「/(スラッシュ)」

ナニワのオッサン 怒りのエッセイ!!

/254.森繁久弥さん逝く(「知床旅情」の生みの親)

2009-11-13 06:44:04 | Weblog
 11日未明から12日早朝にかけて我が街でも凄い雨が降った。一時は竜巻に関する警戒情報が発表され、おっかなびっくり。これでまた季節が前に進むだろう。原色のバラが咲き乱れる公園では樹木の帰り花、野原では枯れ尾花、路地裏ではお年寄りの日向ぼっこが目立つ「冬浅し」の今日この頃、見渡せば近畿各地で錦秋が真っ盛りだ。さあ、きっぱりと紅葉狩り、という気分になる。多分これから2週間ほどがピークと思われる。朝晩の冷え込みで肌がピンとすると、なぜか露天風呂と硫黄の匂いが恋しくなる。この時季の僕の条件反射だ。紅葉しぐれ、黄落しぐれが降る湯船で、野鳥の鳴き声と地元の人の方言を心地良く聴きながら、肉体と精神を蘇生させたい思いが募る。温泉とはまさに、日本を代表する癒し系の必須アイテムだ。そやろ? んだ、んだ。そやけん、そやけん。そうどすえ。

 紅葉のピークに合わせて、僕の相棒は自称・B級グルメマニアの実力を遺憾なく発揮している。それにしても彼の食いっぷりは尋常ではなく、フードファイターになる素質十分だ。どちらかと言えば華奢(きゃしゃ)な身体を考えると、人並みではない。まるで牛並みの大食漢だ。「大食い大会に出場してもいいセンいくんとちゃう?」と僕が言うと、「田舎出身の人はよく食べるけんね」だって。この意見は違うと僕は思う。胃は食べ方によって膨張したり収縮したりする。田舎出身の人が都会に出れば、大抵の人は食べる量が減ると聞く。その法則に従えば彼は少食気味になる筈だ。だけどあんなに食べるということは、彼は元々牛並みでないと満足出来ない性格なのではないか、と思ったりする。まあどっちにせよ、食欲の季節にあんなに食べられるのは、僕にすれば実に羨ましい限りだ。

 彼にはもうひとつ気になることがある。それは、最近目立って「ざ行」と「だ行」の区別がつかなくなっていることだ。なぜか? この答えは簡単。彼の奥さんの出身地が和歌山市のど真ん中だから、だ。奈良県南部の人もそうだが、特に和歌山県の人は「からだ」を「かだら」と言ったり(または「かざら」)、「ぜんざい」を「でんだい」と言ったりする。奥さんの影響を強く受けている彼と付き合うようになってから、僕も最近「ざ」と「だ」の使い方がおかしくなる時がある。そう言えば若い頃、スキー仲間として付き合っていた生粋の江戸っ子の彼も、時々僕を悩ませた。例の「し」と「ひ」の使い方だ。彼の大田区の実家で飲んだ時、「東」を「しがし」と喋ってしまい「東京人の仲間入りだね」と家族の人に大笑いされたことがある。方言は面白い。過去において僕が本当に理解に苦しんだ方言と言えば、津軽と沖縄と薩摩弁だ。特に津軽は、ちんぷんかんぷんだった。沖縄は、島単位で言葉が違うと聞く。日本は広いと言われる所以だろう。

 相棒関連の話しはこれぐらいにして、ここしばらく恒例になっている雅な京都の話題の締めくくりは、三尾の最奥にある栂尾・高山寺の話しだ。山紫水明の中の紅葉という意味では、京都の頂点に立っていると言っても決して過言ではない「鳥羽僧正の鳥獣人物戯画」で有名な世界遺産のこの寺には、「日本最古之茶園」の碑がある。このことは以前にも紹介したことがあるが、是非知ってもらいたいので再度記すことにした。言わば、高山寺の知られざる意外性だ。

 何を隠そう、名刹高山寺は全国に茶を広めた「茶園発祥の地」でもあるのだ。平安初期、唐から帰朝した最澄により日本に茶が伝えられた。しかし、当時の茶は宮中の儀式や薬用だけに用いられる貴重品扱いだった。これでは不公平だと感じてその茶を世間に広めたのが、高山寺を開いた僧○○上人だったのだ。○○上人は鎌倉初期、栄西が宋から持ち帰った茶を栂尾山に植え、ここで茶の栽培を始めた。それゆえ○○が「茶祖」、栂尾が茶の発祥地と言われる。

 以来、栂尾山の茶は「本茶」と呼ばれて珍重され、茶の栽培は「宇治」などにも伝わった。こうして茶は、嗜好品として広く人々に飲まれるようになり、室町時代に「茶の湯」を生む土壌が育まれたのである。そして、約800年の時を経た現在も高山寺では茶園が営まれている、という訳だ。ちなみにこの茶園は、宇治の篤志家、つまり慈善心のある親切な人達の手によって維持されていて、高山寺の意外な歴史に彩りを添える役目を果たしている。さてここで、非常に難しいクイズだ。高山寺の開祖でもあり、日本に茶を広めた茶祖でもある僧の名は? ・・・・・。正解は「明恵(みょうえ)」上人だ。これを知っていた人には敬意を表したい。

 もうひとつの「鯖街道」である福井県小浜市まで続く「周山街道」に面して建つ高山寺の燃えるような紅葉は、主に楓(かえで)が織り成す錦でその美しさは特筆ものだ。僕も若い頃、この時季になると決まって足を運んだ思い出がある。感動的なのは、紅葉の間から木漏れ日が射す表参道。また、秀逸の苔や北山杉などもカメラに収めるには最高の題材だろう。楓紅葉が幻想的な雰囲気で高山寺境内を覆う様は、まさに京錦秋の誉れだ。この地に行かれる際は是非、お茶にまつわる歴史も一緒に味わって頂きたい。より旅の深みが増すと思う。なお、日本で一番茅葺屋根が多い町・美山町は、周山街道をもう少し遡ったところにある。そこの「摘み草料理」は今、旅人の評判になっている。以上、栂尾・高山寺は庶民のお茶の故里だった、というお話しでした。

 巷では今週も、鳥取・口先詐欺女(35歳、元スナックホステス)&東京・婚活サイト同情詐欺女(35歳、無職)の睡眠導入剤などを使った不審死事件がメディアを賑わせているが、整形・市橋容疑者大阪で逮捕&島根県浜田市の女子大生殺人事件も含めて、社会の闇が益々深さを増して日本中に浸透している事実を今更ながら実感させられる。また、東京の詐欺女が「(婚活サイトに)簡単に騙される方が悪い」と平然と言ってのけたのには、僕は唖然とした。そして、思わず背筋がゾッとするような不気味さと後味の悪さを覚える。男も女もワル、ワル、ワル。どこにでも潜む「百鬼夜行」とはまさにこのこと、ではないだろうか。

 他では、奈良県桜井市の「卑弥呼の館」の新事実、南北朝鮮・艦艇銃撃戦などもインパクトがあった。でも、相変わらず頬が緩むのはスポーツの分野だ。ウインタースポーツのスピードスケート・女子W杯での小平&穂積選手の活躍は、メダルの色から、次の大舞台での更なるステップの可能性を感じさせてくれる。こんな若い選手がもっともっと出て来て欲しい。かと思えば、スポーツ選手だけでなく、我々も全身で存在感をアピールしようとする「詩のボクシング」も、僕は大いに結構なことだと思った。なにかにつけて、世界ではまだまだ日本人はアピール不足。グローバル化した世の中では、正々堂々と自分を表現する度量の広さが必要だ。その点、今日来日した米・オバマ大統領は、世界最高レベルのいいお手本になる。

 アピール力狙いと採れそうなのが、3つのワーキング・グループに分けて、この国の447事業の「仕分け」を突貫工事で行う行政刷新会議のフルオープン見直し判定だ。これは、見ものだった。「元の木阿弥はない」との方針で臨んだ問答無用の蓮肪(れんほう)参院議員らの斬り口鋭い「ツッコミ」は、まさに「ナニワ受け」する迫力があった。天下りも容赦なく斬った。これも新政権の目玉だ。非常に結構なことではある。もっと斬れ、もっと斬れ。

 そのせいで、すっかり錆びれてしまった「脱官僚依存」の鉄剣の旗印が忘れ去られ、「スピード感を持ってやるには、なる人がいなければ仕方ない」といったような意見を正当化してしまいかねない雰囲気もある。しかし、新政権の体質が元の木阿弥になるのは国民は望んでいない筈だ。果たしてこれは、鳩山&裏の闇将軍・小沢一家の演技か本質か? 我々の判定は、いよいよ佳境に近づいて来た。翻って今日は、「存在そのものが既に演技」だった人の話しだ。

 俳優で「屋根の上のヴァイオリン弾き」の舞台などで知られる森繁久弥さん(96歳)が11月10日午前、老衰のため東京都内の病院で亡くなられた。恐らくこれは、天寿を全うした深く安らかな眠りであったろう、と僕は想像する。また、そう思えるほど離れて看取る「おくりびと」が日本中に集っていることだろう。ここに謹んで故人のご冥福をお祈りしたい。森繁さんは、わが街に隣接する枚方市の出身で、高校時代は大阪の名門・北野高校で過ごし、(中退はしたものの)早稲田大学に進学する、という僕の理想とする青春勉学コースを歩んだ「近くて遥か遠き人」だ。それだけに、またひとつ昭和の灯が消えたとの思いが強くする。

 森繁さんの「役者としての功績」を今更僕がここに紹介する必要はないと思うので省略するが、こう思わせるくらいラジオ、舞台、映画、テレビで大活躍した森繁さんはまさに、戦後のマルチタレントの先駆けだ。芝居人としての森繁さんの特長は、軽妙さとペーソスが溶け合った演技力にある。特に、サラリーマンの本音と建前を見事に演じ切った感がある「社長シリーズ」の人情喜劇は一世を風靡し、渋さとユーモアと哀愁を兼ね備えた名演技は、世間の評価を高めた。これは、僕でも知っている。ただ、御大を案外知らないことも多い。

 ということを踏まえた話しをすれば、僕は森繁さんの人柄が好きだった。でも残念ながら、舞台や映画などほとんど観ていない。なので、森繁さんその人を熟知している訳ではない。あくまでも僕が知り得ているのは、今までテレビなどで報道された森繁さんの「人となり」だ。だけど、演劇に関する数々の受賞者であることは十分承知している。勿論、もう二度と現れることのない名優であることも。まっ、この程度の知識で森繁さんを語るつたなさは、失礼千万でお許しを願いたいと一言申し上げておく。それでも僕は、ここで森繁さんのことを大いに語りたくなる。

 僕が数ある森繁さんの功績の中で一番評価したいのが、あの名曲「知床旅情」の作詞・作曲者であること、だ。これを抜きにして森繁さんは語れない。「知床旅情」は、元々地元で歌い継がれていた伝説の俗謡がベースになっている。とは言え「知床旅情」は僕にとって、我が愛する「旅」に関する全ての要素がいっぱい詰まった「完璧」の愛唱歌であることに変わりがない。だから僕の中では、谷村新司さんの「昴」に匹敵する聴き応えのある名曲として、ずっと今でも聴き惚れている。要するに文句なしの歌なのだ。

 思えば、今ではスポーツ以外で唯一無二の趣味である旅が好きになり、旅に目覚めた青春時代の入り口には、常にこの曲があった。つまり「知床旅情」は、僕の旅にまつわる言わば「登竜門」としての役割を果たしてくれた曲、なのだ。僕と同年代でしかも旅好きの人間であれば、この曲の存在を隠せはしないだろう。振り返ればあの日、あの時、あの場所で、「知床旅情」は知床の歌であっても知床だけではなかった、とも言えるありとあらゆる様々な旅の場面で、僕らの心にそっと寄り添っていたのだ。という印象が僕にはある。その場面で傍にいたのは、恋人、友人、同僚、家族などなど。そう、だから言おう。いつかのブログで書いた加藤和彦さんの「あの素晴らしい愛をもう一度」が青春時代の僕の「忘れじのメロディー」ならば、この「知床旅情」は文字通り僕の「忘れ得ぬ旅歌(詩)」だ、と。

 僕はこの曲を主に加藤登紀子さんの語りで聴き、そして友と歌った。その加藤さんがしみじみこう語っている。「ほんとに寂しい。年齢を重ねてから益々可愛いおじいちゃんだった。100歳まで生きて欲しかった。『歌うように語り、語るように歌え』というのが森繁さんの教え。『知床旅情』も歌わせていただいた。何度も声を合わせて歌い、感じたのは、(旧満州へ渡った経験があることから)大陸の大きさと日本人の優しさ、男のロマン、そして色気でした」と。なるほど絶妙なコメントだと思う。そのように加藤さんの語りは感動的だ。本人の語りも深い味わいがあった。あの独特の声色を真似て飲み屋で歌い、客の喝采を浴びたことが今となっては僕の懐かしいエピソードだ。

 図らずも加藤さんは、森繁さんは男のロマンを持った人だと言った。僕も言いたい。そればかりか森繁さんは、多感で悩み多き青春時代の当時の僕を、心が癒される旅のロマンへと誘ってくれた「偉大なる水先案内人」ではなかったか、と。つまり「知床旅情」の奥底に流れているテーマは、まさに旅のロマンであり、今の日本には希有な多くの「人の優しさ」だ。「♪知床の岬にハマナスの咲く頃、思い出しておくれ俺達のことを、飲んで騒いで丘に登れば、はるか国後に白夜は明ける♪」 そしてそこにあるのは、今の世にあってこそ人がひしひしと感じるべき「大自然の優しさ」ではないだろうか。それを求めて、人は旅に出る。これぞ、森繁ワールドの真髄だろう。

 森繁さんの曲に心魅(ひ)かれて、当時の若者は北の大地のみならず、皆全国各地に旅立った。まるで「知床旅情」に誘惑されるが如く。若者だけではない。時の右肩上がりの経済を背景に、「知床旅情」は世代を超えて旅人を旅愁、郷愁、抒情、憧憬などなどのロマンに誘ったのだ。ひょっとすれば、あの頃の大旅行時代の先導役が「知床旅情」だったのでは、とも思える。そして、行く先々で巡り会った大自然と人の情けの良さを称賛するのが時の未知との遭遇だった。しかし、それから間もなく本来の森繁ワールドはだんだん廃れて行った。すなわち人の心と自然環境破壊だ。「ディスカバージャパン」とは名ばかり、心ない「観光客」の影響で傷つくロマンの地。でも今日は、この弊害は書く気はない。なぜなら今回のテーマの主役はあくまで、森繁さんであり「知床旅情」なのだから。

 旅情の世界に誘う曲が他にもある。例えば曲名だけだと「♪遠くへ行きたい」「♪いい日旅立ち」など。これなども旅の歌としては極上でお馴染みだ。なので僕なりの思いをもう少し語りたい気持はある。が、今日はもう残された時間がない。と言うより、「知床旅情」でもう十分だ。この主役が、時の世間に訴えた旅の情けは計り知れないものがある。前述した通り我ら世代の旅好きの人にとっては、この曲抜きして、それは語れない。という意味で、天国に逝かれた森繁さんには「ありがとう」と優しくお礼を言いたい。続けて言う。お疲れさん、森繁さん。貴方の「知床旅情」は、永遠に不滅です。

 森繁さんの死を脚本家の倉本聰さんは、「『存在そのものが既に演技』という希有な役者さんだった。社会的に評価が低かった役者稼業を、芸術という領域に高めていった人でした」と絶賛した。一方、作家の藤本義一さんは、「僕にとって大師匠。気遣いが細やかで、深い優しさを持っていた人。でも、会うとボケたふりをしたり、僕と握手しながら隣りの女性のお尻を触ったり。人間として『見事に人生を完結』された気がする。うらやましい」と語っている。

 今日も終わりに近づいた。まだまだ言いたいことがいっぱいあるけれど、大阪のドン・藤本さんの言葉そのままに、見事に人生を完結された森繁久弥さんが生みの親の名曲「知床旅情」が、旅好きの人にとって、これからも「完璧の歌(詩)」であることを祈念して、今回のこのブログを終えたい。そうすれば、知床の「ピリカ」も「白いカモメ」も笑ってくれるだろう。それに応えて、きっと森繁さんは天国の屋根の上で、ヴァイオリンを弾いてくれているに違いない。合掌。


 ※ところで最後に「ブログ休止」のお知らせだ。個人的に期することがあり、次の仕事に向けて11月下旬から夜、とある教室で学ぶことになった。なので、どうしても時間が取れず、しばらくの間このブログを休止することにした。とにもかくにも、あくまで再開は僕次第。「継続は力なり」をモットーにしてきただけに不本意ではある。が、日数が少し空くのもまた、継続への充電期間だと思っている。じゃあ、しばらくの間ごきげんよう。またお会いしよう。  

/253.雇用対策と労働者の権利(「厳」と「酷」の現実)

2009-11-06 06:54:40 | Weblog
 祭りの後の静けさと思いきや、近畿地方では2日、「木枯し1号」が吹き荒れた。立冬を前にして、この時季に相応しい初霜と氷点下の朝が観測され、高い山地では初冠雪、初氷、樹氷と、各地で軒並み冬の洗礼を受けた格好だ。こうなると俄然、近所の田んぼも冬田に激変し、まさに冬めく季節の雰囲気を漂わせていた。冴える満月、街路樹の中の街路樹・イチョウも黄落の到来を肌身で感じたことだろう。恒例の清水寺での「今年の漢字」募集も無事始まった。こうして行きつ戻りつしながら、京阪神の季節は本格的な錦秋へと向かう。

 「天地人」の名子役・加藤清史郎君が「♪かつおぶしだよ人生は」を歌っている。大人であれば、味わい深い人生そのものを送って来た人の「讃美歌」だろうが、彼はまだ幼過ぎる。さしずめ僕の今までの人生は、「生節(なまぶし)」だろうか。その心は、まだ「コク(酷)」が出ていない。だから我が意に憤懣あり、だ。その分を、和歌山県・日高川町にある「日本一の山びこ・ヤッホーポイント」で思い切りぶつけてみては、というのが僕の相棒の提案だが、「我が人生に悔いはなし」と言う人はそうそういない。一方で、くよくよせず等身大の「1円玉の旅ガラス」になりなさい、というのが隣りのオバチャンの提言だが、そんな不便(ふびん)な貧乏旅行をしたくはない。こうなれば、フカフカの「落ち葉風呂」にでも入って一人寂しく錦秋の風情を楽しもうか。師走が近づくとこういう心境になることがままあるけれど、もし実行すれば、これぞ「年寄りの冷や水」だ。

 関門海峡で護衛艦と貨物船が衝突した事故のテレビ報道で、「火の山ユースホステル」の主人が惨事の様子をコメントしていた。僕は懐かしい響きであの宿の名前を聴いていた。と言うのは、学生時代に僕はあそこで、東女や薩摩女達とホステルの掟を破って、錦秋の夜の海峡を思う存分楽しんだ経験があるからだ。それぞれの季節の中で、長い海峡をゆっくり眺められるという点で「火の山」は日本最高のパノラマポイントではないだろうか。このように、ふとニュースを聴いていて全国各地の地名に敏感に反応出来るのも、かつての旅三昧の日々の効用(効能)だ。地名に人物・人名が思い浮かべられればなお良い。特にそれが女性であればあるほど。これとは別に、否が応でも女性を意識せざるを得ないという街の筆頭格が「雅な京都」だろう。ズバリ言おう。京都はやはり、アベックの聖地だ。

 京都には女がよく似合う。それも着物(和服)姿の女が。これは、心ある男共通の切ない願いだ。特に、一年で一番頭が冴え空気が澄む晩秋であれば、その姿に詩情が伴う。晩秋に錦秋が重なれば、いよいよロマン抜きには語れない風景になる。僕の持論だ。そんな場所のひとつが京・東山の三寧坂に続く「清水はん」への参詣道○○○だ。坂沿いの竹垣が一際印象的なこの「石段の道」を高台寺方面に向かって下ると、やがて左手に画家で作詞家の「竹久夢二」が住んでいたところがある。その隣りにあるのが「かさぎ屋」だ。当時東京からはるばるやって来た夢二が好んで通ったというお汁粉などを食べさせる「甘味処」が、今も昔と変わらぬ佇まいで残っている。

 彼はこの界隈で若い娘「笠井彦乃(かさいひこの)」と文字通り短くも甘い生活を楽しんだ。つまり○○○は、抒情画家・竹久夢二にとっては恋人と語り合う「ロマン坂」でもあったのだ。数々の名刹に囲まれた趣きのあるこの界隈はきっと、恋人達にとっても清水の舞台以上の絶好の大舞台だったに違いない、と僕は感じる。事実、夢二が幸せの絶頂期だったのも○○○の石畳を彦乃と一緒に歩いた頃だったと伝えられている。○○○は、産寧坂と比べると起伏が少ない通りで各店の構えが大きい。なので多分、店前で旅人が一休みする様子は昔と変わらないのだろう。ここから西側に続く小路は、○○○に続く道として「一念坂」と呼ばれている。

 「かさぎ屋」は大正3年の創業で、昭和初期には祇園から清水へ繰り出すお客さんのために深夜まで営業していた、という。はて、夢二がこの後どうなったのかは時間の都合でオミットするが、それよりも○○○が時の芸術家達に愛され、しかもあの夢二が自分の画のイメージにピッタリの○○○で、恋人と一緒に短期間で濃密に暮らしたというところに、よりロマンがあると僕は思う。さて、ここでクイズだ。(もうお分かりだろうが)「かさぎ屋」などに代表される情緒あるお店と町家が立ち並ぶこの坂の名は? ・・・・・。正解は「二年坂」だ。僕の希望としてはここに来られるのなら是非、老いも若きもアベックで、出来れば着物姿で逍遥して欲しい。そして、産寧坂と二年坂を通ってから、それぞれの錦秋を楽しんでもらいたい。以上、二年坂はアベックのロマン坂、というお話しでした。

 ロマンの後は日本社会の現実だ。今週は、松井秀喜選手のワールドシリーズMVP、鳥取にも詐欺女、大阪府泉佐野市の自販機1台・税収15億円の裏ワザ、「笑点」でお馴染みの「湯上りの男・三遊亭円楽さん」の死、速さを競い合うモータースポーツの終焉「トヨタF1撤退」、まるで僕の姉並みに字が上手いあの詐欺女、「棚から本マグロ」の中島みゆきさんの紫綬褒章、興福寺・阿修羅像に負けない新薬師寺・浄瑠璃寺(九体寺)・秋篠寺の仏達、さようなら「スカイラーク」、こんにちわ「憎い整形・市橋容疑者」、日本の橋・ダム・港湾の劣化、などにインパクトがあった。

 よりインパクトがあったのが「史上最低・冬のボーナス」だ。これは、辛く厳しいサラリーマンの現実を象徴している。片や、波風の立つ中で鳩山政権の「事業仕分け」も、この国の現実を思い知らされていることだろう。でも、少々ブレはあっても自民党の50年のおごりと失政を思えば、まだまだ現政権にはあり余るおつり(例えば6ヶ月のハネムーン期間)がくるのではないか。一部のメディアのように、性急(早急)に結果を求め過ぎるのはちょっと「酷」というものだ。

 酷と言えば今、国、企業、国民も「厳」を通り越して、真に「酷」の域に達している。ひょっとすれば、冒頭に記した今年の漢字も「酷」かも知れない。そんな「酷」を代表するのが、失業者がひとつのパイに群がって取り合いをしている感がある「雇用情勢」だ。この「酷」には、若者も中高年もない。自殺とホームレスに直結するこれこそ、アドバンテージなし、自己責任なしの喫緊の大問題だ。今回は焦点の矢をここの一角に向ける。

 新政権が専門業務を除く製造業派遣の「原則禁止」を政策合意に盛り込んだため、企業のものづくり現場の工場派遣が請負(業務)へと回帰している、という。情けない話しだ。このままでは偽装請負の問題が再発しそうだし、非正社員の不安定な身分は変わらない。派遣とは違い、請負社員には労働者の権利を保護する制度が乏しい。なのでまた、国と企業のイタチごっこ、キツネとタヌキの化かし合いが続きそうな悪い予感がする。企業はもっと、雇用の安定に繋がる対策を施すべきだろう。それと共に国も、非正規労働者が失業しても支えてくれるセーフティーネットの整備を急ぐ必要がある。

 こんな懸念がある一方で、雇用対策は待ったなし、だ。新政権は10月23日、昨冬のような「年越し派遣村」の惨状を繰り返さないために、年末に主眼を当てた緊急雇用対策本部を設置した。この本部の助言者は、派遣村の村長を務めた「反貧困ネットワーク」の湯浅誠事務局長だ。その結果、ハローワークの年末開庁や年末年始に生活相談が出来る場所の確保などが策定された。関係者は、「求職中の貧困・困窮者に焦点を当て、現場の要望が強かった施策が並んでおり、自公政権との違いを感じる」と評価する。ただ、対象者用の住宅の確保については、必要な戸数や具体策への言及はなく、「失業が長期化し、失業給付が切れて住まいを失いそうな人が多い。効果的な対策を打ち出して欲しい」と要望している。

 今回の対策は、新たな予算措置を伴わないこともあり、雇用創出効果に疑問を抱く専門家もいる。政府は、この対策による今年度末までの雇用の下支え・創出効果を10万人程度と見込むが、完全失業者が360万人にも上る現状と、企業が更に最大600万人の余剰人員を抱えているとの試算から、「過剰労働力に比べると、焼け石に水という感じは否めない」と話している。全くその通りだ、という印象が僕にはある。さあそこで、就活の最前線である職探しの現実はどうだろう? 例えば、中高年失業者の就活も困難を極めている。では今回も、新聞紙上に掲載された当該女性の意見を紹介しよう。

 「会社が倒産し、ハローワークに通っている。ある会社に履歴書を送って面接を受け、『来週中に返事をします』とのことで信じて待っていたが、10日経っても連絡がない。結局3週間を費やした後に履歴書が返送されてきた。その間、他社もあたれずに待つしかなかった。失業者にとっては本当に死活問題である。おそらくこのような経験は私一人ではないだろう。ハローワークに言ったところ『よくあること』と言われた。それにしてもハローワークには人があふれている。朝8時過ぎに行っても既に50人ぐらい並んでいる。履歴書を送って面接してもらうまで3週間、本当に生活していけない。ハローワークの現実を国会議員は見てほしい。私たちの税金で、今年8月は在職たった2日で、まる1ヶ月分の給料をもらったのだから。私の年収以上の額である。暑いさなかに頭を下げていたあなた、特に新人議員のみなさん、本当に私たちのこと分かっていますか。おかしくないですか。どなたでもいいんです。現実を見て頂きたい」 そう、これが現実だ。これに特別のコメントはいらないだろう。

 政府の今回の対策の目玉は、職を失い困っている人の暮らしや、就職先を探す新卒の若者を支える。同時に、介護や環境、農林といった分野でNPOや「社会的企業」の活用を通じた地域社会での雇用創出に本格的に取り組む。こうした対策により、今年度末までに10万人の雇用を創出したり、下支えしたりする、ということだ。ポイントは、職業訓練の充実を始めとする「人づくり」にある。つまり、失業した人に生活費付きで職業訓練の機会を提供する事業の前倒しにより「人への投資」を促そうとする対策だ。また、社会的企業を通じた地域雇用を打ち出したことも大きな特徴だと言える。

 ただ、そうした新たな方向が見えるとは言え、緊急対策は文字通り「とりあえず」の意味しかなく、1人の求人に数十人もの求職者が殺到する当のハローワークも、きめ細かい職業紹介能力を発揮することが不可能なのが実情だ。上に紹介した人の文面でも分かるように、とにかく現実は厳しい、そして「酷」だ。僕個人は、(メディアの報道で知る限り)もうこれ以上自殺者やホームレスを増やさない意味でも、安全・安心を支える力としての「国主導の中長期的なセーフティーネット」の構築が欠かせない、と思う。

 日本の高齢化社会を支える土台も厳し過ぎる。派遣社員など非正規労働者は、働く人の3人に1人を占めている。年収200万円以下の労働者は、何と1000万人を超えた。これらの人々は、中高年になってもなかなか賃金が増えない。社会保障の財源の多くは、現役世代が保険料や税金で負担している。そして今、現役3人で1人の高齢者を支えているが、半世紀ほどでわずか1、3人で1人を支えることになる、という。言わずもがな、だろう。言わずが花、では済まされない。担い手の肩に極めて重い負担がのしかかるというのに、若い世代の貧困化が進む。大いなる矛盾だ。そうなれば当然、生活が不安定なために結婚や出産をためらう。そんな若者の増加が少子化に拍車をかけているのだ。これは何を意味するのか? つまり、今こそ雇用が急激に悪化し、就職もままならない「若者への投資」を急がねばならない、ということなのだ。これは非常に重要なポイントだろう。

 なのに、依然として日本社会に立ちはだかるこんな大問題の解決の糸口さえ、いっこうに見えていない。そのために、多くの若者には厭世観が蔓延し、夢・希望・理想と現実の狭間で悩みに悩み抜く日常から開放されないのだ。そう、当世の若者は、大人社会への第一歩である就職が困難なばかりか、やっとの思いで就職しても、安全・安心がおざなり・無視された厳しい労働条件下で働かされているという「重い負担」の二重苦を背負って生きている人が多過ぎる。そして、労働市場にこういう事実があることこそが、この国の足かせ、いや、「トラウマ」なのである。昨今、若者にまつわる色々な殺傷事件が表面化しているのも、これが主たる原因だ。新政権の対策やいかに。

 ところで、若者の多くは労働者の権利としての「組合活動」などをどのように受け止めているのだろうか。僕は思う。当世の若者は労働意識が低過ぎる、と。我が職場でも、組合という活動の場があることが若者の口から出たためしがない。言うこと自体がタブーなのか。それでも日頃の態度や顔色を見ていると、ノーコメントではないような気がする。ということは、ほとんど無知なのだ。それゆえ、会社に利用されやすい。確かに組合の組織率は今や20%以下だが、僕は若者にせめて「組合的意識」を持て、と言いたい。

 考えてみれば無理もない。当世の若者の大半は学生時代、精神的・肉体的にリスクを最低限に抑えたマイペースな生活がベースになっている。リスクがないと抵抗力がなくなる。そこへもって、ネット&バーチャル社会の落とし子ばかり。つまりは早口に言えば、大半の若者が真実と虚構の区別がつかないまま学生時代を過ごし、就職して仕事に関する己の現実を理解するまでに相当の時間がかかる。そしてその現実を前にして、かつて抱いた自分なりの夢と希望はもろくも崩れ去る。だから、理想と現実のギャップに突然立ち往生するのだろう。また、現実を知ろうとしない無知からか、労働の深い意味を覚えることを回避するのだ。おまけに忍耐力がなく、その分諦めも早い。これでは企業の思うがままだ。

 これなど、世界に比べて日本の若者が働いている自分に自信がない、という結果の根源だろう。つまり、世間でよく言われるしっかりとした「社会人としての顔になっていない」証拠なのだ。これは海外旅行すれば一目瞭然だ。欧米などの若者は少なくても日本の若者よりしっかりとしている、ということが顔に書いてあった。これ以上けなさないけれど、当世の日本の若者はひょっとしてオレ(ワタシ)は企業に必要以上に酷使されている、と内心思っているのではないだろうか。そして、そう一言文句を言いたいけれど、その術を知らないというのが案外実情なのかも。

 なら、「先んずれば人を制す」だ。仕事上、数々の疑問を抱いた時に、自信を持って正々堂々と己の正論を言えるようになるため、いっそのこと学生時代から、若者に「働く権利」というものを「学校」で教えたらどうだろうか。と、僕は提案したい。では今日も、とある新聞に掲載された男性の同じ趣旨の意見を以下に紹介して、このブログを終えたい。ちなみに僕は、彼の意見に大いに共感した。

 「中学や高校を卒業して就職する若者たちに、学校で必ず労働三法(労働基準法、労働組合法、労働関係調整法)などを教えてほしい。彼らが社会に出ると、職場は家庭や学校と全く異なる環境だと知る。組合があって労基法が守られていればいいのだが、労働環境や労働条件が劣悪であった場合、どうすればいいか思い悩むことになる。憲法は労働者の権利として、勤労権や団結権、団体交渉権、団体行動権を定めていて、それに基づいて労働三法がある。労働者はこうした法律によって守られているのだが、そのことが学校で十分教えられているとは思えない」

 「私は2年前まである組合の職員をしていたが、組合の力で解雇を撤回させたり、労働条件を改善させたりした例はたくさんあった。職場に組合がない場合は1人で加入できる組合もある。劣悪な労働環境や労働条件が横行するのは、労働三法どころか、組合の存在さえ知らない若者がたくさんいるからではないか。若者が希望を持って働ける社会にしていくためにも、ぜひ学校で教えていただきたい」

/252.若者を農業へ(就農への「呼びかけ」)

2009-10-30 06:52:27 | Weblog
 あさってからトパーズ・霜月だ。今年も残すところ2ヶ月。そして間もなく文化の日、立冬へと続く。つるべ落としの晩秋、「♪秋の夕日に照る山紅葉♪」、本格的に山粧(よそおう)季節なのになぜか、時の移ろいの早さにそぞろ寒感を覚える。こんな時には美味しい新米でも食べて、瑞穂(みずほ)の国の有難みに感謝しながら、冴えた頭で我が人生を振り返ってみるくらいの余裕が必要だ。しかしひょっとすれば、その方が余計に悩ましいのかも知れない。

 食欲の秋だというのに、昼休みなどで職場で食べるコンビニや弁当屋の飯とおかずは不味い。結局、お袋の味など昔からの美味しい味をつぶしているのは、ただ安いだけのチェーン店ではないのか。こうなれば、本気で「弁当男子」になってコンビニ弁当を見下してやろうか、とも思うが「言うは易く、行うは難し」、いざ実行しようとなるとなかなか出来ないものだ。でも、きっと弁当男子は「便所飯」よりはましだろう。と、呟いていたら声が大き過ぎたのか、「おい、その言種(いいぐさ)はないやろ」と同僚に言われてしまった。

 山海の珍味が満載された百貨店のチラシの中に、クロアチアの世界遺産「ドブロブニク」の風景写真が載っていた。噂によれば、「アドリア海の真珠」と言われるドブロブニクは、日本人が行きたい観光地のNO1らしい。本当だろうか。少し疑わしい。でも、あんなところで昔の恋人と遭遇したいものだ。そう言えば僕が海外旅行に夢中だった頃、イタリアのローマで、半年前に南米・ペルーのマチュピチュ遺跡で知り合った「僕に似た人」に偶然出会ったことがある。まさに似た者同士のサプライズな出会いだが、いかに世界広しとは言え、同じ道を志向している人間ならあり得ることだ。

 世の中には自分にそっくりな人が3人、自分に似た人が7人いるとよく言われる。それゆえの失敗もある。僕が若い頃、東京の山手線で学生時代の友人だと勘違いして、「おっ、久し振り!!」と大声で肩を叩いたら、苦虫を噛み潰したような顔で「アンタ、誰?」と、大勢の前で変人扱いされたことがある。またその逆もあり、だ。お互い気をつけよう。

 その道の有識者によれば、「明確な四季のある国」の人は賢いのだ、という。そして「温度差があればなお良い」らしい。この指摘、僕は感じるところが大いにある。まさに日本がそう、だろう。美味しいということでは、魚や野菜、果物など食い物にも当てはまる。冬の底冷え・夏の蒸し暑さの雅な京都も、その候補地のひとつだ。しかし残念なことに、ちょっと値段がお高い。これがネックで、大阪人にはあまり歓迎されないところがある。このような「京都はお高い」を定説にしたのは、舞妓はんや芸妓はんをはべらかす「お茶屋」が昔からあったから、ではないだろうか。というのが僕なりの解釈だ。

 その代表格が「○○○」だ。この忠臣蔵と新撰組ゆかりの「お茶屋さん」は、祇園の表通りとも言える花見小路の一角にある。そう、祇園と言えば「○○○」なのである。決して僕好みではないけれど、店構えがまた格別だ。華やかな通りの名に相応しい紅殻色がしっくりとくる塀に、黒く端正な形の犬矢来(いぬやらい)と出格子(でごうし)が一際映え、墨痕(ぼっこん)鮮やかに「万」と染め抜いた暖簾が揺れる。この艶にして、壮麗な外観だけでも圧倒させられる。まさに祇園きっての老舗の風情に包まれている、という雰囲気だ。

 勿論、中身は言うに及ばず。このお茶屋にある紅殻色の壁の中の座敷が、数々の歴史の舞台となった。主人は、当代で13代目の「治郎右衛門(じろえもん)」だ。祇園に「○○○」ありと今でも知れ渡っているこのお茶屋は、遥か昔は「万屋(よろずや)」または「万亭(まんてい)」という屋号だった。この名が○○○になったのは、赤穂浪士の討ち入りから47年後に好評を博した浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」の芝居の「七段目」に由来している。当時は、あの討ち入りの後遺症が残り、幕府の許しが得られないため、本名が使えない。なので、大石内蔵助が「大星由良之助」になり、万亭の「万の字が二字」に分けられた。それで、七段目の芝居の名も「祇園○○茶屋の場」と命名されたのだ。

 それ以来、討ち入りの決意を胸に「万屋・万亭」で遊んだ大石内蔵助に思いを馳せる○○○の名で親しまれている、という訳だ。幕末に新撰組として熱弁をふるった近藤勇や土方歳三も、この茶屋の大広間で密議を凝らしたと伝えられている。また、西郷隆盛、大久保利通、高杉晋作、桂小五郎(後の木戸考允)らの薩摩・長州の勤王の志士も、ここで日本の夜明けの維新を熱く語ったのだ。

 特に木戸考允は維新後、東京遷都で寂しくなった京都を救うため、祇園の舞妓・芸妓に白羽の矢を立て、町の界隈復興に尽力した、という。つまり、木戸考允あっての祇園町なのだ。恒例の「都をどり」は、その名残りだ。さて、ここでクイズだ。京都の花街ならではの風情を残すお茶屋の名前は? ・・・・・。正解は「一力亭」だ。ちなみに僕は、ここに入ったことがない。もっぱら写真の題材として、「一力亭」の前で他の観光客と共にシャッターを切ることが多い。池田屋騒動(事件)など僕が好きな幕末の世を偲ぶにも、祇園は絶好の場所だ。もし「一力亭」で遊ぶなら、お高いことをお忘れなく。

 今週も大リーグ・マリナーズの城島選手の阪神入団表明と菊池雄星投手の西部入団、共に23歳のスピードスケート・日本女子3冠を達成した小平奈緒選手とゴルフ・今季4勝目で賞金ランクトップに立った池田勇太選手の活躍など、相変わらず良いニュースはスポーツ分野に限定されている。他では酒井法子の「無職」発言、大阪WTCの先行取得、治安が泥沼化するアフガンとパキスタン、船内2メートルに空気があった転覆漁船員・奇跡の生還、千葉大・美人女子学生の全裸放火殺人事件、34歳・無職詐欺女の知人不審死、関門海峡での護衛艦と貨物船の正面衝突炎上などにインパクトがあった。また、インフルエンザも心配だが、犬の4匹に1匹が日本脳炎に感染しているのが気にかかる。

 最近新聞を見るのが楽しみな政局はやはり、ちょっとつまずいても、まだ新政権の独壇場だ。例えば八ツ場ダムが、計画浮上から57年で、総工費が史上最高額の4600億円となるバカらしい倍々ゲームだったのは、ほとんどの国民は知らなかったのではないか。こういう無駄が前面に出るのは、まさには鳩山政権ならでは。その裏では、首相が断トツの莫大な資産家で主に「5万円以下に逃げ口」があった偽装献金疑惑が依然としてくすぶり、普天間、郵政・JAL問題などと旧態依然の体質を残す小沢・亀井氏は気になるが、そんなことはお構いなく、首相が堂々と自分の言葉で52分の所信表明演説で「弱い立場の人が尊重される日本社会」を強調したのは、僕は評価出来ると思った。

 もう一方の落ち武者の代表・自民党谷垣総裁の「ヒトラー・ユーゲント」発言はないだろう。この臨時国会のガチンコ対決も、妙に白々しかった。なぜなら、彼らの攻撃・目玉商品が己の尻拭いと垢落としばかりで、それを棚に上げて「いったいどうするの?」と言われたら、僕だって「アンタに言われたくない」「こんな財政にしたのは誰だ」と言いたくなるからだ。総じて、新政権にはかなりのアドバンテージがあり、まだまだ始めは抽象的で具体的にはこれから、でいいだろう。ひょっとすれば僕も、極めつけの男の味である鳩山さんという「鯖」の魅力にはまっているのかも知れないが、まさかあの宇宙人がサバを読んでいる、とはとても思えない。むしろ腐ったサバは、自民党の方だろう。

 でも、国民もそろそろ熱の冷め頃だ。いつまでもアイドルグループが歌っている「♪桃栗3年、柿8年、いつか実をつけます♪」では遅い。その辺は、将来の国民生活の礎としての「事業仕分け」で「友愛精神」を存分に発揮してもらいたい。それも賞味期限の長いコーヒーが冷めない内に、だ。ところで、「いつか実をつけます」どころか、実をつけても生活の足しにならない日本の農家の痛みは、もう堪忍袋の緒が切れている。僕の知る限り、その実態はひどいものだ。国民生活を支える大事な大事な「食の礎」にも、鳩山宇宙人の弱者救済のイデオロギーを反映させるべきだろう。それには、国も、企業も、国民も、ただただ農業の良さを広く若者に呼びかけるしかない、という話しを今日はする。食への関心が高まる中、どうしてもまた、ここに書かずにはいられなくなった。

 日本の農業従事者は、全国でわずか315万人、平均年齢は65歳を超えている。更に農業に魅力がないと感じた次世代は、後継を拒否し、埼玉県と同じ面積の耕作放棄地が野ざらしにされて行く。後継者が故里を捨てた後に残るのは、過疎地と限界集落。高齢者とお年寄りだけでは、故里は守れない。季節感がある日本の大自然に彩を添える「森や林や田や畑」が本来持っている役目を果たせないと、災害が頻発し、里山を含む故里の原風景は荒廃する。こんな実情にしたのは、ズバリ言えば長らく政権を握った政府・自民党の戦後の悪政だ。

 中でも一番ひどいのは、何でもかんでも農協組織を通じて補助金を配り、農家を安心させた上で、その見返りに集票するという構図で支配され、文字通り農家が政治に翻弄され続けて来た農業政策のあり方だ。勿論、農家が農協に経営の相当部分を丸投げした実体もあるだろう。このようにして日本の農家は、半世紀にわたり農協や農協の上にある県中央会、全中、全農の官僚達が自民党とタイアップした農政作りに文句が言えないまま、言われるままに服従され続けて来た、というのが実情だ。つまり日本の農家は、人間の命をつなぐ大事な大事な食の提供者でありながら、見返りの少ないもの言わぬ、言わば政府の小作人に成り下ったのだ。

 苦しい苦しい現状を良い方向に変えようと、新政権はまず米農家に限って「戸別所得補償制度」を打ち出した。この政策には、良否に絡む複雑な難問が山積みされ物議を醸し出しているが、今回はその点は書かない。が、何とかしようとする努力は賞賛に値する。日本の農業の将来を考える上で一番大切なのは、個々の政策はともかく、我が国の食糧自給率アップに繋がる農業の良さを次世代、つまり若者にどうやって正しく伝えるのか、しかも食の知識を中心にして、ということだと僕は思う。これがないと、古来から日本人の暮らしの礎である農業自体が崩壊する恐れがある。だから、呼びかけるのだ。

 僕は思う。確かに日本の農業もグローバル化の波をかぶってはいるが、世界から見た日本の農地の優位性、農業技術の優秀さから言って、その気になれば、カロリーベースで40%弱という日本の食糧自給率を、もっともっとアップさせることが充分可能ではないだろうか。また、それくらいの潜在能力はあると僕は思っている。つまり、農業に適した日本の気候風土、豊穣で肥沃な農地を適正に利用すれば、今後限りなく100%に近づけられるのは、そう難しいことではない、と思うのだ。ではそのためにどうするか、も今回は言わない。でも、そのためのひとつの方法として、日本の農業の将来を担う若者をその気にさせる環境作りが是非とも必要だ。

 この点について、愛知県日進市・営農組合長の加藤淳さんは、我が国では米、大豆、野菜、塩、海産物さえ完全に自給出来れば豊かな食生活は可能であり、これを「教育の場」で伝えようと提言している。そのためには、学校での農業教育と農業実習を必修化するくらいの意気込みで取り組め、と呼びかけているのだ。そして今現在、生徒の学力低下を案ずる風潮が世間にはあるが、農業の衰退に比べれば取るに足らない問題だ、とも述べている。

 僕は大賛成だ。いかに企業が農業の分野に進出しようとも、企業すなわち営利を追求する存在である以上、それ相当のコスト面での恩恵を受けない限り、いつか必ず撤退する。また、新政権が農家に戸別所得補償するにせよ、根本的な問題として残るのは、農業に従事しようとする若者を育て、彼ら自身が農業することに意欲を示さなければ何にもならない、という点だ。事実テレビなどを見ても、欧米などの若者と比べて日本の若者は農業に対するトーンが低い。つまり、我関せずの態度があからさまだ。これでは、どういう農業政策の形になろうとも、故里に住む若者や都会に住む若者を農業に呼び込むことは難しい。ので、長い間の日本の食の消費者であり人生の先輩である我々が、もっと先頭に立って、もっと意欲的に、農業の良さを若者達にアピールしなければダメだ、と僕は痛感している。

 要するに、日本にはまだまだ大人が農業を否定する風潮が強く、そのために若者は農業に向かわない、という悪しき傾向があるのだ。こういう欠点を内部に抱えている限り、後継者の問題はいつまで経っても解決しないだろう。元より立派な農業人としての役割は極めて大きい。それは、人々の命を守る食を提供しているだけではなく、農業としての仕事が自然保護、環境保護を兼ねている、ということだ。つまり農業人は、日本の大自然を守る一役を担う貴重な付加価値を含む職業である、と言えるのだ。日本の若者は、ヨーロッパなどの若者がそうであるように、ここに農業の「生き甲斐と価値観」を見い出すべきだと僕は思う。

 その意味で、教育の場でも、日常の場でも、大人が率先して事ある毎に農業の大切さを若者に訴え、盛り上げて行く姿勢が求められているのではないだろうか。歌手の大塚愛ちゃんは、自らの農業体験をこう評価している。「農作業は初めてで、稲を束ねたりするのは私には難しいと思っていた。でも、いつのまにか体が先に覚えて。稲を刈っていると、不思議と『生きなきゃ!!』という気持ちになる。生命力がわく作業なのかもしれない。もっと生きている実感をもちたい人にはおすすめです」 僕はしみじみ思う。農業って、本当に体が覚える仕事なのかも。そうだ、誰もがそれなりの痛みを伴うこんなご時世だからこそ、全ての人があらゆる場面で、日本の食糧自給率アップに向けて、農業の良さを呼びかけるこの国の助っ人になれるのだ、と。

 これに関しては、日頃よく目を通している朝日新聞の「声欄」の中に、僕がディープな衝撃を受けた「呼びかけ」の投稿があったので、その2通を紹介して今日のブログを終えたい。きっと何かの参考になるだろう。人生の達人は、間違ったことは言わない、ということがよく分かる筈だ。

 「職住困るなら田舎においで」(兵庫県朝来市無職・奥義雄さん、74歳)
「100年に1度の不況で都会では職を失い、路頭に迷っている人がいるようです。この際、地方から出てきた人は、いったん田舎に帰ってはどうでしょうか。田舎の出身でない人でもいい。私の住んでいる周りには、空き家や遊んでいる田畑はいくらでもあります。帰る家のない人は、そこで寝泊まりし、米や野菜を作ります。栽培方法は、老人たちが教えてくれます。食と住は確保されます。すぐ農産物からの収入は得られませんが、集荷を手伝う道だってあります。当然、職住のあっせん、助成、当座の生活費など雇用の受け皿として公的支援は必要です。農水省は今回の不況を都道府県とも連携し、1次産業へ雇用を呼び戻す機会ととらえています。景気がよくなれば都会に戻ればいいし、農業が好きになれば、住み続けるのもいいでしょう。一時的でも生活できる場所を得ることが、最優先です。終戦直後は、疎開した多くの人が、国土の復興に貢献しました。不況時の疎開は、ふるさと活性化に役立つでしょう」

 「若者よ、帰郷し農業をしよう」(青森県弘前市農業・鈴木健さん、62歳)
「若者よ、故郷へ帰れ。今、君が幼いころに過ごした故郷を思い出そう。そこには、山や川、そして学び舎があったはずだ。君たちの力は理不尽に使い捨てをするような企業のためでなく、農業にこそ必要なのだ。低迷する食糧自給率の向上などにその力を使ってほしい。なによりも、故郷では人間らしく生きることができるはずだ。私も農業だけでは食べられず、黒四ダムの現場でふた冬過ごす出稼ぎをした。厳しい山間地でトウモロコシ栽培に取り組み続け、息子が後を継げるほどの地域ブランド『嶽(だけ)きみ』に育った。村の若者は出稼ぎや派遣として都会に出た。残ったのは後期高齢者ばかりで、村は限界集落と呼ばれている。君にも、昔ながらの頑固一徹な父と寡黙な母がいる。意見や小言も言われるだろう。だが、老いた親の後ろ姿は小さく、腰も曲がっているだろう。親孝行は今しかできないぞ」

/251.あの素晴らしい愛をもう一度(加藤和彦さんの死)

2009-10-23 07:10:04 | Weblog
 今週は爽やかな秋晴れの日が多かった。ススキの銀色の穂が眩しい。日本晴れとはこういう日のことを指すのだろう。京都の時代祭りと鞍馬の火祭りが終われば、さてどん尻に控えし秋の味覚は、柿の中の柿「富有柿」だ。僕は噛み応えのあるこの柿が「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の句の主役ではないかと思っている。そのように、大和路の質素で素朴な田園&古刹巡りには、京都の華やかさにはない味わいがある。そう思えば、今流行の「弁当男子」になって、まほろばの古道に味の上乗せをしてみようかという気持になる。天が高く馬が肥える秋の雲の象徴は「鯖雲(巻積雲)」だ。であれば、鯖が載った「柿の葉寿司」があればなお良し。

 先週の土曜日、少年野球のコーチ仲間と時々小雨が降る中、枚方市にある「山田池公園」周辺をウオーキングした。最近、枚方市の郊外には豊岡市のコウノトリが飛来して田んぼのエサを食べている、という噂がある。多分本当だ。だから俄然、歩いているのが嬉しくて楽しい。何よりコウノトリが訪問地に「河内野」を選んだというところに意義がある。我が里もまんざら捨てものではない。その一方で残念なのは、公園に季節感がなくなったことだ。つまり、公園の花には旬がない。例えばコスモスが咲いているかと思えば、お隣りには真っ赤なハイビスカス。そのまた隣りにはケイトウ、ヒマワリ、西洋アサガオ。これじゃつまらない、と語り合いながら、近くのスポーツセンターで最後の締めくくりをした。汗を掻くのは最高のデトックスだ。

 夜は夜で今、オリオン座流星群の話題で街中が盛り上がっている。「なんだよ、あれってただのスターダストじゃないか」と言うなかれ。この時季、ステキな星空のロマンを大切にしよう。個人的に言えば、干し柿が吊り下げられた「茅葺屋根」の民家と段々になった棚田がある里山の高台で観るのがモアーベター。今年のベストジーニストに選ばれた鳩山幸(ミユキ)夫人なら、いったいどんな思いで宇宙を見上げているのだろうか。などと想像してみるのも、この社会派ブログの功罪だ。と思っていたら、それからしばらくした日の夜、もう一つのスターダスト「黄砂」が降っていた。こちらの季節外れの迷惑モノには幻滅だ。

 茅葺屋根と言えば、前回のブログでちょこっと紹介した嵯峨野・鳥居本(京都)の「平野屋」が精彩を放っている。でも、こちらは「清流の女王・鮎」があってこその茅葺屋根と言えるだろう。この地で江戸末期まで鮎問屋を営んでいた「鮎茶屋・平野屋」では、最も鮎の旨味が増す夏になると、造り(おつくり)、鮎粥(がゆ)など様々な調理法でお客様にご奉仕する。鮎は、近郷の釣り師と契約して○○○や清滝川で釣ってきてもらう。身が引き締まっているのでどう料理しても旨いが、やはり何と言っても鮎の旨味を最高の状態で堪能出来るのは、シンプルな「塩焼き」だ。

 北山杉の林間に緑滴る夏、丹波の山々から流れ下る○○○に、清新な香りを放つ「清流の女王・鮎」が遡る。この清流が、古くから美味なる鮎の宝庫となるのだ。中でも、早瀬と深みが混在する奥嵯峨の川には鮎のエサになる苔が多く繁殖する。鮎の香気は、この苔によるものだ。香り高い○○○の鮎は、御用鮎として古来から朝廷へも献上された。「鮎は、塩焼きに始まり塩焼きに終わると言うんどすえ」 これが「平野屋」の女将さんの口癖だ、という。鮎の気品ある姿を愛で、香りを楽しみ、淡白な身の旨味をじっくりと味わってこそ、茅葺屋根の情緒も生きるというものだ。

 「平野屋」から清滝川を遡れば、「三尾」はすぐそこだ。高雄、槇尾、栂尾。この時季なら、嵐山(らんざん)と三尾の錦秋を観賞してこそ、極上の清流の味も生きる。まさに「平野屋」は、京の雅を集めた茅葺屋根の鮎茶屋と言えるのではないだろうか。では、ここでクイズだ。清滝川と並んで「平野屋」の鮎の生まれ故里である亀岡盆地から嵐山へと流れる川の名は? ・・・・・。正解は「保津川」だ。勿論、「平野屋」を訪れるなら保津峡を愛でることもお忘れなく。僕好みで言えば、女性なら京都駅で着物(和服)をレンタルして、鎌倉の「江ノ電」と姉妹鉄道になった「嵐電(京福電鉄嵐山線)」に乗って是非お越しやす。

 さて今週はざっくばらんな社会の話題から。 東京都墨田区に建設中の「東京スカイツリー」が634メートルにかさ上げされた。この数字は「旧国名・武蔵」の語呂合わせだという。 ソマリア南部のクイズ大会(武装勢力「シャバブ」主催)の優勝チームに贈られる賞品は「武器と弾薬」らしい。 史上最年少でついに大阪から「箱根山越え」を実現した囲碁・井山名人と、日本勢最年少の体操世界王者・内村選手は共に20歳。驚くなかれ、同じく体操世界選手権の段違い平行棒・銀メダル&個人総合・銅メダルの鶴見選手は、なんとなんと17歳のお嬢ちゃんだ。石川遼君もウカウカしてはいられない。

 そもそもミシュランは、本国で掲載を断られた店が多いから日本に活路を求めたのだ。大阪人よ、嘆くでない。 予算削減でテレビ業界も大変&面白くない。ちなみに僕は、クイズやドキュメントなど見るものを限定。他にもBS、CSがある。 嘆きのノムさんよ、人生にはコーヒーブレイクが必要だ。えっ、高齢のためもう後がないの? 大阪府の松原市は「お年寄り」と「高齢者」を「元希者(げんきもん)」と呼ぶことに決めたらしい。げんきもんがこなもんを食ったら悶々とする。 滝川クリステルと中田英寿の熟愛に僕は憤懣。 あの「バイオ・ラバー」の山本化学工業が薬事法違反の疑い。僕は信じたくない。 阿修羅ブームで宗教が前面に出る時代なのに、むしろ後退しているのが僕は気にかかる。

 さあ、次は政局だ。小沢氏と亀井氏が僕の思っていた通りネックとなる気配があるが、それでも器の広い鳩山政権は、相変わらず淀みのない良い流れを創り出している。西川・郵政社長辞任はしっくりこないところがあるも、これはきっぱりと小泉改革との決別を意味するだけに、(後任人事の)ノイズを気にせず邁進してもらいたい。また、「高速道路の無料化」や「農家への戸別補償」などの政策は、マニフェストにこだわるあまり、他の大事なことを犠牲にしないよう、民意に沿った柔軟な姿勢で取り組めばいい。

 八ツ場ダムなどもノイズはあるが、担当しているのは今のところ一番良い働きをしている前原国交相だ。気にする必要はない。彼なら冷たいことはしない筈。前原頑張れ、前原頑張れ!! ヒトラーが国威を発揚したベルリン五輪大会の前畑頑張れ、の気分だ。予算の見直しも、「事業仕分け」さえしっかりとしていれば、たまには金額を示さない「要求事項」があっていいんじゃないか。何でもかんでも情報公開させられていたらたまらない。余計な意見をいちいち気にするな、と僕は言いたい。国民もそうそう怒りはしない。

 ただひとつ不満なのは、新政権の最優先課題である「セーフティーネットと雇用対策」だ。世間では今、採用はおろか、履歴書を出しても面接さえままならない学生や中高年が大勢いる。これ以上自殺者やホームレスを増やさないためにも、直接担当者である菅直人副総裁兼国家戦略相の「献身的努力」を僕は期待している。今この時、急げ早く、急げ速く。

 ところで、夫・長門裕之さんの献身的な介護と看病の努力空しく、妻・南田洋子さんがついに亡くなった。洋子さんの昔を知る人物の一人として言わせてもらえば、最後はあまりにも哀れだった気もするが、夫の長門さんのあの「愛」は、とにかく素晴らしいの一言だ。洋子さんのご冥福を祈りつつ、今日はその「素晴らしい愛」をテーマにして、僕なりの思いを愛あるメロディーに託したい。

 長野県軽井沢市にあるホテルの客室で17日朝、作曲家で音楽プロデューサー・加藤和彦さん(62歳)が自殺した。遺体は浴室内で首をつった状態で見つかり、死因は窒息死だった。室内には自殺をほのめかす内容の手紙2通が封筒に入れられていたが、宛名はなく文字は印字されたものだった、という。加藤さんは16日、知人の女性と携帯電話で話しをした際、自殺を予告する言葉を漏らし、その後連絡が取れなくなっていたことから、軽井沢署は(現場の状況を考慮すれば)自殺は間違いないと判断している。このニュースを耳にした時、僕は加藤さんの突然の死に驚きを隠せなかった。

 加藤さんと言えば、65年(昭和40年)に結成され、我々世代ならば誰でもが知るあのグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」抜きにしては語れない。そのメンバーの一人である北山修(きたやまおさむ)さんは、加藤さんが何をやるにしても天才の名に値するレベル、彼が日本の音楽界にもたらしたものは革命的で、作品だけではなく彼の生き方、やり方、ファッションなどが常に新しく、「真に一流のプレーヤー」であったことを認めつつ、「もはや、あの人懐っこい笑顔が見られないかと思うと本当に心が痛む。それにしてもやられた。すべて計算ずくだったと思う。ワイドショー的なマスコミ報道の減る週末を選んだのも、あいつ一流の作戦だったのだろう」と語った。つまり、クリエーター(創造者)加藤和彦は、流行を先取りし、己の死をもクリエートしたのだ、と。同じくメンバーに加わった「はしだのりひこ(端田宣彦)」さんも「昔からナイーブな人間ではあったのだが。不可思議な感じで混乱している」と話している。

 元メンバーならではの悼み方なのだろう。それにしても的を射ているのは、加藤さんが「真の一流プレーヤー」だったと言う真実味のある北山さんの指摘だ。その通りの人物だったと僕も思う。事実僕もあの時代、「フォークル」の歌をよく聴いた。でも正直に言えば、僕は人間・加藤和彦さんのファンではなかった。好きだったのは、加藤さんのあの心に響く「メロディー」だ。「帰って来たヨッパライ」からヒット順に「イムジン河」、「悲しくてやりきれない」、「青年は荒野をめざす」、「白い色は恋人の色」、「あの素晴らしい愛をもう一度」まで、我が人生で一番多感だった時代に加藤さんは「僕の琴線に触れるメロディー」を提供してくれたのだ。

 振り返ってみれば、学生運動などで揺れに揺れたあの当時、若者の社会に対する反発と熱気はもの凄いものがあった。闘争、恋愛、旅、人生とは何ぞや、弾ける肉体。ともすれば時代の波に翻弄されてしまいかねない世相の中で、加藤さんのメロディーは癒しを感じる一種独特の存在感があった。それでいて、胸が絞めつけられそうな哀愁漂う切ない調べには、若者の心を捉えて離さない温もりがあった。つまり、僕にとっての加藤さんのメロディーは、歌詞などはそっちのけにしてもいいぐらい、いつまでも口ずさみたくなる特別のリズムがあったのだ。

 例えば「フォークル」が結成された65年(昭和40年)は、東京オリンピックや新幹線の開業があった次の年。個人的には、憧れのミスター巨人・長嶋茂雄さんがプレーする本拠地・東京に修学旅行(中学)で行って、学園広場の仲間とワイワイガヤガヤ夢心地の2泊3日(1泊は箱根)を過ごした思い出がある。あれ以来、加藤さんのメロディーは絶えず僕の胸の内にあった。勿論、歌詞にもインパクトがあったことは確かだが。

 67年の「帰って来たヨッパライ」は、テープを早回しにして録音した加藤さんのコミカルな歌声と曲のユニークさだけが大きな話題になったが、僕はもう少し先を読んでいた。つまり、(歌詞にある)天国は良いところで、酒は美味いしネエチャンはキレイだけど、いざ生活してみれば「あんまりエエとこやおまへんやん」って主人公が言う行(くだり=ストーリー)は、「だから、簡単に死ぬな。現実に目を向け今という時を精一杯生きよ」と裏腹のメッセージに採れないこともないし、常に時代を先取りしている加藤さんであれば、その辺のところを充分意識して作った曲に違いない。まさにコミカル・メロディーの裏に風刺の妙があった話題作だった、というのが僕流の解釈だ。

 68年の「イムジン河」も、問題ありとして発売中止になったものの、国境の憎しみの河を挟んで、北と南に分かれて住まざるを得なくなった朝鮮民族の悲哀が隠されていることに、いち早く着目した加藤さんらの鋭い目を僕は感じたものだ。つまり「♪誰が祖国を分けてしまったの?」という疑問を、当時無関心だった日本人にも問いたかったのだろう。例え作詞・作曲者が北朝鮮の人だったにしても、この曲を日本の世に出そうと決心したスタッフの心意気を僕は買いたい。「先見の明」とはそういうことだ。あの物悲しいメロディーに当時の僕は心が揺れた。

 代わりに発売された同じ年のヒット曲「悲しくてやりきれない」は、若者の揺れ動く心象風景を「♪このやるせないモヤモヤを誰かに告げようか♪」と表現した。そして、彼、彼女らの切ない思いの向こう側を加藤さんのメロディーがズシンと直撃していた。「青年は荒野をめざす」も、69年の「白い色は恋人の色」も、メロディーが歌詞を凌駕していた、と僕は思っている。最も忘れられないのは、68年にグループが解散した後、加藤さんと北山さんが合作してヒットした71年の「あの素晴らしい愛をもう一度」だ。同年代かそれに近い世代の人には、もう説明する必要はないだろう。あの曲は、「イムジン河」と共に我々の感情に訴える加藤メロディーの双璧。勿論、詩も極上だ。

 とりわけ僕が好きなのは、「♪あの時同じ花を見て、美しいと言った2人の、心と心が今はもう通わない♪」という絶妙のフレーズだ。またあの曲には、僕の当時の第一本命だった恋人の「飛鳥美人」との懐かしい日々がいっぱい詰まっている。あの歌詞そのままに、僕は彼女とデートや旅を重ね、同じ花を見て美しいと思い、「赤トンボ」の歌を口ずさみながら、共に笑った。なのに、あれから4年後に心と心が通い合わなくなった。そう、あのメロディーは、僕と彼女の悲哀の証しでもあるのだ。そうでなくても、あの歌は我々世代のセンチメンタルメロディー。何度も何度も、青春の1ページの数々を甦らせてくれるあのメロディーをよくぞ作ってくれた、としみじみ感謝しているのは僕だけではない筈だ。そういう意味で僕は、加藤和彦さんの代表作として、真っ先に挙げたい物思いにふける秋に相応しい哀愁のメロディーなのだ。

 「あの素晴らしい愛をもう一度」は、天才の名に値する加藤さんならば、僕らよりもっともっと先を見据えていたのではないだろうか。つまりは、単なる男女の恋愛ではなく、学生運動などで一頓挫あった右肩上がりの高慢ちきな日本の高度成長期にあって、失われつつある本当の愛を、この国に取り戻そうという壮大な夢をあのメロディーに託していたのではないか。そして、かつてあった古き良き時代の人間愛を呼び覚ます起爆剤にしたかったに違いない、とも思える。また、そう思うことで加藤さんの不可解な死も救われる。僕は感じる。これを境にあの素晴らしい愛が日本中に甦って、当時よりもっともっと愛が枯渇した住みにくいこの時代に、あのメロディーが潤いを与えて欲しいと僕は願う。ちょっと遅れてデビューしたユーミンでさえ、影響を受け「亡くなったのは残念です」と言った加藤さんのあの素晴らしい愛よ、もう一度。

 あの日、あの時、あの時代。下手なギターを弾きながら友と口ずさんだ加藤さんのメロディーが、痛みはあっても心の豊かさを伴った古き良き時代と、便利さに埋もれつつある高度成長期の頂点にあった「愛の賛歌」だったと言えば、ちょっと大げさかも知れない。でも僕は、「真に一流のプレーヤー」が奏でるメロディーが、そんな値打ちのある「宝物」だと痛感する。

 ところで、歌手と歌詞よりメロディーが先行して心に響く曲が他にもある。昔の歌で言えば、例えば伊東ゆかりさんの男と女のメロディーであり、先頃メインボーカルの人が亡くなったロス・プリモスの夜の大都会のメロディーであり、テレサ・テンさんの異国情緒満点のメロディーである。しかし、人生の一番多感な時代に心に刻み込まれた加藤さんのメロディーは、それらをも圧倒する存在感がある。その意味で僕は、加藤さんのメロディーをまだまだ聴きたかった。なので、自殺という形で人生を終えられたのは非常に残念だ。もう少し他にやりたかったことがあったのではないだろうか。僕は、その点が悔やまれる。

 僕は思う。もし加藤さんのメロディーの根底に貫かれていたものがスケールの大きい「人間愛」だとすれば、今の社会にはなくてはならない宝物だ。奇しくも鳩山政権の目指すところも「友愛社会」だ。メロディーの達人が問うた素晴らしい愛が、この国の未来の人間のあり方を暗示しているようにも僕には感じられる。そうであればなおのこと、あの時同じ花を見て美しいと言った諸人の、あの素晴らしい愛よ、もう一度。

/250.「鞆の浦」景観保護(判決が意味するもの)

2009-10-16 07:12:12 | Weblog
 プロ野球の公式戦全日程が終了した途端、ご近所の稲刈りも終わった。「♪村の鎮守の神様の♪」 村祭りの季節だ。ドンドンヒャララ、ピーヒャララ。運動会が重なって、街中が騒がしい。でも、こうでなくっちゃ秋祭りの意味がない。ところが、騒々しいのはご近所ばかりではない。僕の相棒の彼が、こともあろうにバナナの皮で滑って足に擦り傷を負う、という古典的なミスをしでかした。しかも家の中で、だ。「面白いことをやらかすね」と、これには隣のオバチャンも(自分のことはさて置いて)抱腹絶倒だ。どうやら手の器用さと運動神経は連動していないようだ。やっと通院から開放され以前の順調さを取り戻したというのに、ね。

 「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聴く時ぞ秋は悲しき」「♪更け行く秋の夜旅の空の♪」 哀愁、旅愁を感じる季節でもある。物思いにふけるのにも丁度いい。紅一点の塾した果実をしみじみ眺めながら一句。「ああ石榴(ザクロ)、ざっくり裂けた我が人生」(字あまり&お粗末) 運動するのにも丁度いい。恒例の早朝ジョギング。金木犀や菊のいい匂いの後、落下した銀杏の腐ったような臭いが鼻を刺す。そんな時は季節柄「マツタケご飯」の匂いを期待するが、朝から炊く家は残念ながら皆無のようだ。でも、秋刀魚の匂いはちょっぴりする。

 そう言えば、今年はあの高級な「丹波マツタケ」が大不作だという。お高い上に更に値段が高くなる、この悪循環。高級グルメ志向人間も決して楽ではない。ちなみに隣のオバチャンの話しでは、スーパーに売っている「エリンギ」と「松茸のお吸い物」で、匂いだけなら魅惑十分の等身大(値段が)のマツタケご飯になるらしい。是非お試しあれ。

 高級グルメと言えば、ついに先日「ミシュランガイド京都・大阪版」の内容がマスコミを通じて発表された。最高の「三つ星」は、京都の老舗料亭を中心に7店で、「二つ星」と「一つ星」を合わせると150店にも達するという。東京版と同じく、全ての掲載店に星が付き、これは日本のレベルの高さの表れだという。僕自身はミシュラン本など「どっちでもいい」が、話しのタネとしての「大阪の粉もん」がひとつもなかったのは大いに気にかかる。僕は決めた。格付けをしたミシュランの担当者は恐らく、粉もんの味を「よう審査せんかった」のだろうと。と思えば、ナニワの庶民の味はちょっとは救われる。

 該当する店を見渡せば、やはり我が愛する京都の名店が目立つ。この本をまだ読んでいないので詳細はよく分からないが、僕が京都と言えばこの店だ、と推薦する「いもぼう」の○○○が掲載されていなかった(?)のも気にかかる。鱧とニシン蕎麦、湯豆腐と並んで「いもぼう」は、京都に来たなら一度は味わって欲しいグルメだ。「いもぼう」は、芋と棒ダラを炊き合わせた料理。芋には唐芋(とうのいも)もしくはエビ芋が、棒ダラにはカチカチに干し上げた鱈が使われる。「いもぼう」の真髄は、京都では昔から月初めや15日、または月末と日を決めて、その家のご馳走としたという「出会いもの」である点だ。つまり、いにしえ人の知恵と合わせ技の極意、なのだ。

 ○○○本家は、「いもぼう」だけで、料理屋として14代も続いている。創業は、元禄から享保年間(1688~1736年)頃。初代○○権太夫(ごんだゆう)は、粟田口(あわたぐち)の青蓮院に仕えて園芸を担当していた。宮様の九州行啓にお供した折り、その地から持ち帰った芋を植えて京で育てたところ、たまたまエビの形をした芋が採れたので、これを研究して料理を創案。後の商売にした、という。つまり偶然の産物、なのだ。

 そして、長い長い丹念な手作り行程を経て味付けをした芋と鱈の上に「柚子皮(ゆずかわ)」を載せると「いもぼう」の出来上がりだ。ここでの特注は、芋の灰汁(アク)が鱈を柔らかくし、鱈の膠質(にかわしつ)が芋の煮崩れを防ぐ働きがある、ということだ。○○○本店は、東山の円山公園内にあり、年中無休で(今は?)「水が出会いの味を生む・いもぼう」をお客様に奉仕している。レトロな灯りと味な老舗のグルメをたくさんの人に味わって欲しいものだ。さて、ここでクイズだ。僕が上に紹介した「いもぼう」で有名な京都の料亭の名は? ・・・・・。正解は「平野屋」だ。ちなみに嵯峨・鳥居本にある茅葺屋根の「平野屋」は、鮎料理で知られている老舗なので、くれぐれもお間違いのないように。

 錦秋を控えてそろそろ「紅葉」の文字が躍り出した。近場の丹波三山、湖東三山、京都岩倉・実相院の板の間に紅葉が映る「床紅葉」などなど。もうすぐ関西の古刹は名実ともに紅葉まみれになる。紅葉狩りには鉄道がお似合いだ。経済評論家の勝間和代嬢のように向上心、向学心、愛のあるステキな集まりを「カツマー女子部」と呼ぶらしいが、彼女らのスローガンは、「三毒」(怒り、ねたみ、愚痴)の追放だという。まことに天晴、いいことだ。彼女らに言わせれば、最近話題になっているご近所の騒音もわずらわしい「煩音」も「花王エコナのトクホ返上」も、宇治茶でうがいする余裕で「クソ食らえ」だろう。

 そんな彼女らが秋澄む爽やかなこの時季、鉄道に凝れば「鉄女」に変身、「読み鉄」「乗り鉄」「撮り鉄」「飲み鉄」「食べ鉄」になるは必至。僕は「個人の現在の趣味は、それまでに、そのことに、どれだけ打ち込んで来たのかという時間の長さで決まる」という法則を自分なり持っているが、それに従って「カツマー」が自分の好きな番組作り(つまりは趣味)に専念すれば、今や人気番組作りの天才「島田紳助」のような存在になるのは時間の問題だろう。その上で、特に若い人は石川遼君の話し方や仕草、行動を参考にしたら、もう怖い物なし、だ。

 少々褒め過ぎたけれど、どちらにしてもこれは僕の希望だ。事実、今の日本の若い女性は「草食系男子」を尻目に、一皮剥けた「大和撫子」の域に達しているのは確実だろう。しかしながら、ここで隣のオバチャンの「ハチの一刺し」がある。では言ってもらおう。「なんぼ鉄女でも、ギョーザの王将や駅の便所の『他人の出したものの後始末』だけはようせんやろ」 うーん。これは冗談ではなく、僕がいつも気になっていたこと。皆さんも記憶があるに違いない。あれの後始末を彼女らに押しつけるのはホンマに酷過ぎる。なので、銀杏の季節を利用してここで叫んでおく。おい、こら。男も女も、自分のウンチの後始末ぐらい自分でしろ!!

 ということをなぜ書いたのかと言えば、つい最近たまたま入った京阪線の駅の便所で「他人のアレ」を、急いでいるのに、必死になって処理したからだ。これで競馬にも運がつく、と勝手に解釈しているが、あの時の我が姿はホンマに惨めだった。まっ、臭い話しをしていてもキリがないので、社会の話題に移ることにする。今週はオバマ氏のノーベル平和賞受賞、広島・長崎の2020年「平和五輪」招致、羽田空港の「国際ハブ空港化」、来年度からの米農家限定の農家戸別補償、年金照合の4年短縮などにインパクトがあった。

 個人的には、広島カープ・緒方選手の引退試合に顔を見せた奥さんの「中條かな子」ちゃん(昔よく部屋に写真を飾ったっけ)と、地元の信貴山寺に本人の希望で虎の置物が奉納され、本堂の脇に見映え良く写真を飾っていた阪神・今岡選手の退団に衝撃を受けた。また、今日のテーマに関連して「南西諸島最大の泡瀬干潟」のリゾート開発公金が差し止められた二審判決は、僕の期待通りだった。

 さあ、政局だ。新政権発足1ヶ月、革命的な流れを創り出しながら、相変わらず鳩山さんはよくやっている。今年度の税収が当初の予想より大幅に落ち込み、景気が「二番底」になる懸念があるが、こうと決めて走り出したこと。もはや後退は許されない。そんな中、鳩山政権は今年度補正予算の見直しや、マニフェストを盛り込んだ来年度予算の概算要求(過去最大規模の90兆円台)の予算配分などに着々と歩を進めている。限られた期間の中で予算を取りまとめるのは、僕の経験で言えば至難の業だ。依然として財源の問題が残り、窮余の策として国債を発行せざるを得ない状況にはなっている。

 それでも国民は、焦ってはいけない。今やっていることはまだまだ、長い間の自公政権のウミの洗い流しだ、と解釈すべきだろう。それにしても、次から次へと出て来る見直し額の数々は、今までどれだけ税金を無駄遣いしていたのかという裏返しだ。よくもこれだけ「不要不急の利益誘導金」があったものだと思うと、僕は改めて旧政権に倍増の怒りを覚える。マスコミもこれを「ドタバタ新予算」などと、いたずらに国民を煽らない方がいい。そして、この友愛精神に満ち満ちた「モノから人へ」「コンクリートから人へ」の政治転換風景を、国民はしばしの間「保護すべき景観」として観て欲しい、と僕は感じる。俯瞰すれば、この景観が意味するものはまさに、「崖の上のポニョ」の原点ではないだろうか。今日は、それが自分なりのテーマだ。

 10月1日、利便性より歴史的景観を重く見た判決が広島地裁で言い渡され、各方面に波紋が広がっている。景観が保護される対象となったのは、言わずと知れた映画「崖の上のポニョ」の舞台とされる広島県福山市の景勝地「鞆の浦」だ。この地を埋め立てて橋を架ける計画を巡っては、賛否両論、紆余曲折のプロセスがあり、そこに至る道筋は決して平坦ではなかった。判決は、「景観の良いところの近くに住んで日常的にその恵みを享受している人は、景観侵害に密接な利害関係を持つ」と認め、景観を享受する利益(景観利益)は「法的保護に値する」とした。これを受けて前原誠司・国交相は、「判決の方向性に共感するところが多々ある」と語り、専門家も「『歴史的景観の保護』という名目が新たに加わり、事業を止め得る要素が今後も増えて行く可能性が出て来た」と前向きに評価した。

 旅を愛し自然を愛する人間の一人として、この判決は非常に嬉しい。なぜなら、旅に出て様々な「情緒的感覚」で思いを巡らすには、この種の景観の存在が欠かせないからだ。鞆の浦で「ポニョ」の構想を練った当の宮崎駿監督は、「スタジオジブリ」でこうコメントしている。要点のみ書く。「今後の日本をどういう風にして行くかという時に、非常に大きな良い一歩を踏み出したんじゃないかな。鞆の浦を歩くと途中で誰にも会わない。林の下の方に見える燧灘を走っている船の音が聞こえるだけで、後はウグイスがものすごい数いました。そういうところを毎日散歩できることが良かったんです。開発で何かけりがつく時代は終わったんですよね。どういう生活の質をつくって行くかということの方が、大きな課題になっているんじゃないかな」

 「不便を忍んで生きるんですよ。そういう哲学を持たなきゃいけないんじゃないかと思うんですよね。車が遠慮して走ってますよ、鞆の浦は。渋滞するというけど、そのくらいの渋滞はいくらでも起こってますよ。道路を造って橋を架けて渋滞をなくせば幸せになるかというと、そんなことないでしょ。要するに、公共工事で何か劇的に変わるという幻想や錯覚を振りまくのはやめた方がいいと思います。不便だから愛着もわくというのが人間の心。便利はうるさいですよ。不便も良さにつながるんです」と。そして、不満をあらわにしている県、市に対しては、勝ったとか負けたとか言うのではなくもう一度仕切り直して、冷静に考えようと戒めている。僕はもっともだ、と思う。コメントのキーワードは、「生活の質」だ。

 開発が美徳の時代はもう既に終わっている。開発という名の破壊は今や、世界、いや地球を蝕んでいる、と僕も思っている。鞆の浦という狭い町を離れて、もっとグローバルな話しをしよう。国連のバンギムン事務総長は、先の気候変動サミットで、世界最北端の居住地から極地の氷の端に到着するため船で9時間旅したことを取り上げて、後数年もすれば同じ船が北極点まで航海出来てしまうかも知れない、と警告した。そして、「私達にとって北極は炭鉱のカナリアだ。その変化は速く、地球の温暖化を加速している。温室効果ガスの排出は増え続けている。だからこそ、私は確信している。私達は今、行動を起こさなければならない」

 また、こうも言う。「気候変動は私達の時代にとって、開発、平和、繁栄を巡るグローバルな方程式を書き換えるほど地政学的な問題だ。それは経済を脅かす。食糧や水の供給を枯渇させたり、紛争や移民を誘発したり、あるいは脆弱な社会を不安定にさせたりする可能性がある。政府さえ転覆させかねない。求められているのは、最高レベルでの政治的な意志だ。私達は目先の政治的なご都合主義ではなく、この惑星にとっての長期的な利益を優先しなければならない。全ての国が排出を減らすため最善を尽くし、先進国は目標を強化、途上国も貧困から脱却する戦略の一環として、環境に配慮した成長を加速しなければならない」と延べ、より良い未来への合意を各国に求めた。

 これも、もっともだろう。点と線の違いはあっても、鞆の浦の判決の行き着くところは、ここだ。すなわち終着駅は「環境保護」であり「景観保護」、そしてつまりは、全ての人間の心の問題なのだ。景観保護は自然保護でもある。例えば我が国の世界自然遺産・屋久島では、シンボルの縄文杉が観光客に人気があり過ぎることから、登山中に山中で用を足す人が多くなり、森の中にトイレットペーパーが散乱して景観を損ねるばかりか、沢から大腸菌が検出されたため、自然保護を目的とした入山者数の制限をしようとする動きも出ている。つまりは、「屋久島モテ過ぎSOS」だ。屋久島町長は言う。「登山道付近で局所的に生態系が破壊され、島固有の植物も姿を消したことなど、結論から言うとオーバーユース(過剰利用)だ。抑制しないといけない」

 しかし、そうは言っても縄文杉ツアーは、屋久島にとっては大きな収入源だ。島民の生活も守らなければならず対応は難しい。今のところ、既設のバイオトイレ利用+し尿の持ち帰りを促す「携帯トイレ」の試験販売が始まった、という。どうやら、観光と島民の生活を量りにかければ頭が痛い、というところが町の現状のようだ。でもこれは、心配のタネの相手が「出物腫れ物、所嫌わず」だけに、一概に人間の心の問題だけでは片づけられない面がある。オーバーユースが観光客の排泄物のオーバーフローにならないよう努力すべきだが、ここはやはり景観と自然保護の観点から、「鞆の浦の判決」の方向に話しを進めることが肝要だ。僕の海外旅行の経験で言えば、町や山への観光客規制が実を結んだ例がヨーロッパなどにはいっぱいある。

 例えば、かつては走り出したら止まらない、と言われ続けて来たこの国の公共事業である「無駄なダムや道路建設」が自然環境に与えた悪影響は、日本全国津々に潜んでいる。土建国家の夢の宴の跡だ。川がダムや堰で遮断されると、森と海は別離させられてしまう。同じように森や林や田や畑が道路で分断されると、野生動植物が行き場を失う。すなわち「生態系と生物の多様性の破壊」だ。必要な工事ならともかく、無駄な工事の乱発によって、日本の自然や景観が極めて美的感覚のない無味乾燥した通り一遍の姿に成り下ってしまったところがいっぱいある。これは、自然愛好家なら誰もが感じる周知の事実だ。森は海の恋人。海も森に恋している。仲を取り持つ月下氷人が我々だ。その人間様がしっかりと己の役目を果たせば、海と森は固い絆で結ばれる。

 こうして華麗に着飾った自然の動きのある営みは、「人間の心の揺れ」にまで深い影響を及ぼすのだ。それを益々良い方向に誘うのが、伝統文化や歴史的価値に彩られた「景観」なのではないだろうか。ある場所から切り取られた命を違う場所に再現することなど、到底出来ない。無駄なダムや道路建設による生命の分断は、人間の心の分断をも意味する。このことを我々は忘れてはならない。

 豊かな自然を愛する人の心には、豊かな魂が宿り、それが人間的情緒を育む。「頭で学問をするものだという一般の観念に対して、私は本当は情緒が中心なっているのだと言いたい」と言ったのは、日本が生んだ世界的天才数学者の岡潔(おかきよし)氏だ。彼は、奈良女子大学の教授として復帰するまでの10年以上、大阪府と和歌山県の国境にある紀見村(現・橋本市)に篭り、鳥の歌を聴き、野の花々を摘みながら、思索した。なぜ人間が数学上の発見が出来るのだろうか、と。そして結局、子供が昆虫採集に出かけ見事な蝶を見た時の「発見の鋭い喜び」の感情に導かれて、学問的な発見は成されることに気づいた。

 つまり、自然を受け取る美しい情緒を心の中に育てることが、人間にとって何より大事だ、ということなのだ。日本人は情緒の中に住み、人と自然との間にもよく心が通い合う。それがこの国の人々の美徳だ。この美しい国で、自然、そして情緒が損なわれれば、人々の心は腐り、社会も文化も悪くなる、と彼は悟ったのだ。僕はしみじみ想う。岡潔さんの言う情緒は、生物の多様性がある美しい景観があってこそ、初めて、育まれるものだというズバリこの一言に集約されている、と。

 再度確認する。広島地裁が下した「崖の上のポニョ」の景観保護判決は、(例え宮崎駿さんの作品の舞台でなくても)便利さの中で埋もれた日本人の人間性を回復し、地球と人間の原点を追求する画期的な出来事なのだ。これを機会に我々は、「スタジオジブリ」での宮崎さんの「不便を忍んで生きる哲学を持て」との発言の趣旨を寛容な気持ちで、冷静に汲み取ろうではないか。

 鞆の浦の「ポニョ」は今、崖の上から、かの地を埋め立て橋を架ける計画を、何かを悟った目で、熱く熱く見守っている。僕も事の成り行きを末永く見守りたい。もし何かの間違いで、彼が橋の下に棲まざるを得なくなった時、それは、魚の「ポニョ」にとっては本望かも知れないが、人間の我々にとっては、便利さによって失われる心の喪失に繋がることになるだろう。そして、架かる橋は決して「明日に架ける橋」ではないのだ。いずれにしてもこの判決は、人間様の生活の質を、真っ向から日本人に問うている。僕はそう思いたい。

/249.亀井金融相の財界批判(モノからヒトへの転換)

2009-10-09 07:03:49 | Weblog
 きっぱりと食欲の秋本番だ。盛りを過ぎて衰えた虫の音は侘しい。秋深き隣りは何をする人ぞ。10月7日夜、「明日の朝、大阪直撃やて」と、隣りのオバチャンが声を張り上げて心配そうに僕に警告していた「非常に強い台風18号」による我が街の被害は、幸いにも最小限に食い止められた。つまり、予想より南にそれたということだ。天邪鬼の言伝(ことづて)は、あまり信用しない方がいい。先のゲリラ豪雨で大きな被害を受けた兵庫県佐用町の住民も、ホッと胸を撫で下ろしていることだろう。それでも台風は、列島各地に爪跡を残した。台風を「野分」と呼ぶのは風流だが、それも風次第。野分の上に竜巻があった関東平野の人々はお気の毒だ。僕はやっぱり、野の草をちょっぴり分けて吹く「優しいそよ風」程度がいい。

 さて、その台風が通り過ぎた数時間後に現れる多種多様な雲を眺めていると、厄介なものが去って行ったという安堵感からか、さっぱりとした風呂上りの気分になれる。こんな時には、どこかの山に強風で落ちた山(森)の幸を拾いに行きたくなる。アウトドア人間の本能だ。実家の裏がすぐ山だという田舎育ちの僕の相棒の話しによれば、昔は今頃の時季になると近所の仲間とよく山に分け入ったらしい。ドングリ、シイ、ヤマグリなどの木の実やアケビ、ヤマイモ(ムカゴ)、ブルーベリーの類。山には秋の味覚がいっぱいだ。そしてたまには、マツタケやシメジのお宝が手に入った。散々遊んだ帰り道、農家の段畑にあるサツマイモや作り栗もついでに失敬した、とのことだ。

 良き話しだ。実は僕もこの中のほとんどを食べたことがある。マツタケ以外では、小粒で実が白っぽい生のヤマグリが美味い。アケビ採りはまるで、ガキ大将のスポーツだ。実が変な形に熟した「アケビ・ジャングル」の中で、蔓に乗り、宙に舞って、さながら小柄なターザンだ。こうやってワイワイガヤガヤ、やかましいやかましい里の秋を楽しんだものだ。家に帰れば帰ったで、数日はマツタケご飯、栗ご飯、芋ご飯のオンパレード。あの頃の「アナログ遊び」は、確かに味があった。

 我が愛する京都では、「(夫婦喧嘩などで)怒って皿を割るなら、愛宕山にお行きやす」っていう言い伝えがあるそうな。こういう日頃の鬱憤を晴らしてくれる場所があるのは有り難い。ちなみに僕の場合、これに相当するのが淀川河川敷。あそこに行けば、スポーツするにも、自然を愛でるにも、手頃な小さな楽園がある。今なら、朝から夕方までに300匹の虫を食べるシジュウカラなどの小鳥が元気だ。季節外れのヒマワリよりノッポのコスモスも咲いている。最近話題になった背丈120センチの女性「ラミダス猿人」が隠れてしまいそうだ。汗を掻くのが趣味の人とは波長が合いすぐ仲良くなれる。僕は自分自身では、中距離走、スキー、テニス、野球、水泳、自転車走などのレベルがかなり高いと思っているが、ところがどっこい、そんな僕に勝るとも劣らない優れた技の持ち主がたくさんいる。

 スポーツに限らず、河川敷にはもっともっと地味ながらも、思わずハッとする趣味の極意を披露している人も多い。そのほとんどが男性だ。釣り、ラジコン、愛犬のしつけ、テント張りの名人、アマチュア写真家、バードウォッチャー、素人生物博士などなど。黙々と「好きこそ物の上手なれ」に専念するその道の達人がいる。これを目にした僕は、いつもこう感じる。「男って単純で金欲と色欲の塊よ」と女性はよく言うが、ここでの光景を見る限り、「なんだよ、女だって化粧、グルメ、ショッピング、旅行だけにしか目がない単細胞人間じゃないか」と反発したい気分になる。という訳で淀川河川敷は、趣味の多種多様さと選択肢の広さで女性を遥かにしのぐ「多細胞の男性天国」だ。 「能ある鷹は爪を隠す」 女どもよ、巷でキャーキャー言って芸能人ばかり追い回すのもいいが、たまには能ある鷹になれ!!

 能ある鷹と言えば、今テレビ放映中の「天地人」が最後に生き残った山形県の○○市に、まさにその言葉通りの名君がいた。江戸時代の第9代藩主「上杉鷹山」だ。彼が暮らしたこの市は、謙信以来の大名・上杉氏の伝統を今に伝える城下町だ。最上川の源流、吾妻連峰に抱かれた穏やかな「置賜(おきたま)」地方の町並みの中には、東光(とうこう)の酒蔵、○○城址に広がる桜の名所・松が岬公園、謙信が祭神の上杉神社と上杉記念館などの名所があり、最上川河畔にある松川河川緑地公園では毎年5月3日、謙信と武田信玄の名勝負を再現した「○○上杉まつり・川中島合戦」のイベントがある。ここには僕も行ったことがあり、上杉氏を偲びながら最上川の河川敷をゆっくり歩いたことが印象に残っている。

 上杉鷹山は、藩が財政逼迫で窮乏期にあった江戸中期、わずか17歳で藩主となり、徹底した倹約令で藩財政の復興に成果を上げた置賜の救世主だ。鷹山がこの地に導入した絹織物は、紅花や「藍」を使った草木染めが主体の「○○織り」 これで人心を掌握して藩の財政を立て直した彼はまさに、直江・天地人の「愛(藍)」を伝承した立役者だろう。さて、ここでクイズだ。上杉鷹山が愛を育んだかの地の名は? ・・・・・。正解は「米沢市」だ。 ところで、先が見通せない今の世の中で、果たして鳩山宇宙人は、あの上杉鷹山になれるのだろうか。

 今日も気になったニュースをランダム・超ショートショートで以下に記す。 東京五輪の再現失敗は民意じゃなかった、ということだろう。 中川元財務相の死に自民党の更なる凋落を見る。 金正日の左手。 日本国民の7人に1人が貧困。 「過去官僚」は「過去完了形」か?  政界の用心棒・スッポン亀井氏と違って、僕の相棒はB級グルメなら何でも「カメマンネン」、つまり好き嫌いがないということだ。 アメリカそっちのけの「東アジア共同体」VS「欧州統合」を僕は歓迎する。 「ラミダス猿人(アルディー)」と「鉄人28号」をエチオピアで結婚させたい。 残そう世界の自然遺産「三江併流」(長江・メコン・タンルウィン川)

 2016年のリオは「お嫁サンバ五輪」と命名したい。ブラジルのリオは美人が多いというけれど、国別の美人度ではブルガリアに到底及ばないだろう。行って見れば分かる。 ついに退団した同時進行の「あぶさん(影浦安武)」、背番号90は永久に不滅だ。 野村再生工場「楽天」のCS進出。 ご近所の不祥事。(寝屋川市の福祉法人が保育所運営費を不正流用) いい加減にして欲しい「貧困ビジネス」 あのマチュピチュと運命は同じと有識者から判断された京都・町家の「危機遺産」選出。 「すれちがい通信」で益々子供の心はすれ違う。ので、先日決まった「箕面市の柚子」の愛称「滝ノ道ゆずる」の「道ゆずる」の名を彼らに譲りたい。 金田一温泉(岩手県二戸市)の「座しきわらしの家」全焼は残念。 最後に隣のオバチャンからクイズ。「むさくるしく、暑苦しく、見苦しいって、さてだあれ?」 正解は「旦那さん」 よっぽど鬱憤が溜まっているらしい。

 ついつい長引いてしまった。さあ、少しだけ政局だ。今年度補正予算の見直しや良い人材が揃った「刷新会議」のメンバー発表などなど。次々と我々の気持ちと同時進行で新政権は動いている。現在僕の目の前で起こっているこの国の変化は、返す返す斬新で目ざとい現象だ。これは、今までの政治になかったこと。ちょっとオツムがおかしいヤツでない限り、誰も文句は言えまい。

 このチェンジを見ていると、僕は何度も何度も感心させられる。そして、時には感動し、大袈裟に言えば時には愛を感じる。ひょっとすれば鳩山さんは、平成の上杉鷹山を目指しているのだろうか。そんな新政権を「未知との遭遇内閣」と呼ぶのならば、図らずもトヨタ社長が「今やどん底に近い」と言う企業経営者も、かつては想像すら出来なかった未知との遭遇に悩んでいる、ということだろう。しかし、世の中は良い方向に進んでいるのは間違いない、と僕は思う。だから悩める財界も、どんなに苦しくても、都合のいい時にだけ国にもの申す、という姿勢を改めないと、吼える人は吼える。しかも強烈に。という話しが今回のテーマだ。

 名前とは裏腹に海千山千・夜郎自大の強気の発言で知られる亀井静香金融相が、日本経団連の御手洗会長と以前会った時に、労働者を大切にする日本的な経営を捨てたとして「大企業を批判」したことを紹介した。5日の内外ニュース講演会での出来事だ。その内容はこうだ。「ため込んだ内部留保をそのままにしといて、リストラをやっている。人間を人間扱いしないで、自分達が利益を得る道具として扱っている。(今では)立件された国内の殺人事件の約半分が親子や兄弟、夫婦といった親族間で起きている。これは経営者側に責任がある」

 亀井氏は、6日の閣議後の記者会見でも「(大企業は)従業員を正社員からパートや派遣労働に切り替え、安く使えばいいということをやってきた。人間を、自分達が利益を得るための道具としか考えないような風潮があり、社会の風潮もそうなる。人間関係がばらばらになり、家族という助け合いの核も崩壊していっちゃう。改革と称する極端な市場原理、市場主義が始まって以来、家族の崩壊、家族間の殺し合いが増えてきた。そういう風潮をつくったという意味で(経団連に)責任があると言った」と、5日の発言を撤回しなかった。これに対し御手洗会長は6日、首相官邸で鳩山首相と会談後、「私たちは日本的経営を捨てたつもりはない」と反論。鳩山首相も同日、記者団に「亀井さんらしいが、言葉が過ぎたのかもしれない。もう少し全体を見て、発言された方がいいと思う」と釘を刺した。

 僕はすぐ反応した。亀井氏のあの発言は、全面的に賛成は出来ないけれども「一理ある」のではないだろうか、と。特に自公政権の最優先課題が「経済の再生」だった90年代後半、「失われた10年」の真っ只中で産業界は、産業競争力を強める政策として、企業活動の自由度を高めた商法改正や派遣社員を拡大した労働者派遣法改正などを時の政府に求めた。それが実行され、財界の声も力も一丸となり発言力も強まった。が、結果はどうだったのだろうか。

 この答えは火を見るまでもなく明らかだ。最近では年末年始、各地の派遣村などに大勢の失業者が溢れた。今も、失業者・有効求人倍率とも過去最低の水準で推移している。財界暴走の後遺症だ。リーマンショックに端を発する世界同時不況があったにしてもこの現実に、少なくても財界は我々に責任はないとは言い切れない、だろう。身に染みて不徳を感じて欲しい。

 僕は思う。自公政権下では日本経団連会長らが、経済財政諮問会議の民間議員として、政策作りに深く関わった。つまり、一枚岩の財界が政権与党に経済政策を求める、という構図だったのだ。その意味で、この国の今の現状を財界が傍観視することは許されないだろう。なのに財界は、変わり始めた「モノから人へ」の新政権の政策に対して、極めて消極的だ。例えば、僕自身も期待し世界の国々から拍手喝采を浴びた「2020年に90年比25%削減」するという温室効果ガスの削減目標には、困難な姿勢をあからさまにしている。僕にはこれが、今まで自分達の有利な立場を利用して、人間を人扱いせず、物扱いして来た財界の天邪鬼的行為に見え、強い憤りと反感を覚える。

 要は財界も、国との関係では切っても切れない「同じ穴のムジナ」だ。国の失政は企業の失敗でもある。国に多額の税金を納めているからといって、第三者的立場を貫く姿勢は、責任逃れというものだ。右肩上がりの時代に自民党政権を支えて来た財界には、当然自負心はあるだろう。しかし、はっきり言って、旧態依然の古い体質の自民党の時代はもう終わった。何よりも、民意がはっきりと政権交代の選択をしたのだから。これは時代の流れの中の必然。財界はこの流れに応えなければならない、と僕は思う。

 その新政権は、日本の新しい時代の始まりだ。戦後の流れをよく見ると、企業は常にいつの時代でも、国より一歩先を進んでいた。そう、国の発展の前面にいたのだ、という印象が僕にはある。事実そうだろう。企業はいつの時代でも流行の最先端に位置していた。最新なモノを受け入れるキャパも大きかった。企業の成長なしに、この国の栄光の戦後は語れない。だからこそ財界は、政治に先駆けて変わる時、なのだ。そして、財界は自らの役割を見直し、政治の大変動に対して変化の道を探る勇気を持たなければならない。ところが、財界幹部からは「(民主党では)もう意見を聞いてくれなくなるだろう」という嘆きが漏れているらしい。とんでもない、と僕は言いたい。ましてや、産業界にとっての頼みの綱は今や、民間労働組合出身の直嶋経済産業相と平野官房長官だという現実には、目を覆いたくなるばかりだ。実に自己都合で情けない、と思うのは僕だけだろうか。

 財界のエライさんよ。どうしたんだい、しっかりしろ。もっと前向きに考えなくちゃ。まだまだ日本企業の潜在能力は世界の中では、ピカイチだ。こんな困難な時期でも、偉大な隣人中国、アメリカやヨーロッパでも日本技術の実力を誰一人として否定していない。だからもっと自信を持たなきゃ。と、僕は囁きたい。そして、こんな困難な時代だからこそ、財界はもっと積極的に新政権の政策に加担し協力すべきだ。今彼らに必要なのは、政府とともに国内世論を説得し、合意を作り出す指導力。これがジャストフィットしなければ、日本の未来もおぼつかない。

 時代が、国が変わり始めたと言えば、我々消費者の企業を見る目も大きく変わり始めている。このことも、財界人は再認識すべきだろう。もはや金儲け(企業収益)、つまり売り上げが企業の価値を評価する時代ではない。これからの企業は、社会的責任と社会貢献という商いの原点を追求する心構えが必要だ。そして、グローバル化の流れに対応した「三方善し」の精神をそれぞれの地域で反映させるのだ。そうすれば商売も繁栄する。目指すは、地域の優等生。その方向性を自ら持ち、更に磨くことだ。そういう意味では、地域の消費者あっての企業、まさに人あっての企業だ。決してモノばかりに気を奪われてはならない。

 それにもう、大量生産・大量消費という時代はとっくに終わっている。モノばかり溢れる社会は、人間性を見い出す上でも弊害が多過ぎる。でも、人を大切にする企業ならそうはならない、だろう。これからはそういう流れがどんどん加速する、と僕は信じたい。人間は、元はと言えば大自然の中のごく一部のちっぽけな存在だ。だから当然、自然環境にも心配りが必要だ。そして、自然保護と企業活動を両立させる時代、生物の多様性を守る時代に即した企業の形がその延長線上にある。

 つまり「低炭素社会=個々の未来企業の原動力」であって欲しい、と僕は願う。そういう貢献度が正しく評価され、数値化されて、初めてその企業は真の優良企業となるのだろう。そうなれば、地域社会の一員として企業は末永く消費者に愛され、支えられ、守られて行く。現状、案外忘れてしまいがちなここが、モノだけ追求する企業の盲点となっている。新しい時代の財界人は、ニュアンスだけでもこのことを忘れないでもらいたい。

 企業の価値観が変われば、日本の未来も劇的に変わるだろう。その意味で、新しいモノ好きの財界人には、先頭に立って日本社会をリードするくらいの気概が欲しい。その心は、あくまでも国と苦楽を共にする姿勢を保つことだ。国の考え方が古過ぎる、という向きの経営者が無きにしも非ずだが、今現実にこの国に起こっているチェンジは、誰が見ても、好感度アップに繋がっている。だからこそ傍観視しないで、積極的に変わり始めた国の政治を受け入れる謙虚さが財界には求められているのだ。

 それにしても一番気になるのは、失業者が日に日に増加し、労働者にとって最悪の事態がまだまだ続いているというこの国の実情だ。雇用と産業の創出は短期間には出来っこない。そんな中で、雇用と並んで衝撃を広げているのが、物価の下落と消費の不振だ。このままでは、失業の増加が個人消費を低迷させ、物価の下落を招いて、企業収益が更に悪化し、それがまた投資や雇用の削減を生む、というデフレ悪循環に陥りかねない。失業者を救う当面の措置として国は「緊急雇用対策」作りに乗り出した。

 この現実を何としても変えなければと、国と協働して、危機感を持って、財界は対処すべきだろう。そのためには、雇用増に繋がる新しい産業を育て、需要を作り出さねばならない。また国は、諸々のセーフティーネットが欠かせない。が、雇用喪失解消に一番大きな力となるのは、雀の千声より財界の「鶴の一声」だ。企業の人事担当者も、困っている労働者と今一度真剣に向き合って、今までの通り一遍ではない「雇用観」を180度転換する「何のための企業か」「誰のための経営か」を、人の側に立って、真剣に(失業者の)心理を追究してもらいたい。そして、財界が企業の利益だけではなく、幅広い「国民益」のための政策提言組織として、脱皮して行くことを僕は期待する。

 幸いにも、斬新で目ざとい新政権のやっていることが悪いと思う人は、まだ少ない。財界は、今この時、未知との遭遇に迷うことなく、聞き耳を持って、「乾坤一擲」、イチかバチか、のるかそるかの「大勝負」をやってみないか!! いかに犬猿の仲の民主党でも、今乗ることで国民の逆鱗に触れることはない。ということを自覚して。それが、かつて政界にもの申した財界の幅広い器というものだ。

 そこから企業活力が生まれる。財界はこの際、亀井氏をしのぐ本当の意味の「破天荒」となり、決して静かではない「静香」さんを見下す勇気で、混沌としたこの国に熱い刺激を与えて下されい。それであってこそ、天地人だ。彼らの末裔である上杉鷹山は、痛みに耐えて米沢藩を再生した。財界人よ、鷹山のような鷹になって、大空から人への愛を目指す救世主になれ!!

/248.JR宝塚線脱線事故の背信行為(馴れ合いと隠蔽)

2009-10-02 06:59:07 | Weblog
 オパール輝く神無月がやって来た。出雲には日本中の神さんが集まっている。明日(3日)は「中秋の名月」だ。スーパーの果物コーナーには「秋果」が所狭しと並べられている。どれもこれも、この時季に相応しい色艶をしている。見た途端、高い天を見上げながら、高台の公園のベンチでかじりついた子供の頃の無邪気さが甦って来る。そして、たまには小自然の中で短冊を片手に、果実がざっくり割れた紅一点のザクロを愛でながら、吉田タクローではないけれど「♪ひとつ俳句でも(短歌でも)」ひねろうか。という気分にもなる。事実、そういうオツな人を最近よく見かける。十七文字、三十一文字(みそひともじ)に我が思いを込め、人間や自然の内面をグサッとえぐられる人は、短文の名手だ。素晴らしい。僕のブログとエライ違いだ。そんな風流人を僕は尊敬する。

 神戸に懐かしい「鉄人28号」が甦った。和田アッコではないけれど「♪あの頃は」、ライフリスクを抑える生活だったなあ。今の季節であれば、ススキとネコジャラシに戯れながらキャピキャピする我が家のペットを隠れ蓑にして、欲望の赴くままに誰かさんの畑の秋果をしょっちゅう失敬したっけ。それでも見張り番のオッチャンは、見て見ぬふりをしてくれた。あの光景は、「ヤン坊、マー坊の天気予報」のような50年の温もりに匹敵するものがあったなあ。獲物を鱈腹食べた帰り道の周辺には稲が実り、家々の軒先の植え込みにはキンモクセイのいい香りが漂っていた。そして何よりも、隣のミヨチャンに逢うのが最終目的だった。空気もキレイで皆が親切。そう、あれこそ個人の二酸化炭素排出量が極微量の「ポコ運転生活」だ。そんなポコちゃんがペコちゃんの真似をした時代も、ついでに甦れ!!

 温もりの時代に大活躍したのが、僕が世界一好きな長嶋茂雄さん。最近のミスターの衰えぶりには、いかに僕でも目を覆いたくなる。が、これも時代の移り変わりだろうと思いたい。その長嶋さんと巨人のV9を謳歌した土井正三さんが亡くなられた。非常に残念だ。名遊撃手の広岡さんにも匹敵する名二塁手の土井さんは、「いぶし銀・忍者」と呼ばれ、バントの名手でもあった。僕もよく草野球で真似をした。考えてみればあの頃はまだ、僕は巨人軍(と言うより長嶋ファン)を応援していた。図らずも長嶋さんが「大切な人を失った。心が痛みます」と語った。その大切な人のご冥福を謹んでお祈りしたい。

 ポコ運転生活と言えば、あの頃自然のままで収穫して巻き寿司の具として入れた「三つ葉」のビジネスに、僕はまだ未練がある。これには僕の相棒も注目している。問題は、あちこちで収穫してから出荷するまでの保存方法だろう。店頭に並ぶ前にしおれないようにするためには現地直売が原則。しかし、いち早く多くの人の注目を集めるには、車でスーパーや百貨店に運び担当者と直接交渉する以外にない、などとマジになって彼と口角泡を飛ばす僕ってヘン? それともこんな僕を褒めてやりたい? でも、現実は厳しいとまた嘆く。「そしたら僕の田舎で蕎麦を栽培するのはどう?」と彼。「そやけどなあ。蕎麦やったら花を見るだけで充分」と僕。名付けて「ベンチャー・野生食材ビジネス」 当分結論が出そうにない。

 ポコ運転生活の古き良き時代には、「子沢山」が常識だった。僕は姉、弟、妹の4人兄弟(姉妹)だが、ご近所には5人以上の子供がいる世帯がかなりあった。それゆえ各家庭は賑やかだ。当然、食い物などの奪い合いがある。特に、時のご馳走「スキヤキ」は、我が家でも例外ではない。一番癖が悪かったのは、肉しか食べない弟だ。ちなみに僕は、食の優等生らしく満遍なく食べた。ところが弟だけは、油断も隙もあったものではない。ちょっと目を逸らすと、別の皿に肉を隠していたりする。ので、よくケンカしたものだ。しかしあの頃はそれが、豊かな家庭の証しだったのかも知れない。なっ、弟よ。

 それはそうと、世界の有名な「名家」にも子沢山が多い。例えば、ヨーロッパ随一の名家と言われた「ハプスブルク家」だ。家の興りは10世紀頃。元々は北スイス付近の小領主だったが徐々に勢力を伸ばし、ドイツ、オーストリア、スペイン、ハンガリーなどに進出した。その栄光の歴史に名を残す名君の一人が「○○○・○○○○」だ。彼女は、父・カール6世の死後、彼女の夫・フランツ1世の皇位継承を巡る戦争で巧妙な手腕を発揮し、絶大な権力を握った。そして、その後の国政を全て彼女が担い、ずば抜けた能力を駆使して、農民の保護や産業の育成などに力を注ぎ、民から「国母」と呼ばれるまでに慕われたのだ。

 さあ、ここでクイズだ。マリー・アントワネットのほか、後の皇帝・ヨーゼフ2世やレオポルト2世らの子を産み育てながら、ヨーロッパの大国の舵取りをした名君の名は? ・・・・・。正解は「マリア・テレジア」だ。彼女には、16人の子供がいたと言われる。政治的能力もさることながら、精力も絶倫だったのだ。また、大国を自分の一存で治めた、という意味ではまさに「桁違いの怪物」だったのである。凄い女がいたものだ。

 次は、最近益々硬派になって来た隣のオバチャンと僕共同のショートショートだ。 「ポニョの町」の景観が救われた。嬉しい嬉しい判決だ。「開発」が美名の時代は終わった。 いよいよ2016年夏のオリンピック開催地が今日決まる。だけど、2人ともあまり関心がない。 フィリピンの台風、スマトラとサモアの地震は恐いねえ。 JALの再建はさもしいねえ。 名前は「静香」なのに、ちっとも静かではない、口八丁手八丁の「亀井氏」と、沈黙の後、ドリフターズの加藤ちゃんみたいに「ちょっとだけ」コメントした「小沢氏」 どちらも新政権の大爆弾だ。鳩山さん、気いつけなはれ。 

 八ツ場ダムの建設予定地にあるJR吾妻線の「川原湯温泉」は、ひなびた風情のある湯宿。一件落着したら2人で行こう。 尼崎市周辺の放火魔「森田憲作」は、2人が好きな「森田健作」と紛らわしい。 涙ぐましい努力をしている関西独立リーグの紅一点「吉田エリちゃん」が退団する。寂しいなあ。 野中さんと森さん(元自民党のボスと現派閥の領袖)は、古いことばっかり言ってるね。これやから自民党は「自己喪失」して、もはや「形無し」になったんや。そうや、そうや。 あの「全精社協」向けの障害者自立支援の補助金交付を促した「元厚労副大臣」にアイアム・アングリー!! 悪いヤツは悪い。

 お次は僕単独の政局コメント。 新政権はまるで、我々にも新しい時代を見つめる姿勢を促しているかのようだ。この転換こそ、まさに日本の社会システムのチェンジを意味する。僕はハネムーン期間中、見守る姿勢を貫きたい。「コンクリートから人へ」を掲げ、無駄な公共事業ではなく、人への投資に金を回す。そして、家計に余裕が生まれて、国内消費が増し、内需主導の経済成長に結びつく。というのが鳩山政権のシンデレラストーリーだ。この方向性に僕は文句がない。後は、グローバル化した大海をいかに泳ぎ切るか、だ。

 今週は、遭難した船から海に投げ出されて「立ち泳ぎ」した人が救助されたニュースが相次いだ。そう、海で立ち泳ぎ出来る人は、究極の選択をも克服出来るのだ。僕も一番体力を使わない立ち泳ぎが得意。ある時、太平洋側の磯遊びで昼から夕方まで長時間立ち泳ぎをしていたら、「フィッシュ・スパ」と呼ばれる肌の手入れをする魚(熱帯魚だったと思う)が、僕の古くなった皮膚を掃除してくれた。鳩山政権も、グローバル海で余裕を持って立ち泳ぎをしていれば、誰かがきっと助けてくれる、悪い膿や垢を良国の魚達が食べ尽くしてくれる、ということがあるに違いない。この選択は、僕が「なぜ阪神は勝てないのか?」(江夏豊・岡田彰布著)を読みたくないのと同じだ。

 つまり、鳩山政権には今、正しいことをしていると認識するアドバンテージがあるのだ。だから、どんどん正しいと思うことをしたらいい。国民も、今の鳩山政権なら文句が言えないと薄々自覚している。それにしても、新しい政権の行動にはスピード感がある。いいことだ。スタートダッシュも壮観。国の予算の再査定、早期天下り退職の禁止、やっかいな「空港特会」の見直しなどなど、霞ヶ関のシステムを変えようとするインドアスポーツの躍動には、目を見張るものがある。これに、グローバルなアウトドアスポーツの平衡感覚と身体能力が伴えば、もう鬼に金棒だ。だが、どっちのスポーツでも「馴れ合いと隠蔽体質」を抱えたままだと大きな怪我をするし、そんな傷は、赤チンキズでは済まない。例え小さい赤チンキズも、溜りに溜まれば、大きいトラウマとなる。今日は、これに近いインドアの話しだ。アイアム・アングリー!! こう叫びながらスタートだ。

 05年のJR宝塚線(福知山線)脱線事故の原因究明に当たっていた国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(事故調)の委員の一人が、最終報告書を公表する前に、その内容(資料)を最大の当事者であるJR西日本の山崎正夫・前社長に伝えていた、という耳を疑うような事実が前原誠司・国土交通相によって明らかにされた。憤るのは、僕だけではない筈だ。

 「事故調」に資料を漏洩していた元委員の山口浩一氏は、山崎氏の旧国鉄時代の先輩に当たり、報告書作りの最中に、当人の求めで、何回も会っていた。その際の双方の対応は、尋常ではない。例えば山崎氏は、報告資料の文面がJR西日本にとって不利なものとならないように、昼も夜も飲み食いしながら、「(この箇所は)後出しジャンケン的であり、科学的ではないのでカットした方がいい」などと、新型ATSが整備されていれば事故は防げたとする報告書案の記述について、削除や修正を山口氏に求めた、という。これに応えて山口氏は、調査の進展状況を教えただけではなく、言われた通り報告書の一部のコピーを手渡していたのだ。

 委員は、職務で知った秘密を漏らしてはならない、と法律で定められている。今回はそれを、よりにもよって調べられる側に漏らしていたのだから、極めて悪質だ。そればかりではない。調べによるとこの「事故調」のメンバーも、公平性と中立性を著しく欠く「昔からの顔なじみ」の面々が揃っていた。つまり、調査側(事故調)と当事者側(JR西日本)は、責任の所在を曖昧にするための「馴れ合い体質仲間」で最初から繋がっていた、と疑われても何ら不思議がない実態だった、ということなのだ。

 おまけにJR西日本は、「事故調」と捜査をしていた兵庫県警に対し、97年1月に開かれた同社安全対策委員会の会議資料のうち、カーブでの速度超過による脱線事故として、宝塚線脱線事故の類似事故とされる96年のJR函館線脱線事故に関する資料も提出していなかった、という新たな隠蔽事実が明らかになった。また、JR西日本の調査組織が、知り合いだった元調査委員から「質問リスト」の情報収集をして、隠蔽や修正を促していたことも判明した。このように次から次へと悪質な行為を繰り返すこの会社には、遺族に対する誠意や気配りが全く感じられない。

 僕は呆れてものが言えない。まさにこれは、犠牲者及び犠牲者の遺族に対する「背信行為」そのものだ。JR西日本には当時、事故の背景や原因として、会社の日勤教育や余裕がないダイヤ、現場付近に新型の自動列車停止装置(ATS)が整備されていなかったことが指摘されていた。山崎氏は、これらについて「事故調」がどんな議論をしているのかを、JR西日本の「責任逃れの手段」として、聞きだそうとしていたのだ。おい、JR西日本よ。こんな不祥事をいったい何回やれば気が済むんだ。と、僕は言いたい。

 山崎氏はこう語った。「軽率で不適切な行為でした」と。当たり前だろう。犠牲者や怒りに怒る遺族のことを考えれば、これは単なる不祥事では済まされない。ましてや、社長退任後もぬけぬけと取締役を務めている自分自身の「職責」を果たす資格もないことを猛省し、もっともっと頭を下げて誤るべきだろう。でないと、犠牲者も遺族も救われない。ともかくこれで、JR西日本の信用は地に堕ちた。また、「事故調」の公平性と中立性も大きく歪められた。そして、報告書全体の信頼性も大きく損なってしまった、と言うべきだろう。こんな馴れ合いと隠蔽体質を未だに引き摺っている会社に、明日はない。昔仲間のしがらみに負けたJR西日本が、自己防衛のために不明朗な行動をする現体質から脱却するには、まだまだ時間がかかりそうだ、との思いが僕は強くする。

 「馴れ合い」と闘って勝利した人もいる。堺市長に初当選した元大阪府部長の竹山氏だ。これは、馴れ合い体質を批判し、「政党の相乗り許すまじ」と竹山氏の応援に奔走した橋下大阪府知事の勝利でもある。一連の成り行き(経緯)には、よその市の行政選挙に首長連合の知事が勝手に不当介入した、との批判があるが、僕は誰が何と言おうとこの結果は、国政で政権交代が実現したこの国の新しい政治の当然の成り行きだ、と自分なりに解釈している。つまり、こういう流れがこの国の「必然」なのだ。

 なぜなら、こんな歴史的な大転換期なのに、オール与党態勢の議会が首長を担げば、施策実現は極めて容易だが、各党の利害調整を優先して住民に目が向かなくなる、という今までの自民党政治のような馴れ合い体質から堺市が開放されない、からだ。そういう意味で市民は、この国と市の現状、あるいは未来に相応しい選択をした、と僕は痛感する。つまり堺市も、進むべき方向は決して間違ってはいないのだ。確かに橋下氏には、発信力の裏にある危うさも無きにしも非ず、だ。でも、彼に「橋下帝国」を創る思惑などさらさらないだろう。

 要するに彼は、地方議会のあり方を良い方向に進展させようと、あらゆる手段を使って日々腐心しているのだ。僕にはそれが、ありありと伝わって来る。そう、彼が竹山氏を勝たせたのではなく、時代がこういう選択をさせたのだと僕は思いたい。よって今回の市長選の結果は、もはや旧来のしがらみでがんじがらめになっている時代ではない、このままでは堺市政が駄目になると憂える市民の危機感が勝利となって実を結んだ、と僕は信じている。堺市は、僕が信頼する姉が住んでいるところ。竹山さんには、大いなるチェンジを期待している。

 以上の二つの出来事は、この国の古い企業と新しい行政のあり方について、考えさせられる場を僕に提供してくれた。勿論、最近の世の出来事にはこの種の感慨を抱くものが本当に多い。そういったもののひとつが言わば「馴れ合いと隠蔽」だ。この明暗が鮮明に表面化する現象が、これからもどんどん増えて来るに違いない。と、僕は感じる。だからこそ、時代は変わったのではないだろうか。これを時代の必然と受け止める人間がどれだけ多いかで、日本の将来の運命が決まる。

 もし、より多ければ劇的に変わるのも夢ではない。でも、どこまで先が見えて来るのかは、まだまだ古い体質を引き摺っている我々の世代には、甚だ不透明だ。なんせグローバルで情報過多な時代。いったい何が真実で、いったい何が虚構なのか、いつも頭を悩ませる現実だ。今分かっているのは、この新政権の行く末が明治維新のようなスリルとサスペンス、ドラマチックさに欠けるということ。

 しかし、不透明ながらも、例えば現在の民主党主導の新政権を見ていると、政治が、企業が、この国の民が変わるんだ、という淡い期待を抱かせてくれる。これは僕にとっては、いい傾向だ。なんとなれば、こういうある種の快感が政治という世界にあるのが、僕には未知との遭遇だ。皮肉にも、よりにもよって100年に1度のこんな困難な時期に、我が人生で初めて体感する政治の変化。これも何かの因縁として時代を捉えるならば、必然的に、僕の中から古いしがらみは消えて行く。なら僕も、馴れ合い・隠蔽なしに正々堂々と、この先の人生を歩んで行こう。その方が、新しい時代に相応しい。

/247.「定年性依存症」と「空巣老人」(孤独・生きがい)

2009-09-25 06:59:01 | Weblog
 また真夏日が出現した。だけど気にするほどでもない。段畑や河畔の岸に彼岸花が咲き乱れる様は、まさに花野の時季に相応しい風景だ。残念にも秋澄むサファイアブルーのシルバーウィークは連休半ばでしぼんでしまったが、降りそうで降らない曇天を恨めしそうに眺めながら中途半端に過ごす時間も、それはそれなりに非日常の功罪だろう。高速道路の渋滞に巻き込まれるよりはましだろうと(ホントは金がない)色々思案した揚げ句、日曜日から火曜日までの休日は、前々からお誘いを受けていた堺市に住む姉夫婦の家族とともに「テニス三昧」の日々を過ごした。さてどこに行こうかと迷った時は、気心が知れている姉に相談するに限る。僕にとっての姉は、金回りのいい頼もしい助っ人だ。

 お陰様で朝晩は料理上手な姉の恩恵を受けられたし、姉が所属するご近所のテニス同好会の行事にも特別参加出来たし、奈良・学園前の高級地にある普段は入れないテニスコートにも行けたし、夜は夜で例の僕の相棒とB級グルメ(と言っても立ち飲み屋や居酒屋での飲み食いの類)に舌鼓を打つことも出来た。「アンタはまるで民宿に寝泊りする居候やね」と、姉に皮肉を言われたが僕は全然へこたれない。2人には昔から、家族の中でも特別の信頼関係が築かれており、誰が何と言おうとそれは単なる「褒め言葉」に過ぎない。4人兄弟(姉妹)の中でも賢いもん同士。しかもカカア天下、の民宿の居心地はすこぶる良かった。

 そんな中、テニスの合間を縫って、姉の自宅がある「北野田(きたのだ)」にほど近い南海・高野線の「金剛駅」付近まで自転車でブラリングした。この駅の周辺には昔、数多くの田んぼがあり、秋には稲穂が頭を垂れる何とも言えない独特の雰囲気を醸し出す田園風景が展開されていた。田んぼの向こう側には「帝塚山学院大学」があり、キャンパスでは女子学生が黄色い歓声を上げながら青春のエネルギーを発散させていたものだ。ところでなぜ、僕はここに注目したのだろう? そう、忘れもしない。「ここ」こそは、僕が若い頃、第一本命の彼女との恋が実を結ばずヤケクソになっていた矢先、偶然にも次の本命候補となる女子学生と現(うつつ)を抜かした場所のひとつ、なのだ。

 彼女は、ナンバのキュートなハイレグ姿の「ウサギちゃん」がいるビアホールで知り合った大阪生まれのお嬢さん。その彼女と「熱く長いキス」をブチューと交わしたのが、何を隠そう、彼女の通う帝塚山学院大学の前にある田んぼのど真ん中、だった。田舎芝居じゃあるまいし、当時なぜ僕が彼女をあんな場所に誘ったのかは、残念ながら記憶が定かではない。でも、強烈な印象として残っているのは、純真無垢な彼女の香りと秋風に揺れる稲穂の香り。つまりあそこは、僕のセピア色の甘酸っぱい青春の1ページを飾る場所でもあるのだ。

 僕はしばし、彼女の面影が消えないように田んぼの周辺に佇んだ。しかし、当時の風景は僅かに残るのみ。帰り来ぬ青春とは、こんなに切ないものなのか。とまあ、昔日の思い出に浸ることもあったシルバーウィークの日々だったが、さあここで、ご当地クイズだ。我が姉が住む堺市の北野田周辺には、恐らく僕が今までの人生で一番多く歌ったであろう、あの名曲「昴」で世界的に有名な谷村新司さんが学んだ大学がある。さて、その大学とは? ・・・・・。正解は「桃山学院大学」だ。谷村新司さんもこの大学で時には傷つき、時には喜び、時には恋に苦しんだことだろう。そして、その青春の向こう側には僕の第ニの恋を育んだ西日に染まった茜色の田んぼがあった。と、ドラマチックに締めくくっておこう。ちなみに彼女の消息は、今は不明だ。

 今日はまず、隣のオバチャン肝いりの気になるランダムニュースから。 「ニュースJAPAN」のキャスターを降板した滝川クリステル。 酒井法子夫婦の「シャブ・借家兼別荘」が不審火で全焼。 恐い怖い古い消火器。 「おらあ、しんのすけだ、とケツを見せるクレヨンしんちゃん」の生みの親・臼井儀人さんが荒船山の断崖で謎の死亡。 敬老の日に「ジージ、バーバ」の言い方に不満。 あの夏の出来事がなかったかのように紅葉する大雪山系。 「スラッシュさんの頭が一番冴えるのは汗を掻いた後、だから当たり馬券の検討はその時やってよ!!」 うーん、僕の答えは「確かにそう、でも星も冴え冴えする晩秋まで待ってくれ」 もう遅い?

 味の悪そうなサンマの臭い。 足が小さいスラッシュさん。(なぜなの?) 今や嫌われ者のエチゼンクラゲの天敵は、鍋(水炊き)すれば安上がりで美味い「ウマヅラハギ」だそうな。 スラッシュさんの自転車エアロビクスは、今流行の「散走」と命名すべし。 「ヒミツ(秘密)のケンミン(県民)ショー」の「数寄屋橋はるみ」はカワイイねえ。(僕も同感) フランスの「連帯市民協約」=「結婚未満」はええんとちゃう。(右に同じ) 連休に「穴場スポット」を選んだ旅行者は賢い。(左に同じ) 初先発で敗戦投手になったものの、3回まで走者を出さなかった吉田エリちゃんは立派。(その通り) またまた不可解「弁当男子」 以上です、とのこと。

 ここからは僕にバトンタッチ。慌てるので、鳩山外交が始まった政局のニュースを短く。 「25%のカーボンマイナス」と「鳩山イニシアチブ」の国際公約は赤丸付き急上昇している。その裏にあるキーワードは「世界の国々が足並みを揃えること」だろう。 八ツ場(やんば)ダムの見直しなど前原国交省のチェンジは白熱している。僕は、セーフティーネットの舞台である長妻厚労省に一番期待する。 新型インフルと景気の兼ね合いも難しい。 これからの政治家は、下書きを見ないで自分で考える説明能力が必要だ。 ビートたけしさんが「TVタックル」で、「自民党は酒井法子と一緒に逃げた弁護士と同じ扱いだった」と苦笑していたテレビ報道。これには鳩山流でちょっと一言。「捨て石では仕方ないじゃないですか、皆さん!!」 本日はこれまで。

 さあ急ごう。次は今日のテーマへのアプローチだ。 秋分の日の夕刻、気分転換で行ったご近所の風呂屋さんで、見たくないものを見てしまった。宿敵ジャイアンツの優勝の瞬間だ。8回も宙に舞った原監督。タイガースファンとしては、声も出なかった。ここは、沈黙は金だ。 もひとつ、見たくはないものを見てしまった、という気がするのは、北アルプスの乗鞍岳・畳平で起こった「ツキノワグマ・パニック」だ。人間を襲うクマが「馬乗り」になった図、羽交い締めの図、仁王立ちして左右フックを食らわしている図。僕はかなりの衝撃を受けた。

 この季節は、クマにとっては冬眠前の食い溜め期。2702メートルの高山帯には、エサがない。なので、山小屋の残飯漁り(あさり)に登って来た可能性が高い。暴れ回って射殺されたクマは、小型だった。彼に罪はなく、ちょっと可哀想だ。元々彼らは木の実など森の食糧、つまり大自然の恵みに依存しながら、細々と生き延びて来た。森に取り残され、行き場を失い、「孤独」になったクマが決して手を出してはいけないものに依存すると、命が危ない。今回はそんな話しをしたい。勿論、僕も該当者になる可能性がある。

 最近になってクローズアップされているのが、高度成長期に激しい競争に晒されながら「会社人間」「企業戦士」として仕事に打ち込んで来た団塊世代が、定年退職とともに悪趣味などに溺れてしまう、という状態の「定年性依存症」だ。同症状該当者が依存に向かう先にあるのが「アルコール」「ギャンブル」「出会い系サイト」などなど。しかもこの症状は突然やって来る、のが特徴だ。その原因は大抵の場合、自分自身にある。ごく単純に言えば、「働くことしか才能がない」自分に対するしっぺ返しだ。彼らは、現役時代から働き方や休日の過ごし方がある意味、一面的過ぎた。そう、好むと好まざるとに関わらず一方通行だったから、だ。そのため、「孤独」と「生きがい」に蝕まれる日々を送っている。

 ある男性は、例えば退職後、次の朝起きる心配がなくなり酒を飲む量が増え始めた。起床とともにお茶代わりに酒を飲む。庭の草むしり、朝の散歩で咽喉が渇いたら飲む。昼食を取る最中も、風呂上りも、夕食時も飲む。初めは日本酒だった。次に家計を考え安い焼酎を水やサイダーで割って、一升瓶を2日に1本のペースで空けた。と、ここまで書けばもうお分かりだろう。この男性は、元から酒好きだったのだ。好きこそ物の上手なれはこの場合、通用しない。こうやって飲み続けた結果、肝炎になり医者に「酒を止めないと死ぬ」と言われた。なのに、自覚症状がないからと止めなかった。行き着く先はもう、いちいち説明する必要がないだろう。しかしこの男性は今、過去を反省しつつ近くのジムに通ったり、地域防犯パトロールに参加したりして、ヒマな時間を作らないようにしている。

 例えばある男性は、無遅刻無欠勤の優秀な社員だった。当時は、同僚とお酒を飲んでも次の日はきちっと目が覚めた。働かなければならない、という緊張感があったからだ。ところが定年退職の際、子供から「父ちゃん、ゆっくりしな」と言われ、こう返事した。「そやなあ、これから何しようかなあ。ちょっと一杯飲んでから考えるわ」 それ以来、住んでいる団地の仲間とビールや酒を飲むようになり、ついには段々と時間が遅くなった。そして、起きている時間はずっと飲んでいる状態になった。この男性の行き着く先も同じだ。彼は言う。「仕事も終わって、子供も巣立って、やれやれという反動だった。今思えば、酒でヒマをつぶすのではなく、他のことをしていれば良かった」 だが、幸いにも大きな不幸とはならず、今は日中に通院し、夜は地域の自助グループに通っている。

 次に紹介するある男性は、スーパーに勤めて仕入れ、販売、伝票整理と一通り何でもこなした。50代でスーパーが他社と合併し、突然上司が変わった。副店長だったが「給料ばかり高いな」などと皮肉を言われ、嫌な思いを何度もした。でも、家族には絶対に仕事の愚痴を言いたくはなかったので、若い頃少しやった経験があるパチンコで憂さを晴らした。そして、定年退職の前後には貯金通帳から毎日5万円ずつ引き出した。それでも足りず、消費者金融5社から20~30万円借りた。こうしてこの男性も、サラ金業者のしつこくて無謀な取り立てに苦しむことになった。彼は言う。「パチンコで一発当てれば何とかなると思った」 しかし、この彼も考え方を改め、今は自助グループに参加して、自分の体験を話すことが日々のはけ口になっている。彼は続ける。「現役時代は企業に押さえつけられて、いきなり放り出される。あの頃から趣味があればいいんでしょうが、そういう人って多くはないと思う」

 出会い系サイトに溺れた男性や、競馬などの公営ギャンブルにはまってしまった男性も大勢いる。彼らも恐らく、現役時代に真面目に働いていた反動で、会社を辞めた途端、他にすることがないから、ヒマに任せて、色情や射幸心に走るのだ。時間がないので省略するが彼らの行き着く先も、ある程度想像がつく。もし、良い方向に進んだのであれば、これも不幸中の幸い、と言うべきだ。

 このように以上の例は、決定的な地獄を見ていないので、まだましな部類だろう。なぜなら、世の中にはこれだけでは済まされない「悲惨な挫折者」が山ほどいるからだ。その人達こそ、もっと不幸のどん底を味わっている「定年性依存症」の真の犠牲者なのだ。そして、上述した通り彼らの特徴は、若い頃からアルコールやギャンブル、出会い系サイトなどで問題行動を繰り返す若年性の依存症とは違って、退職前後に急に依存症に陥ってしまう、ということだ。このことを反映してか、例えば全日本断酒連盟の60歳以上の会員の割合が、01年度は41%だったが、08年度は53、3%と全体の半数を超えている。

 専門家はこう指摘する。「仕事一筋の人が、定年後に新しい趣味や生きがいを見つけるのは難しい」 だから、「働いているうちから、『人生は仕事だけじゃない』と、意識することが大切。平日は仕事に没頭しても、アフター5や休日は家族と暮らし、メリハリをつける。こうした心がけが必要だ」とアドバイスしている。「自分の最良のコーチは自分である」と言ってはばからないのは、経済評論家の勝間和代氏だ。彼女の意見に従えば、「定年性依存症」に陥る人は、現役時代多分、こう思っている「企業にとっては優れた人」だったのだろう。

 しかし、彼女が強調する「どんなに優れた人でも、相手のことを全て理解し、心底から親身になってフォローアップすることは不可能なのです」と語るフレーズの「相手」を「自分」に置き換えれば、現役時代の会社であれば、例えば「どこかに優れたコーチがいて、私を導いてくれる筈だ」という思い込みなどを捨てた途端、「自分以上に自分のことを親身になって考え、分かってくれる人なんて、どこにもいない」と気づかされたが、もう遅い。という現実にぶち当たっているのが、「定年性依存症・その人」なのではないだろうか。

 時間の都合で諸々のことは割愛するが、この症状は会社の接待などで必要以上に暴飲暴食して、自分の知らないうちに「ポーニョ、ポニョ」になっている「メタボ現象」にも類似している。老いも若きも人間は卑しい動物だ。あまりに会社や他人、物への依存度が強過ぎると、その反動が恐い。自分の身を滅ぼさないように、くれぐれも注意した方がいい。

 「定年性依存症」と比較して、僕にとってもっと不憫(ふびん)な言葉がここに来て世間に出回っている。「空巣老人」だ。朝日新聞の「天声人語」によれば、「空巣老人」は「空巣狙いの怪老人」ではなく、「一人暮らしのお年寄り」のことだという。 「雛が育って飛び立てば、巣は空っぽになる。一人っ子政策の影響などで高齢者だけ残される世帯が増え、かの大家族の国でも社会問題になっている。お年寄りをさいなむ孤独感は国を問わず影が濃いようだ」 ここでちょっと一言。待てよ、僕は今、59歳の独身男性だ。雛を育てた経験はあってないようなものだが、それよりこれは、僕の行く末を哀れむ言葉ではないか。けしからん。こんな言葉、聞きとうはなかったわ!!

 気を取り戻そう。とは言ってみたものの、社会問題化しているお年寄りをさいなむ孤独感は、この国でも日に日に深刻だ。例えば、我が大阪にありがちな「万引き」をした高齢者に聞いたら、動機に「孤独」や「生きがい」を挙げる人が目立っていて、しかも9割が友人は「いない」「少ない」と答えたそうだ。この調査をしたのは、警視庁。それだけにグッと来る。そして、そんな人生への絶望感は、「脳卒中などの危険を高める」ことが最近の米ミネソタ大の研究で分かり、日本の秋田大の調査でも生きがいのある人は「脳卒中のリスクが低かった」という。またまたドキッとする。

 僕は思う。確かに前向きな気持を失うと、あらゆる方向に害ばかりが増える。特に意固地な男性は女性より、その傾向が強い。老いてからの友情の芽も、若い頃に比べると丈夫ではない。それゆえ考え方も、後ろ向きになる。これを前向きにチェンジする役目を果たすのが「糟糠の妻」だろうが、僕にはそんな助っ人がいない。今後この弱点を「いかに克服するか」が僕の課題だ。また、こんなご時世だ。今や、定年後を悪妻と化した長年の連れ合い人と暮らす恐妻家の「元暴君」も、質の違う課題を抱えている。

 ましてや定年後、働きたくても働き口がない、失業率も有効求人倍率も最悪、という厳しい雇用情勢。ここはひとつ、男どもは現役時代の過ちを素直に反省して、何とか生活出来る範囲内で、悪妻人(びと)の助言に従って生きることが肝要なようだ。特に、勢いに任せて妻を「召使い」扱いした分からず屋は、暴言を慎むべきだろう。事実、今日例に挙げた「定年性依存症」の男性の大半は、奥さんの助言があったから再生出来た経験の持ち主、ではないだろうか。ここで僕なりの法則を書こう。男どもよ、定年後の人生はより前向きな妻の意見に従って行動せよ。地域のことは、地域に長く生きた妻の方がよく知っている。

 もっと強く忠言したい人種がいる。例えば今まで、人生の大半をバクチで生きて来たであろう「肉体労働者達」だ。彼らは、強引さが売り物の超暴君だ。なので恐らく、「空巣老人」どころか、本物の空巣狙いの怪老人になる危険性を秘めている。悲しいかな彼らは、職場の福利厚生にも恵まれず、そのうえ妻には「誰のお陰で飯が食えているんだ!!」などと声を張り上げていた罵倒派人間だ。この実績は、バクチ場に行って言動を見れば一目瞭然。もし彼らが僕のような独り者にでもなれば、空巣老人の怪も一層社会問題化するだろう。つまり大阪で言えば、日本一の無法地帯に「アルコール」「ギャンブル」「出会い系」のみならず、新たに「万引き」に走らせる条件が整ってしまう、ことになりかねないのだ。

 もう一度換言しよう。このような体質は一朝一夕にはなかなか直せない。なので、地域の最大貢献者である奥さんは、現役時代はああだこうだと我が物顔で命令しておきながら、この場に及んでなんで今更、なんて言わないで、「もっといい趣味を見つけて生きがいを増やしましょう」などと、旦那さんに呼びかける心構えを持とう。そう、これが新しい時代のポジティブな夫婦の生き様のひとつ、でもあるのだ、ということを肝に銘じて。

 ちなみに僕は、行き先を誤らないように、「末広がり」ということで趣味の励行など大きいこと小さいことを含めて、「8つのテーマを自分に課す」生活を半ば強制している。このブログもそのひとつだ。理由は簡単。その方が雑念が増殖せず、ヒマを持て余すリスクを避けられるからだ。仮にこれを、僕の「生きがい」とするならば、これを継続することがちょっとは「定年性依存症」と「空巣老人」の防波堤になるだろう、とこう考えている。

 つまりこれこそ、僕なりの人生の深い読み、だ。もし定年後、ヒマを持て余して、例えば思慮の浅い勝てる筈がない「ギャンブル」や、「アルコール」「出会い系サイト」、あるいは「万引き」などの「破滅が失望に至るプロセス」を選択するならば、僕の中の「善玉・空巣老人」がそれを許さないだろう。「獅子、身中の虫」は、常に自分の中にいる。

/246.今、なぜ「便所飯」なのか(青春の「たまり場」)

2009-09-18 10:33:44 | Weblog
 敬老の日・秋分の日を含むシルバーウィークが目前に迫った。岸和田は「だんじり祭り」で賑わうのだろう。僕の予定は未定だ。冷やかさを感じる今日この頃、稲穂も一層重くなり、現代風にアレンジされた案山子の傍でスズメと赤トンボが追い駆けっこしている。山や里の木の実が色づき、コスモスとマンジュシャゲの共演が望まれる校庭では運動会が盛んだ。夜の主役・虫の音合唱団は、一段とトーンを上げている。見上げる空、澄んだ空気、カラッとした爽やかさ。自然の全てが秋めく時季は、精神のリカバリー、旅情の季節でもある。畑の果実が色づけばついに待ち焦がれた食欲の秋。我が腹の虫も喜び勇んでところ構わず大声で鳴く。

 旅情の季節にツキモノなのが、病院と自宅を行きつ戻りつしている僕の相棒(男)が好きなB級ご当地グルメ。静岡・富士宮やきそば、埼玉・東松山のやきとり、山形・冷たい肉そば、栃木・宇都宮餃子、もひとつ静岡・静岡おでん、北海道・豚丼、愛媛・焼豚玉子飯などなどの人気グルメを「みんなまとめて面倒みよう」と、彼は意気込んでいる。「私は静岡おでんの『黒はんぺん』がお気に入り」と、隣のオバチャン。では僕はと言えば「辛みの利いた東松山のやきとり」と、言っておこう。土曜日から始まる5連休、9連休を利用して、安い高速料金で「全国B級グルメ食べ歩き(走り)」を目論んでいるむさぼり食い意地張り人が各地にたくさんおられることだろう。出来るものなら一度、やってみなはれ!!

 今日の政局の話題はこれしかない。9月16日、歴史に残る1ページ、鳩山連立内閣が発足し、いよいよ新政権が船出した。見渡せば、いい顔ぶれだ。政策や人物評まではここに書いていられない。ので、その代わり去り行く麻生さんに言っておきたいことがある、と隣のオバチャンが口先をとんがらせている。では、聞いて下さい麻生さん。「こら、麻生さん。アンタも(悪い意味で)歴史に名を刻んだね。ところでアンタ、行きつけの高級バーで何してたん? アンタは場末のスナックで小皿たたいたことないやろ。チャンチキおけさ歌ったことないやろ。そんな庶民の気持分からんから捨てられたんや。これからは漫画ばっかり読まんと、京都・清水寺の年末恒例行事『今年の漢字』の再開が決まった『漢検』の試験を、とっとと受けなさい。分かった? ほな、さいなら」 

 オバチャン、ちょっと言い回しが古いけど、スゴークいいとこ突いている。僕は何かにつけて文句を言う「一言居士」ではないけれど、アンタにだけは文句の塊になって、もの申したかった。幸いにもオバチャンが代弁してくれたから、これで腹の虫が治まった。ともかくも自民党はこれから、羅針盤なき航海に出る。後悔、先に立たずだ。グッドラック。

 スタートラインに立った第93代首相は、就任後初めての記者会見に臨み、今後の抱負を語った。語り口は、人となりが出て終始穏やかで、小泉劇場に見られた表に出る熱狂はなかった。でも、感激と責任の裏にある心の熱狂は充分僕にも伝わった。自分に活を入れるかのような重みのあるワンフレーズ・ワンフレーズは、聴いていても張りがあり、気持が良かった。つまり、聴き応えがあったということだ。また、これから起きる出来事を想像すれば、スリリングさ、さえも感じた。新首相にグリード(強欲)はない。ふむ、新しいってことはこういうことなんだ。僕までチェンジしたい気分になる。まさに歴史の変わり目に相応しい世直し政権の滑り出しだった、と思う。

 その中で、一際印象に残るワンシーンがあった。「未知の世界に遭遇して行く。失敗もあるかと思う。その時は是非、内向きにならず外向きに」と仲間に訴えた時の、あの一瞬の「美しい静けさ」だ。この言葉、平凡だが、それでいて異例で正直だ、という側面がある。会見場の誰もが思わず背筋を伸ばした、と僕は直感した。そして何よりも、生命力がある発言だった。人の手が創り出す美しいものには優しさと生命力がある、と有名な芸術家が語っていたが、まさにその域に達する生命力が鳩山さんの顔にも溢れていた。僕も素直に応援したい気持になった。

 しかし、この人も麻生さんに劣らずかなりの資産家だ。日本人の常として、表裏の熱狂はすぐ冷める。注意した方がいい。それでも、「宇宙人」の言葉には山口百恵の「イミテーションゴールド」はない。ちゃんと自分の言葉をハートで語っていた。でも、スピルバーグの「未知との遭遇」は突然やって来る。即対処する、のは非常に難しい。なので、すぐ効果は出ない。正否を判断するのには、それ相当のハネムーン期間が必要だ。それが、鳩山政権のアドバンテージだ。

 マスコミも興味本位でやたら斬り込むのではなく、この点を考慮した冷静な対応で報道すべきだろう。つまり例えば、「権力の二重構造」などと為体(えたい)の知れないフレーズで国民を混乱させるのではなく、まずはチェンジしつつある政治を底辺から支える、といった努力が欠かせない。財界にも同じことが言える。緊張を緩和させるため、私事として鳩山さんには今一度、「太陽をちぎって食べている」と発言した「不思議夫人」を前に「キャベツ畑の中心で妻に愛を叫んで」もらいたい。それが、「宇宙人」と「不可解キャラ人」を結びつけた「嬬恋村」の原点だから、だ。

 考えてみれば、時は移ろい、世は競い合うより運命を共にする時代、そして女性を生かす時代だ。女性は、国民の台所と子育てという大事な命の源を守っている。その意味で、党のために反対するのではなく、国民のために賛成する姿勢も重要な観点となるだろう。また、歴史の変わり目には「若い力」が台頭するのが過去の必然。是非とも彼、彼女らの可能性に賭けて欲しいものだ。僕が新政権に対して最大評価しているのが、世界から喝采を浴びた温室効果ガスの「25%削減」だ。この本質は、地球温暖化防止と新しい産業をどう創るか、だ。産業界は間違えてはいけない。進むべき方向はただひとつ。

 鳩山首相は、「党首力」「政策力」「変換力」「統治力」「求心力」を駆使し、良い顔ぶれの面々と協力し合って、アメリカ一辺倒ではない「アジア型の統合」目指して頑張ってもらいたい。手始めは、10年度予算の編成方針の策定と前政権が作った09年度補正予算の執行凍結に着手することだろう。くれぐれも惰性や癒着、隠蔽等のしがらみが出ないように政界の大掃除に徹し、国民が望む政策の優先順位を誤らないよう、その判断力を磨いて欲しい。その上で、民間との新たな回路を協働で見い出すことだ。例えば、国家戦略局という前時代的な名称が気にかかるが、官僚を全面的に無視しないで、ハネムーン期間中は彼らと党の全員でとにかく切磋琢磨する心構えを持って欲しい、と思う。

 ところで、タッチフットボールが趣味の鳩山さんの曽祖父・和夫さんは、岡山県の美作(みまさか)・勝山藩士の子に生まれたと聞く。ここは、僕の相棒が生まれた故里に近い。現・真庭市にある町(勝山)には旭川が流れ、白壁の土蔵やなまこ壁、連子格子、石壁の家々が今も残る「城址を取り囲む武家屋敷と商家群」が有名だ。僕も行ったことがある。この様はまさに、美作の小京都の名に相応しい。

 旭川の上流にあるのが、全国露天風呂番付で「西の横綱」に選ばれた実績を持つ言わずと知れた「○○温泉」だ。○○ダムの直下にある「砂湯」と呼ばれる野趣に溢れた天然露天風呂は、○○温泉一番の観光スポットだ。また、澄んだ空気に清らかな流れ、緑豊か紅葉豊かな山々に立ち上る湯けむりを愛でながらの「温泉街ブラ歩き」は、山里ならではの風情と味わいがある。そして、あの独特の温泉の匂いがたまらない気分にさせてくれることだろう。

 僕は昔、現在「足湯」がある付近の旭川の中洲にあった「よしず張りの混浴風呂」で数人の若い女性と遭遇したことがある。みんなスタイルが良くキレイだった。あの時の夢心地は、今でも僕の語り草だ。でも、僕の相棒は「今は未知との遭遇は無理かも」と言っている。ではここでクイズだ。個性的な幾つもの温泉(湯宿)や穏やかな時の流れに身を任せられる奥津、湯郷と並ぶ「美作三湯」のひとつである温泉の名は? ・・・・・。正解は「湯原温泉」だ。「是非行ってみて欲しい」と、自称・真庭観光大使の僕の相棒が話している。

 さあ今日は、ランダム・ショートショートを復活させる。まずスポーツ。108年ぶりという気が遠くなるような時の流れを経て、「9年連続200本安打」の大リーグ記録を達成した超人イチロー。前もって自分でプロデュースしたか、と思えるほどのインタビューの受け答えは、あくまで自分に厳しく、しかも淡々として弾けない。彼の動体視力と隠された饒舌に、またまた天才ぶりを見た思いがする。宇宙人の鳩山さんも「彼にあやかりたい」と言っていた。

 「エストロゲン」VS「アンドロゲン」、世界選手権・女子800メートル金メダル・南アフリカのセメンヤ選手は、卵巣がなく精巣が体内にある「両性具有者」だった。彼&彼女のことを誰がセメンヤ?! 5年ぶりに現役復帰して短距離自由形を大会新で制したハギトモは凄い。 ナニモノかを完全につかんだ女子ゴルフ・諸見里しのぶちゃんは、今やオーラが出ている自信満々のプレーヤーになった。 などなどのスポーツは、実践するも観戦するも僕の楽しい気晴らしだ。

 次は社会。天下りOBの年収を指示した独立行政法人「高齢・障害者雇用支援機構」とは、いったい何様や!! またも発覚した障害者団体の補助金流用、その名は「さくら市」という美名の街にある「ハートピアきつれ川」 堺市長選挙にも顔を出す橋下大阪府知事。知事アンタも出るの好きやね。僕の昔(クイズ番組など)とそっくりや。 事務次官会議が120年の歴史に幕、戦々恐々の霞ヶ関。 民主党には破産しても頑張る、という人がいる。経緯よりも、僕は心意気を買う。

 淀川の「シジミ」は案外美味かった。「ドラゴンボール改」は面白い。「ペッパーランチ」と「ステーキのどん」の角切りステーキは危ないよ。サルコジ大統領は「山椒は小粒でピリリと辛い」って言うの知らへんね。以上3点は隣のオバチャンの弁。 僕の気になったことを続ける。 奥穂高岳の「ジャンダルム」に隣接する「ロバの耳」で起こった救助ヘリ墜落事故。 「アップルのプレーヤー」と「ソニーのウォークマン」の携帯音楽販売合戦。 「デルタ航空」と「アメリカン航空」のJAL争奪戦。 まだ終わらない、もっと短く。

 山中教授の「ラスカー賞」受賞。 鉄道ファンが選ぶブルーリボン賞に「小田急ロマンスカー・MSE」 あの日本最大最強のH2Bロケット。 あの田中氏が選挙戦で連呼した「ベーシック・インカム」とは? あの吉本興業の非上場化。 あの「イージーライダー」(映画)のデニスホッパーとピーターフォンダの共演は、いつ観ても昭和44年が甦る。 僕もドキッとした、あの慣用句誤用。きっとこのブログにも「あると思います」 夫が出て来たのに(保釈)、まだ出て来ない。今はもう「飯時」だ。早く臭い(怪しい)ところから「♪出て来い、出て来い、池の鯉(酒井法子)♪」と思っていた矢先、ついに「あやつ」が出て参りました。今日はこの「ノリ」(のりピー)で植木等さんではないけれど、一言文句を言いたい。

 ある日の昼休み、行きつけの飯屋さんで何気なく週刊誌のページをめくっていると、普段あまり見かけない不可解で不思議な言葉が視界に飛び込んで来た。その言葉は「便所飯」、なんじゃこりゃあ?! ますます食事が不味くなるではないか。「便所バエ」「便所バチ」なら遠い昔に見たことがあるけどなあ。と思いつつ、記事を読み進めるとやっとその意味が分かった。何と何と「便所飯」とは、「一人で食べる姿を見られたくないから、トイレで食事を取ること」らしく、これが大学生など若者の間で広がっている、という。

 その途端、僕は怒った。確かに人間は他の畜生とは違って、何でもかんでも食べてしまう、つまり果てしなく食い意地が張っている生き物だ。だから、他の生物よりも賢く進化して良くも悪くも今や、地球一番の存在になった。ひょっとすれば、日本人がその頂点にいるのかも知れない。だけど、かといって厠(かわや)で飯を食べるなんて、あの「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」と言われた聖徳太子でも許すまい。これは本当に見苦しい、さもしい、はしたない姿だ。まほろばの国に住む人間の一人として恥ずかしい。なんてザマだ。おい、いったいどうなっているんだ。だいいち便所で飯を食っても全然美味しくないではないか、バカタレ!! 

 とまあ、60歳近いオッサンがあまりわめき立てても身体に悪いだけ。それより、日本が新しい世の中に生まれ変わりつつあるこの場に及んで、「便所飯」をテーマにする己の根性の方が恥ずかしい、のかも知れない。しかしそれでも、あの悪態にだけは一言文句を言っておかねば気が済まぬ。ましてや攻撃対象は、明日の日本を支える若者達だ。と思いつつ、こんな時期にこんな話題で申し訳ないと反省しながら、このまま話しを続けることにする。出来得れば、このブログを読んでくれる人が食事後であることを切に祈っております。

 「臭い話しは連鎖する」のだろうか。あれから数日経って朝日新聞の朝刊を読んでいたら、同じような記事が掲載されていた。例えば「便所飯」の実態を探るため、法政大学の尾木教授が同大学の学生487人にアンケートした結果がある。それによると、回答した400人の内、「便所飯をする」学生が2、3%(9人)もいた。また、「一人で食堂に入れない」「いつも友達と一緒じゃないと落ち着かない」という回答もあった。次の瞬間、僕は思った。それ見よ、何をか言わんやだ。

 この数字を少ないと採るか、多いと採るかはその人次第だろう。でも僕は、理屈抜きに「多い」と思った。かつてのヒルマン監督ではないが、シンジラレナイ。僕の記憶では、若い頃こんな「便所飯」をする恥ずかしいヤツなど一人もいなかった。おまけに僕は、「連れション」「便所着替え」ですら嫌いだった。なのに、どうしたことだ。時代が変わった、と言われればそれまで。しかし、僕に言わせれば一人でトイレに行って食べることが全く納得出来ないし、そのこと自体がまるで不可解で不思議の世界の出来事だ。なぜ、多くの学生達がこんな行為をするのだろうか。何が若者をこんな気持にさせるのだろうか。実に理解に苦しむ行動としか言いようがない。

 尾木教授は毎回講義の最後に、学生に質問や悩みを自由に書かせているらしい。その質問のひとつに「トイレに『食事禁止』の張り紙があるって本当ですか」というのがあった、という。どうやら事実のようだ。この事実に、僕はまたビックリした。何でトイレにあんな張り紙をする必要があるの? そもそも張り紙があること自体がおかしい、と。じっくりと想像してみて欲しい。物心がついた大の男(女も)どもが、大学のトイレでドキドキ、ウロウロしながら一人寂しく昼食を取る様は、誰が考えても滑稽だ。とても最高学府に相応しい光景だとは言えない。僕ならば恐らく、30秒も持たないだろう。

 僕にとって驚くべき結果がまだある。「一人で食堂に入りにくい」という学生が「よくある」と「少しはある」を併せて6割近くいた。また、「昼食は友達と一緒でないとみじめだ」という学生が「よくある」で31、8%、「少しはある」で13、3%。「いつも友人と一緒でないと落ち着かない」という学生が「よくある」「少しはある」併せて23、5%もいた、とのことだ。これも僕には信じられない不可解で不思議の世界だ。一人で食べるのがなぜ、みじめ何だろう? 自分にやましいことがないのなら、もっと自信を持って堂々と一人で食事をしたらどうなんだ、と言いたい。

 けれども、学生生活を充実させる楽しく喋るスペース、つまり「たまり場」が欲しい気持は分からぬでもない。が、女の腐ったヤツでもあるまいし、せめて男ぐらいは他人の目を気にせず食事をしてもらいたいものだ。でないと、たかが食事でこんなみじめな思いをしていたら、これから先、もっともっと執拗なほど息苦しい人間関係のルツボ、つまり嫌というほどのプレッシャーがドーンとかかる大人の実社会の荒波に対処出来る筈がない。渡る世間は鬼ばかりだ。この(食事)程度の小波に躊躇していては、とてもじゃないがまともなセーリングが出来っこない。若者よ、よおーく考えてみよう。

 尾木教授は、東大や早大の聞き取りをしても同じ傾向になる当世の「変わりつつある学生の姿」をこう結論づけている。「一人ではいられない学生の本質が浮かび上がってきた。その突出した現象が『便所飯』ではないか。依存度が高く、他人の目が気になるのは(己を持たない)思春期の発達の特性だが、それは小5から中3の発達段階。高校時代、人との交わりや生活体験が抜け落ちてしまっているのでは」 なるほど。この指摘はまさに、我が意の的を射ている。

 僕は思う。学生が一人で食堂に入りにくい大きな原因のひとつは、個人のコミュニケーション能力が低過ぎるから、だろう。だから孤独に耐えられない。もし個人のコミュニケーション能力が高ければ、こうはならない。あの場合、僕であれば一人で食堂に入って寂しいと感じたならば、自ら意を決して隣の学生と積極的にコンタクトする。彼、彼女らは多分それが出来ないから、自分がうっとおしい存在だと勘違いするのだろう。そしてそのように、自分が弱い人間だと他人に認識される、または友達がいないと思われるのが嫌で、侘しい侘しい「便所飯」に走るのではないだろうか。仮にこんなつまらない動機であるとするならば、彼、彼女らは他人に話しかける勇気がない幼稚な小中学生の域を出ない人間だ、と僕は結論づけたい気がする。要は心の持ち方だ。

 人との交わりや生活体験が抜け落ちてしまっている高校時代、という教授の意見に従ってもう一言提言すれば、その背景にある大きな主因の一つは、「デジタル」に溺れた世代の「アナログ」のコミュニケーション能力不足だろう、と僕は考える。つまり、人間同士の生の対面会話をデジタルが奪っているのだ。これに、バーチャルが追い討ちをかけている。その代表的なものが、ケータイやパソコンのメールであり、ゲーム機なのだ。これは、例えば家の外で電車などの交通機関に乗車すれば、一目瞭然、すぐ答えが出る。

 この辺でちょっと回り道をして僕の過去を振り返ってみると、我々世代の高校時代は、あれこれと自分の気持を相手に伝えたいために、なりふり構わず、良くも悪くも一所懸命面と向かって会話して、己のコミュニケーション能力を磨いたものだ。しかもごく自然に。そして、たまには全然知らない相手にも積極的に自分の思いをぶつけた。つまり「ポジがポジを呼んだ」のだ。これぞ、外向きのアナログの良さが充分発揮された現象で、対面会話の真髄が充分機能していたのだ。

 だが現在は違う。人と人との濃厚なコミュニケーションの方法がケータイメールなどに様変わりした結果、今や都会や田舎のどこへ行っても、相手が見えないデジタルの内向きの世界に閉じこもっている学生(高校生)がもの凄く多い。まるで見えない何者かに取りつかれたかのように、自由な行動を縛られながら身じろぎもせずじっとメールを打つ学生の姿は、僕から見れば超異常だ。家の中の姿もほぼこれに同じ。メールやゲーム機は、明らかに家族からアナログの会話を奪っている。これでは、高校時代にコミュニケーション能力は育たない。このように、コミュニケーションの方法をデジタルに依存した高校生達は、アナログの会話の良さを半分も享受することなく、対面会話能力が未成熟なまま、大学生活に入ってしまっているのだ。僕は、自分なりにこう想像している。

 では、僕の高校時代の飯時と言えば、例えば食べる姿をじろじろ見られたくない学生が大勢いた。特に女子は、その折り紙つきだった。なので、中にはそんな弱みを利用しておかずの恩恵に授かるヤカラがいて、彼女達にはすこぶる評判が悪かった。断っておくが僕ではない。しかしそれでも、食べる姿を見られたくないからトイレに行って「便所飯」をする学生は皆無だった。今になって思えば、古き良き時代は皆が精神的に「アナログ・ポジ」で、それなりのコミュニケーション能力を駆使して、善悪の区別をつける心が育っていたのだろうと思う。

 つまり、アナログの生活を通じて、それぞれの学生が相手に何を伝えたらいいのか、という一種の常識を知らず知らずの内に身につけていたのだ。だから、あの時代の感覚で言えば、「便所飯」をする様にならない草食系男子などはきっと、クラスの嫌われ者だったに違いない。そして、何よりも「便所飯」は悪いこと、恥ずかしいこととして誰もが認識していたのではないだろうか。であれば、あの頃の級友に感謝しなければならないだろう。

 それに比べると、生の対面会話の方法を半分ぐらいしか知らないのに、一人でいられない学生が多い、という今時の学生の現実はどこか矛盾している。これは些細なことでも耐えられない「弱い体質の学生」の悪い面が出ている証拠だ。こんな学生が将来の日本を背負って立つのかと思うと、さすがの僕も「ネガ」にならざるを得ない。おーい、しっかりしてくれよ。

 ああ、今日もまた長居してしまった。最後にもう一度学生諸君に告ぐ。ここいらでそろそろ、はしたない「便所飯」はもう止めにしよう。と言うより、「便所飯」という僕らの世代の常識では考えられない「学生用語」に早くおさらばしたい思いだ。ましてや今、日に日に増殖している草食系男子の「便所飯」など、想像するだけでも背筋がゾッとする。近くの飲み屋に行ってそんな話しをすれば、「スラッシュさん、サムーイ!!」と言われるのがオチだ。

 でもでも、確かにトイレは人それぞれの排泄物の「たまり場」ではある。江戸時代は、畑の肥やしとして武士の「たまり場」には最高級の価値があったほどだ。しかし、この「たまり場」での食事は、僕にしてみればあまりにも酷過ぎる。それに、あの場に「食事禁止」と書いてある張り紙にも情けなさを感じる。もし便所に貼るならば、難しい理数系の定理や法則がいい。僕は高校時代、とある先生から意見されて迷った揚げ句、冷静に落ち着いて物事を判断し、自分の頭を鍛えるのなら絶対ここがいい、と自信を持って張り紙をした。つまり、トイレで己の弱点を矯正したのだ。今の学生達もそうするがいい。

 そして、矯正された頭を使って、今度は生の対面会話が存分に楽しめる外の「たまり場」へとチャレンジするのだ。この「たまり場」は、人間どもが蠢(うごめ)く願ってもないアナログの「コミュニケーション・フィールド」だ。さあ、飛び出そう。ここには君達の将来の生き字引がいっぱい生息している。青春を内向きに過ごしてはならない、ということが身に染みて分かるだろう。ここで飯を食えばいいんだ。美味しいぞ。

/245.ミツバチからの伝言(「働きバチ」の日本人へ)

2009-09-11 06:57:38 | Weblog
 朝晩はすがすがしい。残暑という言葉はもうとっくにどこかへ消え失せた、という気分にさせてくれる。涼しくなると僕は、センチメンタルジャーニーになる。カラッとして抜けるような空の青さ。雲の軽やかさ。日本一魅力的な街・函館へ行こうか。それとも飛騨高山。想像は尽きない。野原の萩の花も一段と妖しくなった。どこにでも育つモロヘイヤのようなたくましい雑草も健在だ。思い草と呼ばれるナンバンギセルもどこかで花を付けているだろう。食欲の秋も近い。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」 秋の水と秋の風の爽やかさを感じながら、調子に乗ってエアロビクスの自転車をぶっ飛ばしていたら、ハチの一刺しが恐い。皆さん、気をつけよう。これ、僕の教訓。

 ゴーグルをしていない目と鼻と口には、色んな種類の虫達が飛び込んで来る。特に鼻の中に入った虫は、表現することさえ難しい複雑な薬味になる。「越中富山の反魂丹(はんごんたん)、鼻くそ丸めて萬金丹、それを飲むやつぁ あんぽんたん」という俗謡があるが、我が大阪ではこうは言わない。「越中富山のあんぽんたん(または萬金丹か薬売り)、鼻くそ丸めて黒仁丹」 市内に「仁丹製薬」の工場があるからだろうか、この響きが懐かしい。

 それはともかく、昔は鼻くそと鼻水まみれのクソガキがよくいた。今年の我が阪神タイガースは、まさに鼻くそと鼻水の類になってしまっている。と、隣のオバチャンなら言うだろう。そのように、弱い者同士・似た者同士でCS進出を賭けて3位争いを繰り広げている姿は、ちょっと空しいものがある。ちょっとアホに片寄り過ぎている昨今の「タレント売り出し戦略」とそっくりだ。復活した「カーネルおじさん効果」もあって盛り上がっているだけまだまし、かも知れないけれど、せめて、ビートルズのリマスター盤で「ヤァ!ヤァ!ヤァ!」と喜ぶ僕の姉並みの気分になりたい。これ、僕の本音。

 今日は早めに打ち切りたいので、政局はスルーして、ランダム・ショートショートのみを書く。 大阪タワー(朝日放送)が43年の歴史に幕を下ろす。僕は淋しい。あそこは、正統派・軟弱派織り交ぜたクイズなど視聴者参加番組の予選会でよく通ったところ。ミーハー時代が懐かしい。タワーに上ればあの頃はまだ、大阪はスモッグの街だった。 イチローがまたやってくれました。大リーグ・2000本安打の大偉業。目の前にある「9年連続200本安打」の大記録も含めて、まさに彼は超人。あれだけ多くの選手が日本からメジャーに行って、打者としてものになっているのは、イチローただ一人だ。彼はまだまだ異次元の世界を走り続けるだろう。凄いヤツだ。

 ゴルフの石川遼君も同じ道を辿るのだろうか。 変わったところでは、民主党・鳩山代表の「ミユキ夫人」の噂も世界を駆け巡っている。「魂に乗って金星に飛んで行きました」って、いいじゃないの。 世界の最高峰にはやや足りないかも知れないけれど、テニスの世界ベスト4大会で「シングルス・62大会連続出場」を果たした杉山愛ちゃんが引退するという。戸惑いながらも自分の力を精一杯出し切った彼女には、ご苦労さんと言いたい。 千葉県の不正経理の数々に青春の巨匠・森田健作知事が平謝りだ。悪い野郎に剣道の「面一発」食らわせろ。それにしてもひどい額の税金を「ネコババ」したものだ。

 国境の川・イムジンガン(イムジン川)で北朝鮮が予告なしにダムの放流をして韓国人が犠牲になった。独裁国家とはあんなもんだ。「♪イムジンの流れよ、答えておくれ♪」 過去最悪の失業率、有効求人倍率。近畿地方も会社の倒産が後を絶たない。街角景気はなお、深刻だ。 新型インフルも、恐い展開になってきた。 元フリーターでゴーグルをして街角の雑草を刈っていた民主党の「草刈オバチャン、頑張れ!!」と、隣のオバチャンが激励していた。 もっと書きたいが時間の都合で今日はこれまで。

 続いてクイズタイム。いいネタがないので、今回はとある新聞記事から選んだ。白夜のノルウェーなど北極圏の「オーロラ」には、憧れる。でも、いざ行ってみて見上げると、恐い。これと同じく大砂漠のど真ん中から見上げる満天の星も、不気味だ。これは、エジプトに行った時の僕の実感。作家の村山由佳嬢が、別の作家の小説評論でこんなことを書いている。 「ジブラルタル海峡を船で渡り、モロッコのタンジェに上陸して車でひた走ること一週間、砂漠の入り口に立つホテルを夜半に発ち、ラクダに乗って砂の海を越えた。月の昇る音が轟きわたるかのような静けさだった。白銀に輝く砂をラクダのひづめがサク、サク、と踏む音のほかは、自分の鼓動と、呼吸と、あとは耳鳴りしか聞えない。方向感覚とともに、時間も思考も何もかもが失われていた。真空の中にいるようだった」と。

 そして、砂漠(デザート)は3年前に旅をした本物の○○○砂漠のみならず、大インド砂漠とも呼ばれるタール砂漠や、エジプトのギザ、あるいは中国大陸のタクラマカン砂漠などなどに関して、「砂漠は死んで、世界に見捨てられた不毛の地ではなく、そこを訪れる者に『生』について静かに物語れる土地なのだ」と、著者は言っているらしい。彼女は続ける。「砂の果てにのぼる巨大な月。皮膚まで染まるかに思える夕暮れや夜明け前の空気。まるで女の裸体にも似た砂丘の輪郭のなまめかしさと、乾ききった大地に暮らす人々の熱くて力強い息づかい。なるほど私自身、あの砂漠の旅を通して死生観ががらりと変わってしまった気がする」と語っている。 さあ、ここでクイズだ。彼女の死生観が変わったという「♪ここは地の果て、アルジェリア」にある砂漠の名は? ・・・・・。正解は「サハラ砂漠」だ。

 サハラ砂漠は大きい。なので、どこからどこまでが国境線かは未だに分からない、という。ホンマに砂漠とはそんなもんだろう。ところで、ここから今日のテーマに誘導するのは至難の業。でも、時間がない、強引に繫げよう。砂漠にある「オアシス」は、もし仕事で言うならば、リラックス出来る空間だ。そこには生きるための水があり、数々の植物が育つ。植物が育てば花が咲く。花が咲けば蜜の味を求めてハチが集まる。そう、オアシスには「働きバチ」が欠かせないのだ。働きバチは、オアシスで次の生命を育む役割を果たす。苦しい生活だが働き蜂よ、頑張れ!!

 大きく飛躍して、日本人という働きバチには今、オアシスがあるだろうか。僕は、目下のところ日本国は便利で生きやすいにもかかわらず、オアシスはない、と思っている。そして、空気も重く息苦しい。といった観点から、本物の働きバチの生き様を探ってみる。

 我が日本は今、民主党主体の新政権誕生に向けて最高に盛り上がっている。少なくても僕はそうだ。無理もない。100年に1度のあまりにも衝撃的・歴史的な出来事を国民が目撃したからだ。鳩山・連立政権がこれから先、やるべきことはただひとつ。グローバル化した現代社会に合致した政策を国民目線で練り直すことだ。これが出来ないと、失望は時を待たない。希望への幕開けがいよいよ間近に迫った。新たなる日本丸、出航ブラボー。

 それはそうと、私事を言えば、このところ歴史的選挙に目が行っていたので、ついつい他の事を考える余裕があまりなかった。と言うより、これ以外に適当な「/」のネタがなかった。いや、あることはあるのだが斬り口が難しい。おまけにドタマ(頭)が疲れている。どうすりゃいいんだ思案橋。でもな、もうすぐ還暦だ。素人があまり無理せんとこ。所詮、俺は俺。ボチボチ行こやないか。などなどと、自問自答していた。かと言って僕には、自虐趣味はない。良く言えばマイペースだ。よって、どちらかと言えば苦手な政治の分野には、今日はこれ以上深入りするのはヤーメタ。そやから一度、パターンを変えよやないかいな。

 ということで今日は、前から気になっていた「働きバチ」にスポットを当てた。働きバチと言えば、日本人は相変わらず働きバチだ。働き口がない、こんなご時世だというのにね。僕は思う。何でこれだけ、一触即発の危険な人間関係を見せつけながら、働くのだろうか。自分が苦しいだけじゃないか。「仕事絶対優先」の昔からのDNAがそうさせるのだろうか。働かなければ食い扶持がない人がいるとは言え、こんな生活楽しいかな? 大した美徳でもないのにね。僕なんかは、まるで仕事が趣味であるかのような日本人の「働き過ぎ」に、散々文句を言ってきた内の一人。ましてや、現在のように「ワークライフバランス」が声高に叫ばれ、給料が多少減っても労働時間が減る方がいい、と考える人が多い世の中になったのに、それを許さない古い体質の企業風土などには、僕は「なぜなんだ」と大声でもの申したくなる。本当にこれが正常なのか。今もって分からない。

 それに、この働きバチは罪と罰の権化だ。あちらが立てば、こちらが立たず。あちらがずっこければ、こちらがダウン。シーソーゲームじゃないんだから。また、自分にそれほど仕事がないのに、「責任がある立場なので」とか「職場が休みにくい雰囲気なので」とか「自分がいなければ仕事が成り立たないと勘違い」したりだとかして自己弁護を理由に、本心でもないのに、自分が休むことを許さないメンツがいっぱいいる。なので、働き過ぎで日に日に鬱憤が溜まる一方だ。そのお陰で、休暇を取る勇気ある人も萎縮する。働き過ぎだ、と思っているヤツが裏で散々愚痴をこぼすからだ。困ったものだ。

 こんな自己過信と自己嫌悪を繰り返した揚げ句、大抵のサラリーマンは、「働いても休んでもストレス」という状態になる。そう、これぞ自己責任の押し付け合いの後遺症だ。そのため、いつまで経っても、双方リラックスした人間的な生活が出来ない。失われたものと得られるものを量りにかければ、そろそろ日本人も悪玉DNAの束縛から逃れて、自分自身を仕事地獄から解放してあげるべきだろう。と、僕は痛感している。まっ、この話しはこれ以上あまり追及しないで差し障りのない範囲内に止めておこう。僕が今日言いたいのはこのことではあるけれど、このことでもない、ので。

 昔からの悲しい性が抜けない日本人という働きバチを尻目に、僕も「もの申したい」と言っている「善良な虫達」がいる。元祖働きバチだ。彼らは、この国の永田町や霞ヶ関に生息する魑魅魍魎と違って、その働きぶりには定評がある。そして彼らは、最近の不順な自然界に次のようなメッセージを伝えようとしている。そんな彼らの気持になって、僕が以下に代弁したい。人間どもよ、よく聞くがよい!!

 皆さん、僕はミツバチです。人間様のように働くことに一切文句は言いません。それが僕達の宿命なのです。これまでも、人間様には事ある度に誠心誠意尽くして来ました。今もその気持に変わりはありません。そうなのですが最近なぜか、自然界がおかしいんです。これはひょっとすれば、人間様が犯した罪と罰かも知れません。だからこそよく聞いて欲しいのです。

 それでは言います。ある日のこと、外国で僕達の巣箱を開けると、中にいる筈の僕達の仲間が忽然と姿を消しました。それも、何万匹という多くの仲間が、です。しかも、女王バチと幼虫と大量の蜂蜜が巣に残されたまま、死骸さえ見当たらない、というミステリーです。僕達は忠誠心に富み、組織を大切にする習性なのですが、あのミステリーはそれからは考えられない衝撃的な現象でした。まるで、日本社会に新政権が誕生したかのような驚きです。その現象の名は、「蜂群崩壊症候群(またはCCD)」と呼び、2007年春までに欧米では4分の1の仲間が消えたと言われています。これぞ、あのレイチェル・カーソンの著書「沈黙の春」に記された警告そのものの現実でした。

 日本でも春先に大問題となり、「もし僕たちがいなくなったら」人間様の生活がいったいどんなに困るのか、分かってくれたことでしょう。そうなんです。僕達の恵みは、蜂蜜だけではありません。イチゴも、サクランボも、リンゴも、スイカも、カボチャも、キュウリも、人間様が普段食べている農作物がどれほど僕達に頼っているか、思い知った筈です。現に、僕達の恩恵を受けられなかった日本各地の農家は、ほとほと困り果ててしまいました。僕達の特殊な技術は、花から花へと飛び回って受粉する「ポリネーション(花粉媒介)」に代表されます。これは、いかに腕のいい日本人でもとても対処し切れません。

 脅かす訳ではありませんが、もし僕達がいなくなったら大変なことになります。なぜなら、人間様の毎日の食卓で何気なく食べている多くの果物や野菜も自然には実らない、からです。だからこの際、人間様に強く忠告しておきます。僕達が日頃思っている以上に人間様はポリネーションの恩恵を受けて、毎日を生きているのです。また、果物や野菜などの農作物に限らず、地球に大気を供給し、気象を安定させている地球上の膨大な種類の植物のかなりの部分は、僕達のような「訪花昆虫」のポリネーションによって、命の鎖をつないでいるのです。このことを決して忘れないようにして下さいね。

 このような本当に微妙な生態系のバランスが崩れた時、命の鎖は途切れ、ともに生きなければならない人間様も滅びて行く運命が待っている、と言えます。これって、大げさな話しではありません。地球を含む大自然とは、そういうものなんです。よく考えてみて下さい。人間様もまた、地球という名の星に存在する生態系の、大自然の一部にしか過ぎないのです。だから人間様はもっと、僕達のことを同等扱いするべきです。思い出して下さい。過去において、人間様は大自然に不当に介入し、不自然な手を加えて来ました。そのことが今、「沈黙の春」となって表面化しているのです。人間様は、誤った歴史を今一度見つめ直し、生物の多様性という進むべき道を模索することが不可欠なのです。

 そして、生態系の大自然の一部にしか過ぎない、という人間様が謙虚さを持ちつつ、自分達の都合により地球を破壊した過去を反省することが、行く行くは僕達を守ることに繋がるのです。これを「共生の文化」と言います。共生の文化とは、農業の「耕す文化」+人間が「自然の声に耳を傾けながら耕す文化」の合成語です。これからの農業は、こうあるべきでしょう。そして、自然界の多くの命と関わる農業のあり方=人間の生き方そのもの、なのです。もう一度言います。僕達は日本人と同じで「働き者」です。ですが、日本の人間様のように決して相手を傷つけたりはしません。どうか僕達を見習って下さい。そして、末永く温かく見守って下さい。よろしくお願いします。(以上、山田養蜂場の資料参照)

 ミツバチ君。心あるメッセージをどうも有り難う。彼らの文句ひとつ言わない謙虚で前向きな働きぶりは、毎年僕も我が家の庭先でじっくりと観察させてもらっている。翻って、彼らが言うようなこの国の人間様の異常な働きぶりは、もはや誰が見ても「人間群崩壊症候群」の域に達している見苦しい醜態だ。不幸にも彼らの「CCD」は、原因が不明。でも、人間様の崩壊症候群は、巣を放棄することがあまりなく、幸いにも原因が分かっている。この原因を追究して、格差の大きい働きバチ同士がよく話し合って共生する、という連帯感を濃厚にすることが未来に向けての課題だろう。生まれ変わって欲しい、と願う新政権も双方の働きバチを温かく見守る姿勢が必要となるだろう。そうなれば、本物のハチも人間様を刺しはしない。