ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

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中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

電車で行く「薩摩街道」 (その14-1:日奈久宿 :宿場町)  2019.10.28

2019-11-13 17:04:09 | Weblog

 

 

(写真は、江戸時代には細川藩の藩営の温泉だった「ばんぺい湯」)

 

江戸時代には、島津の殿様が参勤交代のために「薩摩街道」を通りました。

また、篤姫も、将軍への嫁入りの際に「薩摩街道」を江戸へ向かいました。

そして明治時代、西南の役の際には、西郷隆盛軍が、熊本城攻撃のために「薩摩街道」を北上しました。

「日奈久(ひなぐ)宿」は、八代海に臨み、600年の歴史を持つ温泉です。

江戸時代初期には、細川藩の藩主の浴舎が造られ、以降、藩営の温泉として栄えました。

また、薩摩藩の藩主は、参勤交代の際、鹿児島から船で日奈久へ入港し、温泉を楽しんだそうです。

大正12年、鹿児島本線が開通すると、遠方からも人が訪れる温泉観光地として大いに発展しました。

 

先月、帰省した際に、その「日奈久(ひなぐ)宿」を訪れました。

(熊本駅)

熊本駅から「鹿児島本線」に乗り、八代駅で「肥薩おれんじ鉄道」に乗り換え、「日奈久温泉駅」で下車します。

(日奈久温泉駅)

 「日奈久温泉」の温泉街は、駅から少し離れた場所にありました。

地図を頼りに、徒歩13分、3号線の途中から旧道の「薩摩街道」に入ります。

日奈久宿には、今でも、白壁や木造三階建ての旅館が残り、薩摩街道の面影をそのまま残しています。

また、昔ながらの土産物屋や共同浴場などもあり、昭和レトロなノスタルジックな気分にしてくれます。

そして、日奈久の旧街道沿いでは、なまこ壁が目を引きます。

写真は、なまこ壁の路地です。

なまこ壁というと、瓦をひし形に組んだものが多いですが、熊本県では水平に並べているのが特徴です。

 

商家の中で一段と立派なのが、上の写真の明治時代の「村津家住宅」です。

外周をぐるりとしっくい壁で塗り固め、主屋と土蔵を一体化させた外観が特徴です。  

説明板によると、なまこ壁には、火災発生時に類焼を食い止める役目があるそうです。

ちょっと見辛いですが、上の写真の赤丸印は、火災の際に、濡れたムシロを掛けるための釘です。

写真の「ばんぺい湯」は、江戸時代には「御前湯」と呼ばれ、細川藩の藩営の由緒ある温泉でした。 

現在は、大衆浴場として多くの人に親しまれています。

街道沿いの日奈久の町は、細い路地が入り組んでおり、木造三階の老舗旅館が多いのが目立ちます。

今晩の夕食を予約している上の写真の「金波楼」(きんぱろう:登録文化財)も、木造三階の老舗旅館です。

(木造三階の新湯旅館)

 以下は、薩摩街道沿いの町並みです。

 

 

上の写真は、山頭火の石碑で、「温泉はよい、ほんたうによい、ここは山もよし海もよし、出来ることなら滞在したいのだが、―― いや一生動きたくないのだが、」と刻まれています。

漁村でもあった日奈久には、上の写真の様に、恵比寿像があちこちで祀られています。

写真の家の土台の石垣が、江戸時代には、ここが旧海岸線だったことを示しています。

また、街道沿いには、上の写真の様に、日奈久名産の竹輪を売る店が散見されます。

土産に、写真の竹輪を買いました。

薩摩街道を抜けると、国道3号線沿いの店には、大きな「晩白柚(ばんぺいゆ)」の1種の「チャンドラ」が山なりで売られています。

余りの大きさと安さに、ついつい、ダンボール1箱分を買って横浜へ送りました。

 

薩摩街道を海岸の方へ向かって歩くと、日奈久港があり、写真の「西南戦争 政府衝背軍 上陸地」の標識が立っていました。

西南役の際、日奈久は、薩軍の後方支援基地だったので、官軍の標的になりました。

官軍(政府衝背軍)は、日奈久の沖合から艦砲射撃で援護しながら、6千人を上陸させました。

上の写真は、現存では最も古い明治10年の「八代屋旅館」ですが、二階の柱には、西南戦争の時の艦砲射撃の弾痕が残っているそうです。

上陸を許してしまった薩軍は反撃することもなく敗走したため、上陸した政府衝背軍は、熊本城を侵攻中の薩軍の背後を襲うべく北上していきます。

 

ps.これまでの「電車で行く薩摩街道」については下記をクリックしてください。

高瀬の戦い(西南戦争)、鹿児島(市内西南戦争礒庭園)、川尻熊本(西南戦争市内)、

田原坂の戦い(①)、八代山鹿(①)、佐敷(①

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6 コメント

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日奈久宿  (もののはじめのiina)
2019-11-14 08:46:30
「一生動きたくない」と思える日奈久(ひなぐ)宿も西南戦争 の戦場になったのですね。

600年の歴史があるだけに薩摩街道沿いの町並みは、趣があります。
老舗旅館「金波楼」(きんぱろう)」は登録文化財でもあり、夕食は さぞやおいしかったことでしょう。^^


上野駅構内を台地上から 撮影しましたが、最近は上野駅に降りずにいますから ご無沙汰しています。



一生動きたくない日奈久宿  (ウォーク更家)
2019-11-14 09:52:54
ええ、山頭火が一生動きたくないと言ったのを実感するくらい、薩摩街道沿いの町並みは趣があります。
私も、ここを終の棲家にしたいなあ、と思ったくらいです。

西南戦争は、地元の私ですら、日奈久宿が戦場だったのを知らなかったくらいに、熊本県下の至る所が戦場だったみたいです。

次回は、老舗旅館「金波楼」の建物の中と夕食をご紹介しますので、お楽しみに。
日奈久宿の街並み (hide-san)
2019-11-14 16:32:23
日奈久宿の街並みは、
中山道の奈良井宿や妻籠、馬篭宿とは趣が違いますね。

明るく開けた感じがします。
日奈久宿の街並みは海岸沿い (ウォーク更家)
2019-11-14 18:01:24
そうですね、日奈久宿の街並みは、峠道が続く中山道の妻籠などと異なり、海岸線沿いなので、明るく開けた感じです。

日奈久は、八代平野の端にあり、平らな平地で、八代や熊本の都市につながっているので、中山道の様に、圧迫感がないです。
木造3階建には何か曰くが? (tadaox)
2019-11-24 20:53:37
いずれも老舗旅館ということですが、木造3階建というのは珍しいですね。
お客さんがそれほどたくさんいたということでしょうか。
東日本ではあまり見ない様式ですので、土地特有の理由がありそうですが。
現在は木造3階建はダメですが・・・ (ウォーク更家)
2019-11-24 22:52:01
現在は、建築基準法で、木造3階建は禁止されていますが、昔は違反ではなかったみたいです。

従って、老舗旅館に限らず、戦前からの古い建物で、震災や大戦などを免れて、しかも増改築しなければOKみたいですよ。

私は、瀬戸内海の島で、木造5階建てを見たことがありますので、狭い土地での苦肉の策なのかも知れません。

東日本の都市は、仮に木造3階建があっても、ほとんどが関東大震災で倒壊したり、空襲で焼けたり、それを免れても、都市計画や地上げで解体されたりと、残らなかったのでしょうね。

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