(写真は、名勝「猿橋」)
前回の鳥沢宿を抜けて、ひたすら旧甲州街道を歩き続けて
いると、街道の脇に、上の写真の様に、猿橋の矢印が
出ていました。
左手の階段を覗き込むと、眼下に猿橋が見えます。
階段の下には、上の写真の「うき我を 淋しがらせよ
かんこ鳥」の「芭蕉句碑」が建っていました。
(句意:その寂しい鳴き声で世を辛く思う閑古鳥よ、孤独な
私を寂しがらせておくれ。その寂しさの中に浸りたいのだ。)
猿橋の眼下には美しい桂川の渓谷が望めます。
橋から下を覗くと、余りの高さに、高所恐怖症の私は、
足がすくんでしまいました・・・
江戸時代に、こんなに深い渓谷に橋を架けたなんて、改めて
凄い技術だな、と感心しました。
この桂川は、笹子川を吸収して相模國に入ると、相模川と
名を変え、河口近くでは馬入川となり相模灘に注いで
います。
猿橋を渡り終わると、次頁の写真の山王宮があり、その横
には、次頁の2番目の写真の「枯れ枝に 鴉とまりけり
秋の暮」の「芭蕉句碑」があります。
(句意:枯れ枝にカラスが一羽留まっている姿がとても寂しく、
秋の夕暮れらしい趣だ。)
上の写真は、猿橋の前の広場で営業している「忠治蕎麦」の
看板を掲げる「大黒屋」です。
伝説によると、捕吏に追い詰められた「国定忠治」は、傘を
差して、この猿橋から桂川に飛び込んで逃げたそうです。
えぇ~?、傘を差してこの猿橋から飛び下りたの?
お昼には、ここの「忠治そば」を食べるのを楽しみにして
いたのですが、残念ながら、コロナのために閉店中でした
・・・
遊歩道の矢印に従って、急な階段を桂川の河原まで下りて
みます。
次に、猿橋の前の広場に戻り、猿橋と並行して架けられている
新猿橋に回って、猿橋を斜め下に臨みながら撮影します。
現在の猿橋は、1851年の図面を元に、昭和59年に復元
されたものです。
広重は、ここを訪れた際に、「猿橋の向ふ茶屋にて昼喰、
やまめの焼きびたし菜びたしなり」と書いています。
(「歌川広重:甲陽猿橋之図」:大月市のパンフレットから)
近藤勇が率いる甲陽鎮撫隊(新選組)が、ここを敗走する
時に、新選組の隊員が、この「猿橋」を焼き落として政府軍の
追撃を食い止めよう、と進言しました。
しかし、リーダーの一人の佐藤彦五郎が、土地の人が難渋する
と猛反対、近藤勇は佐藤彦五郎の反対を受け入れました。
(佐藤彦五郎については「甲州街道を歩く・日野」を見てね。)
テレビを見ながら猿橋の構造についてのこのブログ説明文を
書いていると、丁度、「三宅裕司のふるさと探訪」の番組で、
三宅裕司が猿橋の構造の説明を受けていました。
そこで、このブログでも、このテレビ番組の説明を、
チャッカリと流用させて頂きます。
猿橋は、富士山の溶岩流が長い年月をかけて浸食した深い谷に
架けられた橋です。
深い渓谷で橋脚が立てられないため、両岸から桔木(はねぎ)
を四層に長く重ね、最上部の桔木の上に橋桁(はしげた)を
渡して連絡した橋です。
猿橋の名称は、諸説ありますが、猿がお互いに身体を支え
合って橋を作った、との言い伝えによるという説が有力
なのだそうです。
また猿橋は、日本三大奇橋(周防の錦帯橋、木曽の桟)の
ひとつでもあります。
(「三宅裕司のふるさと探訪」から)
(深い渓谷で橋脚が立てられない
:「三宅裕司のふるさと探訪」から)
(両岸から桔木(はねぎ)を四層に長く重ね、最上部の
桔木の上に橋桁(はしげた)を渡した
:「三宅裕司のふるさと探訪」から)
(各々の桔木に屋根が付いているのは、雨水で桔木が腐るのを
防ぐため:「三宅裕司のふるさと探訪」から)
猿橋を後にして、新猿橋西交差点を右折して、国道20号に
合流します。
この交差点辺りが、猿橋宿の東口です。
猿橋宿は、本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠10軒でした。
また、猿橋宿は、比較的大きな宿場で、芝居小屋なども
あったそうです。
しかし、現在は、残念ながら、何も残っておらず、宿場町の
痕跡すらありません・・・
猿橋宿を抜けて、国道20号を暫く歩くと、左手に上の写真の
「馬頭観音」があります。
更に国道20号を歩いて行くと、猿橋町歩道橋の左手が
上の写真のJR中央本線猿橋駅です。
猿橋駅の前に、「円行寺」があり、その参道口には、
1862年建立の「廿三夜塔」や「道祖神」などが
祀られています。
円行寺の並びには、上の写真の三嶋神社もあります。
三嶋神社は、ここ殿上(とのうえ)村の産土神です。
猿橋駅前を過ぎると、左手の空地に上の写真の「青面金剛王
庚申塔」が祀られています。
更に進むと、右手に、「阿弥陀寺」があり、参道口には
前頁の写真の「南無阿弥陀仏名号」碑が建っています。
ガイドブックによると、その「南無阿弥陀仏名号碑」の横に
建っている前頁の写真の朽ちた木の標柱が「猿橋一里塚跡」
だということですが、文字が消えてしまっていて
読めません・・・
猿橋一里塚は、塚木は桃ノ木だったそうです。
一里塚が桃ノ木とは!、さすが山梨県です。
日本橋から23里目(92キロ)です。
猿橋宿から次の駒橋宿までは約2キロです。