![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/58/4844d31db20ba8c87d1ed92c90f562b8.jpg)
(写真は、武蔵塚の宮本武蔵像)
宮本武蔵が、熊本で過ごした最後の5年間に
ついては、武蔵が五輪書を執筆するために
籠ったという「霊厳洞」(れいがんどう)
(2015/2)、武蔵関連の肖像画、水墨画、
刀剣などを集めた「島田美術館」(2015/2)、
をご紹介しました。
この私のブログに対して、様々なご感想、ご意見
を頂きました。
”島田美術館で、武蔵が実在の人物だった事を
実感しました。
ただの剣豪ではなく、才能豊かな人だった
のですね。”
”武蔵は、目力が強く異様な風格で、各所で剣客
として招かれ、お金に窮した気配はありません。”
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0070.gif)
”山本周五郎の武蔵像は、吉川英治の武蔵像とは
正反対です。”
等々大きな反響がありました。
そこで、色々な武蔵像のうち、”実像”は
どうだったのだろう?、
という疑問が湧いてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_3.gif)
という訳で、先月、お盆で熊本へ帰省(7/15~
20)した際、更に武蔵ゆかりの地を訪ねて
みました。
先ず訪ねたのは、熊本駅から、JR豊肥線(肥後
大津行)で約 20分の「武蔵塚駅」(熊本市北区)
です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/68/2e/481281e1594d30f0c2aef060183b5eb9_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/13/94/7bec63ecee80d02968eb2f852ee0e5f5_s.jpg)
駅の改札口で、駅員さんに「武蔵塚」の場所を
聞くと、丁寧に道順を教えてくれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
武蔵塚駅から、豊肥線沿いに、熊本駅方面に
約20分くらい歩いて戻ると、写真の「武蔵塚
公園」がありました。
(車では熊本市の繁華街から30分ぐらい。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/8c/931911c040af26e6b10548bfad317914.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/10/f9/6b47aa1191ccabb7b647356e1b63037a_s.jpg)
武家屋敷風の白壁に囲まれた公園の園内には、
日本庭園や広場などが綺麗に手入れされて
います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/bb/b242d9088620083bc630395c16820ac3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/40/774f022345a47a39d02892b0505b9cb7.jpg)
上の写真は、ニ刀を携えて立つ宮本武蔵の
ブロンズ像です。
ブロンズ像の前には、以下の5枚のタイルに、
武蔵の構えが描かれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/80/cbc0cb8127c380ed4766cbf2f4799102.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/38/e0ad13369bd18e556c760f2af4341027.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/53/56/fa4b099bd080ac18cf51d40bb9515807_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/7d/8414ceb364f1e4d4911a236b6de94c61.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/a4/a6b30d8846a42644cdbbba2023497467.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/0e/6d631421c0615daf3e74c0340f4356db.jpg)
上の写真は、武蔵の墓碑で、「新免武蔵居士石塔」と刻まれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/c2/48885922b1c9c638641da5985b1d8963.jpg)
細川忠利から、客分として熊本に招かれた武蔵は、
これまでの剣豪としての激動の人生とは異なる、
穏やかな晩年を送っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0150.gif)
忠利の話し相手(御伽衆:おとぎしゅう)として、
つまり文化人として大変気に入られていたそう
です。
そして、忠利のお供をして、のんびりと山鹿温泉
などへ出掛けたりもしていたらしいです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0147.gif)
忠利が急死したあとも、2代藩主・光尚により、
これまでと同じように賓客として処遇され
ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
”死後も、恩を受けた藩主を見守りたい”との
武蔵の願いを叶えるため、参勤交代の行列が
通る豊後街道沿いのこの場所に、墓が建て
られたのだそうです。
成程ねぇ~、こんな辺鄙な場所に墓があるのは、そう言う訳なんだ!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
参勤交代の無事を祈るため、遺言により、「甲胄
具足に身を固め、両刀を抱き、立ったままの姿」
で、棺に納められ葬られているそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_5.gif)
えぇ~?、立ったままの姿で葬られているんだ・・・、凄い!
公園の前に、うどん店「武蔵茶屋」がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/a0/c9e63b946218f0a2a204d9e9e4f86633.jpg)
お昼時で、お腹が空いたこともあり、早速、
入ってみます。
観光地らしく、入口には武蔵関連の土産物が
並んでます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/0c/8b3b93c62e77aee54795b824aa275ed7.jpg)
武蔵、小次郎、お通などの名前のうどんの
メニューです!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/54/73bc942d11053a6d37ad9f3f222d8d87.jpg)
武蔵にするか?、小次郎にするか?、お通にする
か?、迷いました・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_5.gif)
が、やはりここは武蔵でしょう!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/8f/d3faeb6d42ea0a99fd4582dea2cd94fc.jpg)
武蔵うどん(685円)を注文。
出てきた武蔵うどんは、麺が太く平べったくて、
きしめんに似ています。
食感は、もっちりとしていて、きしめんよりも、
ほうとうに近いです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_happy_s.gif)
餅、かまぼこ等の具も多く、食べごたえが
あります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/44/99/93ab9ef5ff53f33d2224a81b007e7852_s.jpg)
帰りは、武蔵塚公園・バス停から、熊本市交通
センターへ戻りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_train.gif)
ps.
熊本では、武蔵に恨みを抱く者の墓荒しを防ぐ
ために、墓は、弟子たちによって数か所建て
られた、という話を子供の頃聞いたことが
あります。
従って、宮本武蔵の墓所は、熊本市に他に数ヶ所、
また、熊本県外にも数ヶ所ある様です。