タンポポの綿毛は行く春を思わせる。人間界は、ゴールデンウィーク前の静けさ。自然界は、どこへ行っても、柔らかい日差しを浴びて爽やかに光るピチピチグリーンの嵐だ。あのみずみずしさ。人間界よりも自然界を好む僕にとっては、秋の紅葉季と並んでお宝の季節だ。例によって、自転車エアロビクスのペダルも軽い。都会の中の小さな自然にはまり込み、行く先々の田んぼや用水路の畦道では、「♪オタマジャクシはカエルの子、ナマズの孫ではないわいな」とか、「ネギ坊主はネギの花」だとか、それこそ見たままの風景を自分なりに適当に解釈しながら、晩春近しの野を観察している。
こんな気持になるのもこの時季ならでは、だろう。まさに今、森や林や田や畑が生きている、という実感がある。これは、まるで僕に「旅に出よ!!」と言っているかのようだ。JTB時刻表1000号を記念して、さあみんな、旅に出ようよ。それには、僕がもう入手した定額給付金、青春18キップを使うのがいい。狙いは「安近短」だ。自然は、人間を追い出したりはしないぞ。
大阪造幣局の「桜の通り抜け」ではないが、僕の近くの公園にもややスケールの小さい通り抜けがある。その直下を通れば、「七重八重の恋文」が作り上げた八重桜のピンクの絨毯(じゅうたん)が目に染みる。傍らでは、子供達が四つ葉のクローバーを探している。ふと思い出すあの頃。ゲンゲ田の主の蔓(?)を編み上げながら、隣のミヨチャンと仲良く「ままごと」をしたこともあったっけ。
舞妓はんが髪の毛に付けるお飾りのような藤の花も、見る者の興味をそそる。名付けて、藤棚の吊るし紫。そこには、独特の性が充満している。色気もある。成熟色の石楠花の艶やかさも、特筆ものだ。それに比べれば、素っ気なく咲くタンポポやめっきり少なくなったスミレには、未成熟のすがすがしさがある。彼、彼女達は恐らく「ゆるキャラ」だろう。思わず「君はひこにゃん?」「君はせんとくん?」などと声をかけたくなる。全ての花・草木が僕の要請に阿吽の呼吸で応えてくれているかのような気がする今日この頃、ご近所の通り抜けも決して侮(あなど)れない。
この時季、雪解けが進んだ津軽平野に林檎の花が咲く。郷愁を呼ぶ忘れられない心象風景だ。津軽富士・お岩木山を背景に、主役の紅い蕾から「白い五弁の恋文」がページを開く。新鮮だ。この恋文は、清潔で明るい。花盛りの4月から5月の頃、津軽平野の林檎畑は壮観を呈し、言わば晩春の風物詩だ。「面つつむ、津軽をとめや花林檎」
辛夷(こぶし)、雪割草など、寒い地方に咲く花を見ていると、僕は一種の「応援歌」に似た心境になる。さあ、もうひと踏ん張りだ、頑張って花咲けよ。そして、冬が長ければ長いほど、その感慨がより強くなるものだ。津軽の林檎も同じ。日本一と言われる弘前城の桜と共に、晩春とは言え春まだ浅き津軽の躍動はこの花からスタートする。さあ、ここでクイズだ。さて、林檎は何科の樹木だろうか? ・・・・・。正解は「バラ科」だ。クイズによく出題されるので、知っていた方も多い筈。津軽の林檎に向かって一言。君はバラより美しい。
こんなご時世、元気になる言葉にも勇気づけられる。例えば、その代表が「イチロー」だ。彼の語りの特徴は、ごく自然に発する言葉。つまり、自然体だ。なのになぜか、深みがある。ひょっとして彼は饒舌家? とも思うが、それは違う。厳しいある一線、高い壁を乗り越えた人のみが持つ説得力であることは間違いない、だろう。彼の発言は今や、この国の政治家にはないお宝だ。それも、日本一の御墨付きという信頼が付いている。
例えばの話しを続ける。かつて僕が越後へ行った時、ある居酒屋で地元の人がこう言っていた。「(米の)お菓子を食うのは越後を食うのと同じ。亀田製菓を始めとして、日本中の人が越後を食っている。米そのものも、ね」 これは説得力があった。 春スキーは軟雪でケガをしやすい。でも、強引に滑る僕は、そんなシャーベット状の雪質が大好きだった。ある時、「石井スポーツ」の馴染みの店員さんが僕に向かってこう言った。「たとえ『/』さんが好きでも、板が傷つきます。どっちを採るか、ですね」 これも納得。 もう一つ。大不況なのに最高益を上げる孤軍奮闘企業。これも申し分なし、何を言っても、アッパレ!!
次に、どうも不可解な言葉&その様。 和歌山カレー事件・林真須美被告の「真犯人は別にいる」 じゃあ、誰なんだ。 もはや乱開発の証人であるアフリカの砂漠にある「バオバブの木」を一躍有名にした「星の王子さま」の作者サンテグジュペリ。彼は天国で「こんな筈じゃなかった」と言っているだろう。 コンビニ、マック、モス、吉野家、松屋などなどがこぞって値引き合戦。嬉しいけど、横一線の芸のなさ。 SMAP・クサナギツヨシの全裸。「(公然ワイセツで)何が悪い」と彼は言った。言い過ぎだよ、剛くん。これはつまり、君のお宝「チンレツ罪」だ。
もう少し続ける。大阪では、妻の愛人(内縁の夫)が妻の子を幼児虐待した後、ベランダに放置し、死亡させて、山中に捨てる、という半ば「追い出し行為」による殺人事件が起こった。この種の事件、僕はもうコメントする気になれない。なぜこうなる? 不可解な夫婦まがい。二人は死刑だ。腹が立つので、こう言っておく。
「中国人は管理が必要」と言った香港俳優ジャッキー・チェン。彼は中国の回し者? 片や、右翼団体の街宣車に植木鉢を投げつけたデビ夫人。彼女は北朝鮮の回し者? 日立の子会社の「エコ偽装」 これは言わずもがな。凄くタチが悪い。 「スラムドック」のヒロインを父親が身売り。そんなバカな。これって、ボリウッド流? 「スター誕生」のヒロイン、「♪お元気ですか」の清水由貴子さん。なぜ死んだ? 介護疲れ? あなたの元気な顔が救い、だったのに。 ベスト電器のワースト電器ぶり。いい加減にせい!!
最後にもう一つ。最近、目立って「ノーテンキ」な隣のオバチャン。これには理由がある。どうやら、旦那さんが彼女の居場所を妨害しているらしい。居場所の例えばが、ご近所だ。ご近所はオバチャンの活躍場所。これは、一大事だ。ので、ヤケクソになっているのだ。可哀想なオバチャン。この旦那さんの行為は、僕の側から見れば、追い出し屋に見える。ケシカラン。ので、僕はオバチャンに同情&味方する。と、今日はこんな追い出し屋に焦点を当てる。
「敷金・礼金なし」の甘い誘い文句で「ゼロゼロ物件」に入居させておきながら、借主が少しでも家賃を滞納すれば、強引に退去を迫る「追い出し屋」の被害がまた増えつつある。この手口は、サラ金地獄に陥った多重債務者などをカモにする「悪質消費者金融業者」のやり方によく似ている。ということを考慮すれば、このような追い出し屋の本質は恐らく、ヤミ金に限らず、振り込め詐欺など裏の世界で暗躍する極悪非道のヤカラの成せる業だろう。
これは、悪徳商法にありがちな「人の弱みに付け込む」という非人間的な行為。言わば、悪い方向で首尾一貫している手口だ、と言える。このがんじがらめのワナにはまり込む被害者も勿論、文字通り経済的弱者。つまり社会的に立場の弱い人達だ。この中には、派遣切りにあった非正規労働者やワーキングプア、ネットカフェ難民に準じる人々、資金力のない若い学生や社会人などが含まれている。そして、これらの人達を支援する各地の弁護士事務所や消費者センターには、今もなお相談に訪れる被害者が後を絶たない。
僕は思う。確かに初期費用の安さばかりを求めるあまり、甘い言葉についつい誘惑されてしまう被害者にも責任がなくはない。しかし、自分自身が今置かれた立場や将来の生活事情を考えると、これ以外に選択肢はない、という心理も分からぬでもない。いずれにしても、巧言令色鮮(すくな)し仁、だ。羊頭狗肉の看板には細心の注意を払うべきだろう。でないと、いずれ自分が袋小路にはまり青息吐息になる。後悔、先に立たずだ。
メディアで報道されている限りでは、追い出し屋の「報復行為」は陰湿で腹黒いものだ。僕にはとても人間業とは思えない。主犯は、借主が物件を借りる際に契約を結んだ連帯保証人、つまり「家賃保証会社」の社員だ。家主は大抵の場合、表には出ない。よって、社員の独壇場。彼らのしつこい脅かしや嫌がらせは、ヤクザのチンピラ並みだ。その威圧的な振る舞いで、入居者は泣き寝入りを余儀なくされる。このプレッシャーは、体験者のみぞ知るトラウマだろう。
どんな体験かと言えば、例えば「執拗な督促」「鍵交換」「高額の違約金請求」「室内侵入」「家財処分」「強制退去」などなど。まるでプライバシーの侵害以外何ものでもない、傍若無人さだ。これらの「追い出し行為」の中には、入居契約の段階で早くも刑法や民放、消費者契約法に反する恐れがある条項が記載されていることに「該当するものがある」ことが分かった。
それでは「違法性のある行為」を次に挙げる。まず「督促」だ。支払いを迫る文書を玄関などに掲示することは、「名誉毀損罪」などに該当する。次に「立ち入り」だが、これは借主の意思に反して住居に立ち入るという意味で、「住居侵入罪」などに問われる。また、別の鍵を取り付けて住居を使用出来なくする「ドアロック」は、「民事上の不法行為」など、借主の意思に反して家財を持ち出し処分する「家財撤去」は、「住居侵入罪」などに触れる、という。
以上のような法に抵触する行為をする業者は、僕に言わせれば世の中のクズ、だ。にもかかわらず彼らは、社会的経済的弱者を「クズ扱い」しているのだ。言い換えれば、これなどは「滞納した負い目」に「法の無知」、そして、「借主の弱み」に用意周到、巧みに付け込む手口で、まさに「ヤミ金」そのもの、だ。こんな業界にトグロを巻いて集合しているのは、一度悪徳商法に手を染めたら止められない、ヤクザまがいの烏合の衆。つまり「悪い類は友を呼ぶ」構図だ。
こうした構図の成れの果てが、「ゼロゼロ物件」を金儲けの的にして、闇の世界に暗躍しているのだ。その名は、ヤクザ並みの生業に形を変えた家賃保証業。と、こう言えるだろう。実際、被害状況はその名に相応しい不当な行為のオンパレード、だ。この行為に対して専門家は、「業者の暴走を止めさせ、裁判を起こすためにも、契約書や督促状などの書類を保管し、業者からの電話の内容もメモに記して、証拠を残して欲しい」と助言している。当然の判断だろう、と僕は感じる。
日弁連の消費者問題対策委員長の弁護士も、こう語っている。「安全で平穏に居住する権利を侵害する追い出し屋を、まかり通らせてはならない」 この発言も当然だ。正真正銘の追い出し屋の話しはこの辺にして、委員長の発言の立場に立てば、今の日本には、形を変えた追い出し行為として見えてくるものがいっぱいある。つまり、追い出し屋に似たしかるべき人の行為の数々だ。先を急ぐので足早に言おう。日本のあらゆる格差の根源も、「貧困」だ。そう考えれば、この貧困者を追い出す行為をする政治家や企業家という「ヤカラ」も、後を絶たない。どころか、それがまかり通っている。
たくさんあるが、例を最低限に止めて、まず国。ここへ来て目立つのは、厚顔無恥な政治家のやったセーフティーネットを無視した「弱者追い出し政策」だ。最近で僕が一番ショックだったのが、身元不明などの生活保護者を地方の「静養ホーム」に追い出した東京都墨田区の不祥事。行政の受け入れ態勢が整っていない不備なホームで、10人の悲しい犠牲者が出た。群馬県「たまゆら」の火災だ。ここは、「無届け施設」だった。これなども、追い出しという冷たい仕打ちだろう。
派遣切りなどを恥もなく実行した大半の大企業トップも、同じ穴のムジナ。彼らは、非正規雇用者を「物扱い」している。これなども、人道的に見れば許し難い悪行で、決して放っておけない追い出し行為だ。また、メディアに露出している悪行は、今もなお氷山の一角に過ぎない。その意味では、今日のテーマの追い出し屋よりまだまし、チンピラよりもまだまし、などとは言っておれない、と僕は感じる。もっと例を挙げたいが、残念ながら時間がない。
思えば、まだまだ日本のセーフティーネットは脆弱だ。万人に優しい政治家、企業家になれ、とは言わないけれど、弱者に優しい政治家や企業家になれ、と僕は言いたい。国民も己に関係ない弱者には、冷たい。押しつけがましい言い方で失礼だとは思うけど、僕はそんな冷たさを「弱者を追い出す行為」と呼びたい気もする。根底にあるのは、臭いものには蓋をする、君子、危うきに近寄らず、という考え方だ。これでは、庶民感覚が泣く。
話しは少しそれるが、昔僕がドイツを旅した折、ミュンヘンの飲食店で現地の人と盛り上がった。彼らは、僕が日本人であることが分かると、親しみを込めて僕にこう言った。「日本人には慈悲がある」 「おーい、こんな場でいきなり仏さんの話しかよー」 これには、さすがの僕も参った。でも、僕は思った。彼らの基本はキリスト教などの西洋思想。己の考えを東洋人である僕と比較する時、一番分かり易いのがこの慈悲という「精神性」だろう、と。
そう思うと、僕はなぜか嬉しかった。ダンケ、ダンケ。嬉しかった裏には、彼ら国民が人間も自然も同じであるとする考え方を人一倍持っている人種だから、という僕なりの信念があった。その考えを象徴するかのようにドイツでは、エリートと呼ばれる人が「森の番人」であったり、「川の守り人」だったりする。しかし、ドイツの大抵の人は、見た目我関せず、の人が多い。旅籠に行っても、レストランに行っても、ビヤホールに行っても、日本人のように入り口で「作り愛想のいい顔」をして、しつこく「いらっしゃいませ!!」などとは言わない。ので、マイペースの僕には、そんな淡白な態度がお気に入りで、居心地が凄く良かった。なぜなら、さっき言った通り彼らの国民性を心底知っていたからだ。
比較して、今の日本人は「執拗」で「強制」されているかと思えるほど、他人に対しては関心があり過ぎるくらいある。なのに例えば、弱者の人に気を使ったり、弱者の気持を想像したりする心や配慮が欠けている。そう、自分で自分の優しい心を追い出しているのだ。慈悲の国なのに、なぜなんだ。格好だけ? これは今でも感じる日本人とドイツ人の人種の違いだ。この感慨を、心の外に追いやりたくはない。と、僕は痛感する。
だから、もう一度忠言する。日本人よ、追い出すのはあくまで「悪しき心」だ。そして、羊頭狗肉の看板を捨てて、「良き心の慈悲者」になろう。人徳は、人間の外面より内面にあり、というドイツ旅行の教訓を僕は忘れない。それが日本中に拡がれば、すべての追い出し屋は半減する。それで充分だ。
こんな気持になるのもこの時季ならでは、だろう。まさに今、森や林や田や畑が生きている、という実感がある。これは、まるで僕に「旅に出よ!!」と言っているかのようだ。JTB時刻表1000号を記念して、さあみんな、旅に出ようよ。それには、僕がもう入手した定額給付金、青春18キップを使うのがいい。狙いは「安近短」だ。自然は、人間を追い出したりはしないぞ。
大阪造幣局の「桜の通り抜け」ではないが、僕の近くの公園にもややスケールの小さい通り抜けがある。その直下を通れば、「七重八重の恋文」が作り上げた八重桜のピンクの絨毯(じゅうたん)が目に染みる。傍らでは、子供達が四つ葉のクローバーを探している。ふと思い出すあの頃。ゲンゲ田の主の蔓(?)を編み上げながら、隣のミヨチャンと仲良く「ままごと」をしたこともあったっけ。
舞妓はんが髪の毛に付けるお飾りのような藤の花も、見る者の興味をそそる。名付けて、藤棚の吊るし紫。そこには、独特の性が充満している。色気もある。成熟色の石楠花の艶やかさも、特筆ものだ。それに比べれば、素っ気なく咲くタンポポやめっきり少なくなったスミレには、未成熟のすがすがしさがある。彼、彼女達は恐らく「ゆるキャラ」だろう。思わず「君はひこにゃん?」「君はせんとくん?」などと声をかけたくなる。全ての花・草木が僕の要請に阿吽の呼吸で応えてくれているかのような気がする今日この頃、ご近所の通り抜けも決して侮(あなど)れない。
この時季、雪解けが進んだ津軽平野に林檎の花が咲く。郷愁を呼ぶ忘れられない心象風景だ。津軽富士・お岩木山を背景に、主役の紅い蕾から「白い五弁の恋文」がページを開く。新鮮だ。この恋文は、清潔で明るい。花盛りの4月から5月の頃、津軽平野の林檎畑は壮観を呈し、言わば晩春の風物詩だ。「面つつむ、津軽をとめや花林檎」
辛夷(こぶし)、雪割草など、寒い地方に咲く花を見ていると、僕は一種の「応援歌」に似た心境になる。さあ、もうひと踏ん張りだ、頑張って花咲けよ。そして、冬が長ければ長いほど、その感慨がより強くなるものだ。津軽の林檎も同じ。日本一と言われる弘前城の桜と共に、晩春とは言え春まだ浅き津軽の躍動はこの花からスタートする。さあ、ここでクイズだ。さて、林檎は何科の樹木だろうか? ・・・・・。正解は「バラ科」だ。クイズによく出題されるので、知っていた方も多い筈。津軽の林檎に向かって一言。君はバラより美しい。
こんなご時世、元気になる言葉にも勇気づけられる。例えば、その代表が「イチロー」だ。彼の語りの特徴は、ごく自然に発する言葉。つまり、自然体だ。なのになぜか、深みがある。ひょっとして彼は饒舌家? とも思うが、それは違う。厳しいある一線、高い壁を乗り越えた人のみが持つ説得力であることは間違いない、だろう。彼の発言は今や、この国の政治家にはないお宝だ。それも、日本一の御墨付きという信頼が付いている。
例えばの話しを続ける。かつて僕が越後へ行った時、ある居酒屋で地元の人がこう言っていた。「(米の)お菓子を食うのは越後を食うのと同じ。亀田製菓を始めとして、日本中の人が越後を食っている。米そのものも、ね」 これは説得力があった。 春スキーは軟雪でケガをしやすい。でも、強引に滑る僕は、そんなシャーベット状の雪質が大好きだった。ある時、「石井スポーツ」の馴染みの店員さんが僕に向かってこう言った。「たとえ『/』さんが好きでも、板が傷つきます。どっちを採るか、ですね」 これも納得。 もう一つ。大不況なのに最高益を上げる孤軍奮闘企業。これも申し分なし、何を言っても、アッパレ!!
次に、どうも不可解な言葉&その様。 和歌山カレー事件・林真須美被告の「真犯人は別にいる」 じゃあ、誰なんだ。 もはや乱開発の証人であるアフリカの砂漠にある「バオバブの木」を一躍有名にした「星の王子さま」の作者サンテグジュペリ。彼は天国で「こんな筈じゃなかった」と言っているだろう。 コンビニ、マック、モス、吉野家、松屋などなどがこぞって値引き合戦。嬉しいけど、横一線の芸のなさ。 SMAP・クサナギツヨシの全裸。「(公然ワイセツで)何が悪い」と彼は言った。言い過ぎだよ、剛くん。これはつまり、君のお宝「チンレツ罪」だ。
もう少し続ける。大阪では、妻の愛人(内縁の夫)が妻の子を幼児虐待した後、ベランダに放置し、死亡させて、山中に捨てる、という半ば「追い出し行為」による殺人事件が起こった。この種の事件、僕はもうコメントする気になれない。なぜこうなる? 不可解な夫婦まがい。二人は死刑だ。腹が立つので、こう言っておく。
「中国人は管理が必要」と言った香港俳優ジャッキー・チェン。彼は中国の回し者? 片や、右翼団体の街宣車に植木鉢を投げつけたデビ夫人。彼女は北朝鮮の回し者? 日立の子会社の「エコ偽装」 これは言わずもがな。凄くタチが悪い。 「スラムドック」のヒロインを父親が身売り。そんなバカな。これって、ボリウッド流? 「スター誕生」のヒロイン、「♪お元気ですか」の清水由貴子さん。なぜ死んだ? 介護疲れ? あなたの元気な顔が救い、だったのに。 ベスト電器のワースト電器ぶり。いい加減にせい!!
最後にもう一つ。最近、目立って「ノーテンキ」な隣のオバチャン。これには理由がある。どうやら、旦那さんが彼女の居場所を妨害しているらしい。居場所の例えばが、ご近所だ。ご近所はオバチャンの活躍場所。これは、一大事だ。ので、ヤケクソになっているのだ。可哀想なオバチャン。この旦那さんの行為は、僕の側から見れば、追い出し屋に見える。ケシカラン。ので、僕はオバチャンに同情&味方する。と、今日はこんな追い出し屋に焦点を当てる。
「敷金・礼金なし」の甘い誘い文句で「ゼロゼロ物件」に入居させておきながら、借主が少しでも家賃を滞納すれば、強引に退去を迫る「追い出し屋」の被害がまた増えつつある。この手口は、サラ金地獄に陥った多重債務者などをカモにする「悪質消費者金融業者」のやり方によく似ている。ということを考慮すれば、このような追い出し屋の本質は恐らく、ヤミ金に限らず、振り込め詐欺など裏の世界で暗躍する極悪非道のヤカラの成せる業だろう。
これは、悪徳商法にありがちな「人の弱みに付け込む」という非人間的な行為。言わば、悪い方向で首尾一貫している手口だ、と言える。このがんじがらめのワナにはまり込む被害者も勿論、文字通り経済的弱者。つまり社会的に立場の弱い人達だ。この中には、派遣切りにあった非正規労働者やワーキングプア、ネットカフェ難民に準じる人々、資金力のない若い学生や社会人などが含まれている。そして、これらの人達を支援する各地の弁護士事務所や消費者センターには、今もなお相談に訪れる被害者が後を絶たない。
僕は思う。確かに初期費用の安さばかりを求めるあまり、甘い言葉についつい誘惑されてしまう被害者にも責任がなくはない。しかし、自分自身が今置かれた立場や将来の生活事情を考えると、これ以外に選択肢はない、という心理も分からぬでもない。いずれにしても、巧言令色鮮(すくな)し仁、だ。羊頭狗肉の看板には細心の注意を払うべきだろう。でないと、いずれ自分が袋小路にはまり青息吐息になる。後悔、先に立たずだ。
メディアで報道されている限りでは、追い出し屋の「報復行為」は陰湿で腹黒いものだ。僕にはとても人間業とは思えない。主犯は、借主が物件を借りる際に契約を結んだ連帯保証人、つまり「家賃保証会社」の社員だ。家主は大抵の場合、表には出ない。よって、社員の独壇場。彼らのしつこい脅かしや嫌がらせは、ヤクザのチンピラ並みだ。その威圧的な振る舞いで、入居者は泣き寝入りを余儀なくされる。このプレッシャーは、体験者のみぞ知るトラウマだろう。
どんな体験かと言えば、例えば「執拗な督促」「鍵交換」「高額の違約金請求」「室内侵入」「家財処分」「強制退去」などなど。まるでプライバシーの侵害以外何ものでもない、傍若無人さだ。これらの「追い出し行為」の中には、入居契約の段階で早くも刑法や民放、消費者契約法に反する恐れがある条項が記載されていることに「該当するものがある」ことが分かった。
それでは「違法性のある行為」を次に挙げる。まず「督促」だ。支払いを迫る文書を玄関などに掲示することは、「名誉毀損罪」などに該当する。次に「立ち入り」だが、これは借主の意思に反して住居に立ち入るという意味で、「住居侵入罪」などに問われる。また、別の鍵を取り付けて住居を使用出来なくする「ドアロック」は、「民事上の不法行為」など、借主の意思に反して家財を持ち出し処分する「家財撤去」は、「住居侵入罪」などに触れる、という。
以上のような法に抵触する行為をする業者は、僕に言わせれば世の中のクズ、だ。にもかかわらず彼らは、社会的経済的弱者を「クズ扱い」しているのだ。言い換えれば、これなどは「滞納した負い目」に「法の無知」、そして、「借主の弱み」に用意周到、巧みに付け込む手口で、まさに「ヤミ金」そのもの、だ。こんな業界にトグロを巻いて集合しているのは、一度悪徳商法に手を染めたら止められない、ヤクザまがいの烏合の衆。つまり「悪い類は友を呼ぶ」構図だ。
こうした構図の成れの果てが、「ゼロゼロ物件」を金儲けの的にして、闇の世界に暗躍しているのだ。その名は、ヤクザ並みの生業に形を変えた家賃保証業。と、こう言えるだろう。実際、被害状況はその名に相応しい不当な行為のオンパレード、だ。この行為に対して専門家は、「業者の暴走を止めさせ、裁判を起こすためにも、契約書や督促状などの書類を保管し、業者からの電話の内容もメモに記して、証拠を残して欲しい」と助言している。当然の判断だろう、と僕は感じる。
日弁連の消費者問題対策委員長の弁護士も、こう語っている。「安全で平穏に居住する権利を侵害する追い出し屋を、まかり通らせてはならない」 この発言も当然だ。正真正銘の追い出し屋の話しはこの辺にして、委員長の発言の立場に立てば、今の日本には、形を変えた追い出し行為として見えてくるものがいっぱいある。つまり、追い出し屋に似たしかるべき人の行為の数々だ。先を急ぐので足早に言おう。日本のあらゆる格差の根源も、「貧困」だ。そう考えれば、この貧困者を追い出す行為をする政治家や企業家という「ヤカラ」も、後を絶たない。どころか、それがまかり通っている。
たくさんあるが、例を最低限に止めて、まず国。ここへ来て目立つのは、厚顔無恥な政治家のやったセーフティーネットを無視した「弱者追い出し政策」だ。最近で僕が一番ショックだったのが、身元不明などの生活保護者を地方の「静養ホーム」に追い出した東京都墨田区の不祥事。行政の受け入れ態勢が整っていない不備なホームで、10人の悲しい犠牲者が出た。群馬県「たまゆら」の火災だ。ここは、「無届け施設」だった。これなども、追い出しという冷たい仕打ちだろう。
派遣切りなどを恥もなく実行した大半の大企業トップも、同じ穴のムジナ。彼らは、非正規雇用者を「物扱い」している。これなども、人道的に見れば許し難い悪行で、決して放っておけない追い出し行為だ。また、メディアに露出している悪行は、今もなお氷山の一角に過ぎない。その意味では、今日のテーマの追い出し屋よりまだまし、チンピラよりもまだまし、などとは言っておれない、と僕は感じる。もっと例を挙げたいが、残念ながら時間がない。
思えば、まだまだ日本のセーフティーネットは脆弱だ。万人に優しい政治家、企業家になれ、とは言わないけれど、弱者に優しい政治家や企業家になれ、と僕は言いたい。国民も己に関係ない弱者には、冷たい。押しつけがましい言い方で失礼だとは思うけど、僕はそんな冷たさを「弱者を追い出す行為」と呼びたい気もする。根底にあるのは、臭いものには蓋をする、君子、危うきに近寄らず、という考え方だ。これでは、庶民感覚が泣く。
話しは少しそれるが、昔僕がドイツを旅した折、ミュンヘンの飲食店で現地の人と盛り上がった。彼らは、僕が日本人であることが分かると、親しみを込めて僕にこう言った。「日本人には慈悲がある」 「おーい、こんな場でいきなり仏さんの話しかよー」 これには、さすがの僕も参った。でも、僕は思った。彼らの基本はキリスト教などの西洋思想。己の考えを東洋人である僕と比較する時、一番分かり易いのがこの慈悲という「精神性」だろう、と。
そう思うと、僕はなぜか嬉しかった。ダンケ、ダンケ。嬉しかった裏には、彼ら国民が人間も自然も同じであるとする考え方を人一倍持っている人種だから、という僕なりの信念があった。その考えを象徴するかのようにドイツでは、エリートと呼ばれる人が「森の番人」であったり、「川の守り人」だったりする。しかし、ドイツの大抵の人は、見た目我関せず、の人が多い。旅籠に行っても、レストランに行っても、ビヤホールに行っても、日本人のように入り口で「作り愛想のいい顔」をして、しつこく「いらっしゃいませ!!」などとは言わない。ので、マイペースの僕には、そんな淡白な態度がお気に入りで、居心地が凄く良かった。なぜなら、さっき言った通り彼らの国民性を心底知っていたからだ。
比較して、今の日本人は「執拗」で「強制」されているかと思えるほど、他人に対しては関心があり過ぎるくらいある。なのに例えば、弱者の人に気を使ったり、弱者の気持を想像したりする心や配慮が欠けている。そう、自分で自分の優しい心を追い出しているのだ。慈悲の国なのに、なぜなんだ。格好だけ? これは今でも感じる日本人とドイツ人の人種の違いだ。この感慨を、心の外に追いやりたくはない。と、僕は痛感する。
だから、もう一度忠言する。日本人よ、追い出すのはあくまで「悪しき心」だ。そして、羊頭狗肉の看板を捨てて、「良き心の慈悲者」になろう。人徳は、人間の外面より内面にあり、というドイツ旅行の教訓を僕は忘れない。それが日本中に拡がれば、すべての追い出し屋は半減する。それで充分だ。