ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

バスで行く「奥の細道」(その23)  ( 「羽黒山」: 山形県 )    2018.7.10


(写真は、羽黒山の木立の中の「五重塔」)  

前回の「湯殿山」に続き、今回は「羽黒山」です。

江戸時代には、「過去=月山、現在=羽黒山、未来=湯殿山」
の出羽三山を訪ねることが、過去、現在、未来を巡る
「生まれ変わりの旅」になる、と信じられていました。

前回の「湯殿山」から1時間20分、我々の「奥の細道」
バス旅行は、「羽黒山」バスターミナルに到着しました。



鳥居をくぐると、下の写真の「随神門」があります。
 

この随神門から、「羽黒山」(出羽三山神社)の神域に
入ります。


随神門の石段を下りると、道の両側に小さい社が立ち並び、
すぐに前方に、「祓川」(はらいがわ)に架かる「神橋」
が見えてきます。

この祓川の清流は、月山に源流を発しており、昔、
参拝者は、この清流で身を清めてから、羽黒山の
山頂を目指しました。


神橋の上からは、小さな祓川神社と、その後ろに
「須賀の滝」が見えます。
滝の水音が爽やかで、清々しい気持ちになります。

祓川を渡ると、500本以上あると言われる杉の古木の中に、
次頁のひときわ巨大な老杉の「爺杉」があります。
何と!、樹齢1千年!、胴囲が8メートルもある、
羽黒山で最も古い天然記念物です。
以前は「婆(ばば)杉」もあったそうですが、暴風で
失われたそうです・・・




爺杉の近くの木立の中に、写真の国宝「五重塔」が
姿を現します。

 

東北地方で最古の塔といわれ、「平将門」の創建と
伝えられています。
この五重塔は、高さが29メートルもあり、圧倒される
ほどの五層の「柿葺(こけらぶき)」で、その大きさは
日本最大です。

また、「素木造り」(しらきづくり)で、何も塗らず、
釘も使っていません。

現在の塔は、 約600年前に再建されたものだそうです。


五重塔の塔の左手に、山頂まで徒歩50分もかかる
全長1.7キロ、2,446段の長い~石段が続きます。

我々のバス旅行は、高齢者が多いので、2,446段の石段を
パスして、バスで、いきなり山頂の「三神合祭殿」(国重文)
へ向かいます。

山頂の「三神合祭殿」(さんじん ごうさいでん)は、
”日本一の茅葺屋根”で、月山・羽黒山・湯殿山の三神を
合祭した神社です。





写真の様に、厚さ2メートルという、日本最大級の茅葺屋根

を持つ社殿の存在感に圧倒されます!




本殿は度重なる火災にあい、現在の社殿は1818年に再建

したものです。


社殿の前の前頁の写真の「鏡池」は、羽黒神が姿を現す池
として、池そのものがご神体と考えられ、古来より多くの
信仰を集め、御手洗池(みたらしのいけ)とも呼ばれました。
古代から、人々は銅鏡に願いを託し、池に納めたそうです。

池の中からは、平安・鎌倉・江戸期に埋納された多くの銅鏡

が出土しました。

従って、ここが羽黒信仰の中心だったと考えられ、「池の

御霊(みたま)」とも呼ばれています。

三神合祭殿の石段を少し下りると、下の写真の「蜂子皇子
(はちこのおうじ)」の墓がありました。

墓の黒扉には、菊の紋章がついていました。

出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)は、1,400年以上前に、
蜂子皇子によって開かれました。


途中で、山伏姿の外国人の集団に遭遇しました!

サングラス姿の若い女性も混じっており、こんなに若いのに、
異国の山奥で修行しているなんて偉いなあ~、と感心
しました。

でも、あとで考えてみると、外国人観光客向けに山伏が案内
する”1日修業ツアー”だったのかも知れません?


 

鏡池の前の道を、蜂子皇子の墓と反対の方向へ進むと、
上の写真の末社が並んでおり、その先に次頁の写真の
「芭蕉像」がありました。

奥の細道の旅ハンドブック
久富 哲雄
三省堂


芭蕉と曾良は、出羽三山の宿坊街である手向宿へ到着した
のち、すっかり暗くなってから、羽黒山に登り、羽黒山の
最高指導者である「会覚阿闍梨」と会いました。

そして、宿泊のため、更に、暗い夜道を、月明かりだけで

参道を登り、羽黒山の中腹にある南谷別院(高陽院紫苑寺)

へ向かいます。

その暗い夜道の参道で詠んだのが、

”涼しさや ほの三か月の 羽黒山”

( 出羽三山の羽黒山にかかる三日月の月明かりは、神聖で
霊気が漂い、身が引き締まる思いだ。)







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コメント一覧

ウォーク更家
階段の多さは旅行社の想定内
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうでしたか、真夏の金毘羅山登山に挑戦でしたか。
大変でしたね。

そう、羽黒山の神社は大変な場所にあり、我々のツアーは半数がリタイアの高齢者なので、全員、最初から正規のルートは諦めていました。

旅行社も心得たもので、2,446段の石段を上りたいというメンバーは多分一人もいないだろうと想定して、最初からバスによる迂廻路を準備していました。
tadaox
階段の多さに尻込み
https://blog.goo.ne.jp/s1504/e/4c58ad893d54429c042945ca61af9caa
羽黒山も大変な場所にあるんですね。
階段だけでも2446段とのこと、聞いただけでも尻込みしました。


というのも、真夏の金毘羅山に登ってヘロヘロになったことがあり、信仰には大変なエネルギーが必要なんだと思い知ったからです。

今回も楽しいブログをありがとうございました。
ウォーク更家
出羽三山は山形観光の目玉
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですね、出羽三山は、やはり、山形観光の目玉みたいですよ。

山形の高畑城は、映画・スウィングガールズの隣でしたか。
行くのが大変そうですが、よく調べて訪れましたね。

山寺は昔行きましたが、垂水遺跡は、更に山寺の奥にあるんですね。
知りませんでした。
もののはじめのiina
出羽三山
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/e3c14c2f22977598bddae769dd630e90
> 出羽三山を訪ねることが、過去、現在、未来を巡る「生まれ変わりの旅」になる、と信じられていました。・・・「過去=月山、現在=羽黒山、未来=湯殿山」
そんなことなら、山形に行った際に参ればよかったです。
「五重塔」内部を、10月上旬まで特別開放していたのに、遠すぎて諦めたいきさつがあります。

山奥まで幽玄の羽黒山ですね。

> 原田甲斐の居城の船岡城は行きましたが、原田甲斐の祖父までは、原田城が原田氏の居城でしたか。
樅の古木が残る「原田城」を歩いてきました。山形県東置賜郡の川西町にあるというのをガイドで知って行きました。
        此処は、伊達家が居城にした高畑城に近いです。
        https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/4f455950db6dbbe39c95fb8208e1e0fb

そのうえ、「元山寺」と呼ばれる「垂水遺跡」にも立ち寄りましたょ。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/be3d912755bc97208ed868c66c461a07

   iinaの当該ブログ記事のアドレスをコメント上のURLに置きました


ウォーク更家
羽黒山神社の冬
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
え、えっ~?、冬の羽黒山神社ですか~? 
冬は、積雪が厳しそうな気がしますが。

そうでしたか、原人さんは、真冬にも行かれたんですね。
しかも、雪の落下があるので、ヘルメットを着けてですか・・・
う~ん、寒さに弱い私は、とてもそんな気にはなれません。
船橋原人
冬の羽黒山神社
羽黒山神社は「冬」もいいですよ。
小生は真冬にも行きましたが、階段は雪が積もって歩きやすくなっていました。
(但し、杉の木に積もった雪が落下するので、ヘルメットを着けて下さいと言われましたが・・・)
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