ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

奥州街道を歩く(22-1:大田原・宿場町) 栃木県大田原市 2017.11.1


(写真は、道標を兼ねた大きな金属製の「金燈籠」)

前日は、早朝に東京駅から東北新幹線に乗り、那須塩原駅で
下車、駅前から路線バスで佐久山宿に着きました。 
そして、奥州街道を、佐久山宿から大田原宿まで歩き、
大田原宿の入口から路線バスで、JR西那須野駅前の
ビジネスホテルに向かいました。 

今朝は、西那須野駅前のビジネスホテルを出て、9:20の
路線バスに乗り、9:56に大田原市内の末広二丁目で下車
して、前回ゴール地点の神明交差点まで少し歩きます。
 


下の写真の神明交差点が大田原宿の入口で、その交差点から、
「薬師通り」と呼ばれる大田原市の中心街に入って行きます。




大田原宿は、戦国時代の1545年に、那須氏の家臣の大俵
(たいひょう)氏が大田原城を築城して城下町を開いたのが
始まりです。

江戸時代には、人口1,428人、戸数245のうち本陣が2、
脇本陣が1、旅籠が43の賑やかな宿場でした。

大田原宿を支配した「大田原」氏は、当初は、「大俵」と
書いて、”たいひょう”と読みました。

その後、改名して、「大俵」の字を「大田原」と改め、
”おおたわら”と読むようにしました。
う~うん?、ややこしい・・・


「薬師通り」を進むと、左側には、寺全体が大田原城の西の
守りだったという「薬師寺」があります。





薬師堂内の金剛力士像、境内の七重塔、舎利塔など、いずれも
市文化財です。



薬師通りを更に進むと、左手の大田原信用金庫の前に、写真の
「那須与一像」が建っています。

大田原宿は、那須与一のゆかりの土地ということらしいです。
那須与一は、源平の屋島の戦いで、平氏方の軍船に掲げられた
扇の的を射落とした、という逸話で有名です。

薬師通りは、やがて金燈籠交差点に出ます。
交差点の手前の左角は、「金燈籠ポケット公園」になって
いて、大きな金属製の「金燈籠」( かなどうろう )が
建っています。
金燈籠は、江戸時代末期の1819年に建立されましたが、
太平洋戦争時に供出、その後、昭和54年に復元されました。

但し、石の台座の部分は、江戸時代のままで、写真の様に、
道標として、西側に「江戸」、東側に「白川」と大きく
彫られています。




また、この小公園内には、金燈籠の説明の石碑が建って
います。
金燈籠のある交差点を直進して、その先の交差点を左折
します。



左折した道を少し進むと、江戸時代には旅籠「上州屋」
だったという前頁の写真の「ホテルみつや」があり、
その角に、写真の「旧奥州街道 大田原 寺町」の道標が
あるので、これに従って右折します。


この辺りが、大田原宿の外れ近くで、城下町特有の枡形に
なっています。




この枡形を抜けて少し歩くと、左手に、上の写真の真新しい
本堂の龍泉寺がありますが、その左の左にカーブする道路
の先に、下の写真の「光真寺」があります。




山門をくぐると本堂があり、その左脇に、1545年にこの寺を
建立した大田原資清の像があります。






光真寺は、大田原藩主の菩提寺なので、本堂の左奥には、
歴代の大田藩主の墓が並んでいます。

大きな宝筐印塔がずらりと並んでいる風景は圧巻です!

もとの龍泉寺の前の道に戻り、奥州街道を少し進むと、左手に
「大田原神社」の石段が見えてきます。




807年創建の大田原神社は、大田原城築城に際し、大田原
資清が大田原城の鎮守社としました。
急な階段を上り左に折れると参道で、その奥に本堂があり
ます。

狛犬というより狛オオカミとか狛キツネとかでしょうか?

表情が何だか怖いです・・・

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コメント一覧

ウォーク更家
大田原市の大田原氏
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ええ、私も、関東地方の天気予報の地図で、栃木県に大田原市があるのくらいは知っていましたが、歴史上の大田原氏は知りませんでした。

栃木県を歩いてみると、県内は、文化圏、交通圏、気象など、大きくは、宇都宮地区と大田原地区に分かれていることが分かりました。

そうですね、昔の旅籠がホテルに姿を変えて営業しているのは、これまでに何か所か見ました。

ええ、ちょっと不気味な雰囲気の狛狐?でした。
こもよみこもち
こんばんは。
https://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
大田原氏というのは、まったく知りませんでした。

昔の旅籠が、今もホテルとして営業しているというのが面白いですね。

こんな狛犬?初めて見ました。
たしかにちょっと怖いですね。
ウォーク更家
オオカミではなくてキツネ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですね、「大俵」氏から「大田原」氏へと名を改めたのは、何かの縁起を担いだのかもしれませんね。

オオカミみたいに見えましたが、確かに、稲荷神社ですから、仰せの通り、多分、キツネなのでしょうね。

九州の繰り返し言葉、”旧周期、優秀”は、とても思いつけません。
もののはじめのiina
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/bdf01963a8663943daab968e7e7d5989
那須氏の家臣の大俵(たいひょう)氏が築城して、改名して「大俵」の字を「大田原」と改め、”おおたわら”と読むようになったとは、
タイソウ(大層)ややこしいです。稲作に田原が欲しくて縁起を担いだのでしょうか・・・。

狛犬の先に赤鳥居がありますから大田原神社境内の稲荷神社である可能性が高いです。となると、おキツネさまな気がします。


> 繰り返し言葉遊び、とでも呼べる様な新しい言葉遊びなのでしょうか。それとも昔からある楽しみ方・・・でしょうか。
重ねことばは、新しい遊びだと思います。

九州を4回 重ねると次のようになります。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/d963163bcdece48169079a1c7c641e5d

ウォーク更家
圧倒される大田原城主の墓
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ええ、大田原城主の墓の墓石群は、壮観で圧倒されました。

あ~あ、中山道の調神社の兎の狛犬、懐かしいです。

ええ、オオカミかキツネかよくわかりませんが、不気味な表情をしていました。
hide-san
大田原城主の墓
http://blog.goo.ne.jp/hidebach
大田原城主の墓の墓石群は、凄いですね。

兎の狛犬は埼玉の調(つき)神社にありましたが、
オオカミの狛犬(?)は始めてみました。
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