桜が開花した。京阪沿線の寝屋川駅に近い友呂岐(ともろぎ)緑地の水路沿いには、ソメイヨシノなど約500本が植えられている。五分咲きの桜を見上げているとやはり心が踊る。日本の春だ。桜に生きる力を貰う様な気がする。それにしても気分がいい。僕自身は吉野山などにある山桜が好みだ。野生独特のいい香りがする。全山桜というのも確かにいいが、雑木林にポツンと一本、淡い色彩を放っている山桜もまたいいものだ。「願わくば花の下にて春死なん」と詠った西行さんの気持ちがよく分かる。花が散ると若葉から新緑。「石(いわ)走る、垂水の上のさわらびの、萌えいづる春になりにけるかも」(志貴の皇子)の季節ももうすぐだ。
閑話休題。「♪貴方はもう忘れたかしら・・・・・」今日の「/」は、南こうせつとかぐや姫、「神田川」の世界だ。勿論、あの懐かしいメロディーが「/」ではない。「/」なのは、僕の近所で次々と姿を消して行く、かつて手拭い片手に下駄を鳴らしながら通った「横丁の風呂屋」だ。
僕の若い頃の経験から言って、いくら寒くても、さすがに歌の様に手拭いをマフラーにすることはなかったが、セピア色の横丁の思い出と今の姿を二重露光させると、しみじみと込み上げて来るものがある。下町のあの情緒とあの風情。まさに「神田川」は、古き良き時代の庶民生活の象徴ではないだろうか。そんな神田川の世界は、今ではもう絶滅危惧種になりながら、僅かに町の片隅で淡い光を保ちながら行き続けている現状だ。僕は寂しい。
僕は横丁の風呂屋さんが大好きだ。自宅の小さなバスタブとは、入浴気分の次元が数段違う。特に、湯上りの小一時間は最高の気分だ。「こんな気分で、一日中過ごせたらどんなに幸せか」と何時も思う。
最近は、自分の健康も兼ねて、愛用のママチャリ(若干改造)で、遠方の風呂屋さんにもよく出かけて行く。何度も通っている場所は、大阪市旭区の千林商店街近くの「神徳の湯」という風呂屋さんだ。僕の住んでいる寝屋川市から、MAX約2時間かかる。と言うより、その日の気分によって、色々ルートを変えるから2時間もかかってしまうのだ。京阪線沿いのコース、大イベントの花博があった鶴見公園緑地を迂回するコース、淀川河川敷を南下するコースと様々だ。
この内僕のお気に入りは、向かい風が弱い時の淀川河川敷コースだ。時には、十三(じゅうそう)付近までオーバーランすることもある。そして何よりもこのコースは、僕の身上でもある体力を生かせる絶好のエアロビクスコースなのだ。大阪人らしく、金をかけないでたんまり汗を流せる。これ以上の健康アイテムは、正直言って、今の日常生活にはあまり存在しない。おまけに景色も良い。だから、自然にペダルを踏む足に力が入るのだ。
その汗の先にあるのが「神徳の湯」だ。のぼせない程度に約一時間、たっぷりリラックス出来る貴重なひと時。金属石鹸を排除する軟水のミネラル温泉が、このお風呂屋さんのウリだ。伊吹山の「薬草風呂」、「露天風呂」も心地良い。一番インパクトがあるのが、身体が生き返り、細胞が活性化された様な気分になる、超冷たい「冷水風呂」だ。やや熱い軟水風呂とこの冷水風呂を4,5回繰り返して入ると、僕の心はもう遥か遠い奥飛騨温泉郷まで飛んで行く。まさに都会のど真ん中の至福の時間帯だ。有難い。
それだけではない。この後まだリラックスタイムは続く。それは、風呂上がりの先にある、大阪情緒満点の立ち飲み屋さんで飲む一杯だ。その店の立地は、自由奔放な、大阪のオバチャンが生息することで知られる千林商店街の延長線上にある。早い話が風呂屋さんの隣だ。
チューハイ一杯170円、一番安いアテで80円、しかも美味しい。風呂代を含めて2000円もあれば充分だ。これぞ千林、これぞ大阪。ここで何時も約2時間過ごす。バッカスの先にあるものは・・・いや、これはあまり言わない方が賢明だ。今のご時勢自転車も飲酒運転禁止。なので、警察には内緒だが、この後のカラオケがまた楽しいとだけ言っておこう。ともかくこの様にして、横丁の風呂屋さんの恩恵をたっぷり受けている。
ところが、そんな近所の横丁の風呂屋さんが、去年から今年にかけて、次々と僕の視界から消え去りつつある。知っているだけでも5件以上あるだろうか。僕は以前このブログで、「私鉄沿線冬景色」と題して、宝塚ファミリーランドや甲子園パークなどの大型娯楽施設消滅の無念さを記したが、それよりも、もっと身近にあるこの現実にも一抹の寂しさを覚える。
下町の代表的な風景である素朴な横丁の風呂屋さんは、我々の世代にとっては昭和の名残り。それこそ歌手イルカさんの「名残り雪」だ。僕に関して言えば、ここにも万博の頃の名残り雪がいっぱい詰まっている。それが残念でならない。この風景は、僕の中では明らかに「/」だ。
何故神田川の世界が消えて行くのだろうか。確かに高度成長期に比べて、持ち家の内風呂が増えた。少子高齢化、エセイザナギ好景気もあるかも知れないし、ないかも知れない。時代遅れ? それはないと思いたい。それはともかく、これ以上横丁の風呂屋さんが減少しないことを僕は祈るばかりだ。
その代わり街は今、大駐車場完備のスーパー銭湯が大流行だ。一丁前に「源泉掛け流し」「極上の天然温泉」をキャッチフレーズに、近年次々とオープンしている。値段も、そこそこ400円台から1000円前後とかなり手頃だ。中身だけなら、日本各地にある温泉地の浴槽とあまり変わらない。「付属品」が、また豪華だ。秋田県の玉川温泉もびっくりの岩盤浴、露天風呂、ホットヨガ、リラクゼーション、韓流あかすり、オイルマッサージ、足底マッサージ、サウナ、宴会場などなど、まさに商魂もスーパー。おまけに無料バス付きだ。
しかし、僕はあまり好みではない。商魂がたくまし過ぎて、自然体の入浴と癒しが望めないからだ。客も宴会気分で何かとうるさい。その上これら大型銭湯の多くは、大事な地球を傷つけている。そりゃあ1000メートル以上も掘れば、何処でも誰でも、地下から温泉を汲み上げられるだろう。たまに行くことはあっても、この行為が、地球に優しい人間の業とはとても僕には思えない。地盤沈下と地下水の枯渇が心配だ。
それに比べて横丁の風呂屋さんは、地域のコミュニケーションの場だ。どんな人にも気兼ねなく、それこそ裸の付き合いが出来る。特に気分がいい時に、人と話し合えるというのがいい。そういう人に限って、不思議とよく覚えている。相手の顔や話した内容が今でも一致する。友達になろうと思えばすぐなれる。腹を割った本音のトークが出来る。 たまに鼻歌も出る。ほのかな湯煙りの音響効果がバツグンだ。歌が急にうまくなったのではないかと嬉しい錯覚をする。まさに裸の相乗効果だ。これで、男女混浴であれば、もっといいだろうと思うことしばしばだ。古き良き時代は、こんな場で、人間同士の絆を深めて行ったのだろう。そう言う意味では、横丁の風呂屋さんの「地域における存在価値」は非常に大きい。僕は当分健康と体力の維持を兼ねて、そんな風呂屋さんに通い続けるだろう。
それにしても、千林商店街の「神徳の湯」で遭遇する大阪の「人間模様」は面白い。僕にいいエピソードを提供してくれる人間がたくさんいる。
何時かのあのオバチャンも凄かった。湯上りのリラックスルームで、コワモテの上半身裸の刺青兄ちゃんの背中をしみじみ眺めながら、大阪弁丸出しで、「兄ちゃん。立派な刺繍やなあ! 高かったやろ? 何処でかいて(描いて)もろたん?(もらったの)なんぼしたん?(値段はいくら)」と大声で話しかけていたのをすぐ傍で見かけたことがある。まさに怖い者知らず。これぞ大阪のオバチャンだ。あっけに取られた刺青の兄ちゃんも、バツが悪そうにただ笑うのみだった。こういうサプライズがあるから、横丁の風呂屋さん通いは止められない。
下駄を鳴らしながら通った横丁の風呂屋さんで思い出したが、若い頃僕はその下駄の愛好家だった。愛用の桐下駄を履いて、近鉄の特急電車「アーバンライナー」に乗り、当時旅先で知り合った名古屋の「恋人」に会いに行ったことがある。怖い者知らずの頃の出来事だ。
その懐かしの下駄を履いて、近所の神田川の世界に通いつめれば、あの頃の野性の無鉄砲さが蘇り、ひょっとすれば、遅ればせながら「老いらくのロマン」が芽生えるかも知れない。「♪若かったあの頃、何も怖くなかった♪」そんな気分になる桜の季節だ。
閑話休題。「♪貴方はもう忘れたかしら・・・・・」今日の「/」は、南こうせつとかぐや姫、「神田川」の世界だ。勿論、あの懐かしいメロディーが「/」ではない。「/」なのは、僕の近所で次々と姿を消して行く、かつて手拭い片手に下駄を鳴らしながら通った「横丁の風呂屋」だ。
僕の若い頃の経験から言って、いくら寒くても、さすがに歌の様に手拭いをマフラーにすることはなかったが、セピア色の横丁の思い出と今の姿を二重露光させると、しみじみと込み上げて来るものがある。下町のあの情緒とあの風情。まさに「神田川」は、古き良き時代の庶民生活の象徴ではないだろうか。そんな神田川の世界は、今ではもう絶滅危惧種になりながら、僅かに町の片隅で淡い光を保ちながら行き続けている現状だ。僕は寂しい。
僕は横丁の風呂屋さんが大好きだ。自宅の小さなバスタブとは、入浴気分の次元が数段違う。特に、湯上りの小一時間は最高の気分だ。「こんな気分で、一日中過ごせたらどんなに幸せか」と何時も思う。
最近は、自分の健康も兼ねて、愛用のママチャリ(若干改造)で、遠方の風呂屋さんにもよく出かけて行く。何度も通っている場所は、大阪市旭区の千林商店街近くの「神徳の湯」という風呂屋さんだ。僕の住んでいる寝屋川市から、MAX約2時間かかる。と言うより、その日の気分によって、色々ルートを変えるから2時間もかかってしまうのだ。京阪線沿いのコース、大イベントの花博があった鶴見公園緑地を迂回するコース、淀川河川敷を南下するコースと様々だ。
この内僕のお気に入りは、向かい風が弱い時の淀川河川敷コースだ。時には、十三(じゅうそう)付近までオーバーランすることもある。そして何よりもこのコースは、僕の身上でもある体力を生かせる絶好のエアロビクスコースなのだ。大阪人らしく、金をかけないでたんまり汗を流せる。これ以上の健康アイテムは、正直言って、今の日常生活にはあまり存在しない。おまけに景色も良い。だから、自然にペダルを踏む足に力が入るのだ。
その汗の先にあるのが「神徳の湯」だ。のぼせない程度に約一時間、たっぷりリラックス出来る貴重なひと時。金属石鹸を排除する軟水のミネラル温泉が、このお風呂屋さんのウリだ。伊吹山の「薬草風呂」、「露天風呂」も心地良い。一番インパクトがあるのが、身体が生き返り、細胞が活性化された様な気分になる、超冷たい「冷水風呂」だ。やや熱い軟水風呂とこの冷水風呂を4,5回繰り返して入ると、僕の心はもう遥か遠い奥飛騨温泉郷まで飛んで行く。まさに都会のど真ん中の至福の時間帯だ。有難い。
それだけではない。この後まだリラックスタイムは続く。それは、風呂上がりの先にある、大阪情緒満点の立ち飲み屋さんで飲む一杯だ。その店の立地は、自由奔放な、大阪のオバチャンが生息することで知られる千林商店街の延長線上にある。早い話が風呂屋さんの隣だ。
チューハイ一杯170円、一番安いアテで80円、しかも美味しい。風呂代を含めて2000円もあれば充分だ。これぞ千林、これぞ大阪。ここで何時も約2時間過ごす。バッカスの先にあるものは・・・いや、これはあまり言わない方が賢明だ。今のご時勢自転車も飲酒運転禁止。なので、警察には内緒だが、この後のカラオケがまた楽しいとだけ言っておこう。ともかくこの様にして、横丁の風呂屋さんの恩恵をたっぷり受けている。
ところが、そんな近所の横丁の風呂屋さんが、去年から今年にかけて、次々と僕の視界から消え去りつつある。知っているだけでも5件以上あるだろうか。僕は以前このブログで、「私鉄沿線冬景色」と題して、宝塚ファミリーランドや甲子園パークなどの大型娯楽施設消滅の無念さを記したが、それよりも、もっと身近にあるこの現実にも一抹の寂しさを覚える。
下町の代表的な風景である素朴な横丁の風呂屋さんは、我々の世代にとっては昭和の名残り。それこそ歌手イルカさんの「名残り雪」だ。僕に関して言えば、ここにも万博の頃の名残り雪がいっぱい詰まっている。それが残念でならない。この風景は、僕の中では明らかに「/」だ。
何故神田川の世界が消えて行くのだろうか。確かに高度成長期に比べて、持ち家の内風呂が増えた。少子高齢化、エセイザナギ好景気もあるかも知れないし、ないかも知れない。時代遅れ? それはないと思いたい。それはともかく、これ以上横丁の風呂屋さんが減少しないことを僕は祈るばかりだ。
その代わり街は今、大駐車場完備のスーパー銭湯が大流行だ。一丁前に「源泉掛け流し」「極上の天然温泉」をキャッチフレーズに、近年次々とオープンしている。値段も、そこそこ400円台から1000円前後とかなり手頃だ。中身だけなら、日本各地にある温泉地の浴槽とあまり変わらない。「付属品」が、また豪華だ。秋田県の玉川温泉もびっくりの岩盤浴、露天風呂、ホットヨガ、リラクゼーション、韓流あかすり、オイルマッサージ、足底マッサージ、サウナ、宴会場などなど、まさに商魂もスーパー。おまけに無料バス付きだ。
しかし、僕はあまり好みではない。商魂がたくまし過ぎて、自然体の入浴と癒しが望めないからだ。客も宴会気分で何かとうるさい。その上これら大型銭湯の多くは、大事な地球を傷つけている。そりゃあ1000メートル以上も掘れば、何処でも誰でも、地下から温泉を汲み上げられるだろう。たまに行くことはあっても、この行為が、地球に優しい人間の業とはとても僕には思えない。地盤沈下と地下水の枯渇が心配だ。
それに比べて横丁の風呂屋さんは、地域のコミュニケーションの場だ。どんな人にも気兼ねなく、それこそ裸の付き合いが出来る。特に気分がいい時に、人と話し合えるというのがいい。そういう人に限って、不思議とよく覚えている。相手の顔や話した内容が今でも一致する。友達になろうと思えばすぐなれる。腹を割った本音のトークが出来る。 たまに鼻歌も出る。ほのかな湯煙りの音響効果がバツグンだ。歌が急にうまくなったのではないかと嬉しい錯覚をする。まさに裸の相乗効果だ。これで、男女混浴であれば、もっといいだろうと思うことしばしばだ。古き良き時代は、こんな場で、人間同士の絆を深めて行ったのだろう。そう言う意味では、横丁の風呂屋さんの「地域における存在価値」は非常に大きい。僕は当分健康と体力の維持を兼ねて、そんな風呂屋さんに通い続けるだろう。
それにしても、千林商店街の「神徳の湯」で遭遇する大阪の「人間模様」は面白い。僕にいいエピソードを提供してくれる人間がたくさんいる。
何時かのあのオバチャンも凄かった。湯上りのリラックスルームで、コワモテの上半身裸の刺青兄ちゃんの背中をしみじみ眺めながら、大阪弁丸出しで、「兄ちゃん。立派な刺繍やなあ! 高かったやろ? 何処でかいて(描いて)もろたん?(もらったの)なんぼしたん?(値段はいくら)」と大声で話しかけていたのをすぐ傍で見かけたことがある。まさに怖い者知らず。これぞ大阪のオバチャンだ。あっけに取られた刺青の兄ちゃんも、バツが悪そうにただ笑うのみだった。こういうサプライズがあるから、横丁の風呂屋さん通いは止められない。
下駄を鳴らしながら通った横丁の風呂屋さんで思い出したが、若い頃僕はその下駄の愛好家だった。愛用の桐下駄を履いて、近鉄の特急電車「アーバンライナー」に乗り、当時旅先で知り合った名古屋の「恋人」に会いに行ったことがある。怖い者知らずの頃の出来事だ。
その懐かしの下駄を履いて、近所の神田川の世界に通いつめれば、あの頃の野性の無鉄砲さが蘇り、ひょっとすれば、遅ればせながら「老いらくのロマン」が芽生えるかも知れない。「♪若かったあの頃、何も怖くなかった♪」そんな気分になる桜の季節だ。