ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

宮本武蔵 最後の5年間 (その3:「武蔵塚」 )   2015.7.16


(写真は、武蔵塚の宮本武蔵像)

宮本武蔵が、熊本で過ごした最後の5年間に
ついては、武蔵が五輪書を執筆するために
籠ったという「霊厳洞」(れいがんどう)
(2015/2)、武蔵関連の肖像画、水墨画、
刀剣などを集めた「島田美術館」(2015/2)、
をご紹介しました。

この私のブログに対して、様々なご感想、ご意見
を頂きました。
”島田美術館で、武蔵が実在の人物だった事を
実感しました。
ただの剣豪ではなく、才能豊かな人だった
のですね。”
”武蔵は、目力が強く異様な風格で、各所で剣客
として招かれ、お金に窮した気配はありません。”
”山本周五郎の武蔵像は、吉川英治の武蔵像とは
正反対です。”
等々大きな反響がありました。
そこで、色々な武蔵像のうち、”実像”は
どうだったのだろう?、
という疑問が湧いてきました。

という訳で、先月、お盆で熊本へ帰省(7/15~
20)した際、更に武蔵ゆかりの地を訪ねて
みました。
先ず訪ねたのは、熊本駅から、JR豊肥線(肥後
大津行)で約 20分の「武蔵塚駅」(熊本市北区)
です。



駅の改札口で、駅員さんに「武蔵塚」の場所を
聞くと、丁寧に道順を教えてくれました。
武蔵塚駅から、豊肥線沿いに、熊本駅方面に
約20分くらい歩いて戻ると、写真の「武蔵塚
公園」がありました。
(車では熊本市の繁華街から30分ぐらい。)




武家屋敷風の白壁に囲まれた公園の園内には、
日本庭園や広場などが綺麗に手入れされて
います。



上の写真は、ニ刀を携えて立つ宮本武蔵の
ブロンズ像です。

ブロンズ像の前には、以下の5枚のタイルに、
武蔵の構えが描かれています。












上の写真は、武蔵の墓碑で、「新免武蔵居士石塔」と刻まれています。

細川忠利から、客分として熊本に招かれた武蔵は、
これまでの剣豪としての激動の人生とは異なる、
穏やかな晩年を送っています。
忠利の話し相手(御伽衆:おとぎしゅう)として、
つまり文化人として大変気に入られていたそう
です。
そして、忠利のお供をして、のんびりと山鹿温泉
などへ出掛けたりもしていたらしいです。
忠利が急死したあとも、2代藩主・光尚により、
これまでと同じように賓客として処遇され
ました。

”死後も、恩を受けた藩主を見守りたい”との
武蔵の願いを叶えるため、参勤交代の行列が
通る豊後街道沿いのこの場所に、墓が建て
られたのだそうです。
成程ねぇ~、こんな辺鄙な場所に墓があるのは、そう言う訳なんだ!
参勤交代の無事を祈るため、遺言により、「甲胄
具足に身を固め、両刀を抱き、立ったままの姿」
で、棺に納められ葬られているそうです。
えぇ~?、立ったままの姿で葬られているんだ・・・、凄い!

公園の前に、うどん店「武蔵茶屋」がありました。

お昼時で、お腹が空いたこともあり、早速、
入ってみます。
観光地らしく、入口には武蔵関連の土産物が
並んでます。

武蔵、小次郎、お通などの名前のうどんの
メニューです!

武蔵にするか?、小次郎にするか?、お通にする
か?、迷いました・・・
が、やはりここは武蔵でしょう!

武蔵うどん(685円)を注文。
出てきた武蔵うどんは、麺が太く平べったくて、
きしめんに似ています。
食感は、もっちりとしていて、きしめんよりも、
ほうとうに近いです。
餅、かまぼこ等の具も多く、食べごたえが
あります。


帰りは、武蔵塚公園・バス停から、熊本市交通
センターへ戻りました。

ps.
熊本では、武蔵に恨みを抱く者の墓荒しを防ぐ
ために、墓は、弟子たちによって数か所建て
られた、という話を子供の頃聞いたことが
あります。

従って、宮本武蔵の墓所は、熊本市に他に数ヶ所、
また、熊本県外にも数ヶ所ある様です。

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コメント一覧

更家
武蔵うどん
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そう、JRでちゃんと武蔵塚という名前の駅があるんですが、やはり訪れる人は車みたいで、電車で来る人は少ない感じでした。

そう、武蔵塚では、やはり、武蔵うどんを注文しますよね。

小次郎の物差しゴボウも気になりましたが・・・

播州赤穂城の前の店は「討入そば」ですか、なるほどネ。
Komoyo Mikomoti
こんばんは。
http://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
武蔵塚というそのままの名前の駅があるんですね。

メニューのうどんの名前、ちゃっかり、武蔵にあやかって商売していますね。
私も「武蔵うどん」を注文します。

数日前に播州赤穂城に行ったのでしたが、
その前の店で食べたのは「討入そば」でした。
更家
恥ずかしながら
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
山本周五郎の「よじょう」で、武蔵について書いているらしいのですが、コメントを頂いただけで、恥ずかしながら、私も未だ読んでいません・・・((-_-;))

武蔵についてブログを書いている以上、今度、読んでみます。
hide-san
武蔵
http://blog.goo.ne.jp/hidebach
ボクは吉川英治の武蔵しか知りません。
山本周五郎も武蔵を書いていたとは、
一度読んでみたいですね。
更家
文化人としても
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
確かに、自画像を参考にブロンズ像を作ったのでしょうね。

勿論、武蔵の名が轟いていたために文化人としても遇せられたのだと思います。
戦国時代から平和な時代へ、武蔵は牢人でありながら、時代の変化に上手く対応していった人生の”勝ち組”だったのでしょうね。

野毛の居酒屋・武蔵屋の閉店は、私も新聞で読みました。
iina
武蔵
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/0353d5f61f467ab52657bfe42d85e72a
武蔵塚に立つ宮本武蔵のブロンズ像は、熊本城で見た自画像を参考にして作られた雰囲気ですね。

武蔵は、名が轟いていたためか文化人として遇せられて、生涯お金に困ったことがないと伝わります。
でも、武蔵の技は殺人剣であったので廃れたのでしたか?

スポーツ飲料は、血液と同じ程度の塩分なので身体にいいらしいです。でも、空気のまざった生水が一番らしいです。

なお、惜しいかな横浜・野毛の居酒屋「武蔵屋」が、先月31日に閉店してしまいました。(^^ゞ
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/d7d4ac95ee3dc76b4eaaea1f24190626

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