ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

バスで行く「奥の細道」(その21)  ( 「登米」: 宮城県 ) 2018.3.15


(写真は、登米の町中の武家屋敷跡)   

芭蕉は、ここ登米で1泊してかから、奥の細道のハイライト
である平泉を目指しました。

写真は、登米の中心部の入口にある北上川の堤防に建つ

「芭蕉一宿(いっしゅく)」の跡の碑です。

我々のバス旅行も、登米市の中心部に入ります。


登米は、武家屋敷が残る雰囲気のある鄙びた小さな町並み
です。







写真は、「教育資料館」(国重文)で、明治21年に建て
られた洋風建築の校舎です。(旧 登米高等尋常小学校)


ギリシャ風の柱頭飾りの技法や、吹き抜け式の玄関、

正面2階にバルコニーを配するなど、ヨーロッパの

様々な様式を取り入れています。



上の写真は、和洋折衷建築の「水沢県庁記念館」で、

明治5年に水沢県庁舎(注)として建てられ、

その後小学校や裁判所として使われました。
特に玄関の切妻は量感溢れる重厚な構えです。
 (注)水沢県庁舎:明治2年に、現在の宮城県の北東部に
      「登米県」が設置され、ここ登米がその県庁所在地
        でした。
  その後、「登米県」は、明治5年に「水沢県」となり、
  水沢県の県庁所在地が、明治8年に登米から一関に移る
  までの間、ここが水沢県庁舎として使用されました。

ちなみに、ここ「登米」は、正しくは、「登米(とめ)市」

の「登米(とよま)町」です。
う~ん、ややこしい・・・

古来、「登米」の地名の読み方は「とよま」でした。
しかし、明治にここが「登米県」の県庁所在地になったとき
に、全国の人々が「登米県」を「とよまけん」と読めず
大混乱となったため、仕方なく「とめけん」に変更した
そうです。

そのため、当時からある小学校の読み方は、現在も「とよま
町」の「とよま小学校」のままですが、官庁関連施設である
警察署などは、「登米(とめ)警察署」などに変更された
そうです。


次頁の写真は、和洋折衷建築の「警察資料館」で、明治22年
に建てられた旧登米警察署の庁舎です。


吹き抜けの玄関や2階のバルコニーなどがモダンな印象です。




写真は、上層武士の武家屋敷を整備した休憩所の「春蘭亭」
で、落ち着いた庭園があり、囲炉裏端の喫茶コーナーでは
抹茶も味わえます。







芭蕉は、ここ登米で1泊してかから、奥の細道のハイライト
である平泉を目指しました。

しかし、この「バスで行く・奥の細道」をご愛読頂いている
皆様には大変申し訳ないのですが・・・
実は、我々のツアーの15名全員が、これから行く平泉と
立石寺は、複数回行ったことがある、ということで、

メンバ-の希望で、奥の細道のハイライトである平泉と

立石寺はスキップすることになりました。

(私の平泉旅行については、2012/8の「白神山地と平泉
 金色堂」
を見てね。)

 

と言う訳で、次回の「バスで行く・奥の細道」シリーズは、
東京から新幹線で山形へ向かい、山形から、健脚の芭蕉も
苦労して歩いたという湯殿山、羽黒山、月山へ向かいます。


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コメント一覧

ウォーク更家
登米は素敵な町
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
登米は、私も知らない町でしたが、、武家屋敷も洋風建築もあり、鄙びた落ち着ける町でした。

ええ、全国の皆さんが、新しく出来た「とよま」県を読めなかったのは仕方ないです。

そうです、この旅行のメンバーは全員が、旅行好き、歴史好きなので、平泉などの有名な観光地・史跡は、既に何回も行っていらっしゃるみたいです。

この奥の細道ツアーは、個人では行けないポイントを多く巡るので、その意味で皆さんの満足度は高いみたいです。
こもよみこもち
こんばんは。
https://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
たしかに「とよま」とは読めませんね。
武家屋敷も洋風建築もある町なんですね。
ここだけでも十分楽しめそうです。

平泉は、あまりに有名なので、
みなさん行かれているんですね。
ウォーク更家
船橋原人さんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ええ、旧尋常小学校の建物は、とても小学校だとは思えない、お洒落で素敵な校舎でした。

ご指摘の様に、現在は合併して登米市になっていますので、ブログを町から市へ訂正しました。

原人さんの「当時は登米(トヨマ)町と呼ばれていましたが、現在は登米(トメ)市ですが解りますか?」で、そう、バスツアーの同行の歴史の先生の話しを思い出しました。

先生の説明によると、古来、「登米」の地名の読み方は「とよま」でした。

しかし、明治にここが「登米県」の県庁所在地になったときに、全国の人々が「登米県」を「とよまけん」と読めず大混乱となったため、仕方なく「とめけん」に変更したそうです。

そのため、当時からある小学校の読み方は、現在も「とよま小学校」のままですが、官庁関連施設である警察署などは、「登米(とめ)警察署」などに変更されたそうです。
ウォーク更家
もののはじめのiinaさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
相変わらず冴えていますねえ。
そう、芭蕉は、登米で1泊して、”泊め「登米(とめ)」”てもらいました。
座布団3枚!

そう、このツアーの15名は、全員が我儘なので、旅行社も、諦めて、通常コース以外に、客の要望通りに?融通を利かせつつあります。
もののはじめのiina
一宿一泊
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/52ab138a77367729337f7381ad69a077
登米で一宿一泊して、泊め「登米(とめ)」てもらったのですね。
         「登米(とめ)」という地名は、なにやら登別のようです。それは、また別のときにお願いします。

ツアーの15名全員の要望で、通常コース以外に決められるとは融通の利くバスガイドさんでした。


> ブログの最後のの写真は圧巻です。
 たしかにを見ると元気をもらえます。

* iinaの該当ブログ記事は、コメント上のURLに置いています。

船橋原人
登米
宮城県出身ですが、実家は仙台より南の方(仙南)のため「登米」の方にはあまり行った事がありません。
しかし「登米高等尋常小学校」は訪れています。
当時は登米郡(トメグン)登米町(トヨママチ」と呼ばれていましたが、現在は「登米市」(トメシ)となっているようです。
解りますか??
ウォーク更家
雰囲気のある登米の町並み
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
確かに、登米は、奥の細道関連の史跡としては、芭蕉宿泊の標柱が残っているだけでしたが、町中は、沢山の明治時代の建造物が残る雰囲気のある忘れがたい町でしたよ。

平泉は、何回行ってもまた違った見方が出来る場所なのでしょうが、旅行好きの人が多いこのバス旅行のメンバーは、平泉にはもう何回も行っているので、行かなくてもいいや、という雰囲気で、カットしようという結論になりました・・・
hide-san
登米
https://blog.goo.ne.jp/hidebach/
登米は芭蕉が一泊しただけでその標柱が残って居るだけと聞いたので、
スキップしましたが沢山の明治時代の建造物がるのですね。

ありがとうございました。

平泉は二回目でしたが、ボクには、また違った見方が出来る場所でした。
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