ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

電車で行く「薩摩街道」 (その3-1:日奈久宿 :宿場町)  2019.10.28

 

 

(写真は、江戸時代には細川藩の藩営の温泉だった

 「ばんぺい湯」)

 

「日奈久(ひなぐ)宿」は、八代海に臨み、600年の歴史を

持つ温泉です。

 

江戸時代初期には、細川藩の藩主の浴舎が造られ、以降、藩営

の温泉として栄えました。

 

また、薩摩藩の藩主は、参勤交代の際、鹿児島から船で日奈久

へ入港し、温泉を楽しんだそうです。

 

大正12年、鹿児島本線が開通すると、遠方からも人が訪れる

温泉観光地として大いに発展しました。

 

先月、帰省した際に、その「日奈久(ひなぐ)宿」を訪れ

ました。

 

 

熊本駅から「鹿児島本線」に乗り、八代駅で「肥薩おれんじ

鉄道」に乗り換え、「日奈久温泉駅」で下車します。

 

(日奈久温泉駅)

 

 「日奈久温泉」の温泉街は、駅から少し離れた場所にあり

ました。

地図を頼りに、徒歩13分、3号線の途中から旧道の「薩摩

街道」に入ります。

写真は、なまこ壁の路地です。

日奈久宿には、今でも、白壁や木造三階建ての旅館が残り、

薩摩街道の面影をそのまま残しています。

また、昔ながらの土産物屋や共同浴場などもあり、昭和

レトロなノスタルジックな気分にしてくれます。

そして、日奈久の旧街道沿いでは、なまこ壁が目を引きます。

なまこ壁というと、瓦をひし形に組んだものが多いですが、

熊本県では水平に並べているのが特徴です。

 

商家の中で一段と立派なのが、前頁の写真の明治時代の

「村津家住宅」です。

 

外周をぐるりとしっくい壁で塗り固め、主屋と土蔵を一体化

させた外観が特徴です。  

 

説明板によると、なまこ壁には、火災発生時に類焼を

食い止める役目があるそうです。

 

ちょっと見辛いですが、前頁の写真の赤丸印は、火災の

際に、濡れたムシロを掛けるための釘です。

 

 

写真の「ばんぺい湯」は、江戸時代には「御前湯」と呼ばれ、

細川藩の藩営の由緒ある温泉でした。 

現在は、大衆浴場として多くの人に親しまれています。

街道沿いの日奈久の町は、細い路地が入り組んでおり、

木造三階の老舗旅館が多いのが目立ちます。

 

今晩の夕食を予約している上の写真の「金波楼」(きんぱろう

:登録文化財)も、木造三階の老舗旅館です。

(木造三階の新湯旅館)

 

 以下は、薩摩街道沿いの町並みです。

 

上の写真は、山頭火の石碑で、「温泉はよい、ほんたうに

よい、ここは山もよし海もよし、出来ることなら一生

動きたくないのだが。」と刻まれています。

漁村でもあった日奈久には、上の写真の様に、恵比寿像が

あちこちで祀られています。

上の写真の家の土台の石垣が、江戸時代には、ここが

旧海岸線だったことを示しています。

また、街道沿いには、上の写真の様に、日奈久名産の竹輪を

売る店が散見されます。

薩摩街道を抜けると、国道3号線沿いの店には、大きな

「晩白柚(ばんぺいゆ)」の1種の「チャンドラ」が

山なりで売られています。

余りの大きさと安さに、ついつい、ダンボール1箱分を買って

横浜へ送りました。

薩摩街道を海岸の方へ向かって歩くと、日奈久港があり、

写真の「西南戦争 政府衝背軍 上陸地」の標識が立って

いました。

西南役の際、日奈久は、薩軍の後方支援基地だったので、官軍

の標的になりました。

 

官軍(政府衝背軍)は、日奈久の沖合から艦砲射撃で援護

しながら、6千人を上陸させました。

 

次頁の写真は、現存では最も古い明治10年の「八代屋旅館」

ですが、二階の柱には、西南戦争の時の艦砲射撃の弾痕が

残っているそうです。

 

上陸を許してしまった薩軍は反撃することもなく敗走した

ため、上陸した政府衝背軍は、熊本城を侵攻中の薩軍の

背後を襲うべく北上していきます。


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コメント一覧

ウォーク更家
現在は木造3階建はダメですが・・・
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
現在は、建築基準法で、木造3階建は禁止されていますが、昔は違反ではなかったみたいです。

従って、老舗旅館に限らず、戦前からの古い建物で、震災や大戦などを免れて、しかも増改築しなければOKみたいですよ。

私は、瀬戸内海の島で、木造5階建てを見たことがありますので、狭い土地での苦肉の策なのかも知れません。

東日本の都市は、仮に木造3階建があっても、ほとんどが関東大震災で倒壊したり、空襲で焼けたり、それを免れても、都市計画や地上げで解体されたりと、残らなかったのでしょうね。
tadaox
木造3階建には何か曰くが?
https://blog.goo.ne.jp/s1504
いずれも老舗旅館ということですが、木造3階建というのは珍しいですね。
お客さんがそれほどたくさんいたということでしょうか。
東日本ではあまり見ない様式ですので、土地特有の理由がありそうですが。
ウォーク更家
日奈久宿の街並みは海岸沿い
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですね、日奈久宿の街並みは、峠道が続く中山道の妻籠などと異なり、海岸線沿いなので、明るく開けた感じです。

日奈久は、八代平野の端にあり、平らな平地で、八代や熊本の都市につながっているので、中山道の様に、圧迫感がないです。
hide-san
日奈久宿の街並み
https://blog.goo.ne.jp/hidebach
日奈久宿の街並みは、
中山道の奈良井宿や妻籠、馬篭宿とは趣が違いますね。

明るく開けた感じがします。
ウォーク更家
一生動きたくない日奈久宿 
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ええ、山頭火が一生動きたくないと言ったのを実感するくらい、薩摩街道沿いの町並みは趣があります。
私も、ここを終の棲家にしたいなあ、と思ったくらいです。

西南戦争は、地元の私ですら、日奈久宿が戦場だったのを知らなかったくらいに、熊本県下の至る所が戦場だったみたいです。

次回は、老舗旅館「金波楼」の建物の中と夕食をご紹介しますので、お楽しみに。
もののはじめのiina
日奈久宿 
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/75605db5b72471fe0f9a6d7ee3202594
「一生動きたくない」と思える日奈久(ひなぐ)宿も西南戦争 の戦場になったのですね。

600年の歴史があるだけに薩摩街道沿いの町並みは、趣があります。
老舗旅館「金波楼」(きんぱろう)」は登録文化財でもあり、夕食は さぞやおいしかったことでしょう。^^


上野駅構内を台地上から 撮影しましたが、最近は上野駅に降りずにいますから ご無沙汰しています。



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