと自ら太伯の後という。
昔、夏后少康の子は会稽に封じられ、断髪文身して、蛟龍の害を避けた。
今、倭人はまた文身し、もって水害をはらう(厭)。」
倭人は自ら「太伯の後」と記録され呉人が渡来していた。
『翰苑の解読と分析 塚田敬章氏』より抜粋
http://www.eonet.ne.jp/~temb/8/kan_en.htm

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