(佐敷城址から佐敷港を臨む)
現在残る「佐敷城」は、肥後国(熊本県)の南部の防衛拠点
として、「加藤清正」が築きました。
佐敷城の城代となったのは、加藤清正の家臣の「加藤重次」
でした。
(加藤重次の遺構については、前回の「佐敷宿」を見てね。)
重次が城代を勤めていた1592年に「梅北の乱」が起き
ました。
「梅北の乱」とは、朝鮮出兵に向けて佐敷に在陣していた
島津家の家臣・梅北国兼が、城代の加藤重次が出陣し手薄に
なった佐敷城を、突如、奇襲して乗っ取った、という事件
です。
佐敷城から逃れた重次の家臣の安田弥右衛門は、酒肴をもって
佐敷城に再び現われ、梅北国兼に投降する素振りを見せます。
梅北国兼は、寝返った安田弥右衛門を迎え入れて酒宴の席と
なりますが、この酒宴の最中に、安田弥右衛門は、国兼に
接近し、国兼を討ち取ってしまいました!
この様にして、「梅北の乱」は、あっけなく幕切れとな
りました・・・
加藤清正の死後も、佐敷城は、肥後支配のための重要な支城の
1つとして維持されていましたが、1616年の一国一城令に
より廃城となりました。
更に、島原の乱で、原城に籠った一揆勢の掃討に苦労した幕府
は、加藤清正が築いた堅固な佐敷城を危険視する様になり、
再度、城址の石垣を徹底的に破壊する様に命じました。
佐敷宿の交流館「枡屋」のボランティアのオバサマに教えて
もらった佐敷城への道順に従って、佐敷宿の外れの坂道を
上って行きます。
坂の途中には、写真の大師堂と八十八札所地蔵群があり
ました。
佐敷宿の外れから10分くらい坂道を上ったところで、次頁の
写真の佐敷城址の入口に着きました。
見事な満開の桜ですが、平日とは言え、花見客が一人も
いません・・・
勿体ない!!
ここまでは、車で上がって来れるので、車での佐敷城址
見物は便利です。
駐車場から山の上を見上げると、佐敷城址の石垣が見えます。
(写真の赤丸印)
大きな駐車場には綺麗なトイレも完備しており、詳しい案内板
も設置されています。
佐敷城址は、この駐車場から、更に、数分、坂を上ったところ
にありました。
城址は現在、佐敷城跡城山公園として整備されており、
平成20年に国の史跡に指定されています。
佐敷城址は、薩摩街道を眼下に見下ろす高台にありました。
城址からからの眺望は素晴らしく、佐敷港と不知火海がよく
見渡せ、港の掌握を意識した城であったことが分かります。
(佐敷城址の航空写真 : 駐車場の案内板から)
城址を一回り歩いて気づいたのは、2度にわたって破壊された
というのが嘘の様に、驚くほど綺麗に、石垣が残っている事
でした。
また、城址の整備も行き届いており、完璧な石垣の修復と
併せて、地元の人々の「佐敷城」への深い愛着を感じました。
(二ノ丸搦め手門付近の石垣)
写真は、本丸の内部に入れられている堀切状の窪みで、東西に
延びて大手門口と搦め手門口とをつないでいます。
上の写真は、本丸から西方を見たところで、眺望がよく、
遠くの不知火海まで見えます。
(本丸西門)
(二ノ丸東門の枡形)
(二ノ丸東門の下の大手口の枡形)
(二ノ丸の石垣)
佐敷城址の全体的な感想としては、余り期待せずに行きました
が見事な石垣と見晴らしの素晴らしさに感動しました!
私は、佐敷城址を、勝手に、”天空の城”と命名しました。
さすが!、加藤清正が築いた城だけのことはありました!