ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

福岡 三池港・宮原坑 (世界遺産)  2016.10.26


(写真は、福岡・大牟田市の「「宮原坑」 )

10月21日~26日に、法事で実家の熊本へ帰省
しました。
26日の帰京日は、JRで熊本から福岡へ向い、
福岡空港から羽田へ帰って来ました。

JRで熊本から福岡へ向かう際に、大牟田駅で
途中下車して、世界遺産(明治日本の産業革命
遺産)の「三井炭鉱」に立ち寄ってみました。

JR熊本駅(7:29)→(鹿児島本線)→ 
JR大牟田駅(8:15)

JR大牟田駅前から路線バスで8分の「三池
港」へ向かいます。

「三池港」は、「宮原坑」、「万田坑」、「三池
炭鉱専用鉄道敷跡」と共に、「明治日本の産業
革命遺産」に認定された世界文化遺産です。
近隣の「万田坑」や「宮原坑」で採掘された石炭
を、専用鉄道で運び、「三池港」から搬出し
ました。
三池港は、三池炭鉱での採炭の際生じたボタを
埋め立てて築港されたそうです。

大牟田駅前のバス停の時刻表を見ると、三池港
行きは、何と!、3時間に1本です!

幸運にも、たまたま、その3時間に1本のバスが
やって来たので、これに乗って三池港へ向かい
ます。
バスの乗客は、どうも、三池港に勤務する人だけ
みたいです・・・

路線バスの終点「三池港」で降りると、そこは
雲仙行きのフェリー乗り場でした。

バスの終点周辺を見回すと、海岸に釣り人が数人
いるだけで、観光客は私一人でした。
この辺りは、特に見物するところもなさそうだし、
次のバスは3時間後です・・・
仕方なく、幹線道路のバス停まで、約15分の
道のりを歩いて戻ることにします・・・

三池港沿いの道を歩いて戻っていると、世界文化
遺産の「閘門(こうもん)式 水門」が見え
ました。(下の写真)

その説明板によると、この「閘門式水門」は、
今も現役で使われており、日本で唯一の開閉式
の水門だそうです。
有明海は干満の差が激しいため、大型船が干潮時
でも荷役出来る様に、現在でも、潮の満ち引きに
合わせて、「閘門式水門」を開閉しているのだ
そうです。

閘門式水門を過ぎて暫くすると、上の写真の
「世界遺産・無料展望台」があったので
立ち寄ってみます。



案内板の三池全景の写真と見比べながら、展望台
から「三池港」を見渡します。

案内板によると、この無料展望台の近くに「旧
長崎税関・三池税関支署」があるみたいなので、
全景写真で位置を確かめてから足を延ばします。

下の写真の三池税関支署を見てから、再び無料
展望台に戻り、幹線道路のバス停を目指して
歩き始めます。



無料展望台から少し歩くと、左手に、上の写真の
「三川坑」跡の入口の門がありました。

三川坑の入口には、次頁の写真の様に、炭坑で
働いていた機関車が、良く手入れされて並んで
います。

案内板によると、「三川坑」は、有明海の海底へ
向けて、斜めに掘り進めた炭鉱(斜坑)でした。
ここ「三川炭鉱」では、昭和38年に、死者
458名、CO中毒患者839名を出す”戦後最大”
の「炭塵(じん)爆発」事故が起きたそうです。

えぇ~!、ここでそんな悲惨な大事故が・・・
炭じん爆発で死傷者を出した第1斜坑は埋め
られていますが、第2斜坑は一部残されており、
地下海底へと降りる入り口が覗けます。
そしてこの第2斜坑は、何と!、現在の佐賀空港
の沖まで続いているとのこと!

えぇ~!、

海底にそんなに長い距離続いているの!

坑内には、以下の写真の様に、錆びついた機械
設備、貨車、事務所などが点在しています。






そして、建物の内部は荒れ果てていますが、
それでも当時の様子を生々しく蘇らせます。

当時の生活感がそのまま残っている感じです。



しかし不思議です?

こんなに、完全に近いかたちで、他の炭鉱跡より
施設が残っているにも拘わらず、何故、宮原坑や
万田坑は世界遺産に指定され、ここ「三川坑」は
世界遺産に指定されなかったのでしょうか?

パンフレットを読んでいたらその謎が解けました。

ここ「三川坑」は、昭和になってから炭鉱が開設
されたために、「”明治”日本の産業革命遺産」
には該当しなかったのです!

世界遺産ではない「三川坑」は、予定外の見学に
なりましたが、世界遺産の宮原坑や万田坑よりも、
完全に近いかたちで残るここ三川坑の遺構の方に
心を動かされました。

「三川坑」跡の隣りに、現在、レストランになって
いる「旧三井港倶楽部」がありましたが、残念
ながら未だ開店前でした。
でも、素敵な前庭は、入場無料で出入り自由
なので、ここで一休みします。

三池港の世界遺産見物の際は、ここで素敵な庭を
眺めながらランチしたら良いでしょうね。

旧三井港倶楽部の近くのバス停から、路線バスに
乗り、大牟田駅前に戻ります。




次に、大牟田駅前から路線バスで12分の「宮原
坑」(世界文化遺産)へ向かいます。

こちらは、有明高専前行、帝京大学前行、庄山・
南関行のいずれも「宮原坑」へ向かうので、
15分毎くらいに便があります。

「早鐘眼鏡橋」バス停で下車して、10分くらい
歩くと「宮原坑」です。

宮原坑の駐車場の横の橋を渡って宮原坑へ向かい
ますが、橋の上から見えるのが世界遺産の
「三池炭鉱・専用鉄道敷」跡です。



上の写真は、現存する日本最古の鋼鉄製の「第2
堅坑櫓(やぐら)」ですが、現在、坑口は
コンクリートで閉鎖されています。
第2堅坑は、主に人員の昇降用で、排気、排水、
揚炭の役割も兼ねていました。
下の写真は、昇降に用いられた鉄製ケージです。

下の写真は、レンガ造の「巻揚機室」と「巻揚機」
です。



「宮原坑」は、現在は、明治34年開坑の「第2
堅坑施設」が残されています。
「宮原坑」は、近くの三池集治監に収監された囚人
を使用して、何と!、昭和6年まで「囚人労働」
が行われていました!

「宮原坑」を出て、路線バスで大牟田駅前に戻り、
西鉄電車で福岡に行き、福岡空港から羽田へ
向かいました。

ps.
路線バスでの三池港、宮原坑巡りは、本数が
少なく大変なので、レンタカーか、大牟田駅前
でレンタサイクルを借りる事をお勧めします。

反省点として、三池港の先にある「石炭産業科学
館」を事前に訪れて、予備知識を持ってから見物
に行けば良かったと思いました。

また、私は、平日のボランティアの説明のない
時間帯に行きましたが、出来れば、ボランティア
の説明のある曜日・時間帯を調べて行った方が
良いと思います。
また、観光シーズンの土日祝日には、三池港、
宮原坑、石炭産業科学館、万田坑を巡回する
無料のシャトルバスが、40分間隔くらいで
出ています。

時間の関係で、福岡・熊本の「明治日本の産業
革命遺産」の中で、どこか1か所だけに絞って
見学するとすれば、このブログで以前に
ご紹介した熊本の「万田坑」の方がお薦めです。
(2015.9.20の「熊本・三池炭鉱・万田坑
(世界遺産)」を見てね。)

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コメント一覧

更家
栄枯盛衰の炭鉱跡
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ホントに、炭鉱跡は栄枯盛衰、兵どもが夢のあと、激しい世の移りを映していて、寂しさと哀れを感じてしまいます。
iina
栄枯盛衰
http://blog.goo.ne.jp/iinna/
007「スカイフォール」公開時のテレビCMは、映画並みに とても凝った創りでした。 ^^

このCMは、「世界遺産」放送時にSONYが提供したものですが、いまやSONYが番組から降り、商売敵のcanonが提供する番組に
なっています。

炭鉱も世の移りを照らしていますが、広告提供でも栄枯盛衰は同じようです。

更家
炭坑跡を映画のロケ地に
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
確かに、炭坑跡は、映画のロケ地としては、面白場面が出来るかも知れませんね。

軍艦島が、007のロケに使われたのは知りませんでした。
iina
映画のロケ地に
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/208d98fb9fe6427d346f177533f13a0e
「三井三池炭鉱」で、炭鉱節を うたってきたのですね。^^

幼いころは、町内からバスに乗って観光旅行した折に、バスガイドさんが炭鉱とか八幡製鉄の話題でクイズを出してました。

こうして眺めると、映画のロケ地になりそうです。ターミネーターなどのラスト近い工場跡は向いています。
実際に、軍艦島は007のロケに使われました。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/
e/b0e4df6494de5eecaa98a096b0be8806

* 投稿拒否されたので2段に受けました。

更家
三池の世界遺産
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ホントに、炭鉱跡には、未だ生々しい生活臭が残っていて、心を動かされました。

そうですね、世界遺産の基準は西欧基準なのでしょうから、我々には、今一つピンと来ない面があります。
hide-san
三池
http://blog.goo.ne.jp/hidebach
炭鉱跡には生々しい様子がうかがえます。

世界遺産?なぜ、と考えます。


でもアウシュビッツ収容所が世界遺産になっていることを考えれば、
いろんな意味で考えさせられる遺産ですね。

更家
三井の建物
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ええ、ホントに、今日の日本の繁栄があるのは、これらの炭鉱で働いた多くの人々のお蔭だと思います。

そうです、岩倉使節団の団琢磨の働きで、これら三池炭鉱は三井に払い下げられました。

過酷な労働に加え、この様な事故が多発した訳ですから、労働争議が起きるのも無理からぬことだと思います。
Komoyo Mikomoti
こんばんは
http://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
明治の日本をささえた炭鉱なんですね。
華やかな頃は、多くの人がここで働いていたんでしょうね。
三井の建物があるということは、これらの炭鉱は三井の所有だったということでしょうか。

炭鉱というと、事故、労働争議、負の側面も無視できないですね。
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