また真夏日が出現した。だけど気にするほどでもない。段畑や河畔の岸に彼岸花が咲き乱れる様は、まさに花野の時季に相応しい風景だ。残念にも秋澄むサファイアブルーのシルバーウィークは連休半ばでしぼんでしまったが、降りそうで降らない曇天を恨めしそうに眺めながら中途半端に過ごす時間も、それはそれなりに非日常の功罪だろう。高速道路の渋滞に巻き込まれるよりはましだろうと(ホントは金がない)色々思案した揚げ句、日曜日から火曜日までの休日は、前々からお誘いを受けていた堺市に住む姉夫婦の家族とともに「テニス三昧」の日々を過ごした。さてどこに行こうかと迷った時は、気心が知れている姉に相談するに限る。僕にとっての姉は、金回りのいい頼もしい助っ人だ。
お陰様で朝晩は料理上手な姉の恩恵を受けられたし、姉が所属するご近所のテニス同好会の行事にも特別参加出来たし、奈良・学園前の高級地にある普段は入れないテニスコートにも行けたし、夜は夜で例の僕の相棒とB級グルメ(と言っても立ち飲み屋や居酒屋での飲み食いの類)に舌鼓を打つことも出来た。「アンタはまるで民宿に寝泊りする居候やね」と、姉に皮肉を言われたが僕は全然へこたれない。2人には昔から、家族の中でも特別の信頼関係が築かれており、誰が何と言おうとそれは単なる「褒め言葉」に過ぎない。4人兄弟(姉妹)の中でも賢いもん同士。しかもカカア天下、の民宿の居心地はすこぶる良かった。
そんな中、テニスの合間を縫って、姉の自宅がある「北野田(きたのだ)」にほど近い南海・高野線の「金剛駅」付近まで自転車でブラリングした。この駅の周辺には昔、数多くの田んぼがあり、秋には稲穂が頭を垂れる何とも言えない独特の雰囲気を醸し出す田園風景が展開されていた。田んぼの向こう側には「帝塚山学院大学」があり、キャンパスでは女子学生が黄色い歓声を上げながら青春のエネルギーを発散させていたものだ。ところでなぜ、僕はここに注目したのだろう? そう、忘れもしない。「ここ」こそは、僕が若い頃、第一本命の彼女との恋が実を結ばずヤケクソになっていた矢先、偶然にも次の本命候補となる女子学生と現(うつつ)を抜かした場所のひとつ、なのだ。
彼女は、ナンバのキュートなハイレグ姿の「ウサギちゃん」がいるビアホールで知り合った大阪生まれのお嬢さん。その彼女と「熱く長いキス」をブチューと交わしたのが、何を隠そう、彼女の通う帝塚山学院大学の前にある田んぼのど真ん中、だった。田舎芝居じゃあるまいし、当時なぜ僕が彼女をあんな場所に誘ったのかは、残念ながら記憶が定かではない。でも、強烈な印象として残っているのは、純真無垢な彼女の香りと秋風に揺れる稲穂の香り。つまりあそこは、僕のセピア色の甘酸っぱい青春の1ページを飾る場所でもあるのだ。
僕はしばし、彼女の面影が消えないように田んぼの周辺に佇んだ。しかし、当時の風景は僅かに残るのみ。帰り来ぬ青春とは、こんなに切ないものなのか。とまあ、昔日の思い出に浸ることもあったシルバーウィークの日々だったが、さあここで、ご当地クイズだ。我が姉が住む堺市の北野田周辺には、恐らく僕が今までの人生で一番多く歌ったであろう、あの名曲「昴」で世界的に有名な谷村新司さんが学んだ大学がある。さて、その大学とは? ・・・・・。正解は「桃山学院大学」だ。谷村新司さんもこの大学で時には傷つき、時には喜び、時には恋に苦しんだことだろう。そして、その青春の向こう側には僕の第ニの恋を育んだ西日に染まった茜色の田んぼがあった。と、ドラマチックに締めくくっておこう。ちなみに彼女の消息は、今は不明だ。
今日はまず、隣のオバチャン肝いりの気になるランダムニュースから。 「ニュースJAPAN」のキャスターを降板した滝川クリステル。 酒井法子夫婦の「シャブ・借家兼別荘」が不審火で全焼。 恐い怖い古い消火器。 「おらあ、しんのすけだ、とケツを見せるクレヨンしんちゃん」の生みの親・臼井儀人さんが荒船山の断崖で謎の死亡。 敬老の日に「ジージ、バーバ」の言い方に不満。 あの夏の出来事がなかったかのように紅葉する大雪山系。 「スラッシュさんの頭が一番冴えるのは汗を掻いた後、だから当たり馬券の検討はその時やってよ!!」 うーん、僕の答えは「確かにそう、でも星も冴え冴えする晩秋まで待ってくれ」 もう遅い?
味の悪そうなサンマの臭い。 足が小さいスラッシュさん。(なぜなの?) 今や嫌われ者のエチゼンクラゲの天敵は、鍋(水炊き)すれば安上がりで美味い「ウマヅラハギ」だそうな。 スラッシュさんの自転車エアロビクスは、今流行の「散走」と命名すべし。 「ヒミツ(秘密)のケンミン(県民)ショー」の「数寄屋橋はるみ」はカワイイねえ。(僕も同感) フランスの「連帯市民協約」=「結婚未満」はええんとちゃう。(右に同じ) 連休に「穴場スポット」を選んだ旅行者は賢い。(左に同じ) 初先発で敗戦投手になったものの、3回まで走者を出さなかった吉田エリちゃんは立派。(その通り) またまた不可解「弁当男子」 以上です、とのこと。
ここからは僕にバトンタッチ。慌てるので、鳩山外交が始まった政局のニュースを短く。 「25%のカーボンマイナス」と「鳩山イニシアチブ」の国際公約は赤丸付き急上昇している。その裏にあるキーワードは「世界の国々が足並みを揃えること」だろう。 八ツ場(やんば)ダムの見直しなど前原国交省のチェンジは白熱している。僕は、セーフティーネットの舞台である長妻厚労省に一番期待する。 新型インフルと景気の兼ね合いも難しい。 これからの政治家は、下書きを見ないで自分で考える説明能力が必要だ。 ビートたけしさんが「TVタックル」で、「自民党は酒井法子と一緒に逃げた弁護士と同じ扱いだった」と苦笑していたテレビ報道。これには鳩山流でちょっと一言。「捨て石では仕方ないじゃないですか、皆さん!!」 本日はこれまで。
さあ急ごう。次は今日のテーマへのアプローチだ。 秋分の日の夕刻、気分転換で行ったご近所の風呂屋さんで、見たくないものを見てしまった。宿敵ジャイアンツの優勝の瞬間だ。8回も宙に舞った原監督。タイガースファンとしては、声も出なかった。ここは、沈黙は金だ。 もひとつ、見たくはないものを見てしまった、という気がするのは、北アルプスの乗鞍岳・畳平で起こった「ツキノワグマ・パニック」だ。人間を襲うクマが「馬乗り」になった図、羽交い締めの図、仁王立ちして左右フックを食らわしている図。僕はかなりの衝撃を受けた。
この季節は、クマにとっては冬眠前の食い溜め期。2702メートルの高山帯には、エサがない。なので、山小屋の残飯漁り(あさり)に登って来た可能性が高い。暴れ回って射殺されたクマは、小型だった。彼に罪はなく、ちょっと可哀想だ。元々彼らは木の実など森の食糧、つまり大自然の恵みに依存しながら、細々と生き延びて来た。森に取り残され、行き場を失い、「孤独」になったクマが決して手を出してはいけないものに依存すると、命が危ない。今回はそんな話しをしたい。勿論、僕も該当者になる可能性がある。
最近になってクローズアップされているのが、高度成長期に激しい競争に晒されながら「会社人間」「企業戦士」として仕事に打ち込んで来た団塊世代が、定年退職とともに悪趣味などに溺れてしまう、という状態の「定年性依存症」だ。同症状該当者が依存に向かう先にあるのが「アルコール」「ギャンブル」「出会い系サイト」などなど。しかもこの症状は突然やって来る、のが特徴だ。その原因は大抵の場合、自分自身にある。ごく単純に言えば、「働くことしか才能がない」自分に対するしっぺ返しだ。彼らは、現役時代から働き方や休日の過ごし方がある意味、一面的過ぎた。そう、好むと好まざるとに関わらず一方通行だったから、だ。そのため、「孤独」と「生きがい」に蝕まれる日々を送っている。
ある男性は、例えば退職後、次の朝起きる心配がなくなり酒を飲む量が増え始めた。起床とともにお茶代わりに酒を飲む。庭の草むしり、朝の散歩で咽喉が渇いたら飲む。昼食を取る最中も、風呂上りも、夕食時も飲む。初めは日本酒だった。次に家計を考え安い焼酎を水やサイダーで割って、一升瓶を2日に1本のペースで空けた。と、ここまで書けばもうお分かりだろう。この男性は、元から酒好きだったのだ。好きこそ物の上手なれはこの場合、通用しない。こうやって飲み続けた結果、肝炎になり医者に「酒を止めないと死ぬ」と言われた。なのに、自覚症状がないからと止めなかった。行き着く先はもう、いちいち説明する必要がないだろう。しかしこの男性は今、過去を反省しつつ近くのジムに通ったり、地域防犯パトロールに参加したりして、ヒマな時間を作らないようにしている。
例えばある男性は、無遅刻無欠勤の優秀な社員だった。当時は、同僚とお酒を飲んでも次の日はきちっと目が覚めた。働かなければならない、という緊張感があったからだ。ところが定年退職の際、子供から「父ちゃん、ゆっくりしな」と言われ、こう返事した。「そやなあ、これから何しようかなあ。ちょっと一杯飲んでから考えるわ」 それ以来、住んでいる団地の仲間とビールや酒を飲むようになり、ついには段々と時間が遅くなった。そして、起きている時間はずっと飲んでいる状態になった。この男性の行き着く先も同じだ。彼は言う。「仕事も終わって、子供も巣立って、やれやれという反動だった。今思えば、酒でヒマをつぶすのではなく、他のことをしていれば良かった」 だが、幸いにも大きな不幸とはならず、今は日中に通院し、夜は地域の自助グループに通っている。
次に紹介するある男性は、スーパーに勤めて仕入れ、販売、伝票整理と一通り何でもこなした。50代でスーパーが他社と合併し、突然上司が変わった。副店長だったが「給料ばかり高いな」などと皮肉を言われ、嫌な思いを何度もした。でも、家族には絶対に仕事の愚痴を言いたくはなかったので、若い頃少しやった経験があるパチンコで憂さを晴らした。そして、定年退職の前後には貯金通帳から毎日5万円ずつ引き出した。それでも足りず、消費者金融5社から20~30万円借りた。こうしてこの男性も、サラ金業者のしつこくて無謀な取り立てに苦しむことになった。彼は言う。「パチンコで一発当てれば何とかなると思った」 しかし、この彼も考え方を改め、今は自助グループに参加して、自分の体験を話すことが日々のはけ口になっている。彼は続ける。「現役時代は企業に押さえつけられて、いきなり放り出される。あの頃から趣味があればいいんでしょうが、そういう人って多くはないと思う」
出会い系サイトに溺れた男性や、競馬などの公営ギャンブルにはまってしまった男性も大勢いる。彼らも恐らく、現役時代に真面目に働いていた反動で、会社を辞めた途端、他にすることがないから、ヒマに任せて、色情や射幸心に走るのだ。時間がないので省略するが彼らの行き着く先も、ある程度想像がつく。もし、良い方向に進んだのであれば、これも不幸中の幸い、と言うべきだ。
このように以上の例は、決定的な地獄を見ていないので、まだましな部類だろう。なぜなら、世の中にはこれだけでは済まされない「悲惨な挫折者」が山ほどいるからだ。その人達こそ、もっと不幸のどん底を味わっている「定年性依存症」の真の犠牲者なのだ。そして、上述した通り彼らの特徴は、若い頃からアルコールやギャンブル、出会い系サイトなどで問題行動を繰り返す若年性の依存症とは違って、退職前後に急に依存症に陥ってしまう、ということだ。このことを反映してか、例えば全日本断酒連盟の60歳以上の会員の割合が、01年度は41%だったが、08年度は53、3%と全体の半数を超えている。
専門家はこう指摘する。「仕事一筋の人が、定年後に新しい趣味や生きがいを見つけるのは難しい」 だから、「働いているうちから、『人生は仕事だけじゃない』と、意識することが大切。平日は仕事に没頭しても、アフター5や休日は家族と暮らし、メリハリをつける。こうした心がけが必要だ」とアドバイスしている。「自分の最良のコーチは自分である」と言ってはばからないのは、経済評論家の勝間和代氏だ。彼女の意見に従えば、「定年性依存症」に陥る人は、現役時代多分、こう思っている「企業にとっては優れた人」だったのだろう。
しかし、彼女が強調する「どんなに優れた人でも、相手のことを全て理解し、心底から親身になってフォローアップすることは不可能なのです」と語るフレーズの「相手」を「自分」に置き換えれば、現役時代の会社であれば、例えば「どこかに優れたコーチがいて、私を導いてくれる筈だ」という思い込みなどを捨てた途端、「自分以上に自分のことを親身になって考え、分かってくれる人なんて、どこにもいない」と気づかされたが、もう遅い。という現実にぶち当たっているのが、「定年性依存症・その人」なのではないだろうか。
時間の都合で諸々のことは割愛するが、この症状は会社の接待などで必要以上に暴飲暴食して、自分の知らないうちに「ポーニョ、ポニョ」になっている「メタボ現象」にも類似している。老いも若きも人間は卑しい動物だ。あまりに会社や他人、物への依存度が強過ぎると、その反動が恐い。自分の身を滅ぼさないように、くれぐれも注意した方がいい。
「定年性依存症」と比較して、僕にとってもっと不憫(ふびん)な言葉がここに来て世間に出回っている。「空巣老人」だ。朝日新聞の「天声人語」によれば、「空巣老人」は「空巣狙いの怪老人」ではなく、「一人暮らしのお年寄り」のことだという。 「雛が育って飛び立てば、巣は空っぽになる。一人っ子政策の影響などで高齢者だけ残される世帯が増え、かの大家族の国でも社会問題になっている。お年寄りをさいなむ孤独感は国を問わず影が濃いようだ」 ここでちょっと一言。待てよ、僕は今、59歳の独身男性だ。雛を育てた経験はあってないようなものだが、それよりこれは、僕の行く末を哀れむ言葉ではないか。けしからん。こんな言葉、聞きとうはなかったわ!!
気を取り戻そう。とは言ってみたものの、社会問題化しているお年寄りをさいなむ孤独感は、この国でも日に日に深刻だ。例えば、我が大阪にありがちな「万引き」をした高齢者に聞いたら、動機に「孤独」や「生きがい」を挙げる人が目立っていて、しかも9割が友人は「いない」「少ない」と答えたそうだ。この調査をしたのは、警視庁。それだけにグッと来る。そして、そんな人生への絶望感は、「脳卒中などの危険を高める」ことが最近の米ミネソタ大の研究で分かり、日本の秋田大の調査でも生きがいのある人は「脳卒中のリスクが低かった」という。またまたドキッとする。
僕は思う。確かに前向きな気持を失うと、あらゆる方向に害ばかりが増える。特に意固地な男性は女性より、その傾向が強い。老いてからの友情の芽も、若い頃に比べると丈夫ではない。それゆえ考え方も、後ろ向きになる。これを前向きにチェンジする役目を果たすのが「糟糠の妻」だろうが、僕にはそんな助っ人がいない。今後この弱点を「いかに克服するか」が僕の課題だ。また、こんなご時世だ。今や、定年後を悪妻と化した長年の連れ合い人と暮らす恐妻家の「元暴君」も、質の違う課題を抱えている。
ましてや定年後、働きたくても働き口がない、失業率も有効求人倍率も最悪、という厳しい雇用情勢。ここはひとつ、男どもは現役時代の過ちを素直に反省して、何とか生活出来る範囲内で、悪妻人(びと)の助言に従って生きることが肝要なようだ。特に、勢いに任せて妻を「召使い」扱いした分からず屋は、暴言を慎むべきだろう。事実、今日例に挙げた「定年性依存症」の男性の大半は、奥さんの助言があったから再生出来た経験の持ち主、ではないだろうか。ここで僕なりの法則を書こう。男どもよ、定年後の人生はより前向きな妻の意見に従って行動せよ。地域のことは、地域に長く生きた妻の方がよく知っている。
もっと強く忠言したい人種がいる。例えば今まで、人生の大半をバクチで生きて来たであろう「肉体労働者達」だ。彼らは、強引さが売り物の超暴君だ。なので恐らく、「空巣老人」どころか、本物の空巣狙いの怪老人になる危険性を秘めている。悲しいかな彼らは、職場の福利厚生にも恵まれず、そのうえ妻には「誰のお陰で飯が食えているんだ!!」などと声を張り上げていた罵倒派人間だ。この実績は、バクチ場に行って言動を見れば一目瞭然。もし彼らが僕のような独り者にでもなれば、空巣老人の怪も一層社会問題化するだろう。つまり大阪で言えば、日本一の無法地帯に「アルコール」「ギャンブル」「出会い系」のみならず、新たに「万引き」に走らせる条件が整ってしまう、ことになりかねないのだ。
もう一度換言しよう。このような体質は一朝一夕にはなかなか直せない。なので、地域の最大貢献者である奥さんは、現役時代はああだこうだと我が物顔で命令しておきながら、この場に及んでなんで今更、なんて言わないで、「もっといい趣味を見つけて生きがいを増やしましょう」などと、旦那さんに呼びかける心構えを持とう。そう、これが新しい時代のポジティブな夫婦の生き様のひとつ、でもあるのだ、ということを肝に銘じて。
ちなみに僕は、行き先を誤らないように、「末広がり」ということで趣味の励行など大きいこと小さいことを含めて、「8つのテーマを自分に課す」生活を半ば強制している。このブログもそのひとつだ。理由は簡単。その方が雑念が増殖せず、ヒマを持て余すリスクを避けられるからだ。仮にこれを、僕の「生きがい」とするならば、これを継続することがちょっとは「定年性依存症」と「空巣老人」の防波堤になるだろう、とこう考えている。
つまりこれこそ、僕なりの人生の深い読み、だ。もし定年後、ヒマを持て余して、例えば思慮の浅い勝てる筈がない「ギャンブル」や、「アルコール」「出会い系サイト」、あるいは「万引き」などの「破滅が失望に至るプロセス」を選択するならば、僕の中の「善玉・空巣老人」がそれを許さないだろう。「獅子、身中の虫」は、常に自分の中にいる。
お陰様で朝晩は料理上手な姉の恩恵を受けられたし、姉が所属するご近所のテニス同好会の行事にも特別参加出来たし、奈良・学園前の高級地にある普段は入れないテニスコートにも行けたし、夜は夜で例の僕の相棒とB級グルメ(と言っても立ち飲み屋や居酒屋での飲み食いの類)に舌鼓を打つことも出来た。「アンタはまるで民宿に寝泊りする居候やね」と、姉に皮肉を言われたが僕は全然へこたれない。2人には昔から、家族の中でも特別の信頼関係が築かれており、誰が何と言おうとそれは単なる「褒め言葉」に過ぎない。4人兄弟(姉妹)の中でも賢いもん同士。しかもカカア天下、の民宿の居心地はすこぶる良かった。
そんな中、テニスの合間を縫って、姉の自宅がある「北野田(きたのだ)」にほど近い南海・高野線の「金剛駅」付近まで自転車でブラリングした。この駅の周辺には昔、数多くの田んぼがあり、秋には稲穂が頭を垂れる何とも言えない独特の雰囲気を醸し出す田園風景が展開されていた。田んぼの向こう側には「帝塚山学院大学」があり、キャンパスでは女子学生が黄色い歓声を上げながら青春のエネルギーを発散させていたものだ。ところでなぜ、僕はここに注目したのだろう? そう、忘れもしない。「ここ」こそは、僕が若い頃、第一本命の彼女との恋が実を結ばずヤケクソになっていた矢先、偶然にも次の本命候補となる女子学生と現(うつつ)を抜かした場所のひとつ、なのだ。
彼女は、ナンバのキュートなハイレグ姿の「ウサギちゃん」がいるビアホールで知り合った大阪生まれのお嬢さん。その彼女と「熱く長いキス」をブチューと交わしたのが、何を隠そう、彼女の通う帝塚山学院大学の前にある田んぼのど真ん中、だった。田舎芝居じゃあるまいし、当時なぜ僕が彼女をあんな場所に誘ったのかは、残念ながら記憶が定かではない。でも、強烈な印象として残っているのは、純真無垢な彼女の香りと秋風に揺れる稲穂の香り。つまりあそこは、僕のセピア色の甘酸っぱい青春の1ページを飾る場所でもあるのだ。
僕はしばし、彼女の面影が消えないように田んぼの周辺に佇んだ。しかし、当時の風景は僅かに残るのみ。帰り来ぬ青春とは、こんなに切ないものなのか。とまあ、昔日の思い出に浸ることもあったシルバーウィークの日々だったが、さあここで、ご当地クイズだ。我が姉が住む堺市の北野田周辺には、恐らく僕が今までの人生で一番多く歌ったであろう、あの名曲「昴」で世界的に有名な谷村新司さんが学んだ大学がある。さて、その大学とは? ・・・・・。正解は「桃山学院大学」だ。谷村新司さんもこの大学で時には傷つき、時には喜び、時には恋に苦しんだことだろう。そして、その青春の向こう側には僕の第ニの恋を育んだ西日に染まった茜色の田んぼがあった。と、ドラマチックに締めくくっておこう。ちなみに彼女の消息は、今は不明だ。
今日はまず、隣のオバチャン肝いりの気になるランダムニュースから。 「ニュースJAPAN」のキャスターを降板した滝川クリステル。 酒井法子夫婦の「シャブ・借家兼別荘」が不審火で全焼。 恐い怖い古い消火器。 「おらあ、しんのすけだ、とケツを見せるクレヨンしんちゃん」の生みの親・臼井儀人さんが荒船山の断崖で謎の死亡。 敬老の日に「ジージ、バーバ」の言い方に不満。 あの夏の出来事がなかったかのように紅葉する大雪山系。 「スラッシュさんの頭が一番冴えるのは汗を掻いた後、だから当たり馬券の検討はその時やってよ!!」 うーん、僕の答えは「確かにそう、でも星も冴え冴えする晩秋まで待ってくれ」 もう遅い?
味の悪そうなサンマの臭い。 足が小さいスラッシュさん。(なぜなの?) 今や嫌われ者のエチゼンクラゲの天敵は、鍋(水炊き)すれば安上がりで美味い「ウマヅラハギ」だそうな。 スラッシュさんの自転車エアロビクスは、今流行の「散走」と命名すべし。 「ヒミツ(秘密)のケンミン(県民)ショー」の「数寄屋橋はるみ」はカワイイねえ。(僕も同感) フランスの「連帯市民協約」=「結婚未満」はええんとちゃう。(右に同じ) 連休に「穴場スポット」を選んだ旅行者は賢い。(左に同じ) 初先発で敗戦投手になったものの、3回まで走者を出さなかった吉田エリちゃんは立派。(その通り) またまた不可解「弁当男子」 以上です、とのこと。
ここからは僕にバトンタッチ。慌てるので、鳩山外交が始まった政局のニュースを短く。 「25%のカーボンマイナス」と「鳩山イニシアチブ」の国際公約は赤丸付き急上昇している。その裏にあるキーワードは「世界の国々が足並みを揃えること」だろう。 八ツ場(やんば)ダムの見直しなど前原国交省のチェンジは白熱している。僕は、セーフティーネットの舞台である長妻厚労省に一番期待する。 新型インフルと景気の兼ね合いも難しい。 これからの政治家は、下書きを見ないで自分で考える説明能力が必要だ。 ビートたけしさんが「TVタックル」で、「自民党は酒井法子と一緒に逃げた弁護士と同じ扱いだった」と苦笑していたテレビ報道。これには鳩山流でちょっと一言。「捨て石では仕方ないじゃないですか、皆さん!!」 本日はこれまで。
さあ急ごう。次は今日のテーマへのアプローチだ。 秋分の日の夕刻、気分転換で行ったご近所の風呂屋さんで、見たくないものを見てしまった。宿敵ジャイアンツの優勝の瞬間だ。8回も宙に舞った原監督。タイガースファンとしては、声も出なかった。ここは、沈黙は金だ。 もひとつ、見たくはないものを見てしまった、という気がするのは、北アルプスの乗鞍岳・畳平で起こった「ツキノワグマ・パニック」だ。人間を襲うクマが「馬乗り」になった図、羽交い締めの図、仁王立ちして左右フックを食らわしている図。僕はかなりの衝撃を受けた。
この季節は、クマにとっては冬眠前の食い溜め期。2702メートルの高山帯には、エサがない。なので、山小屋の残飯漁り(あさり)に登って来た可能性が高い。暴れ回って射殺されたクマは、小型だった。彼に罪はなく、ちょっと可哀想だ。元々彼らは木の実など森の食糧、つまり大自然の恵みに依存しながら、細々と生き延びて来た。森に取り残され、行き場を失い、「孤独」になったクマが決して手を出してはいけないものに依存すると、命が危ない。今回はそんな話しをしたい。勿論、僕も該当者になる可能性がある。
最近になってクローズアップされているのが、高度成長期に激しい競争に晒されながら「会社人間」「企業戦士」として仕事に打ち込んで来た団塊世代が、定年退職とともに悪趣味などに溺れてしまう、という状態の「定年性依存症」だ。同症状該当者が依存に向かう先にあるのが「アルコール」「ギャンブル」「出会い系サイト」などなど。しかもこの症状は突然やって来る、のが特徴だ。その原因は大抵の場合、自分自身にある。ごく単純に言えば、「働くことしか才能がない」自分に対するしっぺ返しだ。彼らは、現役時代から働き方や休日の過ごし方がある意味、一面的過ぎた。そう、好むと好まざるとに関わらず一方通行だったから、だ。そのため、「孤独」と「生きがい」に蝕まれる日々を送っている。
ある男性は、例えば退職後、次の朝起きる心配がなくなり酒を飲む量が増え始めた。起床とともにお茶代わりに酒を飲む。庭の草むしり、朝の散歩で咽喉が渇いたら飲む。昼食を取る最中も、風呂上りも、夕食時も飲む。初めは日本酒だった。次に家計を考え安い焼酎を水やサイダーで割って、一升瓶を2日に1本のペースで空けた。と、ここまで書けばもうお分かりだろう。この男性は、元から酒好きだったのだ。好きこそ物の上手なれはこの場合、通用しない。こうやって飲み続けた結果、肝炎になり医者に「酒を止めないと死ぬ」と言われた。なのに、自覚症状がないからと止めなかった。行き着く先はもう、いちいち説明する必要がないだろう。しかしこの男性は今、過去を反省しつつ近くのジムに通ったり、地域防犯パトロールに参加したりして、ヒマな時間を作らないようにしている。
例えばある男性は、無遅刻無欠勤の優秀な社員だった。当時は、同僚とお酒を飲んでも次の日はきちっと目が覚めた。働かなければならない、という緊張感があったからだ。ところが定年退職の際、子供から「父ちゃん、ゆっくりしな」と言われ、こう返事した。「そやなあ、これから何しようかなあ。ちょっと一杯飲んでから考えるわ」 それ以来、住んでいる団地の仲間とビールや酒を飲むようになり、ついには段々と時間が遅くなった。そして、起きている時間はずっと飲んでいる状態になった。この男性の行き着く先も同じだ。彼は言う。「仕事も終わって、子供も巣立って、やれやれという反動だった。今思えば、酒でヒマをつぶすのではなく、他のことをしていれば良かった」 だが、幸いにも大きな不幸とはならず、今は日中に通院し、夜は地域の自助グループに通っている。
次に紹介するある男性は、スーパーに勤めて仕入れ、販売、伝票整理と一通り何でもこなした。50代でスーパーが他社と合併し、突然上司が変わった。副店長だったが「給料ばかり高いな」などと皮肉を言われ、嫌な思いを何度もした。でも、家族には絶対に仕事の愚痴を言いたくはなかったので、若い頃少しやった経験があるパチンコで憂さを晴らした。そして、定年退職の前後には貯金通帳から毎日5万円ずつ引き出した。それでも足りず、消費者金融5社から20~30万円借りた。こうしてこの男性も、サラ金業者のしつこくて無謀な取り立てに苦しむことになった。彼は言う。「パチンコで一発当てれば何とかなると思った」 しかし、この彼も考え方を改め、今は自助グループに参加して、自分の体験を話すことが日々のはけ口になっている。彼は続ける。「現役時代は企業に押さえつけられて、いきなり放り出される。あの頃から趣味があればいいんでしょうが、そういう人って多くはないと思う」
出会い系サイトに溺れた男性や、競馬などの公営ギャンブルにはまってしまった男性も大勢いる。彼らも恐らく、現役時代に真面目に働いていた反動で、会社を辞めた途端、他にすることがないから、ヒマに任せて、色情や射幸心に走るのだ。時間がないので省略するが彼らの行き着く先も、ある程度想像がつく。もし、良い方向に進んだのであれば、これも不幸中の幸い、と言うべきだ。
このように以上の例は、決定的な地獄を見ていないので、まだましな部類だろう。なぜなら、世の中にはこれだけでは済まされない「悲惨な挫折者」が山ほどいるからだ。その人達こそ、もっと不幸のどん底を味わっている「定年性依存症」の真の犠牲者なのだ。そして、上述した通り彼らの特徴は、若い頃からアルコールやギャンブル、出会い系サイトなどで問題行動を繰り返す若年性の依存症とは違って、退職前後に急に依存症に陥ってしまう、ということだ。このことを反映してか、例えば全日本断酒連盟の60歳以上の会員の割合が、01年度は41%だったが、08年度は53、3%と全体の半数を超えている。
専門家はこう指摘する。「仕事一筋の人が、定年後に新しい趣味や生きがいを見つけるのは難しい」 だから、「働いているうちから、『人生は仕事だけじゃない』と、意識することが大切。平日は仕事に没頭しても、アフター5や休日は家族と暮らし、メリハリをつける。こうした心がけが必要だ」とアドバイスしている。「自分の最良のコーチは自分である」と言ってはばからないのは、経済評論家の勝間和代氏だ。彼女の意見に従えば、「定年性依存症」に陥る人は、現役時代多分、こう思っている「企業にとっては優れた人」だったのだろう。
しかし、彼女が強調する「どんなに優れた人でも、相手のことを全て理解し、心底から親身になってフォローアップすることは不可能なのです」と語るフレーズの「相手」を「自分」に置き換えれば、現役時代の会社であれば、例えば「どこかに優れたコーチがいて、私を導いてくれる筈だ」という思い込みなどを捨てた途端、「自分以上に自分のことを親身になって考え、分かってくれる人なんて、どこにもいない」と気づかされたが、もう遅い。という現実にぶち当たっているのが、「定年性依存症・その人」なのではないだろうか。
時間の都合で諸々のことは割愛するが、この症状は会社の接待などで必要以上に暴飲暴食して、自分の知らないうちに「ポーニョ、ポニョ」になっている「メタボ現象」にも類似している。老いも若きも人間は卑しい動物だ。あまりに会社や他人、物への依存度が強過ぎると、その反動が恐い。自分の身を滅ぼさないように、くれぐれも注意した方がいい。
「定年性依存症」と比較して、僕にとってもっと不憫(ふびん)な言葉がここに来て世間に出回っている。「空巣老人」だ。朝日新聞の「天声人語」によれば、「空巣老人」は「空巣狙いの怪老人」ではなく、「一人暮らしのお年寄り」のことだという。 「雛が育って飛び立てば、巣は空っぽになる。一人っ子政策の影響などで高齢者だけ残される世帯が増え、かの大家族の国でも社会問題になっている。お年寄りをさいなむ孤独感は国を問わず影が濃いようだ」 ここでちょっと一言。待てよ、僕は今、59歳の独身男性だ。雛を育てた経験はあってないようなものだが、それよりこれは、僕の行く末を哀れむ言葉ではないか。けしからん。こんな言葉、聞きとうはなかったわ!!
気を取り戻そう。とは言ってみたものの、社会問題化しているお年寄りをさいなむ孤独感は、この国でも日に日に深刻だ。例えば、我が大阪にありがちな「万引き」をした高齢者に聞いたら、動機に「孤独」や「生きがい」を挙げる人が目立っていて、しかも9割が友人は「いない」「少ない」と答えたそうだ。この調査をしたのは、警視庁。それだけにグッと来る。そして、そんな人生への絶望感は、「脳卒中などの危険を高める」ことが最近の米ミネソタ大の研究で分かり、日本の秋田大の調査でも生きがいのある人は「脳卒中のリスクが低かった」という。またまたドキッとする。
僕は思う。確かに前向きな気持を失うと、あらゆる方向に害ばかりが増える。特に意固地な男性は女性より、その傾向が強い。老いてからの友情の芽も、若い頃に比べると丈夫ではない。それゆえ考え方も、後ろ向きになる。これを前向きにチェンジする役目を果たすのが「糟糠の妻」だろうが、僕にはそんな助っ人がいない。今後この弱点を「いかに克服するか」が僕の課題だ。また、こんなご時世だ。今や、定年後を悪妻と化した長年の連れ合い人と暮らす恐妻家の「元暴君」も、質の違う課題を抱えている。
ましてや定年後、働きたくても働き口がない、失業率も有効求人倍率も最悪、という厳しい雇用情勢。ここはひとつ、男どもは現役時代の過ちを素直に反省して、何とか生活出来る範囲内で、悪妻人(びと)の助言に従って生きることが肝要なようだ。特に、勢いに任せて妻を「召使い」扱いした分からず屋は、暴言を慎むべきだろう。事実、今日例に挙げた「定年性依存症」の男性の大半は、奥さんの助言があったから再生出来た経験の持ち主、ではないだろうか。ここで僕なりの法則を書こう。男どもよ、定年後の人生はより前向きな妻の意見に従って行動せよ。地域のことは、地域に長く生きた妻の方がよく知っている。
もっと強く忠言したい人種がいる。例えば今まで、人生の大半をバクチで生きて来たであろう「肉体労働者達」だ。彼らは、強引さが売り物の超暴君だ。なので恐らく、「空巣老人」どころか、本物の空巣狙いの怪老人になる危険性を秘めている。悲しいかな彼らは、職場の福利厚生にも恵まれず、そのうえ妻には「誰のお陰で飯が食えているんだ!!」などと声を張り上げていた罵倒派人間だ。この実績は、バクチ場に行って言動を見れば一目瞭然。もし彼らが僕のような独り者にでもなれば、空巣老人の怪も一層社会問題化するだろう。つまり大阪で言えば、日本一の無法地帯に「アルコール」「ギャンブル」「出会い系」のみならず、新たに「万引き」に走らせる条件が整ってしまう、ことになりかねないのだ。
もう一度換言しよう。このような体質は一朝一夕にはなかなか直せない。なので、地域の最大貢献者である奥さんは、現役時代はああだこうだと我が物顔で命令しておきながら、この場に及んでなんで今更、なんて言わないで、「もっといい趣味を見つけて生きがいを増やしましょう」などと、旦那さんに呼びかける心構えを持とう。そう、これが新しい時代のポジティブな夫婦の生き様のひとつ、でもあるのだ、ということを肝に銘じて。
ちなみに僕は、行き先を誤らないように、「末広がり」ということで趣味の励行など大きいこと小さいことを含めて、「8つのテーマを自分に課す」生活を半ば強制している。このブログもそのひとつだ。理由は簡単。その方が雑念が増殖せず、ヒマを持て余すリスクを避けられるからだ。仮にこれを、僕の「生きがい」とするならば、これを継続することがちょっとは「定年性依存症」と「空巣老人」の防波堤になるだろう、とこう考えている。
つまりこれこそ、僕なりの人生の深い読み、だ。もし定年後、ヒマを持て余して、例えば思慮の浅い勝てる筈がない「ギャンブル」や、「アルコール」「出会い系サイト」、あるいは「万引き」などの「破滅が失望に至るプロセス」を選択するならば、僕の中の「善玉・空巣老人」がそれを許さないだろう。「獅子、身中の虫」は、常に自分の中にいる。