「/(スラッシュ)」

ナニワのオッサン 怒りのエッセイ!!

/224.二度目のオリンピック(「人間力」と「音頭とり」)

2009-04-17 08:53:18 | Weblog
 過去最長と言えるほど親しんだ桜がついに散った。今は大半が葉桜だ。そして、季節は雨後の筍のように足早に移ろい、もう「きらめき」の新緑。長い晴天が続いた後の恵みの雨で、淀んだ空気が洗い流されたせいか、初々しい黄緑色が生き生きしている。山吹のだいだい黄金色、チューリップやツツジの濃淡赤色、馬酔木の白色が巧みにミックスされた色彩美は、まさにこの時季の自然の成せる業だ。見ていて飽きることがない。そんな丘陵地の岸辺や公園に「二つ折りの恋文」のチョウが飛んでいる。

 花の基調は赤・白・黄色組だが、おっとどっこい、「空中組」も負けてはいない。という全ての生物が躍動し山笑う姿に、僕はなぜか、1959年4月10日の「天皇皇后ご成婚祝賀パレード」の光景と女優吉永小百合さんの「デビュー時の顔」を思い浮かべた。あの頃の日本は、まさに春爛漫の雰囲気があったっけ。その一方で、これから始まる自然の熾烈な大レースは、我が胸に果てしない高揚感を呼び込む。こうでなくっちゃと、しばし自分に喝(かつ)を入れる。

 赤・白・黄色組の他にもう一つ、忘れてはならない「組」がある。それは、桃組=桃源郷だ。僕自身は、桃源郷という呼び名を桃だけに限定していない。そういう意味での日本の桃源郷の代表格は、山形県の最上川中上流域とみすずかる信濃の千曲川流域だろう。ちなみに僕は、色彩の豊かさという僅かな差で最上川流域の方に軍配を上げる。が、今日は桃組の多さを評価して、この場に千曲川の桃源郷旅情を呼び込みたい。

 甲斐、武蔵、信濃の三国を意味する「甲武信ヶ岳(こぶしがだけ)」に源を発する千曲川は、山を駆け、谷を巡り、佐久・塩田・善光寺平を潤す。くねくねと曲線を描きながら流れるその様は、まさに「千の曲り」だ。この川に沿って、JR小海線、JR信越本線などが走る。両線とも、日本有数の抒情詩を運ぶ郷愁列車が売りだ。八ヶ岳連峰、南アルプス、浅間山、姥捨山の「田毎(たごと)の月」、小諸懐古園。車窓に映る風景も飽きることがない。

 そして、春まだ浅き杏の里「更埴(こうしょく)」、ここが知る人ぞ知る桃源郷だ。この町は今、「千曲市」と名前を変えた。桃源郷の景観は、人それぞれの旅情をそそる「千曲川のスケッチ」と言えるだろう。目を閉じれば、この川のある風景は、悠久の時を超えて、今も変わらぬ詩情に溢れている。千に曲がる川を愛した画人・文人は多い。一茶、北斎、藤村、鷗外などなど。中でも藤村の「小諸なる古城のほとり、雲白く遊子悲しむ」は、あまりにも有名だ。

 では、ここでクイズだ。次の一茶の句を完成させよ。「信濃では、月と佛(ほとけ)と○○○○○」 ・・・・・。正解は「おらがそば」だ。更科蕎麦に戸隠蕎麦、我が信濃行脚で食べた蕎麦の数々は、なんでもかんでも絶品だ。でも、「おらの蕎麦」とするにはちと遠過ぎる。野沢菜と並んで、残念なことの一つだ。一茶の故郷も千曲川沿いに近い。更埴と桃と一茶と藤村と。この思いがある限り、貴方の旅のスケッチもきっと有意義なものになるに違いない。

 ところで、姨捨山の伝説は全国至るところにあるが、その名が実名で残るのはここ更埴だけだ。ここを含めて、幾多の氾濫を繰り返した千曲川。その河川敷は今、肥沃な畑の河岸段丘となり、桃や林檎の樹影を形作っている。そして、切り刻まれた稲田は天に達して、この桃源郷に彩を添えているのだ。勿論、桃源郷の本命は杏。杏よ、花つけ。杏よ、花咲け。一度見れば脳裏に刻み込まれる心象風景だろう。人はこれを「心のスケッチ」と呼ぶ。

 さあ、離れ難いけれど現実に戻る。今週はやたら、人や組織の「顔」が気になった。ランダムに、まずは哀愁や悲しみを誘う顔から。 桜色に染まっていた桜。涙の別れ、カルデロン・のり子ちゃん。「受粉バチ不足」に悲鳴を上げるイチゴ・スイカ農家。比良山系の滝壺で亡くなった我が街のプロボクサー、小松則幸選手。痩せ細った北の将軍様。スタートダッシュに失敗した我が阪神タイガース・真弓監督の閻魔顔。女子高生の下着に手を入れた防衛医大教授の逆転無罪顔。コメントすればこのオジサン、僕の目にはなぜか哀れに見えた。

 次は安らぎを覚える顔、顔、顔。 僕がかつて草野球で使用したことがある、庶民に惜しまれて去り行く広島市民球場と「ボール犬・ミッキー君」の穏やかな死。北アルプス「涸沢」の助っ人「岳沢(だけさわ)ヒュッテ」の再建を喜ぶ岳人。「スラムドック・ミリオネア」の心意気を持つインドの子供。真弓監督とは対照的な楽天・野村オジサンの恵比須顔。オバマ家の愛犬「ボー」のボーッとした顔。日本のお袋の味で育った健康な子供。3打席連続ホームランを2試合続けた金本アニキ。コメントすればあの年齢で、スゴイの一言。

 次はどっちでもいい、厚顔無恥な顔。 「裏技」の名手、郵便不正のヤカラ。15兆円の新経済対策・補正予算に自慢する麻生さん。これには是非一言、言いたい。あっ、そうさんよ、金を使うからいいの? 金をばらまくからいいの? はっきりしてよ、僕は、アイ・ドント・ノー。誤報の主なのに「まるで被害者」の週刊新潮。理事長・理事を辞任したものの「法人私有化」にはあくまで強気のドン・大久保。沈思黙考を脱却したのに、なぜか「不動明王面」の域に達している小沢さん。いったい何があったの? 

 とまあ、こんなところだが、僕が思うに、悲しくても、苦しくても、腹が立っても、魅力ある人間の顔は、人心を助ける吸引力がある。その代表格が、僕の場合「長嶋茂雄さん」であり「吉永小百合さん」だった。それは今でも、変わらない。今日のテーマはオリンピック。このオリンピックの開催にも、人間力という限りない力が働く、と僕は思っている。ましてや、そんな人達が「音頭とり」となれば、もう「鬼に金棒」だ。ということを、今回はあまり自分の意見に固執せず、「しつこさも中ぐらいなりおらが春」の心境で、至って気楽に「例えばの話し」で語ろうと思う。では出発。

 いよいよ東京オリンピックのIOC視察が始まった。いかに強気の石原知事でも、何とかしてゴマをすらねばならない。と、思っているだろう。その石原知事が、「(今回が)ダメなら次の4年後も立候補」と、本気でやる気になっている2016年・2回目の東京オリンピック開催に、僕は基本的には賛成だ。その理由は、開催理念でも、費用対効果でも、お祭り騒ぎの楽しみでも何でもない。ただ単に僕自身がスポーツ大好き人間だから、だ。

 また、先の「WBC・侍ジャパン」のあの国民の熱気を思えば、今のような暗い時代の人々の沈んだ心を活性化させる起爆剤、としてのオリンピック開催に、興味を示す人間がたくさんいるに違いないと思うし、いてもおかしくはないだろう。そういう意味では、国民が望んでいるエベントではないだろうか。南米のリオ、アメリカのシカゴなど他の候補地を退けて、是非とも開催に漕ぎ着けて欲しいものだ。

 なのでその点では、この話しが決して悪い話しではないのだ。つまり、僕としては今回の2回目のオリンピック開催が「/」ではなく、限りなく「○」に近い心境ではある。でも、この国の現実を考えれば、とてもそんな気になれない、というのが偽らざる僕の本音だ。だから、今のところ「△」としておこう。なぜだろう? この理由を一言で語れば、支持率が70%以上もあるのに、国民全体にこの目標に向かって努力して行く情熱と高揚感がイマイチ不足しているからだ。これは勿論、まだ決定されていないことと、さっき言ったこんな時代のせいもある。

 特に、1回目だった1964年の東京オリンピック前と比べてみると、そのことがよりはっきりする。しかし、あの頃と比べてみること自体、ナンセンスで少々無理がある、ことも確かだ。時は右肩上がりの高度経済成長期。日本国民には、ようやく欧米と肩を並べる先進国の仲間入りをした、という誇りと達成感があった。言わば、戦後の長いトンネルを一つ抜け、その先にある明るい未来を誰もが確信していたのだ。そしてそれが、国民一丸、目標に向かって行く情熱と高揚感となって前面に弾き出されていた。と、こう言える状態だった。

 比較して、現在はどうだろうか。日本だけではないにしても時代は今、最悪。そして、斜陽だ。また、先行き不透明な混沌閉塞社会。それこそ昔、「夢もちぼう(希望)もないよ!!」とギャグを飛ばした東京ぼん太さん(?)の世界だ。これで、「国民よ、一丸となれ」と、鼓舞を無理強いする方がおかしい。と、こうも言える。しかし、それでも僕はそう言った意見に反抗してでも、あの情熱と高揚感を甦らさせるために、過去の大会を振り返りたくなる人間の一人だ。

 僕にとって昭和39年の東京オリンピックは、それこそ夢の出来事で幼き青春のビックメモリーだ。当時僕は、中学2年生。同学年の意中の彼女に思いを寄せる嘴(くちばし)の黄色い活気ある純情少年だった。また、恋に憧れてもいたが、まだ見ぬ東京にも憧れていた。それに、オリンピック以外のビックエベントがもう一つあった。東海道新幹線の開通だ。あの新幹線に乗って、これまた憧れの人で、今も「聖人」と僕が思っている「長嶋茂雄さん」に会いに行く、という自分なりの情熱と高揚感があったのだ。

 当時の長嶋さんはまさに、男性なら誰もが夢見る「かっこ良さ」の象徴。元祖「カッコイイー」だ。言わずと知れた憧れの人がもう一人いた。「吉永小百合さん」だ。彼女のイメージは「清純な乙女」そのもの。あらゆる褒め言葉を寄せ集めてもまだ足りない、という女性でもあった。まさにこれは、「お高い禁断の果実」で近寄り難い存在。それもその筈、忘れもしない、あの頃巷では秘かに次のような会話がまことしやかに囁かれていた。「小百合ちゃんと美智子さん(皇后陛下)は、おしっこもしないし、ウンチもしない」と。 お粗末でハシタナイ、いかにも大阪らしいウワサ話だが、この庶民の会話に、お二人の高貴な神秘性を感じていただければ幸いだ。

 しかしながらそれでいて、僕の心の中には絶対に彼女にお近づきになれる、という妙な自信と親近感があったのだ。長嶋さんも、そうだ。これは今でも、僕の七不思議の一つだ。だから、このお二人が僕の絶大なる昭和のイメージ。そして、二人とも天国に旅立つまで、僕の昭和は終わらない。と、思っている。要はそれだけ、このお二人に人間の魅力としてのインパクトがあったのだ。僕の東京オリンピックも当然、お二人抜きにしては語れない。

 本当のことを言えば、このままこの話しを続けたい心境だが(新幹線が)脱線してはいけないので、この辺にしておく。が、前提としてあるのは、例えばオリンピックには、「人間力」の要素が深く係わる、ということだ。でも、もう一言大事なことを付加する。それは、「便利さや速さ(早さ)の象徴」としての新幹線の開通が、実は後々の日本の大自然がコンクリートの道によって破壊されて行く「前兆現象」であった、ということだ。

 つまり、あの前兆現象は、古き良き時代のスローライフから、スピードライフに変わる大転換期を暗示していたのだ。しかしその当時、国民の誰一人としてあの2大エベントを否定する人間はいなかった。と言うより、時代がそうさせた、のだ。そしてこれが、戦後の日本に終止符を打つ大事な大事な「お祭り騒ぎ」だったのである。

 だからどうなんだ、などと言う疑問符は、この際雲散霧消させる。が、今になって冷静な心と目で1回目の東京オリンピックを見れば、まだ決定されていないが、今開催の方が断然「エコ」を重視したという面では、意義のあるエベントなのかも知れない。調子に乗って、言い忘れない内にもう一つ言っておく。前回のオリンピック開催による日本の都会部分の大破壊は、「人災」と言ってもいいだろう。大阪も例外ではない。より破壊度が大きかったのが東京だ。代表的なものが首都高速。この建設で、東海道五十三次の拠点、いや、日本の道路網の起点である「日本橋」がコンクリートで覆い隠されてしまった。と同時に、渋谷川も暗渠になり、あの「♪春の小川♪」の生まれ故里が地下に沈んでしまった。などなど、負の側面を発掘すればキリがない。

 ここで重要人物に登場してもらう。その人の名は、京都の「桜守」である「佐野藤右衛門(とうえもん)さん」だ。日本一の「樹木医」を自任する桜守は、あるラジオの深夜番組でこう語っていた。「一つの『便利さ』は、その100倍の自然を破壊する」と。2回目の東京オリンピック開催にこだわる僕としては、決してこの言葉を強調したくはない。が、御大桜守さんの言われた名言をしみじみと噛みしめる時、論外として雲散霧消させてはならない言葉の重みを今一度ここで、有り難く咀嚼(そしゃく)したい思いだ。これぞ、職業訓の貴重なリメンバー。

 2回目の開催に向けて、石原さんは少々焦っているようだ。知事の年齢を考えれば、石原さんにとっても、これが忘れられない最後のリメンバーだろう。その心は、聖火=成果だ。気になるのは例えば、建設費2420億円、招致活動費150億円の出費だ。果たしてこれで、3兆円の経済効果が見込めるのだろうか。地球温暖化対策としては矛盾する「1000円高速」のように、かつての「オリンピック遺産」を使用する実に「コンパクト」な会場設定や交通事情なども、本音は金儲けでは? と、こう勘ぐるのは僕だけだろうか。もしそうであれば、石原知事の商魂のたくましさがミエミエだ。今の時代に合った価値観のオリンピックとは言えない気もする。

 かと言って、僕は前述した通り2回目の開催には反対ではない。やるからには、「採算も中ぐらいなり」のお祭り騒ぎがいい。かつては僕も、派手派手のスキーウェアでゲレンデを飾った。そのせいか、あまりに地味なオリンピックもどうかなあ、と思う。それにはまず、国民の意思表示が必要だ。その際のポイントは、国民をその気にさせる人間力と音頭とり、だ。仮に東京開催が決定すれば、いや、決定前でも国民を引きつけるトリガーとして、絶大な効果が見込める「歌声」を僕は希望する。つまりは「大会絶賛歌」だ。

 前回の大会では、南春夫さんが中心となって「東京五輪音頭」を歌った。あれに近いものがあると、一人一人の意識がまた変わってくる。ちなみに僕は、当時青春歌謡を歌わせば天下一品だった「舟木一夫さん」の「学園もの」のメロディーがなぜか、オリンピック開催とダブっている。余計な話しだが、僕の姉は恐らく、狂いに狂っていた「ビートルズ」の歌声だろう。今回の五輪支持率はそれなりに高い。でも、当てにはならない数字ではある。もし、誘致委員会がこの数字を信じるのであれば、僕はまず「何でもいいから国民誰もが歌える歌、または音頭」を早めに日本中に流すことを提案する。

 なぜなら、今の世の中、あまりにも幼稚だ。理論や理屈で説き伏せるのを嫌う若者も非常に多い。そんな時、デジタルで鍛えた単純細胞を刺激する役目を果たすのが、軽いメロディーだ。こう言うのには訳がある。あの重い雰囲気の中、学生運動で男のエキスが充満していた過激派の終焉時代に、突如沈黙を破って登場した女向きの軽いメロディーがある。「ユーミン」だ。学生運動の真っ只中では、彼女は変人扱いだったかも知れない。でも、今考えれば、彼女の登場はまさに、時代の成せる業。タイミングとして、ピッタリだった訳だ。

 以後彼女の歌はノンポリ系、元過激派を含める学生達にも浸透して、それまでの混沌、閉塞感を見事に破ってしまった。そして日本は、老若男女が非日常を謳歌する「旅の時代」へと変化して行った。その点において、彼女の存在はまさに、トリガーだったのだ。人々のモチベーションを変えた軽いメロディー、あの経験をオリンピックに生かすべきだろう。少々押し付けがましいが、時代は変わっても、歌の効果は無視出来ないと僕は思う。

 「ユーミン」の事は書かない方が良かったみたいだが、ついでに書く。そう言えば、東京オリンピックのマラソンの優勝者は、コンクリートの上を裸足で走った「アベベ」という「変人」だった。「東洋の魔女」もいた。その魔女を変幻自在に操ったのは、「鬼の大松監督」という「奇人」だった。その当時、テレビ番組の「シャボン玉ホリデー」には、一世を風靡した「植木等さん」という無責任男がいた。また、NHKの「ひょっこりひょうたん島」には、僕が大好きだった「ドン・ガバチョ」という「変な大統領」もいた。

 このように、オリンピック開催前後には、案外いい意味での「魑魅魍魎」が必要なのかも知れない。であれば、小説「太陽の季節」で当時の暗い若者の性を開放したのは、現東京都知事の「石原さん」だ。その意味で、石原さんもその仲間、と言わせてもらおう。知事も良き魑魅魍魎として、存分に「それらしさ」を発揮してもらいたい。黙っていては、知事の「人間力」が半減する。

 知事の音頭とりに乗ってくれそうなのが、暗雲が漂っているとは言え、仲の良さそうな「青春知事・森田健作さん」だ。僕の聖人「長嶋さん」が体調不良な今、代役は海の向こうにいる「世界の安打王・イチロー」だ。彼は今日、日本の最多安打記録を作った。離れていても人気者の彼は、凄い発信力がある。吉永小百合さん、舟木一夫さんは、まだまだ元気。この5人に橋下大阪府知事、東国原宮崎県知事を加えて、総勢6人、紅一点1人を含む「七人の侍」の登場だ。

 この7人の音頭とりは、強力だ。とにかく今は発信&発信あるのみ。「成せば成る」を合言葉に、国民をその気にさせくれ!! そうでもしないと危ないよ、石原さん。まっ、そう焦ることもない。あくまで今日の提言は、始めの約束通り「例えば」の話しだから、ネ。